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怪異の書板4

 

 牛鬼の棍棒が弧を描き、闇そのものを叩きつける。

 乾いた破裂音。地面がバターみたいにめりこみ、ハルメアスの姿が煙に飲まれた。


「ちょ、ウソでしょ!?」

 わたし――ノアは弦を握ったまま絶叫した。矢は番えてある。けれどターゲットが見えない。


 答えは豪速で飛んで来た。土煙を切り裂き、鬼神の咽喉に銀線が突き刺さる。――《村正》!

 煙が晴れた刹那、刃の根元を握るハルメアスの右腕が見えた。左肩は鎧ごと潰れて血が滲む。それでも膝を折らず、剣圧で巨鬼を押し返している。


「こいつ、どんだけタフなの!?」

「ノア、実況より援護!」

「はーい!」


 弓を引き切り、鬼神の左眼を狙う。発射。矢は赤雷の外殻で弾かれたが、視界を奪うことには成功した。


 ハルメアスが間合いを詰める。鬼は巨腕で迎撃――刹那、彼は身を捻り、拳を滑らせるように肩越しへ流した。打撃に合わせ《村正》を逆手に翻し、膝関節へ突き立てる。


「ぐぎゃあああッ!」

 牛鬼が崩れた。片膝を割られ、岩山ほどの躯がぐらつく。


「ここで格言ターンかまします?」

「忙しいけど短めに。」

 ハルメアスは深呼吸。 


「――“戦場で守れるものは二つ。仲間の呼吸と、昨日の自分への赦し”」

「はいそれ頂き! でもいまは呼吸だけ守ってくれ!」


 鬼神が狂乱し、岩と倒木を手当たり次第に投げ散らす。空から落ちる巨石を転がり避けながら、わたしは叫ぶ。


「ハル、村に向かったらアウトだって!」

「知ってる!」


 彼は倒れた棍棒を抱え上げると、村と逆方向――崖へ向けフルスイングで投げ捨てた。棍棒は唸り、闇に消える。牛鬼の視線が追う。ほんの一瞬だが、憤怒の軌道が逸れた。


「さあ来い!」

 ハルメアスは血まみれの腕で煽った。


 牛鬼は武器を失った怒りを速力に変え、四つん這いで突進。大地が沈む勢いだ。わたしは矢をもう一本――間に合わない!


 衝突。鈍雷。ハルメアスが吹き飛ばされる――かと思いきや、突き飛ばされた”のは”牛鬼だった。彼は受け流しの瞬間、全体重を軸足で回転させ、鬼の胸板にカウンター気味の切っ先を打ち込んでいたのだ。


「重さは殺意。返すのもまた殺意。」

 よろめく鬼。ハルメアスは肩で息をしながら歩を進め、《村正》を構え直す。 


「……なぁハル、いま何考えてる?」

「相手の物語だ。」

「へ?」

「“戦は誤解で始まり理解不足で終わる”。だから刃を振るう瞬間にこそ――」


 彼は前屈みの牛鬼の額、既に刃の刺さる眉間を見据えた。


「――お前の悲鳴を想像する。」

 刀を半寸押し込み、鬼の角まで届かせる。雷鳴のような叫びが山を揺した。


「つまり共感斬り?」

「そう。痛みを借りる分、俺も倒れるわけにはいかない。」


 牛鬼が最後の抵抗。巨腕で空気を裂き、ハルメアスへ横薙ぎ。隙は少ない。


 わたしは残る一本の矢を黒いあぎとへ撃った。矢羽根が喉奥へ突き刺さり、鬼の動きが1テンポ鈍る。


「ナイス呼吸!」

「パクり返された!?」


 ハルメアスは切っ先を咽喉へ潜らせ、全身で押し上げる。轟音とともに巨体が仰のけ反り――崩落。地面が震え、夜の森に静寂が戻った。


 ……わたしは膝が笑い、砂を掴む。 


「ハァ……勝った?」

 土煙の中、ハルメアスの影が揺れる。


「いや、まだ“確かめ”が残ってる。」

 彼は《村正》を抜き、荒い呼吸で呟いた。


「恐怖を共有した分だけ弱さも見える。だから最後に自分を赦せるか確かめるんだ。」

「もう十分でしょ! 肩血だらけだよ!」

「大丈夫。昨日の俺と比べれば、今日の俺はちょっとだけ優しい。」


 力無い冗談に、わたしは吹き出してしまう。緊張が壊れて、涙が滲む。 


 月が雲間から顔を出す。鬼神の亡骸、その胸の奥で《村正》が妖しく輝き、赤紋が鼓動のように脈打っていた。


「ハル、それ……まだ“未完成の刀”だよね?」

「ああ。けど今夜でだいぶ育った。敵も怨嗟も、全部を焼いて鋼にした。」


 彼は刀を鞘も無い腰へ差し、わたしに寄り掛かる。ぐらり、と重い。しかし不思議と苦にはならない。 


「次は?」

「村の子らの呼吸を確かめに行こう。――それと、俺の赦しの続きもな。」


 わたしは肩を貸しながら、にやりと笑う。 


「オーケー先生。講義の続きは温泉でも入りながら聞かせてよ。」

「軽いな、ノア。」

「重いと腰に悪いんで。」


 夜風がふたりの笑いを攫い、白む東の空へ運んでいった。


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