第八節 ◇ 虫眼鏡
シャチの影が湖の中に消えてしまうと、紙飛行機は方向を変え、次の目的の場所に向かって飛んでいった。
「わたしたち、太陽に向かっているのよね。」
「そうだね。太陽に真珠貝をはめこむんだったね。」
ボクは、ウエストポーチの上から真珠貝を撫でた。
「太陽に向かって飛ぶとは、なんだかイカロスのようだな。」
「イカロス?」
そうだ、と、トキワが答えた。
「神話に登場する、青年の話だ。塔に閉じこめられたイカロスとその父が、鳥の羽根を蝋などで固めて翼を作り、塔からの脱出に成功する。しかし、空を飛ぶことに夢中になってしまったイカロスは、父親の注意も忘れて太陽に向かって飛んでしまい、蝋が溶けて翼が壊れ、大海原に落ちてしまう、というものだ。」
ヒマワリが、くるりと振り向いてトキワを睨んだ。
「もう。縁起でもないことを言わないで。落ちたらどうするのよ。」
「……申し訳ない。」
トキワとヒマワリのかけ合いも、あと少しで見られなくなるんだと思うと、急に寂しくなった。
「ボクね、ふたりに出会えたのは偶然じゃないって思ってるんだ。」
トキワとヒマワリがボクを見た。
「ああ、そうだ。さっき見たじゃないか。君を木の階段で気づかせたのは、成長した君自身だった。すべては定められていたのだ。だから──、」
トキワが、そのエメラルドに輝く瞳でボクをまっすぐ見た。
「──だから、この世界から脱出しても、私たちは、必ず出会う。私は、そう信じている。」
「そうね。わたしも、信じているわ。」
ボクは、うん、とうなずいた。
「手紙だわ。」
ボクたちのちょっと先の空間を、『象徴』の手紙がひらひら舞っている。トキワが手紙を取りに行こうとちょっと席から離れると、紙飛行機がガタンと揺れた。シャチの言ったことは、どうやら本当らしい。
「飛行機を操縦できればいいのだが……。」
トキワのつぶやきに反応するように、紙飛行機はスッと上昇して手紙に向かって飛んで行った。
そういえば、これまでの『象徴』を巡ったときも、ボクたちが行きたいと思った場所に連れていってくれたり、ボクたちの言葉に反応したように飛んだりしていた。もしかしたら、ボクたちの心で操縦できるのかもしれない。
紙飛行機がじゅうぶん手紙に近づいたところで、ボクは手をのばしてキャッチした。そして、いつも通り封を切ると、手紙を読み上げた。
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『象徴』の『象徴』
大きいものは、
小さいものである。
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「『象徴』についての『象徴』の手紙を受け取ったのは、さすがに初めてだな。」
「そうだね。」
「いよいよ、この世界の秘密にせまる、ということね。なんだかゾクゾクするわ。」
ヒマワリが、武者震いしている。この世界に長くいるヒマワリでも、『象徴』の秘密は知らないようだった。
「ねえ、向こうに何かあるよ。あれじゃないかな。」
紙飛行機は『象徴』の全体を見られる位置で停止した。今回の『象徴』は二つのアイテムからできているようだけれど、そのうちの一つに、ボクたちは激しく動揺した。
「目、だな。」
「え、ええ、そうね。なんて言えばいいのかしら。何かの記号みたいな感じね。」
ボクたちの目の前に浮かんでいるのは、シンプルな線で描かれた、まるでデザイン画のような目だった。その目の下に、真ん中がぷっくりふくらんだガラスの板が浮かんでいる。
「あれは、凸レンズだ。虫めがねに使われているものだな。小さいものが大きく見えるから細かいものを見るのに役に立つ。それだけじゃない。レンズを通った光が焦点に集まるとかなりの高温になるから、黒のような色の濃いものだと焦げたり燃えたりするぞ。」
ヒマワリは首をかしげた。長い耳が、ぴょんと動く。
「あの目、レンズで何を見てるのかしら。」
たしかに、空間に浮かぶ目が、レンズを通して何かを見ているようにも見える。でも、レンズを通して見るような《《何か》》は、何もなかった。
ふと、デザイン画のような目が、ぱちり、と瞬きをした。すると、その目から帯のような金色の光がまっすぐ伸びて、レンズに降り注いだ。レンズは帯のような光を一点に集中させ、光は点になった。
「点の中に何かある!」
光の点の中に何か小さなものが見えた。その小さな何かは、一点に集中した光をぐんぐん吸収して、むくむくと大きくなった。そして、『折れた金槌』が姿を現した。間違いなく、『象徴』だった。大きくなったそれは、音もなくスッと消えた。
「なるほど。これまで見てきた『象徴』は、あの目が小さいものを大きくしていたのか。」
「誰が『象徴』を作っているのか分からないままだけど、ちょっと秘密を知っちゃった気分ね。」
「ねえ、あの折れた金槌、『真に恐ろしいものの象徴』の仲間かな。」
「もしかして、折れたノコギリのことかしら。たしかにそうね。どちらも折れた工具だわ。」
「同じような『象徴』が現れることもあるのだな。」
目の前で起きた『象徴』の不思議は、ボクたちの心を鷲づかみにした。
「小さい『象徴』を、目とレンズの『象徴』が大きくしてるんだよね。小さいものを大きくするなんて、なんだか、あの目が虫めがねで見てるみたいだ。」
「なるほど。虫めがねの『象徴』か。」
トキワが、とても愉快そうに目を細めた。
「ところで、あの折れた金槌はどこに行ったのかしら。」
「それはおそらく、あの『象徴』のいるべき場所に移動したのだろう。きっと、あれを必要としている誰かがいるのだ。」
目が、再びぱちりとまばたきをすると、目から伸びていた帯のような光が、空間に吸いこまれるように消え、凸レンズがはじけるように消えた。そして、紙飛行機は、空間を再び進み始めた。




