双王の書板3
ミレイユとセルデンを伴い、私たちは数日かけて南の王国の境界を越えた。冷たい風が砂混じりの道を舞い、兵たちの訓練する金属音が遠くから響く。灰色の石造りの城門が視界に現れたとき、私たちはついに目的地へ辿り着いたことを知った。
城門では数列の騎馬兵が待機していた。甲冑をまとい、厳しい顔つきで我々を見据えている。セルデンが前に出ると、兵士たちの中から年長の一人が馬を進め、「名を名乗れ」と鋭く言った。その声音には疑念と警戒が滲んでいる。
「我らは北王レオナード三世の使節。和平の意志を携えたものだ」とセルデンが堂々と応えると、一瞬の静寂ののち、兵士たちは互いに顔を見合わせた。どうやら事前に通達されていたらしい。私たちは無事に城内へと導かれ、玉座の間へと案内される。
その広間には、重厚な石柱が並び、天井から垂れる赤絨毯が私たちを王のもとへと誘っていた。玉座に腰かける男――ゼノン王は、双子の兄であるレオナードと同じ顔を持ちながら、どこか冷ややかな印象を放っていた。彼の瞳には、希望ではなく猜疑と苛立ちの色が濃く漂っていた。
「兄の国からの使者だと?」ゼノン王は椅子に背を預けたまま、視線だけで私たちを射抜いた。「よくぞ我が城まで辿り着いたものだな。」
ハルメアスは一歩前へ進み、丁重に頭を垂れる。
「ゼノン王、私は兄王レオナード三世の命を受け、和平の使者として参りました。」
ゼノン王は鼻で笑った。
「和平?兄はようやく膝を屈する気になったのか?それとも、ついに戦の苦しみを知って白旗でも掲げたか?」
「違います。」ハルメアスは毅然とした声で応じた。
「互いに争っても、民が苦しむばかりです。兄王はそのことを悟り、あなたとの和解を心から望んでおられます。」
「民の苦しみだと?」ゼノン王の眉がひくりと動いた。
「兄がそう吹き込んだのか?偽善者どもが…。“民のため”だと?笑わせる。」
このとき、玉座脇に佇んでいた男が進み出る。異国の布を纏い、背筋を伸ばしたまま、静かな声で進言する。
「陛下、このような者どもに耳を貸す必要はありません。斬り捨ててしまいましょう。」
その男――アーグレンの名を、私たちは知っていた。レオナード王の話に出てきた、弟王の側に取り入った“東方の学者”。私は咄嗟に息を呑んだ。敵意が、空気を濃くする。
だが、ゼノン王は手を上げてアーグレンを制した。
「待て、アーグレン。」
そして私たちを再び見据える。
「使者を害せば体裁が悪い。話だけは聞いてやる。ただし、退屈な言葉には命の保証は無いと思え。」
緊張が張り詰める中、ハルメアスは一歩前に進み、低く穏やかに語り出した。
「ゼノン王。兄王はあなたを今も信じています。共に国を支えてきた弟として、心から和解を願っている。私には、なぜそれが叶わぬのかは分からぬ。ですが、戦いが続けば、どちらの国もただでは済みません。願わくば、再び手を取り合って――」
「黙れ!」ゼノン王の怒声が石壁に響き、彼は立ち上がった。怒りに染まった顔には、同時に深い哀しみも浮かんでいた。「兄弟仲良く?平和?…貴様に何が分かる!」
「……全てを、奪われたのだぞ。」
その一言に、室内が静まり返る。私たち全員が、その言葉の重みに押し黙った。
「父上の最期の言葉を知っているか?」ゼノン王は、怒りを必死に押し殺すように続けた。「王位を兄に譲り、私には“支えとなれ”と…。それがどれほどの屈辱だったか、貴様らには分かるまい。私も兄と共に国を支え、剣を取り、血を流した。なのに、兄ばかりが“選ばれた”。私は従属せよと?」
ゼノン王の拳が震えている。その様子に、ハルメアスは目を伏せ、静かに頷いた。
「その痛み、すべてではなくとも……私には少し分かる気がします。だが、それでも……戦は、民にさらなる傷を残すだけです。」
ゼノン王は憐れむように笑った。「理想論だな、勇者よ。平和など二の次だ。私は兄を超えなければならない。それだけだ!」
その瞬間、アーグレンが再び前に出た。「陛下、その通りでございます。いまこそ、真の王たるべきお方が、兄王を討ち、玉座を掌中に収めるとき。」
ゼノン王は一瞬頷こうとしたが、彼の目が宙をさまよう。「だが……この数か月、民の命が、どれほど……」
「迷いは不要です。」アーグレンの声は滑らかだった。「兄こそが災厄。あなたが救わねば、誰が救うというのです。」
ゼノン王の眉間が深く皺を刻む。だが私は感じた――彼は悪人ではない。迷いの中にいるのだ。ただ、誰かの言葉が彼の中の小さな良心を押し殺そうとしている。
ハルメアスが、静かに口を開いた。
「貴様がアーグレンか。王を唆し、争いを焚きつけ、民を犠牲にする外道め。貴様の罪、万死に値する。」
その怒気は、彼の声を震わせるほどに真剣だった。アーグレンは薄く笑った。「証拠もないのに、ずいぶんな言いようだ。」
「黙れ、妖しき男め!」
ハルメアスの一喝が響く。アーグレンの顔色が変わり、後退する。
「殿下!この者たちは貴方の心を惑わせる毒だ!追い出しましょう!」
ゼノン王は答えなかった。だが沈黙こそが、王の決断だった。
次の瞬間、私たちは衛兵に囲まれ、玉座の間を追い出されていた。
私とセルデンは、門外の広場に立ち尽くしたままハルメアスを見やった。湿った風が鎧の隙間を冷やし、先ほどの王の怒声がまだ耳の奥に残っていた。だが沈黙を破ったのはセルデンだった。
「ハルメアス。あそこでアーグレンを切り伏せてしまえばよかったのに!」
拳を握る彼の声には、怒りとも悔しさともつかぬ色が混じっていた。
しかし、ハルメアスは静かに首を振る。
「いや、まずはゼノン王の眼を覚ますのが先だ。剣を振るうだけなら誰にでもできる。だが言葉で救えるなら、それに賭けたい」
その瞳は決して揺らいでいなかった。セルデンは唇を噛んだが、やがて静かにうなずく。
「……ならば、俺も力を貸そう」
「なにか知っているか?」
ハルメアスが問いかけると、セルデンは眉を寄せてしばし考え込んだ。
「残念ながら、あの男の正体について確かな情報はない。だが、“幻の言葉で人を操る”という噂だけは兵の間でも囁かれていた。真偽は不明だが、妙に納得はできる…」
そのとき、傍らのミレイユが口を開いた。
「目を覚ます方法は分かんないけど、とにかくアーグレンが悪い奴だって分かればいいんだろ? 本音を話させるっていう薬草なら知ってるぜ?」
彼女の声は軽く、だが確信に満ちていた。
私たちは急ぎ、南王国の難民街へと向かった。瓦礫と化した街並みには、戦の爪痕が生々しく残っている。かつてミレイユが暮らしていた場所だ。数軒だけ残る粗末な家のひとつに、彼女の祖母が身を寄せていた。背を曲げた老婆は、孫の顔を見ると驚きつつも笑みを浮かべ、私たちを迎え入れた。
「薬草のことかい? ああ、あれは町長の屋敷の裏庭に生えていたよ。もう誰も近づかない廃屋になってるけどねぇ…」
老婆は皺の刻まれた手で地図を描き、私たちに示した。
私たちは日が暮れかける中、瓦礫を乗り越えて廃墟へと向かった。町長の屋敷はかつての栄華を失い、今や骨組みだけが残る幽霊屋敷のようだった。崩れかけた塀の内側、かろうじて守られた小さな花壇に、それはひっそりと生えていた。
葉の先が紫がかり、触れると微かに苦みを放つ。その名も「トゥエルヴの涙」。古来より“真実を語らせる草”として密かに使われてきたという。ノアが筆を走らせながらつぶやく。
「……まさか、本当に見つかるとは」
ハルメアスが草を摘み、深く頷いた。
「ここからは俺の役目だな」
その声音は、まるで覚悟そのものだった。




