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逆さまの迷宮  作者: 福子
第五章 ◆ 本道
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第十節 ◇ 世界之秘密


 渦巻く湖に向かっている紙飛行機の中で、ボクは、自分の体の変化に気がついた。なんだか少しだけ、ほっぺがカサカサしている。


「ねえ、ボク、もしかして成長したのかな。」


 トキワとヒマワリが同時にボクを見た。


「あら。すっかり、おばさんになっちゃったわね。」


「ずいぶんと、落ちついた雰囲気になったな。そうだな、二十代後半といったところか。」


「そうね、二十七、八歳ってとこかしらね。」


 ボクは、右手で自分のほっぺをさすった。


「ボク、どこまで成長するんだろう。おばあちゃんになっちゃうのかな。」


「それはね、成長じゃなくて、老化っていうのよ。」


「ヒマワリのいじわる。」


 ボクは、ほっぺをふくらませた。ヒマワリは、そんなボクを見て、あはは、と笑った。


「大丈夫よ。おばあちゃんになる前に脱出するわ。」


 ボクたちのやり取りを聞いていたトキワが、そうだな、と微笑んだ。


「……長かったな。」


「ええ、ホントに。」


「ふたりとも、湖が見えてきたよ。」


 ボクたちは、ぐんぐん近づいてくる湖を見すえて、気を引きしめた。


「あら? もしかして、シャチさんかしら。」


 黒くて丸っこいシャチの頭が、湖面から出ているのが見えた。皮膚が乾いているところを見ると、ずっと、顔を出していたのかもしれない。


「戻ってきたようだな。」


 金色の瞳のシャチは、不機嫌そうな顔で出迎えた。そんなシャチを、トキワがいじわるな目で見ている。


「私たちを遠くから見ていたのか。愛想のないヤツだと思っていたが……、なんだ良いヤツじゃないか。」


「フンッ。出口を探す者を見守るのは、門番としての俺の仕事だ。」


 シャチは、ますます不機嫌そうな顔になって、トキワをにらみつけた。その顔が、どこどなく愛らしい。もしかしたら、照れているのかもしれない。


 トキワが、エメラルドグリーンの瞳をシャチに向けている。


「シャチ、君は、この世界のことを、どのくらい知っているのだろうか。」


「……俺は、ここで気がついた。門番だというシャチが目の前にいて、次の門番はお前だと俺に言ったんだ。門番には、自分が引退するときに現れる次の門番に、この世界のことを伝えるという掟がある。もちろん俺も聞いているのだが、それでよければ話そう。」


 トキワは、無言でうなずいた。


「まず、この世界についてだ。ここがどこにあるのかという質問には答えることはできないが、この世界は自分たちの心が作り出していると言われている。心が迷子になった者がやってくる世界だともいわれているが、これに関しては、我々門番にも伝えられていない。いったいどのタイミングでこの世界にやってくるのか、どこから入るのか、何一つ分かっていないのだ。」


 シャチは、眉をひそめた。


「それはおそらく、君たち門番も、この世界に連れてこられた側の存在だからということだろう。」


「ああ。俺もそう解釈している。まあ、門番というのはとんでもなく暇でな。引き継ぎで聞いた内容や出口を探す者たちの話をもとに思考を巡らしていたんだ。どうやら、これまでの門番も同じようなことをしていたみたいでな。歴代の門番の考察も口伝(くでん)されている。ここからは、引き継がれた内容だけでなく、俺たちの考察も交えて話す。」


 そこまで言うと、シャチは一度湖に潜って体を濡らした。


「どのタイミングでこの世界に来るのかは分からないが、ある者は『夢』だと言い、ある者は『あの世』だと言う。『異世界』と言っていた者もいたな。我々は、どれも正しいと思っている。ちなみに我々門番は『逆さまの迷宮』と呼んでいるぞ。代々引き継がれた名前だ。」


「ねえ、この世界の白い空間は、どのくらい広がっているの? 入道のヨダレが落ちる音を聞いたんだ。ということは、この空間にも『果て』みたいなものがあるってことだよね?」


 ボクの質問を受けて、シャチは、ふぅん……、と息をもらした。


「具体的に『どのくらい』というのは分からない。おそらく、この世界には『果て』というものも概念も存在していないのではないかと思っている。お前が聞いた音は、そのとき入道が立っていた場所に落ちた音だろう。道なのか『象徴(シンボル)』なのかは分からないがな。」


 『果て』自体も概念も存在しない……。


 ボクは、入道との戦いの後、空間を落ちていったときを思い出した。ヒマワリが助けに来てくれなかったら、ボクはどうなっていたのだろう。そう考えると、ゾッとした。


「もう気付いているだろうが、この世界には、一方向に進み続ける『時間』も存在しない。だから、過去、現在、未来が交錯するんだ。ただ、()()()()()()()()()()()()()()は、どうやら一方向に進んでいるようだが。」


 なんだか難しい話だけれど、ボクたちは()()から知っている。


「鉄錆の道からずっと疑問に思っていたのだが、この世界には、私たちしかいないのだろうか。」


 首をかしげていたトキワが、シャチに目を向けた。


「ヒマワリがクモに話していたことからすれば、もっとたくさんの影人間がいると思うのだが、私たちが出会ったのは二人だけ、しかも、彼らはヘビにエネルギーを吸われて崩れてしまった。あの事件以来、私たちは影人間を見かけていない。」


「この湖には門番しかいないが、それ以外は認識できないだけでたくさんいるぞ。影人間はもちろん他の存在もな。道も、何種類も存在している。」


「それでは、どうして見かけないのだろうか。」


「そうだな。イメージとしてはラジオが近いだろう。ラジオは、電波を受信して番組などを聞くものだが、チューニングし、周波数をぴったり合わせなければ、クリアな音で番組を聞くことはできない。この世界も同じで、周波数の合う存在だけを見ることができるんだ。例外は、俺たち門番だ。門番は、どの周波数も受信できる。」


 シャチは、ボクをまっすぐ見ると言葉を続けた。


「誰かが『始まりの象徴(シンボル)』のテストをクリアすると、その者の周波数を受信する。」


 シャチは再び湖に潜って体を濡らすと、うん……、と声をもらした。


「門番以外、最初に気がつくときは必ず(ひと)りぼっちだ。その後、顔を上げて周りを見る機会がやってくるのだが、このとき、二者に分かれる。目の前の()()を見なかったことにした者は影人間となり、苦しみながらも受け入れた者は何かの姿になる。何かの姿を得た者は、さらに二者に分かれる。この世界に慣れる道を選んだ者と、この世界を拒絶し出口を探す者、『探索者』だ。後者がお前たちというわけだ。」


 シャチは、ボクたちを見回した。それから、ボクをまっすぐ見た。


「だが時折、脱出をするためにこの世界に来る者、『脱出者』が現れる。その者たちには必ず、与えられる姿はヒトであり成長するという共通点がある。つまりお前は、そのふたりと出会ってこの世界から脱出するためにここに来た、ということだ。」


 トキワとヒマワリが驚いたようにボクを見た。


「それって、なんか、ボク、ここにふたりを迎えに来たみたいに聞こえるんだけど……。」


 シャチがフッと笑った。


「さすがの思考力だ。トキワ仕込みか? おそらくそうだろう。時折現れる『脱出者』には、お前にとってのトキワやヒマワリのような存在がいた。実はそれも共通点なんだ。」


 そこまで話すと、シャチは睨むようにボクを見て、話が逸れて申し訳ない、と謝った。


「『探索者』や『脱出者』の出口探しの準備が整うと『象徴(シンボル)』の手紙が現れる。」


 ヒマワリの耳がぴょこっと動いた。


「準備?」


 トキワが大きく翼を広げて伸びをした。


「そうだな。果物のようなものだ。青い柿は固くて渋くて食べられないが、熟しすぎて腐った柿も食べられない。それと同じように、ものごとには『(タイミング)』というものが必要だ。シャチの言う『準備』とは、そういうことだろう。」


 シャチが頷いている。


「空間に突然現れる『象徴(シンボル)』の手紙に気付き、開封し、あの目覚まし時計のベルを止めることができた者が、出口を探す資格を得る。それと同時に、門番の周波数は、手紙を開封した者の周波数にチューニングされる。ちなみに、その者がこの世界から出るまで、他の者は出口を探すことはできない。」


「目覚まし時計はテストのためにあるみたいだけど、他の『象徴(シンボル)』はどうなのかしら。」


「目覚まし時計、ハトとプレゼントボックス、紙飛行機以外の『象徴(シンボル)』は、『探索者』や『脱出者』が生み出したものだ。誰にでも、他の者には知られたくない心の闇が、一つや二つはあるだろう。この世界は、それを読み取ってカタチにし、旅に合わせて手紙とともに送り出すんだ。ああ、もちろん、出口探しに必要なものも生み出すぞ。」


 これまで不思議に思っていたことが、解決していく。

 ボクだけじゃなく、トキワとヒマワリもスッキリした顔をしている。


 シャチは、キラリと光る金色の瞳をボクたちに向けた。


「最初は何もないように思うだろうが、それは、自分自身が未熟だったり余裕がなかったりするのが原因で、心が目の前のモノを見えなくしているにすぎない。出口までの道順も同じだ。本当は、自分の中にあるのに見えていないだけだ。『象徴(シンボル)』と手紙は、お前たちの中にあるモノを目に見えるカタチになって現れた、お前たちの(とい)(こたえ)なんだ。」


 シャチは、不機嫌そうな顔でボクたちを見た。


「俺が知っているのは、これで全部だ。」


「ありがとう、シャチさん。」


 ボクがお礼を言うと、フンッと、そっぽを向いた。


「シャチ、君とどこかで会ったように思うのだが。」


「さあな。会ったのかもしれないし、これから会うのかもしれない。その答えも、俺たちの中にある。」


「……ああ、そうだな。」


 トキワとシャチは、旧知の友のように静かに笑った。



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