第二節 ◇ 揺籃
何もない一本道がどこまでも続いている。
靴底の溝に入り込んだ鉄錆が、ザリザリと気持ち悪い音を響かせている。
木の階段で気がついたボクは、間もなくこの鉄錆の道を見つけて飛び移った。声さえも吸収されてしまうことを知ったのも、この道の上だった。あのときは孤独と不安で押しつぶされそうになったけれど、今はトキワがいる。
ボクたちは、お互いの存在を確認し合いながらクモのいる場所を目指した。
「手紙だ!」
トキワがボクの肩からスッと飛び立ち空中で手紙をキャッチすると、ボクの肩に戻ってきた。
「なんだか久しぶりだね。」
「そうだな。存在を忘れかけていたよ。」
ボクの心は弾んでいた。誰が用意しているのか分からないけれど、いつの間にか、手紙を受け取るのが楽しみになっていた。
ボクは、トキワから封筒を受け取ると、封を切り、中から手紙を取り出した。
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『日常の揺りかご』
一日を生きることと
一日を生かすこととは、
似て非なるものである。
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「なんか、分かるような分からないような……。」
ボクは手紙の言葉を心で何回も読み返したけれど、何を言いたいのかさっぱり分からなかった。
「この言葉を表す『象徴』が、きっと近くにあるのだろう。探してみようじゃないか。」
今までもそうだったように、きっと今回も『象徴』を見れば理解できるのだろう。
しばらく辺りを探しながら進むと、ボクの耳は、メトロノームのような一定のリズムで、何かを打ちつける音をとらえた。金属がぶつかっているのか、音の中に鋭さがある。
「ねえ、トキワ。この音って、もしかして……。」
「ああ、おそらくそうだろう。」
ボクとトキワは、音が聞こえるほうに向かって走った。
「ねえ、トキワ。今度の『象徴』はブランコなの?」
「どう見ても、ブランコではないだろう。」
「うん、まあ、そうだよね。」
鉄の棒で土台が組まれた巨大なブランコのような形をしたモノがどんと腰を下ろし、道をふさいでいた。
左右の支柱が横倒しの鉄の棒を支えている。
これがブランコならば、垂れ下がっているロープかチェーンに腰をかける横板が備えつけられているのだけれど、目の前のブランコモドキの横棒から垂れ下がっているのは、等間隔に結びつけられた五本の透明なロープで、それぞれの先にくくりつけられているのは、横板ではなく巨大な鉄の玉だ。
横一列に並んだ五個の鉄球は、隣同士ぴったりとくっついているけれど、両端の鉄球が交互に動いているということは、くっつけられてるわけではないようだ。
振り子のようにも見えるけれど、いったいどんな仕組みなのだろう。
「君は、これを初めて見るのか?」
ボクはうなずいた。こんなに不思議なもの、ボクは見たことがないし、知識の中にもない。
「あれは『ニュートンの揺籃』という実験道具だ。」
ボクは首をかしげた。聞いたことがない。
「くわしくは知らないが、物理学の実験に使うもののようだ。デザインを改良してインテリアとして売られているものもある。『バランスボール』という別名もあるのだが……、本当に聞いたことがないのか?」
聞いたことがないと、ボクはトキワに言った。
「そんなはずは……。だって、アレはアイツが欲しがっていたものだぞ……。」
アレはアイツが欲しがったものだから、君はアレを知っているはずだ。
トキワは小声でそう繰り返した。
「ねえ、さっきから言ってる『アイツ』って、誰?」
トキワは顔を上げてボクを見た。
「ああ、アイツというのは、私の……、」
トキワは、そう言いかけて首を傾げた。
「……誰だ? 君に似ていたから君かもしれないと思ったのだが……。」
何となく感じていたけれど、今回のこの言葉でボクは確信した。
トキワは、間違いなくこの世界に来る前の記憶をぼんやりと持っている。そして、その『中途半端な記憶』がトキワを混乱させているようだった。
冷静なトキワが動揺するときは、決まって『中途半端な記憶』が影響している。
本当は、もっと話を聞きたかったけれど、その話題にはこれ以上触れずに、再び『象徴』に目を向けた。
変わらないリズムで右端と左端の鉄球が交互に動く。
右端の鉄球が隣にある鉄球に力を伝え、その鉄球はさらに隣の鉄球に、その鉄球はそのまた隣の鉄球に、その鉄球は左端の鉄球に力を伝える。左端の鉄球は力を伝える相手がいないため弾き飛ばされる。弾き飛ばされた左端の鉄球は透明ロープに引き戻されて、さっき自分に力を伝えた隣の鉄球にぶつかる。その鉄球はさらに隣の鉄球に、その鉄球はそのまた隣の鉄球に、その鉄球は右端の鉄球に力を伝える。右端の鉄球は、力を伝える相手がいないため弾き飛ばされる。弾き飛ばされた右端の鉄球は透明ロープに引き戻されて――、
「トキワ……、」
ボクは、ニュートンの揺籃から目を離さずに呟いた。
「……飽きた。」
繰り返す同じリズムがまぶたに重くのしかかる。どんなに頑張ってまぶたを持ち上げようとしても、つまらないリズムがまぶたを押し下げてしまう。
「それが、この『象徴』が意味するところだ。」
「どういうこと?」
ボクはトキワと話をするために、ほっぺたを両手でぱんぱんたたいて眠気を吹き飛ばした。
「どんなものでも、同じ動き、同じリズムで繰り返すと必ず飽きる。最初はワクワクしていたことでも関心が薄れてしまう。慣れっこ、というやつだ。」
そんなことがあるのだろうかと、ボクはあごに人差し指をあてて考えた。
「君だって、この世界に慣れたんじゃないかな。」
その言葉にハッとした。
確かにその通りだ。
トキワと旅を始めたばかりのころは、この世界は生きているとトキワに言われたのが怖くてたまらず、振り返ることもできなかった。
でも今は、どこからともなく現れる『象徴』の手紙を不思議にも思わないし、振り返るのも平気だ。
なにより、この世界は生きているということを受け入れている。
「これは避けられないのだ。誰にでも起こりうる。」
ボクは、真剣に語るトキワの横顔をじっと見つめた。
「じゃあ……、飽きて眠くなるのは仕方ないことだって、ボクらは諦めるしかないの?」
トキワはそっと首を振った。
「私たちは、それを回避する能力を持っている。難しいことではない。飽きて眠くなって関心を薄れさせてしまうのを回避する唯一の方法が『工夫』なのだ。」
よく知っている言葉だ。でも、それがボクたちの持っている、飽きることを回避する方法だということが、ボクには、理解できなかった。
「慣れっこになることそのものは、悪いことではない。実際、この世界におびえたままでは、ここまで来ることもできなかっただろう。だが、関心が薄れてしまうのは良くないこともつきまとう。たとえば、私が君に飽きてしまったら君の変化に気づかないだろう。もしかしたら君を平気で傷つけてしまうかもしれない。それは、君が私に飽きたとしても同じことだ。関心を、興味をなくしてしまうことは、危険なことや悲しいことをも運んできてしまう可能性がある。だから、つまない日常や慣れてしまったアレコレを打ち砕こうと、さまざまな角度で観察し工夫することが、ニュートンの揺籃のリズムを変えるのに繋がるのだ。」
ボクは、もう一度ニュートンの揺籃を見上げた。
「これの、リズムを変える方法か……。」
じっくり観察してみると、さっきは飽きてしまった鉄球の動きが色んな可能性のあるものに思えた。
鉄球を、一個ずつじゃなくて二個ずつ動かすのはどうかな。
たとえば、ロープの長さを変えてみたら――、
ニュートンの揺籃を見ながらそんなことを考えていると、鉄サビの道が小刻みに揺れはじめた。
「姿勢を低くしろ!」
ボクはトキワを抱きしめると、倒れないようにその場に片膝をついた。道の揺れは地響きをともなってどんどん激しくなった。
「何が起きてるの!」
「あれだ!」
トキワの声にうながされてニュートンの揺籃を見上げると、ロープはどんどん短くなり、鉄球がどんどん上がっていくのが見えた。
この世界の『象徴』だから、こんなに揺れてもあの鉄球が落ちてくることはないだろうと思ったけれど、ボクは警戒をゆるめることなくロープと鉄球の動きをじっと見た。
しばらくすると、ロープの動きが止まり、激しい揺れも収まった。
ボクはトキワを下ろして立ち上がった。トキワは翼を広げて伸びをしている。
ボクも立ち上がり、トキワと一緒にニュートンの揺籃を見上げた。ロープが短くなっても鉄球は動いているけれど、明らかにさっきよりも速くなっている。
「ロープが短くなると振り子の動きは速くなり、ロープが長くなると振り子の動きは遅くなる。これが、今回の工夫というわけだ。」
「そうだね。ボクたちが大切なことに気がついたから、つまらないと思っていたものが生きたんだね。」
「そうだ。そして先に進めるようになった。」
トキワはボクを見てほほ笑むと、『ニュートンの揺籃』の鉄球の真下を、愉快そうに歩いていった。
「つまらないと思うモノは、つまらないと思うから、つまらないんだよね。」
ボクは、速度が変わっても動き続ける『ゆりかご』を見上げてつぶやくと、トキワを追った。




