070話 『傲慢』
林間を幾多の風切り音が縫っていく。
黒の斬閃が一度宙に軌跡を描けば、二度三度の蹴閃が牙を剥く。紫紺の瞳を一瞬たりとも閉じることなく返報を凌ぐルカには、多彩な角度から襲来する脚撃が命を刈り取る鎌のように見えた。
やはり速い。呆気なく空を相手にするルカの黒剣を、上体を逸らして最小限の回避で見切るラウニーはそれすらも予備動作に右脚を振り上げる。上顎を狙った弾道弾をルカが半身で躱せば、サマーソルトの要領で一回転してバク宙からの回転を加えた強烈な縦回し蹴りを放つ。
驚異的な身体能力。剣の峰で咄嗟に防御してのけたルカは高火力な迎撃をバックステップで緩和した。
「昨日の今日で惨敗したてめェに何が出来る!?」
「あの時はあの時だ。今は違う!」
「あァ? まるで本気じゃなかったみてェな言い草だなァ? 雑魚の虚勢にしか聞こえねェよッ!!」
手をビリビリと痺れさせるルカへすかさず接近し、体勢を立て直すことを良しとしない。
身体能力で明らかに引けを取るルカは長剣を消失させ翠眼を解放した。体対体となれば被撃の危険性は増すが、動きに遅れを取っていてはジリ貧だとの判断だ。
頻繁に能力の転換を行うのは魔力の消耗も激しいが、常時身体強化で対処し、攻撃時に創造で反撃を試みる算段だった。
「雑魚が小細工を弄したところで変わらねェっての!」
ルカの身体強化の変化を感知したラウニーは一段速度を上げた。
「ぐっ!?」
実力差を誇示するように仮借の無い重い拳撃が防御ごと破壊しようと攻め立てる。間断の無い連撃がルカの攻勢の機会さえも掌握し、反撃に転じることすら難しい戦況を余儀なくされていた。
(予知を発動させる隙すら与えてくれないってか……っ!)
橙黄眼の未来予知とは言わば諸刃の剣だ。相手の動きを先読みし、己の優勢を自ら掴みに行くことの出来る切り札であることは事実。
ところがルカの瞳の色変に伴う能力は同時発動が出来ない。未来予知が身体強化も武器も持たないノーガードでの背水の陣であることは否めないのだ。
ましてや一度、未来予知を発動していようとも想定を超越し、渾身の直撃を被った過ちが橙黄眼の発動を躊躇させていた。
「以前よりかは粘るようだが……所詮威勢だけだろてめェもよ!」
尋常ではない速度で繰り出される攻撃に着いて行くのが精一杯なルカはラウニーの上段蹴りを屈み込んで躱し、返しの足払いを仕掛ける。
しかし万全の予備動作を経ていない低威力の蹴りはラウニーの強靭な脚に阻まれ。
「っ!!」
凶笑が漂う。
「砕けろッッ!!」
制止した右脚に向けて踏蹴が降下される。
脚を折られれば勝負どころではない。一糸の攻転が最悪を招いた状況、ルカは右脚にありったけの力を込める。
「うっ、おぉぉっ!」
踏撃の轟音と同時に、ルカの体がラウニーの背後で転がった。
「あァ?」
ラウニーに掛けた足首を支点に強引に体を放り投げたのだ。無防備な体勢を晒すことは承知の上であるが、脚を折られるよりかは幾分も先がある。ルカは追撃を最大限警戒しながら、ラウニーから距離を取るべく低姿勢で体勢を持ち直す、が。
「ふッッッ!!」
そんな悠長など許さないとばかりに最大火力の蹴撃が横から振り払われようとしていた。
回避は不可能。創造も間に合わない。
決定打を狙うラウニーの直線的な攻撃に、ルカは最大限の防御で迎え撃つしかなかった。
腕を体の前で立て身を固め、同時に視線は眼前に迫る脚を注視せず、肩越しから周囲の立地を見払い――大衝撃が身体を襲った。
「ぐぅッ!?」
左腕の破砕に激烈な痛みを感じながらルカは吹き飛んだ。
しかし。
ただでは終わらせない。
吹き飛んだ先の大樹に足先を向けるよう反転、膝を柔らかく使い、ルカは衝撃を吸収して身を捻じる。
抜刀の構え。ダメージの霧散に成功した次策は創造。手応え十分なラウニーの隙を衝く決死の一撃。ラウニーとの距離はおよそ十メートル。
足裏から伝わる跳躍的な加速を味方につけ紫紺瞳を解放。相手の思惑を超えるに充分な切り札――刀身十メートルの巨大剣――をルカはここで解放した。
「なっ――」
ラウニーは初めて驚愕によって双眸を大きく見開く。弱者の知恵とはいえ、次の行動を見越した不退転の精神のルカに。そして悪足掻きの苦策ではなく、確実に勝利をもぎ取ろうと現れた珍稀な巨大な刀剣に。
隙は無かった。けれども巨木へ蹴り飛ばし、昏倒したところを追撃で仕留めようと前に動き始めていた脚が急制動をかける。咄嗟に右腰の小差しを抜刀し、右方から迫り来る無類の断頭台を食い止めた。
「チィッ!?」
「これでも決めきれないのか!? 嗜欲の眷血の奴等はどうしてこうもっ!?」
ミュウに引き続き、自身の初見の切り札が切り札として機能していないことに難儀を呈す。
とはいえ高威力も高威力。ラウニーは衝撃により地面を滑り、微かに食い込む横腹からはコートを薄らと赤染にする強者の矜持が溢れ出した。
血管を浮き上がらせて耐えるラウニーの姿に、ルカは優勢は譲らないと巨大剣を消滅。前方へ駆けながらマシュロの仕込傘『アストラス』を創造し、巨大な砲撃を追加した。
足元から這い寄り命を狙う弱者の指先に傾注していたラウニーは、幻のように姿を消した巨大剣から視線を移し、前方の膨大な魔力を察知する。決定打を決めかねた苛立ちと、怒涛の如く攻め来る煩瑣な攻撃にラウニーは唾棄し、
「うぜェ」
決河の如く超常的などす黒い魔力を放流した。
次々と魔力に呑まれていく地が威に震え、大気が縮こまり凍える。
ルカの放った電磁砲はまるで魔力に屈服したかのように頭を垂れ、ラウニーの眼前で地へと沈み還った。
距離を詰めていたルカはラウニーの変化と、電磁砲の行方に足を止め再度警戒の為に距離を取る。
「はァ……てめェは俺様の全てを以てぶち殺す。泣き詫びても絶対に許さねェ」
「泣き詫びる予定なんか毛頭ねえよ」
「その言葉、後悔しろよ」
魔力の手綱を手放したラウニーのどす黒い魔力が一帯を併呑する。沸々と弾けては産まれる黒泡の様相はまるで死の海にいるようだった。
「気をつけろよ、ローハートとやら」
「ルカさん……」
届くことの無いキャメルとマシュロの憂慮の独白が虚しく落ち、陽光が欠片を残して顔を埋めていく。
樹木に囲まれた演習場が暗澹へと移り変わる中、ルカは一度微細に痙攣する左腕を気にかけ、翠眼による身体強化を施して再度ラウニーへと肉薄した。
しかしその天速の突貫はラウニーの拳撃によっていとも簡単に迎撃される。
「~~~~~~~~ッ!?」
顔面に直撃を浴びたルカは吹っ飛び、地面を擦過しながら追撃に急迫したラウニーを見据える。右下から振り上げられるナイフによる面揚打に、身体を後方に逸らして回避を目論むものの、意図せぬ跳躍に背後の潅木に衝突。
「くっ!? なんだってんだ!?」
混乱の言葉に返答はない。追撃に乗じたラウニーの真正面からの蹴撃を胴体に貰い、潅木をへし折って吹き飛んだルカは黒血を吐き出した。
強化した体で数回転を経て、芝を撒き散らしながら体勢を保持。揺れる視界を叱咤し、クラウチングスタートを働かせてラウニーへ接近するも。
「くっ……制御がっ――」
拳の振り上げを行う前にラウニーの眼前へ無防備で突っ込んでしまう。
「死ね」
急接近を読んでいたかのようにラウニーは左脚を振り下ろし始めた。
脳天をカチ割るため頂上部からの最大火力の踵落としにルカは目を眇める。渾身の威力で地面に叩きつけられれば重傷は逃れられない。
ルカは制御不可の体を置き去りに紫紺眼を開眼、咄嗟に結界を介在させた。
バリバリッ! と強烈な衝突音を奏で、ラウニーの脚が結界に阻まれる。勢い余ったルカは自身で張った結界にぶち当たり転倒し、ラウニーは結界を破壊しようと乱撃を繰り返す。
「面倒臭ェなァオイ!! 戦う気がねェのならてめェ等だけの小せェ檻の中で一生縮こまってろ!!」
ラウニーの悪態を相手にせず、ルカは一度離脱を図るために代替となる超巨大な黒盾を生成し結界を解除した。小さく息を切らしながら後方へと距離を取ろうとするも再び木へ衝突。苦鳴を漏らし、しかし一時は難を逃れたことに口元の血を拭いながら分析を開始した。
「はっ、はっ……体が軽い――いや、軽過ぎて自制が効かない……恐らくこれがミュウの言ってたエレオスの『傲慢』の能力か……想像以上に厄介だな……」
『傲慢』。
効果は『相手の能力の増幅』。
本来生物というのは自らの意思、自らのタイミングによって攻防を行う。付加魔法の身体強化や、ルカの翠眼においても、自身の想定範囲内での強化のため『強化』が成立するのだ。つまり逆に言えば、想定を遥かに凌駕した能力向上は脳の処理が追い付かずもはや暴走と言える。
体感したことのない運動能力に脳は機能を麻痺、身体だけが先行するといった悪循環が出来上がる。
ルカが二度ラウニーの眼前に突っ込み、二度樹木へ衝突したのも、ラウニーの『傲慢』が飛躍的にルカの能力を向上させていた故の失態だ。
何より自分の体ではないような慣れない感覚と制御の出来ない身体に、異常なまでに体力を消耗させていた。当然魔力も然り。
現に出現している大盾は横幅十メートル、縦幅十五メートル。想像の規模ではない。これもルカの想定を上回るほどの魔力が注ぎ込まれ、強制的に超巨大盾へと昇華した結果だ。一瞬にして魔力の大半を、離脱の為だけに使用したことになった。
黒盾を迂回し突っ込んでくるラウニーに、ルカは懲りずに翠眼を宿し肉弾戦を決行。
余計な移動は自らを窮地へと陥れると判断したルカは真正面から交戦した。
「超強化を施すことで、てめェの脳と身体の限界を思い知らされるだろ? 所詮てめェも強化を扱いきれねェ雑魚だってんだよ!!」
「ふっ、うっ、ぐくっ……!?」
ラウニーが『傲慢』によって相手を強化させていることは紛れもない事実だ。しかし使い手が超強化を使いこなせないとなると、それはただの跛行。激上した能力向上は相手を弱体化させることと同義なのだ。
空を切る攻撃、増えていく斬傷、辛くも受け入れる重厚な打撃。
危機的劣勢を逃れられないまま、ルカは嬲られていく。
長剣創造、長過ぎる刀身に手狭な空間では樹木が邪魔して振り抜けない。すかさず身体強化へ切替し、ラウニーの蹴撃を食い止める。
ナイフの襲来、動き過ぎる体は回避自体は苦ではない。しかし体勢を整えきれないまま拳撃を被る。
吹き飛んだ先で特殊電磁銃を創造、中規模の電磁砲を炸裂させる。瞬間的に足元に潜り込まれ脚刃、電磁銃で防御し破壊される。
衝撃の緩和に失敗したルカは後方に蹈鞴を踏みながら身体強化を発動させ、ラウニーの拳撃を折れた左腕で再度防御した。
「ぎ――っっっ!!」
悲惨なまでの激痛が身体中を駆け巡り、苦悶を漏らしながら弾き飛ばされた。
しかし何度でも何度でも何度でも諦め悪く前を見据えるルカに、ラウニーの追撃は飛来しない。
代わりに。
「――時間切れだ。日が落ちたからには、もう容赦はしねェぞ」
空を仰いでいたラウニーの口から終戦宣言が言い渡された。
周囲を見渡せば宵闇を纏っている。それは偏に小熊猫本領発揮の時間を告げていた。
まるで小さな精霊達が高濃度の魔力を好んでいるかのように、闇に映える黄金色の輝きがラウニーを外包していく。
『夜昇』。小熊猫の最も警戒しなければならない恩恵を発動させたラウニーを前に、左腕をだらりと引き垂るルカは。
「ふぅぅぅ……っ。全力のお前を越えてみせるッ!」
気炎を吐き、真正面から激突の意思表示を見せたのだった。




