ツクヨミ3
黄花が会いに来なくなって一月近くが経っていた。記憶の彼方に追いやり忘れ去っていた人としての感情を黄花との出会いで取り戻しつつあった俺は、彼女と出会う前の自分に戻ることはできなかった。
彼女に会いたい思いは募るばかりで、あの時他に言い方や方法はなかったのかと後悔した。
それでも祈りの舞は毎夜続けた。どこかで黄花が見てくれているのだろうかと思いながら月に祈っていた。
「ツクヨミ様。」
いつものように社の中で一人座禅を組み瞑想をしていると、黄花が社に忍び込んでいた。その日彼女は純白の衣を身にまとっていた。婚儀の衣装だとすぐにわかった。
自分の中でなにかが急速にしぼんでいく。大事な部分が死んでしまったように。
「黄花。とても綺麗だ。嫁ぐのか?」
「うん。」
黄花はくるりと一周回って見せた。
「どう?」
「よく似合っている。」
いつもは緩く結っている髪も綺麗に結われ、衣と同じ純白の花がかんざしとしてさされていた。恥ずかしそうに伏せた長いまつげ、女性らしい口元、彼女と生涯を約束した男は幸せ者だ。
けじめをつけるためにも祝福の言葉を述べる。
「おめでとう。幸せになるように祈っている。きっと黄花なら大丈夫。」
黄花が近づいてきて、手を差し伸べた。別れの挨拶かと同じように手を差し出しす。彼女はそのまま重なった手に白い布を巻き...。俺の頬に自分の唇を触れさせた。
「なにを?」
なにが起きたのか理解が追い付かず、金縛りにあったように黄花を見つめる。
「わたしたちはたった今夫婦になったの。これは婚儀の契約。わたしはツクヨミ様と生きたい。」
彼女の言葉を聞き、今までがんじがらめにされていた呪いが解けたように体が軽くなる。気づかない内に頬に涙が伝った。
「ツクヨミ様、わたしが一緒にいるから大丈夫。一人になんてしない、絶対に。」
彼女は俺への誓いの言葉を述べながら涙をぬぐってくれた。
「黄花。」
そのまましばらく見つめ合った。そしてどちらともなく唇を重ねた。
もうすぐ月が昇る。でも今は黄花との時を大切にしたい。今まで誰も入れたことのない部屋、カナウ様とのつながりのかつての秘室。今はなんのへんてつもないただの部屋となっているが、神使たちも恐れて近づくことはないこの部屋に黄花を招き入れ二人だけの時間を過ごす。
「ツクヨミって呼んでいい?」
「ああ、もちろんだ。黄花。」
俺はそこで彼女と契った。肌と肌が触れ合い、自分が人であったことを鮮明に思い出す。もう彼女を求める気持ちに蓋をすることはできなかった。お互いの気持ちを始めて素直に伝えあい、もう離れないと誓い合った。
「本日の祈りの舞、荘厳でございました。」
「とても華やかで見ているこちらまでもが幸せになりました。おさすがです。」
右月と左月は俺の内面の変化に全く気付いていない。不老不死の現人神となり、生に対して執着がなくなっていた頃の祈りの舞とは違う。人を愛し生きている喜びを思い出した祈りの舞だ。それには雲泥の差があったのだろう。
黄花とは頻繁に逢瀬を重ね続けた。ある日、黄花が手作りの餅を持参した。
「ツクヨミ、これ食べてみて。」
自分の作った餅を少し恥ずかしそうに俺の目の前に持って見せる。彼女の全てが愛おしい。しかし、現人神である俺は食べる必要がない。黄花にそのことを伝える。
「そんなのつまらないでしょ。わたしが作ってみたの。ね?」
黄花は引く気はなく、俺の手に餅を手渡した。俺がそれを口に含むのを今か今かと黒い瞳が見つめている。
黄花の懇願に折れる形で餅を一口、口に入れた。ほんのり甘い餡が入っている。食べ物を口に入れたのはいつ以来だろうか。カナウ様の部屋に入る直前に家族と食べたのが最後だったような気がする。
「どう?」
「うん、うまい。」
黄花が喜び抱きついてくる。見つめ合って接吻をする。
しかし、こんな幸せな時間が長く続くはずがなかった。現人神が人に恋をしてなにも起きないはずがない。
人と関わり、人の肌に触れ、人の物を口にする。毎夜、月への祈りも無意識に黄花のことを祈っている。彼女と末長く一緒にいられるようにと。
禁忌を犯した俺の神格性は徐々に失われていった。
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