第二節 ◇ 手
ヒマワリは茶色の耳をゆらゆら動かしながら、ボクの話を聞いている。
「ボクね、木の道の階段で気がついたんだ。時計の音だけがあちこちで響いて、すごく不安だった。でもね、この道にいると不安なんかどこかに飛んでいってしまうんだ。不思議であたたかい、ボクの思い出の場所。」
ヒマワリは、うふふ、と幸せそうに笑った。
「気になることがあるのだが――、」
トキワは、いつものように翼を広げてのびをして、翼をたたんだ。
「ここは、まるで心を感じない世界なのに、この道には命が宿っているかのような暖かさがある。不思議だと思わないか。」
「確かにそうだね。」
言われて初めて気がついた。コンクリートの道には安定感があったけれど、どこか他人事のような冷たさがあった。鉄錆の道は欲という感情があったけれど、そもそもこの世界が作った道ではなく、ヘビが作った道だ。ということは――、
「もしかして、誰かが作った道なのかな。鉄錆の道みたいに。」
「それなら、つじつまが合うな。」
トキワが感心している。ボクは、嬉しくなってヒマワリを見た。ヒマワリは、そうね、と微笑んだ。
「さて、そろそろ行きましょう。ついてきて。わたし、この道にくわしいの。」
ヒマワリは、鼻歌を歌いながら、ぴょんぴょん進む。ボクはトキワを肩に乗せた。
そして、ヒマワリから少し離れて歩き、トキワに耳打ちをした。
「ヒマワリを疑うつもりはないんだけど、ヒマワリって不思議だよね。花の中から出てきたり、この道にくわしかったり。」
「そうだな。だが、いずれ分かることだ。ヒマワリは、必ず、そのことについて話してくれる。」
「うん、それまで待つよ。」
ボクは、小走りでヒマワリに駆け寄った。
「ねえ、ヒマワリ。この先に何があるの?」
ヒマワリは、にこにこと楽しそうにしている。そんなヒマワリを見て、ボクは、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
ひとり増えるだけでこんなに違うんだ……。
「この先にはね、」
ヒマワリが話し始めたときだった。
ヒ マ ワ リ
突然、生ぬるい風とともに、空気がもれているような不気味な声が、耳ではなく心に響いた。
ヒマワリを見ると、さっきまでの穏やかなヒマワリではなく、鬼のような恐ろしい顔で空間をにらみつけている。
「あなたの仲間になる気はないわ。わたしは、この世界から脱出するのよ。この子たちとね。」
ソ レ ナ ラ バ
声が聞こえた直後、黒くて大きなカタマリが、すごい速さでボクに向かって飛んできた。あまりの恐怖に、ボクは目をつむった。
「危ない!」
トキワの声と翼の音が聞こえ、ボクの肩からトキワが飛び立つのを感じた。
「トキワ!」
悲鳴のようなヒマワリの声が聞こえて目を開けると、巨大な手がトキワをしっかり握っているのが見えた。手は黒に近い灰色で、大きな水まんじゅうのようにプルプルしていた。
不気味な手に捕らえられたトキワは、とても苦しそうにもがいている。
「トキワを放しなさい!」
ヒマワリは何度も何度も必死に叫んだけれど、不気味な手はトキワをつかんだまま、スーッとすべるようにどこかへ行ってしまった。
「許さない……、許さない!」
ヒマワリは、光に向かって大輪の花を咲かせる、優しく明るいヒマワリのようなウサギだ。でも今は、トキワを連れ去った手に対して激しく怒り、とてもこわい顔をしている。
「あなたは、ここで待っていなさい。」
ヒマワリは、そう言って走り出した。ひとりでトキワを助けるつもりだ。ボクは、あわてて追いかけた。
「どうしてついて来るの。ここで待っていなさいって言ったでしょう? とても危険なの。もしかしたら命を落とすことになるかもしれないのよ。」
くるりと振り向いてボクを叱ったヒマワリを、ボクは、まっすぐ見つめた。
「ボクも行くよ。ずっとトキワと一緒にいたんだ。危ないこともあったけれど、トキワとふたりで乗り越えてきたし、何度もトキワに助けてもらったんだ。トキワが苦しんでいるのに、ボクだけ何もしないで待っているなんて、できないよ。」
ボクの目から、ぼろぼろと涙が落ちた。
トキワも、きっと、ボクがここで待つことを望むと思う。でも、そんなのはイヤだった。
「それだけじゃないよ。今はもう、トキワだけじゃないんだ。ヒマワリも一緒じゃないと、ボク、イヤなんだ。さんにんで、この世界を脱出したいんだ。」
「……本当に、困った子ね。」
ヒマワリは、いつもの笑顔で、いつものように、耳をぴょこっと動かした。
「さあ、行くわよ。アイツからトキワを取り返しましょう。」
ボクは、大きく大きくうなずいてヒマワリを抱っこした。そして、トキワが連れ去られた道の向こうを見すえた。
「待っててね、トキワ。」
そしてボクは、走り出した。




