桔梗院男爵家の没落への道 1
(なんで………?)
華音は初めて父親に頬を叩かれた。その威力は凄まじく華音の身体は横薙ぎにされ顎は外れ、地面に打ち付けた身体はピクリとも動かせなかった。
さっきまで華音は天子様の御前で舞を踊り終えて有頂天だった。
やっとやっと一番目立ち称賛される地位に登り詰めたのだ。
いつも姉の背後でたくさんの舞巫女達と同じ舞を踊らなければならなかった。屈辱だった。
(何故姉よりも見目麗しいわたしが引き立て役なの………。
許せないッ…………。許せない………)
どんなに神官に泣きつき中央で踊ることを懇願しても今までなら赦されなかった。
母が神殿に抗議に行き父に泣きつき、天音を折檻しても手に入らなかったもの。
それが『舞姫』のポジションだった。
「わたくしの故郷の華帝国では『舞』は美人の特権。
私も皇帝陛下の前で踊ったからこそ、皇国の天子様の宰相補佐をしていた旦那様に見初められたのよ?
何よ?『筆記試験』?『奉仕実績』?『儀式の意味と順序』?『薬草学』?『商法』?こんなの一介の令嬢が学ぶ必要のないものじゃない。
天音が試験に受かったのは頭でっかちだっただけ。
醜女のくせに忌々しいッ…………。
何が清潔さよ。清廉潔白さよ。品よ。
『舞』は華美でなければ目立たないじゃないのよッ…………?」
母は天音が舞姫として神殿で踊るたびに折檻した。
いつもは謝るだけの天音は『神殿』と『舞姫』のことには頑なだった。
それが更に母の神経を逆撫でした。
それでも天音は図々しくも母に意見した。
「お母様………。我が国の『舞』は『神事』なのです。
祝詞は神の民への贈り物………。
知識と研鑽の果てに民に贈らねばならないのです。
怒りは治めてくださいませ………。華音はまだ発展途上です。どうか………どうか………」
「ッ…………。勉強不足だと言いたいの?!
母親に対して物申すの?
貴女こそお父様の威を借りて不正に合格したのでしょう?
何故あの方は華音にはしてくれないのッ…………?
帝都女学院だってそうよ。貴女は不正に入学したのに。華音は出来ないなんて………?
貴女みたいなグズの醜女が最難関の女学院?
受からなかった華音を馬鹿にしてるのね?
大陸の血を馬鹿にしているのね?」
「うッ…………ちがいます………。違いますわ………。
不正など………。馬鹿になど決して。お母様………」
「穢らわしいッ…………貴女は私の娘ではないわッ…………。
不吉な白い髪。白い蛇のようだわ………。
紫の瞳もなんて下品なの………お黙りなさいッ…………話すな」
「うッ…………」
どんなに鞭で折檻されても天音は譲らなかった。
(その後高熱が出たのに次の日神殿に赴いたっけ。馬鹿みたい。
あの後しおらしくしてたら少しはお母様も怒りが治まったのに)
天音から色んなものを華音は奪ってきた。
婚約者ですら華音に夢中なのに。
『舞姫』だけは決して譲り渡さなかった。
だから入念に準備した。
儀式を乗っ取ってしまえばいいのだと。
第一の作戦は失敗した。
天音の飲み物に睡眠薬を仕込むことだ。
飲んだはずなのに天音は粛々と儀式の準備をしていた。
以前も腹下しや毒を盛っても天音は平気だった。
あれらは姑息にも飲まなかったのだろうと思っていたのに。
目の前で一気に飲み干したのに天音は眠らなかった。
第二の作戦は男達に拉致をして貰うこと。
儀式が終わるまで拘束しておけば良い。
暇つぶしに手籠めにしていいとも約束した。
でも天音は儀式の準備中一回も隙を見せなかった。
そもそも一人になる余暇もなく外出しなかった。
常に部下に指示を出し祓いの儀式をし、また指示を出す。
見張っているこちらのほうが疲れてしまうくらい隙なく働くのだ。
だから最後は奥の手を使った。
これを知った時には笑いが止まらなかった。
姉を父は華音と同等に愛し愛でていた。
その父の愛すら姉は失うのだから。
『不義の子』など貴族のなかでは決して赦されないことだ。
それでやっと天音は諦めた。
お目汚しになるからと屋敷に帰ったのだ。
誰も引き留めなかった。
させなかった。
あの後禊を祓う儀式が中途半端なまま天音は屋敷に帰ってしまったから親族から非難轟々であった。
代わりを華音にさせろと言われて出来るわけないと言ったら親族は驚いていた。
仕方なく代理の神官が執り行った。
華音は舞のみ研鑽したのだ。
儀式の手順も禊を祓う方法など知らない。そんなもの下級神官にさせればよいことばかりである。雑用だ。花形がやることではない。
その親族の混乱をなんとか治め『舞姫』として臨んだのだ。
舞は最高に良い出来だった。
なのに。
(なんで………?わたしはお父様に殴られ罵倒されなければいけないの?)
舞が終わって聞こえるのは疎らな拍手。
観客も何やら困惑していた。
華音のあまりの美しさに惚けたのだろう。
壇上にいた外国の皇太子が天子様になにやら囁いたあと足早に退場した。
前代未聞だ。
儀式の最中に貴賓が飛び出していくなど。
失礼極まりない。
やはりヒイズ國など未開の野蛮な地なのだ。
華音は天子様の近くまで近衛兵に導かれた。
賛辞と労いのお言葉をやっと貰えるのだ。
華音は跪きながら今か今かと待ち続けた。
天子様は何もおっしゃらない。
分厚いヴェールもお取りにならない。
(天子様………?)
華音は発言を赦されていない。
面をあげよとも言われない。
背後では近衛兵の腰の刀の金属音がした。
(抜刀した………?罪人扱いじゃないッ…………)
華音が震え出したのを見下ろしていた天子がやっと言葉を紡いだ。
そのお声は何やら心を揺さぶる不思議な音色だった。
「おい。桔梗院よ。この野良巫女は何故ここにいる」
「は…………。我が家の次女華音でございます。
わたくしには………何故と………申されましても」
「おい桔梗院。もう一度言うぞ」
天子様の声色が変わったのがわかった。
さっきまで清らかな泉のような涼やかさを醸し出していたのに。
今は冬の荒れ狂う大海のような厳かで冷ややかな声だった。
「この野良巫女はなんで「舞姫」の舞を舞っている。
桔梗院神殿の総意か………?」
「まさかッ…………滅相もないッ…………。
余興のはずです。こんな………。これは何かの間違えです」
「なら。どこにいる。『舞姫』はどうした」
天子様のあまりの怒気に父は青ざめ神官や巫女たちに何故天音が居ないのかと問い正しだした。
(まだ………?まだ顔を上げてはいけないの?)
すると華音は父に引っ張り上げられた。
次の瞬間華音の身体は横に吹っ飛んだ。
背後の母と和家が悲鳴をあげた。
華音は痛む頬の衝撃で顎が外れたのを感じた。
地面に打ち付けた身体は起こせないでいた。
父は元武人だが家族に手を上げたことなどない柔和な人だったのに。
(な………………なんで?)
涙が止まらない。
今日は華音にとって誉れ高い日になったはずだった。
「旦那様ッ…………なんてことを!」
「華音ッ…………」
「黙れッ…………」
華音のもとに駆け寄った母も和家も父に殴り飛ばされ地面に頭を押さえつけられた。
「ひッ…………」
「んぐッ…………」
「(黙れッ…………何も言うな。泣いて這いつくばれ)」
父の掠れた声がしたから華音がビクつく。
いつもの優しい父の声だ。
父の瞳は痛々しい華音達を怒りでは見ていない。
「茶番は終わりか。つまらん。
武人のお前が殴ったんじゃ興が削がれたな。
もう一声上げたら牢獄に入れたものを」
天子様の冷たい冷たい声がした。
「桔梗院男爵よ。わかっているな」
「ッ…………申し訳なく………言葉もありません」
「懸命だな。
まさか………。後一年だったのにな。残念だ。桔梗院よ」
「午後に仕切り直させます………。
何卒……何卒………天音を呼び………」
「天子様」
父の言葉を遮るように黒い軍服の男が天子様に耳打ちする。
その言葉を聞き天子様はため息をついた。
「桔梗院。沙汰は後日。
状況は変わった。天音嬢が姿を消した」
天子様が笑った。
分厚いヴェールから彼の紫の怪しい瞳がこちらを見つめているのをひしひしと感じた。
「な………?そんな………?
華音ッ…………何を?天音に何をしたんだ?お前達はッ…………」
父の顔は青さを通り越して土気色だ。
すると母が父に詰め寄った。
「貴方!あの子は『不義の子』なのよ?
貴方の子供ではないのッ…………。
穢らわしい子なのよッ…………。
なんなの………?なんなのよ………?断罪したのよ?」
父の顔は最早死人のようだった。
「何故………。それを………今更?
天音を迎え入れた時に話したよな?」
「え………?」
「お母様………?」
今度は母が驚く番だ。
父は口を食いしばり戦慄き出した。
唇には血が滲んでいる。
「私の友の忘れ形見だと………。君には話したじゃないか………?
何を………?そんなことで天音をッ…………?
何をしたんだ?
私が………知らない所で………なにかしたのか?」
「男爵知りたいか?
向こう七年の天音への仕打ちはうちの暗部が監視し調べているぞ」
「な………?」
「あんぶ………?」
「かんし?」
父は慟哭した。
獣のような泣き声だった。
「ッ…………ッ…………天音………。ああ………あの子は。
あの子は。庇ったのですか………?我らを?
いつから………?いつからなんだ?」
「ん………?七年前天音を迎え入れた夜からその奥方の折檻は始まっていたが?」
父は泣き崩れた。天子に縋りながら赦しを乞い出した。
和家など化け物を見るような目で母を見ている。
そして華音も疑いの目で見ていた。
それに苛ついた。
さっきまで一緒に天音を貶めていたのに。
和家だけ被害者面しているから。
この場に反して天子様の声は愉快そうだ。
「男爵………。この罪は『親告罪』だ。家庭内の罪だからな。
天音が赦せばチャラになる。
精々探して詫びるんだな。
天音にもしものことがあったら。わかっているな。
急げよ?1年もないぞ」
「探せッ…………探すんだッ…………。
天音をッ…………くそッ…………くそッ…………。
婚約破棄に………?舞姫を冒涜………?
さらに日常的な………虐待………?
天音………何故言わなかった………何故………なぜだ」
「言わないさ。あの子はそういう子だ。
言ったら最後契約は破棄だからな」
父は怒鳴り散らしながら侍従達に命令しだし天子は笑いながら退席した。
(なんでお父様はさっきからお姉様ばかりを気にしているの?詫びる………?
だれが?お姉様に………?
お姉様が卑しいのは変わらないじゃない。
血の繋がりすらない姉に何を詫びるの?
何を?お姉様が逃げたから今私はこんなに痛い思いをしているのに………?)
華音は薄れゆく意識の中でこの理不尽な日を呪った。
(それにしても。あの退室した外国の皇太子。
鮮やかな鳶色の髪だった。
あの冷ややかな金色に光る鳶色の瞳。冷徹な人形のような顔。
あいつだ。
あいつが退席してから天子様は不機嫌なんだ。
そうじゃなきゃ男爵令嬢一人いないくらいであんなに怒るはずがない。
そうよ。
八つ当たりだわ…………。とばっちりなんだわ………。
暴君の………天子様の………横暴)
夢と思いたいのに華音の全身は痛みに悲鳴をあげつづけた。
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