080話 モテ期
『ゼノン君、先程は君の製薬に対する熱意を軽んじた発言をして済まなかった』
『いえ、俺こそ都市の問題を無下にして、自己中心的な発言をして申し訳ありませんでした』
『ゼノンは正しいと私は思うがな。貴様は真面目過ぎる』
『キャメルに言われたくないぞ。私だってこう見えて部下くらいなら揶揄えるようになった』
『貴様が揶揄うと冗談に聞こえんだろう……』
会合が幕を下ろし、各々が交流を持つ時間。
ソアラとゼノンが互いに謝罪を交わし、半年ぶりにキャメルと談話を楽しむ。高貴なる者達の佇まいすら凛然な会話を尻目に、サキノとマシュロは窓の外を向いて横に並んでいた。
「シロさん……あ、マシュロさんだったね。おめでとう、と言うのも違う気がするけれど、騎士団に戻れて良かったね」
「いえ! 私こそ正体を隠してこそこそとすみませんでした……でも、本当に良かったです。私がまた陽の光を浴びられたのは、サキノさんの救援があり、ルカさんがいてくれたおかげです。ありがとうございました」
正対して三角耳と共に頭を垂れるマシュロに、サキノは慈愛の笑みを送った。
「私は何もしていないよ。全部ルカが凄いの。ヒンドス樹道に向かう決断をしたのも、マシュロさんを救いたいって暴君と敵対する決意を固めたのも……本当に勝って救っちゃうのも、全てルカの心が強いから為せた事だよ。暴君と戦っていたルカは本当に凄かったもの……」
「サキノさん――」
木々の先、遠くに見える黒塔を眺望しながらルカの功績を称賛する。誇らしく、しかしどこか少し寂しいような。後ろを歩いていた筈が、横を歩いていた筈が、いつの間にか前後逆転したかのような立ち位置に、サキノは何とも言えない寂寥感が胸に宿る思いだった。
そんな黄昏の少女の横へ張り付いたマシュロは、覗き込むようにサキノを眺める。
「――ルカさんとエレオス副団長の戦い見ていらしたのですか?」
真ん丸な眼を見開き、感慨、寂寥の空気を吹き飛ばすほどにあっけらかんとしたマシュロの問いに、
「え? あっ、えっと……そ、そうたまたま! たまたま見かけちゃって!?」
何か見てはいけないものを見たかのように挙措を失う。
ルカとラウニーの戦闘が行われていたのは夜光修練場。【夜光騎士団】の者達が戦闘を目にしたとあらば必然とも言えるが、他派閥の者が戦闘を目撃することは本拠が最西端に位置する以上十中八九あり得ない。
申し開きの如く偶然を装ったものの、何故か後ろめたさが押し勝ったサキノは発言を悔悟した。
矮小でありながら、ズズズ……と迫り来る巨大な金眼に覗き見の謝罪を述べようとした――が。
「ルカさん本当に凄かったですよねっ!! あのエレオス副団長に一歩も引かず!!」
それは叶わなかった。
興奮したマシュロが目を輝かせながらルカの健闘を絶賛し、サキノは意味が分からず紫紺の眼を白黒させる。
「え、え……?」
「武器の巨大化で副団長を怒らせた時はどうなる事かと思いましたが、最後の詰めは痺れました! クロユリ団長さんの得物を模した二丁拳銃が実は散弾銃! 決定打に見せかけた追撃も二度目の空撃!! 何重にも張り巡らせた策の末の一撃必殺っ!! はぁ……格好良かったです……未だに眼の裏に焼き付いて夢にまで見てしまいます……サキノさんはルカさんのどこが一番痺れましたかッ!?」
「え……? え、と……私は、劣勢だと思っていた、ところに『傲慢』に適応していく姿、かな……?」
盗み見していたことを叱責しているのではない。マシュロがここまで興奮しながらサキノと行いたいのはルカの勇姿の共有。好意を抱く相手の激戦を目の当たりにした感想会――言わば年頃の女の子の一種の恋バナである。
「サキノさんわかってますね! 普通副団長の能力にあれほど早く適応出来ませんよ!? 私なんて能力も使われずにコテンパンでしたから!」
痛い目を見たのは己であるのに、まるで自分が勝利したかのように相好にを崩すマシュロ。
盗み見していたことを咎められると勘繰っていた反動でくすっと笑みが漏れ、サキノもマシュロと同じくルカの勇姿を語り合い始めた。
そんな窓際でキャッキャとはしゃぐ二人の女の子の元へ、一つの影が。
「サキノさん、始めまして、かな。俺はクレア・レディベル、この度【夜光騎士団】の幹部に任命された者だ。以後よろしく頼むよ」
回顧した二人の眼前に立っていたのは赤みのかかった橙黄色の短髪で小熊猫の特徴をしっかりと持つクレアだ。
挨拶の後、握手を求める所作にサキノは少々戸惑いながらもその手を取った。
「サキノ・アローゼです。こちらこそよろしくお願いします」
数いる【クロユリ騎士団】の中で何故己を選んで挨拶にきたのかが判然としないサキノだったが、クレアは柔手を握り締めながら言葉を継ぐ。
「急でなんだが親睦を深めるためによければ今度食事でも……」
「うわっっ」
「な、何だよマシュロその顔は……」
隣を見ると満面の嫌悪感を露わにするマシュロにサキノも驚愕した。
「チコさんに言い付けますよ」
「チコは関係ないだろ!?」
「大体何ですか、サキノさんとは初対面ですよね? 何でいきなり食事に誘うんですか?」
マシュロの指摘の通りサキノとクレアに面識はない。挨拶時に初めましてと言っていたくらいであり、食事に誘われる理由などサキノには見当がつかなかった。
サキノの手を離し、苦虫を噛み潰したような表情で頭を掻いたクレアは大きく息を吸うと微かに赤面する。
「カロン――都市が繭騒動で大騒ぎの時に、俺も一度現場に行ったんだ。その時に傑物揃いの【クロユリ騎士団】の中で率先して除去作業を行っているサキノさんが居て……その姿が、その……」
「あ……ひ、一目惚れ、ですか……っ」
「ひ、ひとっ!?」
つまりはそう言う事だ。
サキノはあくまで己の力になれることをしていたに過ぎないが、優秀な面々が揃う【クロユリ騎士団】の中でも無名なサキノが糸中で踊っていた姿にクレアは敬虔を抱き、見惚れてしまったのだ。
「恥ずかしながら……高邁で可憐なサキノさんの姿を見て、近付きになれたらな、と……ど、どうかな?」
「え、え、えっと……わ、私は……」
下界で男女問わず一目置かれているサキノだが、完璧過ぎるが故の高嶺の花という位置付けであることを本人は知らない。そのためファンクラブが存在していようが、異性からのアプローチというものは実は片手で事足りるほどなのだ。
そんな異性が漂わせる甘酸っぱい空気に、恋愛耐性のないサキノは狼狽してしまう。
チコという大の友人――マシュロは二人が良い雰囲気だと思っている――がいながら色気づくクレアを蔑視しかけていたマシュロも、当の本人であるサキノも、はわわわ、と赤面し、助け舟の姿が一隻も見当たらなかったが。
「サキちゃんはウチのだからね」
「うわああああああっ!?」
ぬっ、とクレアの背後から翡翠の影が現れた。遂に眼を覚ましたレラは目の下にクマを作り、寝不足が恐怖に拍車をかけている。
「アルフレインさん脅かさないで下さい!?」
「脅かすつもりはなかったけど、可愛い(エロい)可愛いサキちゃんを狙う野獣の匂いがしてね~。野放しにしておく訳にはいかないから息の根を止めようと思ったんだけど、君、その野獣を知らない?」
「何だか遺憾な単語が混じっていた気がするのだけれど、レラ?」
普段通りに諧謔を織り交ぜながら話す【クロユリ騎士団】だったが、真偽の定かではない殺意に「これがクロユリの日常か……!?」とクレアは猛烈な吹雪を背筋に受けた。
この恋愛は一筋縄ではいかなさそうだと、クレアが顔を引き攣らせながら「知らないですね!?」と誤魔化し笑う。マシュロはレラの殺気にカタカタ震え、サキノの後ろで縮こまっていた。
「馬鹿者」
ゴンッ、と。
「あいたぁーーーっっ!?」
「人の恋路に干渉する奴があるか」
背後から接近したソアラに、二丁拳銃のグリップ部で叩かれたレラは頭を押さえて蹲る。
いつの間にか周囲には全員が集合しており、レラは見事に注目の的となっていた。
「団長だってサキちゃんのこと大好きじゃん! 大好きじゃん!! サキちゃん大好きじゃん!!」
「ちょっとレラそんな連呼しないでよ……恥ずかしい……」
(((え、可愛い……)))
レラの大号令にサキノは顔を隠しながら羞恥に顔を発火させる。いくら強者揃いの場とは言え、そのあどけなさに心撃たれた者は数多い。
「私はいいんだ団長だからな。団長は部下を正しく導き、時に愛でる特権を有しているのだ」
「そんな権利初めて聞いたけど!? 絶対嘘じゃん!」
「そんなことはないさ、なぁキャメル?」
【クロユリ騎士団】の不真面目なやりとりに流れ弾が生じたキャメルだったが、予想外の矛先に微塵も動揺は無い。
「ああ、無論だ。だから私がマシュロをどう可愛がろうと私の自由と言う訳だ」
「ぴぃっっ!? わ、私ですか!? 私には心に決めた人がっ!?」
可愛い可愛い部下である傷心のマシュロを、薄笑い、舌なめずり、上気の三連コンボで眺めたキャメルの姿は正に女狼。
マシュロは見たことの無い団長の様相に、はかとなく貞操の危機を感じ尾と共に震え上がる。そんなマシュロが己を守るためについ零れてしまった一言に、キャメルはソアラと視線を交錯させ。
「ソアラ、提案があるんだが」
「気が合うな。私も同じことを思っていた」
「「ルカ・ローハートを始末するぞ」」
二派閥の団長が共闘して一人の男を叩きのめすと言う、大事件に発展しそうな悪巧みを揃って口にした。
マシュロはキャメルの腕にしがみ付き、クレアも仲間の恩人に対する狼藉を阻止せんとばかりに説得を試みる。
団長格の冗談を冗談と捉えている者は【夜光騎士団】にはおらず、場は混乱状態に陥った。そんな【夜光騎士団】が慌てふためく様子に、立ち上がったレラは頭の後ろで手を組みながらサキノを横目見る。
「わ~お、ルカ君モテモテだね~。大変だねサキちゃん」
「何で私に振るのよっ!?」
下界の友達だから、大切な親友だから。そんな分かりきったことを妙に迂遠に訴えかけてくるレラの言葉がサキノは少々気恥ずかしかった。
語尾が強くなったツッコミに、場にいる者の笑みが会議室内に溢れたのだった。




