第六節 ◇ 蜘蛛 ①
あと少しで鉄錆の道の冒険が終わる。
この道の『象徴』の共通点は欲という名の悪魔だと、トキワが言っていた。でも、もしかしたら、それは道のテーマでもあるのかもしれない。
「道の《《終わり》》を迎えるのは初めてだな。」
「……ボクたち、どうなるんだろう。」
ボクの近くを飛んでいたトキワがボクの肩に降りた。
「道の終わりが、私たちに何を運ぶのか分からないけれど、この道の最期を見届けることが、次の展開を運んでくるのは間違いないだろう。それが、この世界のルールだからね。」
この世界のルール……。
それは、どうやら、ボクたちの姿にもあるらしい。ボクは、どうして自分にこの姿が与えられたのか、この世界から出る方法だけでなく、その謎の答えも探したい。
「謎はいつか必ず解明されるのだから、我々は『その時』を待てばいい。ただし、我々が追いかけることをやめてしまえば、『その時』はいつまでたってもやってこない。」
トキワは、その煌めくエメラルドの瞳で、ボクたちの進む先をまっすぐ見ている。
確かにその通りだ。そして、ボクはこの言葉を知っている。ボクの心の奥に刻まれた言葉だ。
「おい、何かいるぞ。」
トキワが、前を見すえたまま低い声で言った。その言葉で、ボクはこの道を歩いている理由を思い出した。
「もしかして……、」
「その可能性は高いだろうな。」
ここからでは見えないけれど、おそらくこの向こうにクモがいる。
《《かわいそうな》》ヘビの舌を持ったクモが。
ボクたちは、ヘビの舌をクモに返してもらうために、この道を歩いてきた。ようやくここまで来た。これで、やっとヘビに舌を返してあげられる。
……本当に、返してあげられる?
「どうした、何か気になることでもあるのか?」
「うん。ボクたちって、ヘビに舌を返してあげるために歩いてるんだよね? でも、この道、こんなに硬いのにヘビの舌に戻るのかな。『象徴』もいっぱいあるし……。」
ボクの言葉に、トキワも、そうだな、とつぶやいた。
「たしかに一理ある。ただ、何が起こるか分からない世界だ。もしかしたらヘビの舌に戻るのかもしれない。あるいは別のことが起こるのかもしれない。いずれにしても、クモに会わなければ先には進めないだろう。」
「……うん、そうだね。行こう。」
意を決して、ボクは歩き始めた。クモがどんなに恐ろしい存在だとしても、前に進まなければ次は来ない。
「待て、手紙だ。」
トキワは、ボクの肩からバサッと飛び立つと、少し先に落ちている手紙を拾って戻ってきた。トキワから手紙を受け取ると、いつものように慎重に封を切って中をのぞいた。
「二枚入ってる!」
これまで何通も『象徴』の手紙を受け取ってきたけど、一つの封筒に二枚の手紙が入っていたのは初めてだった。トキワは、不思議そうに首をかしげた。
「二枚の手紙ということは、『象徴』も二つあるのだろうか。いつもと違うが、手紙があるのはルール通りだから、きっと、問題ないのだろう。」
ボクは、一枚目の手紙を読み上げた。
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『聖なる杯』
溢れる愛を受け止める器は、
聖なる杯のみである。
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「もう一枚も読むよ。」
ボクは、続けて二枚目の手紙も読み上げた。
┏━━━━━━━━━━━━┓
『次への懸け橋』
幼子の心に満ちた水は
いつか大輪の花を咲かせる。
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読むだけで心が暖かくなる手紙を受け取ったのは初めてだ。
特にこの道は、歩くだけで苦しくなるような道だったから、まるで砂漠の真ん中に現れたオアシスのような希望を感じさせてくれる。
いったい、どんな『象徴』なのだろう。
トキワは、あたりを見回して『象徴』を探している。ボクはトキワに駆け寄って、いっしょに探した。
「あれだ。」
トキワの視線を追って、ボクは『象徴』に目を向けた。
とても優しい桜色をした、大きなハートの時計が浮かんでいた。ハートの時計からは桜色の水がしたたり落ちている。その水を、桜色をしたコーヒーカップの時計が受け止めていた。
「なるほど、このコーヒーカップの時計が聖なる杯か。ということは、ハートからしたたり落ちる水が溢れる愛か。これは、一枚目の手紙の『象徴』だな。」
「ねえ、トキワ。あっちに、椅子が浮かんでるよ。」
ハートとコーヒーカップの時計の隣に、木でできた椅子が浮かんでいた。
「トキワ、あの椅子は何を表してる思う?」
「よく分からないが、二枚目の『象徴』だろうな。」
トキワは、首をかしげて苦笑いしている。ボクは、そうだね、とうなずいて『象徴』を見上げた。
「ながめているだけで心が休まるけれど、ちゃんと観察して考えないと、いったいどんなことをあらわしているのか分からないね。」
「手紙が見つかったということは、『象徴たち』について考えないといけないのだろうが……、」
トキワは、ボクの肩に飛び乗って、道の終わりをまっすぐ見た。
「そこにいるのだろう。隠れる必要はない。」
「隠れてなんかないさ。」
魔女のような声が響いた。
そして、道の奥に見える小高い丘のような黒いかたまりがモクモク動いたかと思うと、ゆらりと立ち上がった。
――クモだ。
闇のようにまっ黒なカラダをしていて、正面に並ぶ四個の目が、あやしくキラリと光る。
右の前脚には、ヘビの舌先が握られていた。
クモは、ヘビの舌を握ったまま、面倒くさそうに近づいてくる。
ボクたちも、クモにじりじりと近づいた。
「ところで、アタシに何か用かい。」
「あなたがここまで引っ張ってきたヘビの舌を、ヘビに返していただきたい。」
トキワが、ボクの肩からクモに向かって言った。
ところが、クモはきょとんとして、ボクとトキワの顔を交互に見ている。
「いったい何の話だい。」
クモの反応は、ボクたちにとって予想外のものだった。ボクはトキワの目を見て、首をかしげた。
「ボクたちは、ただ……、」
「まあ、どうでもいいさ。」
ボクの言葉を待たずに放った声に、どす黒い影が見えた。嫌な予感がして、ボクとトキワは身構えた。
「やっと、念願のごちそうにありつけるんだ!」
クモはヘビの舌を放り出して、後ろ四本の脚で立ち上がった。そして、前四本の脚をおなかのあたりに持っていくと、自分の糸で小さな網をすばやく作った。
ちょうど、ボクたちがすっぽり納まるくらいの……。
「うまそうな子どもとカラスだねえ。」
クモは、ギラギラした目でボクたちをとらえて、網を大きくふりかぶった。
――食べられる!
ボクは、トキワをギュッと抱きしめて目をつむった。
網が空を切って向かってくる音にまじって、ぽちゃん、と水の撥ねる音が聞こえる。不思議と怖くなくなって、ボクは目を開けた。
「トキワ、見て。」
ハートとコーヒーカップの二つの時計が、ぴったり同じ時間をさして金色に輝いている。どんどん増す輝きに目がくらんだのか、クモは、その動きを止めた。
トキワと逃げようと立ち上がったのと同時に、ハートの時計から植物の芽が顔を出した。茎がスルスルと伸び、クモをからめとるように大きな葉っぱを広げ、とてつもなく巨大なヒマワリを咲かせた。
「『象徴』が、私たちを助けたというのか……。」
トキワは、ボクたちを助けてくれたヒマワリを、ただただ呆然と見つめた。今まで、こんなことは起こらなかった。案内役のトキワが驚くということは、トキワの知識にもないことだろう。
「ヒマワリ、放せ!」
クモは、ヒマワリに向かって繰り返し叫んでいる。意味のない行動のように思えるけれど、この世界なら、花に話しかけるのも『あり』なのだろうか。
「このヒマワリが! 放せ! 放せ!」
「放すわけにはいかないわ。」




