旅立った天音と怪しい青年2
そもそもこの時期に和家が桔梗院家に領主補佐として訪問することは異例であった。
本来なら領主不在の中での補佐の勉強など無意味なことだ。
それなのに「領主不在だが婚家の親睦を図るためだ。桔梗院家で過ごすように」と帝都の男爵から便りが来たという。
天音は多忙だった。
丁度一ヶ月後に控えた『大舞姫祭』の準備に取り掛かったばかりだったから。
屋敷は空けがちであった。
日頃天音が取仕切る領主の執務補佐の仕事も家令に預けたのだ。
和家はそちらを手伝っているとばかり思っていた。
しばらく屋敷を空けている間に彼は変わってしまった。
執務補佐の業務を投げ出し華音との逢瀬にふけってしまったのだ。
この一ヶ月間やっと婚約者として手を取り合い催事の準備も領主補佐の仕事も励めるはずだった。
彼はその最低限の業務も投げ出してしまったのだ。
偏に華音への激情の運命の愛ゆえに。
天音が尊敬したはずの勤勉さ真面目さは失ってしまった。
彼等の真実の愛の威力は凄まじかった。
(あの様子に少なからず幻滅したのに。
それすらわたしがこれからお支えすればいいかななんて。最初こそ思ってしまったのよね)
昔の和家への初恋の焦がれる気持ちはそのままなのに。
日に日に目の前の和家への気持ちは目減りしていった。
そのことも天音は耐えられなかった。
美しい思い出を穢された心地だった。
(でもわたしも今や、うろ覚えだもの。
私の幼い頃の面影もないはずよ。
鮮明だったのは美しくキラキラ光る鳶色の髪。
優しくも勉学をサボる私を諌める真摯な声。
知的な会話。品のある物越し。優しい眼差し。
それだけ。
顔も………光の靄に隠れて思い出せないもの。しかたないよね)
偶然にも彼の優秀さは桔梗院男爵家当主を認めさせた。
仕事の早い男爵様は和家の実家本家の徳島家と婚約の約束を取り付けてきた。
あちらは爵位持ちと将来の天子様の宰相補佐の地位に。
こちらは大商人のコネと財力で宰相への道へのさらなる足掛かりに。
正しく政略結婚だった。
徳島家の当主家安様は天音と商談の場で何回も会談をしていたから顔見知りではあった。
彼は天音を認め可愛がってくれた。
帝都大学を院まで在籍していた和家とは許嫁になって5年会えずにいた。
天音が帝都女子学院に在籍していた時にはあった便りが途絶えた段階で気付くべきだった。
あの頃から和家はどうも天音が気に入らなかったらしい。
彼は周囲にボヤいているのを親切な華音の侍女から聞いた。
彼の好みは華美な美女であり地味で子供の許嫁は眼中にないと。
あの頃からあの親子はこの日を待ち望んでいたのだろうか。
でも華音や継母の妨害がなかったとしても。
和家にはそもそも天音に義務以上の愛情などなかったのだと思う。
彼に愛がなくても良かった。
幼き日の天音の心を救ったのは確かに彼なのだから。
お飾りの妻でも支えたかったのだ。
華音も男友達が多い子だった。
入れ代わり立ち代わり彼女の部屋には色んな男が出入りしていた。
だから本気ではないのではないかと思った。
華音の一時の気まぐれなのではないかと。
なのに。
大事な催事の日のあの愚かな告発。
愚かな妹に入れあげ催事の最低限の知識も理解せず侮辱するさまはあまりに滑稽で情けなくて。
何もかもがいやになった。
やっと決心がついたのだ。
あの家族も桔梗院家とも決別することを。
(もっと早くに諦めていたら。
舞姫の催事まで侮辱されずに済んだのかしら。
結局。
わたしが一番大事にしていた仕事を侮辱されたことが一番許せなかったのよね。
失恋より堪えた。わたしって薄情なんだわ………)
そんなことをボンヤリ考えながら馬車の外を見る。
華やかだった帝都のオイルランプの街灯はすっかり見えなくなった。理路整然とした赤煉瓦作りの立派な建物も見えなくなった。
今は荒野をひたすら進んでいる。
天音は式典のために訪れた帝都を後にした。
このまま帝都から外れた男爵領には帰る気はなかった。
男の侍従には目的地だけ伝え別行動で馬で出向いてもらった。受け入れ先への早馬をお願いしたのだ。
手紙では届くのが遅すぎる。
当初の計画より早まってしまったけど早急に逃げたかった。
天音と侍女二人で乗れる馬車に御者、二人の護衛を急いで雇い帝都の屋敷を飛び出したのだ。
失意の中でも天音は粛々とするべきことはやってきた。
和家の愛が妹にあることを察したあの日から。
和家が天音への最低限の挨拶も執務の手伝いもしなくなってしまったあの日から。
初恋を捨てるには側で二人を見続けることは出来なかった。天音には酷だったのだ。
でもせめて。
大舞姫祭はやり遂げたかった。
(はあ………。だめだわ。鬱々しちゃう。
これじゃあ『失意の令嬢』の逃避行だとバレバレじゃない)
天音は深呼吸をした。
目の前の怪しい青年と真正面から向き合わねばならないのだから。
(現実逃避はしてられないわよね)
天音は改めて観察をした。
目の前の青年は髪は黒いのにその瞳が『鳶色』だ。
だからこの青年が外国の血が入っているとわかるのは容易だった。
赤みのある瞳。
それは海を挟んだ隣国『ヒイズ國』の特徴だった。
その赤みを帯びたナッツのような茶色が嫌でも元婚約和家の髪の色を思い起こさせて、天音は頭痛がして目を瞑る。
そんな天音が『訳あり』なことが目の前の青年はわかるのだろう。
それなのに好奇心に駆られて天音の素性も姓も根掘り葉掘り聞いてこないのだ。
ただ天音を見つめるだけ。
その傭兵らしからぬ行き届きすぎた紳士な態度。
それが逆に不気味でもある。
そんな彼は道中野盗に襲われた天音達を信じられないことに単身助けてくれたのだ。彼は正しく鬼神の如き強さだった。野盗は10人いたのにだ。
馬車がガタンと止まった途端外からは護衛に雇った男達の悲鳴が聞こえた。
桔梗院家からの刺客かと思って絶望した。
侍女二人を抱きかかえて天音は震えるしか出来なかった。
彼女達を連れてきたことを後悔した。
しかししばらくたって下卑た男達の声が聞こえなくなった。
そこに穏やかな笑顔を貼り付けた彼が馬車の扉を開けたのだ。その瞳はさながら『金獅子』を思わせる金褐色に揺らめいていた気がした。
よく見ると鳶色の赤みがかった瞳を持つ青年だった。
さすがの天音も死を覚悟した。
それだけ彼は『鬼神』の気配を漂わせていたから。
「レディ………無事ですか?」
「はい………なんとお礼申し上げたら良いか………」
優しい声色と表情に似合わない『鬼神』との邂逅はむせ返る血の匂いがした。
彼は返り血一つなかった。
そのことも脅威的なことである。
(あの惨状で彼も無事なことが不思議だわ………。)
その時雇っていた護衛は残念ながら息絶えてしまった。
簡素な弔いを道中した後、天音は新たな護衛として彼を雇い直したのだ。
本来ならこんな怪しい男と道中ともになどしたくはなかった。
だけど。また野盗に襲われたらと彼に諭されたら断れなかった。
それだけあの襲撃は女三人に恐怖を植え付けるには十分だったのだ。
(わたしが死んだらこの子達が路頭に迷う。
この子達のためにも主人のわたしの嫌悪感など捨てないと。
今は不快さより身の安全よ。
こんな大事な宝物のようなお荷物抱えたら。
おちおち………自殺も出来なくなっちゃったもの)
天音がため息ばかりついていたから空気が鬱々してしまった。
馬車の中の空気を変えねばならない。
天音は紳士な護衛らしく無口な青年に軽食を渡しながら会話を試みた。
天音の目的地には何日もかかるのだ。
いくらお金の関係と言っても道中ギスギスするのはいただけない。
天音がそれとない世間話をすると彼は意外にも朗らかに受け答えする。
さっきまでの野性味を帯びていた気配はなく、話すとどことなく品を感じさせるものだった。
ただの傭兵にしては受け答えに知性と品を感じたのだ。
だから天音は彼を「騎士様」と呼んだ。
ヒイズ國の金持ち貴族のご令息かと思ったのだけど、それにしては武力がありすぎる。
なら不祥事を起こして國にいられない没落騎士あたりが妥当な身分だろう。貴族の次男か三男がなる身分だ。
天音はそうあたりをつけた。
何回も天音が騎士様と呼ぶからだろう。
おかしいのか愉快そうに青年はクスクス笑う。
彼は笑うと少年のようだった。
歳の頃は天音より5つは上で成人しているはずだけど無邪気な一面もあるらしい。
軽快な冗談もスマートで不快さはなかった。
当初抱いた嫌悪感は天音にはなかった。
話せば話すほど魅力的な人だった。
「ふッ…………。騎士なんて大層な身分じゃないよ。
傭兵だって言ったじゃないか?
ただ君が騎士様と思ってくれるのは光栄だな。
皇国のレディに失礼にならない所作は学んだつもりなんだ」
「そうですか。………そういうことにしとくわ」
「ふふッ…………。お優しい方だ。天音さんは」
傭兵の青年は『カズ―ル』と名乗った。
つい一ヶ月前にヒイズ国から来たらしい。
どうせ名乗るならマシな偽名を名乗ってほしいものだ。
「私。訳ありですけど。物知らずではないのよ。
ヒイズ国の皇太子の名を安々語らないほうが良いわ。
ヒイズ國の『氷の微笑の皇太子』。
若くして兄二人を押しのけた『鬼神』。
彼の名を騙るのはヒイズ国民としてどうなのかしら?」
天音がため息交じりに彼を見上げた。
すると自称カズ―ルは一瞬目を見開いたあと蕩けるような笑みをたたえた。
天音の隣の侍女達の肩が跳ねた。
天音も不覚にも見入ってしまった。
(うわあ………。美形って罪づくり。くわばらくわばら。
この笑みでどれだけの女を誑し込んだんだろう。
色気。危険な男の色香だわ。
この子達大丈夫かしら?二人共ミ―ハ―な所あるし)
チラリと侍女達を見ると二人はキャッキャしていた。
本来なら客人に対して侍女が色めき立つなど言語道断なのだけど。
彼女達もあの屋敷から解き放たれたのだ。
天音は大目に見ることにした。
「我が國。ヒイズ國の皇太子をご存知なんですね?
ヒイズ國に興味もある。嬉しいな………。ちなみに彼のことはどうお思いで?」
カズ―ルはその瞳を蕩けさせるようにこちらを覗き込んだ。
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