第六節 ◇ 工具
コンクリートの道でできた『窓』を後にして、ボクたちは、どこまでも続くコンクリートの道を進んだ。
しばらく歩くと、ボクの肩に止まっていたトキワが勢いよく飛び立ち、空間を切り取るように円を描くと、封筒をくわえてボクの足元に戻ってきた。
ボクは、トキワから封筒を受け取ると慎重に封を開けた。
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『恐れるもの』
真に恐ろしいものは、
常に、隣に在る。
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「相変わらず意味わかんない。」
ボクは、眉をひそめた。トキワは辺りを見渡しながら歩き回って『象徴』を探したけれど、どうやら近くに無いらしく、ボクのところに戻ってきた。
「もう少し先にあるのかな。」
「そうかもしれないな。仕方ない、歩いてみるか。」
ため息混じりに呟いて、ボクに微笑みかけた。
歩き始めて間もなくだった。あれほど真っすぐだったコンクリートの道は、歩くのも大変なジグザグ道路に姿を変えた。いや、変えたと思いたかった。
それは、一つの辺が大股で十三歩のV字の道路。十三歩歩いては右、また十三歩歩いては左、またまた十三歩歩いては右と、何度も何度も繰り返した。下を向いて歩いているうちに、ボクはすっかり気分が悪くなってしまった。下を向かなければ落ちてしまうし、下を向けば気持ち悪くなる。ボクはその場に座った。
「下ばかり見て歩くからだ。」
そんなボクを見て、トキワは笑っている。下を向いて十三歩ずつ歩くボクとは違い、トキワは翼をうまく使いながらのジャンプでジグザグ道路を渡っている。ボクは、トキワに無性に腹が立ってそっぽを向いた。
「笑うことないじゃないか。ボク、トキワみたいに飛べないんだから、一歩ずつ歩くしかないもの。」
ボクは道の端から足を投げ出してブラブラさせ、背中を丸めてうつむいた。
トキワはずるい。答えを知ってるのに教えてくれなかったり、飛べるからボクの大変さなんて分からないくせに、ボクのことを笑ったり。トキワは意地悪だ。
「君を傷つけるつもりはなかったんだ。一生懸命な君の姿を微笑ましいと思っただけなのだ。」
下を向いたまま、ボクはトキワをちらりと見た。トキワは少し困ったような顔をしている。そんなトキワの顔と言葉に腹が立って、ボクは口をとがらせた。
「ふくれっ面をしているということは、私に微笑ましいと言われて子ども扱いされたような気持ちになったということかな。」
トキワはなんでもお見通しだ。子ども扱いされて怒っているだなんて、落ち着いて考えてみれば、その考えそのものが子どもっぽい。ボクは恥ずかしくなった。ところが、トキワはそんなボクを見てにっこり笑って満足そうにうなずいている。
「素晴らしいことだ。今度は心が成長したんだね。今の君は『反抗期』といったところかな。恥ずかしいことではない。自分の意思を持ち始めた証拠だ。とても、大切なことなのだよ。」
優しく真っすぐな言葉がボクの心をもみほぐした。もう、意地を張るのはやめよう。ボクはそう思った。そして、照れくささをごまかすように話題を変えた。
「ところで、『象徴』は見つかったの?」
「いや、まだだ。もう少し先なのかもしれないな。」
トキワはちょっと不思議なカラスだ。ときどき、トキワが人間に見えることがある。もしかしたら、カラスになる前は人間だったのかもしれない。
強烈な胸焼けと戦いながら、歩きにくいジグザグ道路をゆっくり進んだ。ボクを心配したトキワは、どうやらボクの後ろをついてくることにしたらしい。トキワがジグザグのとんがりを飛び越える姿を、ボクの視界が隅でとらえている。その気づかいが嬉しい。
気分転換に立ち止まって背伸びをしたとき、残りわずかとなったジグザグの向こうに茶色い影が見えた。
「トキワ、向こうに何かある!」
ボクの声を聞いて、トキワは『象徴』かもしれない茶色いモノを確認するのに飛び立った。ボクは、トキワが確認している間になんとか向こうに行こうと、慎重に、でも大急ぎでジグザグ道路を歩いた。ちょうどジグザグ道路を抜けたとき、トキワが戻ってきた。
「胸焼けは大丈夫か?」
ボクは、ゆっくり深呼吸して呼吸を整えた。
「まだちょっと。でも、大丈夫だよ。そんなことより、そっちはどうだった? 『象徴』だった?」
トキワは、羽を嘴で整えながらボクの問いに答えた。
「間違いない。ちなみに、あれは折れた丸太だ。」
「折れた丸太? そんなモノが『象徴』なの?」
なんだか、信じられない。
「そうだ。ただ、あそこに浮かんでいる丸太そのものが『象徴』なのではなく、あくまで『象徴』の一部だ。あれだけでは『象徴』とは言えない。」
ボクは、辺りを見回した。
「君が探している足りないパーツは、君の足元だ。」
ボクの足元? ボクの足元にあるのは、道だけだ。
「ヒントは、『窓』だ。」
ボクは、コンクリートの道でできた窓を思い浮かべた。あれがヒントだとすれば――、
「分かった! 道とあわせて『象徴』なんだ!」
苦しいくらいにドキドキする、この瞬間が大好きだ。トキワの顔なんて見なくたって分かる。トキワは、最高に笑っている。
「正解だ! ちなみに、柄の折れたノコギリだよ。」
「そっか。ボクが頑張って歩いた道はノコギリの刃の部分だったんだね。」
ボクは、胸焼けと戦いながら歩いた道を振り返った。『象徴』の正体が分かったらそれで終わりではない。それぞれの『象徴』には、それぞれの意味がある。それを明らかにしなければ、次に進むことはできない。それが、この世界のルールだ。
手紙には『恐れるもの』書いてあった。それも、真に恐ろしいもの、だ。
「トキワ、ノコギリって怖いの?」
「ずいぶん安直だな、君らしくない。さすがに、そういう意味ではないと思うがね。」
トキワの言葉にハッとした。ボクはどうかしていた。トキワの言うとおり、今までの『象徴』を思い返してみても、そのままの意味だと考えるのは安直すぎる。ボクは、無い知恵をギューギュー絞った。
ノコギリは工具の一つで、何かを作るための道具だ。
「工具の仕事は作るだけじゃないよね、何かを直すのときにも使うよね。」
「いいところに気がついたね。そう、それが答えを導く鍵だ。」
まるで古代の哲学者のような顔をして、トキワは言葉を続けた。
「私たちが最も恐れるのは、自分の欠点を見せつけられることだ。そして、それらと正面から向き合うのは最も勇気を必要とすることだ。だが自らと対話をかさねて欠点と思っているものを分析することによって、実はそれらが長所だったことが判明することもある。場合によっては直したり、折り合いをつけることも必要かもしれない。しかし、それが私たちを次のステップに運んでくれるのだ。あのノコギリも、柄が折れている事実を受け入れ、それの対策を立てることで、ワンランクアップしたノコギリとして働けるのだ。」
自分の隣にもう一人ボクがいるような気がして、ボクは左を見た。いつか自分の欠点と向き合うときがくるのだろう。そのときボクは、正面から向き合うことができるだろうか。そんな勇気が、ボクにあるのだろうか。
湿った風が、ボクの頬をなでて通り過ぎていった。




