名前を持つ竜:オーレリア
人が人の手で新たな生命を創り出すことができた時代
マナを操り超常的な能力を使用できる者達がいた
科学者達はマナについて研究したが、解明には至らなかった
それでも強欲な人の叡智は大気中に生体分子機器を用いた疑似マナを配布し、それを操る自己マナを体内の血液中に取り込む事で同様の力を再現するに至った
自己マナを持つ者とそうでない者との間には溝ができ、それは次第に大きくなり争いとなった
自己マナを持たない者達は不利な状況の中、竜を完成させ対抗した
竜の力が情勢を変えると自己マナを持つ者達も竜を作り、竜同士の争いは激化した
争いは留まることを知らず、人も技術も文明も、竜への命令権さえも失われた
生き延びた人々は新たな歴史を歩み始め、僅かに残った意思を持つ竜達もそれぞれの余生を過ごし始めた
生体分子機器の技術は失われ、それが科学の結晶であることを知る者さえも消えると、遺伝した自己マナを持つ者はそれを魔法として使用した
意思を持つ竜は名前を持つ竜として恐れられ、時折人里に現れて人を食う災害となった
AC歴七百年
「あなただけでも逃げて」
――やはり人は良い。と竜のオーレリアは思った。
十年ほど前、オーレリアはこの大きな湖のほとりで三人の人間を喰った。一人の女と二人の男。
それから十年かけて三人の記憶を追体験していた。
二人の男のうちの一人は女の婚約者だったが、彼は女の資産を目当てにしており、他に囲っている女もいた。
もう一人の男は女の従者だったが、彼は女を本当に愛していた。
そして当の女は自分を愛する従者ではなく、資産目当ての男を愛していた。彼女はオーレリアに喰われる死の間際であっても愛する男を優先したのだ。
オーレリアは三人の記憶を味わい、そして思う。やはり人は良いと。
記憶の追体験が終わると新たな記憶を求めて人を喰いにいく。
この世界に七体存在し、生態系の頂点に君臨する〝名前を持つ竜〟が天災として扱われる所以だ。オーレリアは七体のうちの一体である。
記憶の追体験こそが目的を失った竜達の生きる糧になっていた。
オーレリアは耳を澄ます。
「さあ坊や。綺麗にしましょうね」
近くにいるのならそれで良い。できれば年寄りが良かったが、わざわざ探しにいくほどではない。
オーレリアは久方ぶりに翼を開き、地を蹴って飛び上がった。
湖のほとりで水浴びをしていた女を見つけると、オーレリアはすぐさま飛び掛かり、頭から上半身までを食い破った。
記憶の追体験に必要なのは脳だけだが、オーレリアは脳だけを喰うような真似は好まなかった。人の命を貰うのだ。肉体全てを糧にせねばならない。自分はただの殺人鬼ではないのだから。
女は何が起こったのか理解する間もなかったことだろう。
実際に彼女が何を考えていたのかはこの後の追体験で明らかになる。
オーレリアは残りの下半身をくわえて飲み込む。この女の年齢からすると追体験は三年ほどだろうか。例え同じ年齢でも追体験にかかる時間には差がある。
それはその人間の思考や経験によるのだろう。年寄りのほうが総じて時間を潰せる傾向が高いのでオーレリアは年寄りを好んでいた。
オーレリアがつい先ほどまで巣穴としていた洞穴に戻ろうとした時、それに気付いた。
赤子だ。血にまみれているが、その血はたった今オーレリアが喰った女のものだろう。どうしたものか。と悩む。
赤子を喰ったことはない。道徳的にとかではなく、追体験もあっという間に終わってしまうだろうから、喰う必要性を感じないのだ。
オーレリアは無意識に今しがた喰った女の記憶から赤子の名前を思い出す。記憶の検索は好んで行うことはない。記憶は時系列に沿って追体験するのが一番好みであった。夢見ぬ睡眠や、無意味な時間は飛ばすとしても。
赤子の名前はバジルというらしい。
個体名が分かったところで何の意味もないのだが……。
ふと考えた。母親の追体験をしつつ赤子を育ててみるのはどうだろうか。
もう長いこと人間の記憶の追体験だけの生活だ。自分自身で何かを経験してみるというのも悪くはないだろう。
四十年、うまくいけば五十年は時間を潰せるかもしれない。
母親の記憶はこれから追体験するとして、この姿は人間の子を育てるのには不便だ。
オーレリアはゆっくりと体を人に作り替えていく。参考にするのは先ほど食った母親の肉体が良いだろう。細胞も使えるものはそのまま使ってしまえば良い。
巨大なオーレリアの身体を全て人の姿に変えることは出来ない。体の大部分は休眠状態にして湖に沈めた。
人の姿を模してもオーレリアが竜であることは変わらない。子育てをするために必要な記憶はあるが、人を人たらしめるものは何かと考えたオーレリアは人格を形成することにした。
人は我が子に強くあって欲しいと願っている。ならば強い母を模せばよいだろう。
バジルの母の記憶はこれからなので、オーレリアは過去に喰った女戦士の人格を模倣することにした。アイリーンと言ったか、強い人間だった。彼女ならばどう考え、どう育てるのか。
こうして赤子の母親が新たに生まれた。見た目は以前の母と同じ姿だが、中身は竜で、性格は女戦士のものであった。
オーレリアは赤子を抱き上げると、そのまま住処としていた洞穴へ飛び立とうとして躓いた。翼がない。すると、模倣していた女戦士の人格が大笑いした。今しがた自分自身が人の姿を模したことを忘れ当然のように飛び立とうとしたことが面白かったようだ。
この姿で洞穴へ戻るのは手間がかかりそうだ。
オーレリアはあまり好まない記憶の検索を再度試みる。この親子はどこで生活をしていたのか。
オーレリアにとって都合の良いことに、この女は人里から少し離れたところで暮らしているようだった。それも母と赤子の二人だけで。実に都合が良かった。
それからオーレリアと赤子の生活が始まった。オーレリアは自身の意識を深く沈めてアイリーンの人格を主体として活動しながら、睡眠時にはバジルの母の記憶の追体験をして過ごした。
子育てはオーレリアの想像以上に体力を消費するものであった。記憶の追体験は度々赤子の泣き声で中断されたし、赤子へ与える母乳を体内で生成するのにも体力を費やした。
そんな生活を続けていると、月日がどんどん流れていった。時間が経過しているという実感を赤子の成長が示していた。
本作はkindleunlimitedにて公開されている【アーカー大陸:楔】の外伝です。