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逆さまの迷宮  作者: 福子
第二章 ◆ 本道
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第三節 ◇ 覆水不返盆



 ボクとトキワは観覧車でのことを話しながら、コンクリートの道を歩いた。


「大事なことを忘れてた。あんなに高いところにいたんだから、この世界の景色を見ればよかった。」


「その必要はないさ。あの頂上から見たって、この世界のことなど何も分かりはしない。そうだろう?」


 トキワは、ボクの肩から降りて軽くウィンクをした。

 確かにその通りだ。自分たちの力で自分たちなりの答えを探さなければ、次はやって来ない。


「そうだね。ボクたちにあの観覧車は必要ない。」


「さて、今までのパターンから考えると、そろそろ現れるかな。」


 トキワが、にやにやしている。


「四枚目の封筒?」

「そう。」


 ふわりと羽ばたき滑るように宙を舞うトキワの姿は、嫌われ者の代表であるカラスには見えない。そもそも、白いカラス自体が珍しい。元の世界に戻ったら、どうしてトキワが白いのか調べてみよう。


「あったぞ。」


 ボクの肩に戻ってきたトキワの嘴には、四枚目の封筒があった。ボクはトキワから封筒を受け取ると、丁寧に封を開けた。



 ┏━━━━━━━━━━━━┓


    『急ぎすぎた愛』


   注がれなかった愛は、

    どんなに深くても

  元に戻すことはできない。


 ┗━━━━━━━━━━━━┛


 

「急ぎすぎた愛、か。」


 静かに繰り返したトキワの声は寂しげだった。


「何か、思い当たることでもあるの?」


 トキワは、慌てた様子で何でもないと首を振り、ボクの肩から降りて羽ばたいた。明らかに動揺している。


「いや、そんなものはないはずなんだが……。」


 何か引っかかることがあるのだろうか。そういえば、トキワはボクと会ったことがあると言っていた。もしかしたら『過去の記憶』の断片が、ふとした瞬間によぎるのかもしれない。

 そうだとすれば、ボクにはトキワを助けることはできない。助けられる力を、ボクは持っていない。たぶん、これは、トキワ自身が解決することなんだ。


 ボクは、近くにあるはずのメモの言葉を表す『象徴(シンボル)』を探した。ボクはボクができることをするんだ。


 そう思って、近くをひと通り探したけれど、それらしいものは見当たらなかった。やはり、ふたりで考えて導かなくてはならないらしい。


「ねぇ、トキワ。急ぎすぎた愛を象徴するものって何だと思う?」


 ボクの突然の質問に驚いたのか、トキワはビクッと体を震わせた。しかし状況を理解したのか、首をかしげながら考え始めた。


「そ、そうだな。愛情……、愛情……。」


 そういえば、トキワはよく首をかしげる。きっと、これはトキワの癖だ。ボクはふいに胸がいっぱいになって、ちょっとだけ笑った。こういう普通が一番いい。


「何か、聞こえるぞ。」


 ぼんやりしていたボクの頭の中に、トキワのキリッとした声が響いた。ボクはハッと現実に戻ると、トキワが目を向けている方向に耳を澄ませた。遠くでピチャンと水が()ねる音が聞こえる。トキワは一点を見つめていた。


「近づいてきているな。」


 トキワの言葉に、ボクはうなずいた。最初は聞こえるか聞こえないかの音だったのが、はっきり聞こえるようになった。水のようなものが撥ねる音は、今も少しずつ大きくなっている。


「ねえ、トキワ。本当にただの水なのかな。」


 水よりも、ちょっと重いような、粘りがあるような、そんな音だ。音が大きくなるにつれ、ただの水とは違う気配を感じるようになった。


「あれ? なんだかいい匂いがする。」


 ボクの鼻を甘い香りがくすぐった。どこか懐かしいその匂いは、ボクの心をやんわり刺激した。ボクは、この匂いを知っている。


「牛乳だな。」


 トキワの言葉とともに、キラキラと輝く大きな『象徴(シンボル)』が姿を現した。


「わあ……、きれい……。」


 ボクたちの目の前に現れたのは、二つの巨大なグラスだった。一つは上空に浮かんでいて、下のグラスに牛乳を注いでいる。牛乳を注いでいる上のグラスからは尽きることなく下のグラスに注がれ続けるけれど、どんなに注いでも、牛乳を受け入れる下のグラスは満たされない。それどころか牛乳が周りに飛び散っている。それもそのはず、とうとうと流れ出る牛乳は、荒れ狂う白い滝のように激しく注がれていた。


「『急ぎすぎた愛』を表す『象徴(シンボル)』か。」


 トキワが、ボクの隣でつぶやいた。

 ボクは、両手を腰に当て左足に体重をかけると、右足のかかとをコンクリートの道につけたまま、足先をぱんぱんと打ちつけた。


「何でもっとゆっくり注がないのかなあ。せっかくの牛乳がこぼれてるよ。あれじゃあ、いつまでたっても満杯にならないじゃない。」


 トキワはボクをちらりと見ると、すぐに視線を『象徴(シンボル)』に戻した。


「君がいらだっているのは、牛乳の注ぎ方が乱暴だからではないのか?」


「トキワの言う通りだよ。どうして丁寧に注がないのかなって思うの。」


 トキワはフッと悲しげな笑みを浮かべた。


「だから、()()()()()()なんだ。」


「ねえ、トキワ。どうして牛乳が愛を表すの?」


「牛乳とは何かを考えるんだ。」


 トキワは、くるりと振り向いてボクと向かい合った。


「牛乳? それはもちろん――、」


 牛乳が何かくらいボクでも知ってる。ボクは当たり前の顔をして答えた。


「牛のお乳。」


「そうだ。そして、お乳は命の水だ。」


「命の水?」


 トキワの謎めいた言葉には、必ず意味がある。


「牛乳には栄養がいっぱいあるよね。」


「牛乳そのものに囚われてはいけない。」


 このときのボクの目は、びっくりするほど真ん丸だったと思う。そのくらい驚いた。牛乳を考えるのに、牛乳に囚われてはいけないだなんて、そんなことを言われてしまったら、何を考えたらいいのか分からなくなってしまう。だけどボクは諦めたくなかった。


「お乳は赤ちゃんが飲むもの。赤ちゃんのごはん。」


 トキワがこくりとうなずいた。そして、流れ続ける牛乳に向き直った。


「そして『お乳』は母親しか作ることができない。つまり『お乳』とは、母親が、この世に生まれ出た我が子のためだけに自分の血液から作り出して、我が子のためだけに与える最大の愛だ。」


 その言葉で、ボクは理解した。


「この『象徴(シンボル)』は、なんだか悲しいね。」


「こぼれてしまったものを悔やんでばかりいたり、うまく注げないことにいらだったり怒ったりするから、グラスはいつまでたっても満たされない。下のグラスに心を配ってゆっくり丁寧に注げば、あのグラスは満たされるのに。」


 トキワは『象徴(シンボル)』に背を向けてゆっくり歩き始めた。


「大急ぎで勢いよく注いだ愛情が飛び散っているのは、その勢いが原因であることに、注いだ者は気づいていない。それどころか自分は目一杯やっていると思いこんでいるから、上手くグラスに入らないのは受け入れる側に問題があると考えてしまい、いらだったり悔やんだりするんだ。こぼれたものは元には戻らない。それを悔やむのではなく、状況を見つめ直して原因を考えることができれば、注ぐ側も受け入れる側もじゅうぶん満たされるはずだ。」


 トキワは、立ち止まって再び『象徴(シンボル)』を見た。


「『覆水盆に返らず』……ということだ。」



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