冥府の書板8(閑話)
王都ヴァルトリオは、剣によって保たれていた。
議会はあったが、形骸だった。
法典は存在したが、剣の結果の後に書き換えられるのが常だった。
この地では、決闘がすべてだった。
訴えたいことがあれば、剣を抜けばよい。
正しさを主張したければ、勝てばよい。
剣の強さこそが理であり、敗れた者に真実は与えられなかった。
「力ある者こそが正しい」――それがヴァルトリオの掟。
その朝も、王城の中庭では決闘が行われていた。
双剣を構える女騎士と、大槍を抱えた青年が、審判の号令と同時に火花を散らす。
勝者は名誉を得、敗者は黙して退く。理由など、問われない。
その風景を、ハルメアスは黙って見ていた。
赤髪を風になびかせ、剣を背に負った彼は、街に入るなり“挑まれた”のである。
王直属の七騎士、その全員から。
「我ら七剣は、外より来たる“正義”を試す責務がある」
「あなたが噂のハルメアス殿か。ならば、剣で語っていただこう」
相手は、全員が一騎当千の名士だった。
剣の試練、槍の試練、弓の試練、魔導の試練。
次々と挑まれる戦いに、ハルメアスは一切を拒まず応じた。
そして彼は、すべてを一太刀で制していった。
剣の試練では、相手の刃が交差する寸前に軌道を読み切り、鍔に刃をかすらせただけで地に伏せさせた。
槍の試練では、踏み込みの一歩を逆手に取り、柄を滑らせて突きを封じた。
弓の試練では、空を割る矢を振るう一閃で吹き払い、魔導の試練では詠唱の“間”を突いて沈黙させた。
だが、誰一人として傷つけはしなかった。
どの瞬間も、剣は“寸前”で止まっていた。
敵の息遣いが届くほどの至近で、彼は“勝利”だけを刻み、血を流させなかった。
戦いのたびに、観客たちは静まり返った。
勝利が叫ばれるのではない。
ただ、「何かが違う」と皆が感じ取っていた。
そして七戦目、最後の騎士が剣を落としたとき、ハルメアスは初めて言葉を発した。
「勝った者が正しいのではない。“正しかったから勝てた”と、信じられる世であれ」
その言葉に、誰もが息を飲んだ。
それは掟への異議だった。
だが、七騎士は誰一人として抗議しなかった。
一人、また一人と膝を折り、最後には皆が剣を地に置いた。
王の間。
ハルメアスは王の前に立つ。
老いた王は、威厳を失ってはいなかった。
だがその目は、長年の剣の政治に疲れ果てていた。
「そなたの刃、確かに見届けた。……儂は、正しさを剣に託してきた。だが、もはやそれも終いにせねばなるまい」
王は、自らの冠を外し、玉座の前に置いた。
「この街に、初めて“言葉による審議の法”を設けよう」
その宣言に、沈黙の中から拍手が起きた。
それは戸惑いを含んだものだったが、確かに“賛同”だった。
決闘の街に、対話の火が灯った。
午後の陽光が石畳に差し、剣の影がゆっくりと消えていく。
ハルメアスは、剣を背に戻し、誰に告げるでもなく王都を去る。
その背には、もう誰も矢を向けなかった。
ただ、遠く見送る者たちの目に、何かを託すような輝きがあった。
こうして、王都ヴァルトリオの“午前”は終わった。
そして“対話の午後”が、静かに始まろうとしていた。




