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怪異の書板3

 巨腕が闇を裂いた。――ドォンッ!

 土砂が爆ぜ、空気ごと叩き落とされるような衝撃。わたしは思わず耳を塞ぎ、木の陰に縮こまる。


「ノア、生きてるか!」

 飛び散る土煙の向こう、ハルメアスが叫ぶ声。かろうじて聞こえたので片手を上げて応えた。


「ギリギリね! そっちは?」

「まだ首は付いてる!」


 お調子者みたいな返事だけど、笑えないほど状況は悪い。眉間に《村正》を刺された牛鬼は狂乱し、先ほどから巨岩や伐り株を投げ散らしている。さっき一本が直撃した木は粉砕、わたしは木屑まみれで鼻の奥がツンと痛い。


 ハルメアスは地を滑るように回り込み、鬼の死角へ飛び込んでいた。月光が無いぶん、赤髪と刀身の暗い輝きだけが位置を教える。


「刃は敵を断つものじゃない」

 彼が低く呟き、《村正》を握ったまま鬼神の右腕へ突進。

「恐怖を分け合う薄膜さ――」


 刀身が蒼白い弧を描き、筋肉を深く割く。血が噴き上がり、牛鬼の咆哮が夜を震わせた。


「うわぁ、こっちまで鼓膜が割れるって!」

 わたしは思わず毒づく。でも次の瞬間には矢を番えていた。ハルメアスの背中を狙う岩を射落とすと、彼がちらりと振り向き、片目でウインクを寄越す。


「ナイス呼吸!」

「どういたしまして! でもそろそろ決めてよ!」

「容易いさ。ただし――」


 彼は跳躍しながら言葉を継ぐ。 


「――勝利より大事なのは、“昨日の自分を赦せるか”だ!」


「はいはい、その講義は後で!」


 わたしの軽口を置き去りに、ハルメアスは牛鬼の膝へ斬撃。巨体ががくりと崩れ、片膝をついた。絶望したような黒い瞳に《村正》の炎紋が映える。


「やった…!」

 思わず声が漏れる。だけど歓喜の一拍を挟む余裕など無かった。


 牛鬼は狂った独楽のように腕を振り、地面の岩や倒木を手当たり次第に掴んで投げ始めた。巨石が夜空を横切り、私の隠れ場へ迫る。


「げっ! セーフ…!」

 地面に腹這いになり、頭上を通過する岩をやり過ごす。背筋に冷たい汗が伝った。 


 と、遠く村の方角から子供の泣き声。牛鬼の血走った目がそちらを捉え、膨れ上がった怒気と共にゆらりと向きを変える。


「まずい!」

 わたしは腰を上げるが、距離は遠すぎる。 


 ハルメアスが咄嗟に転がっていた棍棒を掴んだ。片手では抱え切れないサイズを、両腕で引きずり上げると、闇の中で唸るように叫ぶ。


「おい、こっちだ化け物!」


 棍棒を振りかぶり、村とは逆の谷底めがけて豪快に投げ捨てる。巨木が大気を裂く音を残し遠くへ飛んでいく。牛鬼は反射的に武器を追いかけ身体をひねった――ほんの刹那、ハルメアスの目論見は成功に見えた。


 だが鬼は考えるより先に肉体で怒りを選ぶ。凄まじい反転と共にハルメアスへ突進、地面が沈んだような速さ。 


「危ない!」

 わたしの叫びは真正面からぶつかる衝撃に掻き消えた。ドォンと雷鳴にも似た衝突音、土煙が壁のように立ち、二つの影を飲み込む。


 視界が砂塵で白く曇り、何も見えない。心臓が跳ね、口の中が鉄錆の味になった。


「……ハルメアス!」


 返事は無い。――けれど、薄煙の向こうから聞こえる微かな金属音。《村正》が地を擦る擦過音だ。


 わたしは震える手で次の矢を番え、耳を澄ませる。 


「……斬るたびに己の弱さを確かめるんだろ?」

 自嘲まじりの独り言が漏れた。

「だったら今、立ってよ。確認して、もう一度、立って……!」


 煙の外から牛鬼の荒い呼吸、そして足音。砂塵が晴れれば決着が見えてしまう。わたしは弦を引き絞るが、指が汗で滑った。 


 その時、砂塵の海からゆっくりと真紅の光がせり上がった。――《村正》だ。刀身が夜風を吸って脈動し、血が蒸気のように焦げる香りを放つ。刃の根元を握る手は、まだ震えている。それでも確かに握り込んでいる。


 ハルメアスの低い声が、刀と共に闇を切り裂いた。


「誤解から始まる戦なら、終わりも俺が語ってやる……!」


 牛鬼の巨影が濁った咆哮を上げ、再び腕を振り下ろす。そこへハルメアスが踏み込み、《村正》の軌跡が紅い流星となる――


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