040話 銘々出向
月が十五夜を唄う二十一時。
都市では眠りにつく者もちらほらと現れる魔界リフリア。その一角の廃工場地帯では、小さな明かりと決別すべく外套を被り扉の前に佇む小さな者がいた。
「それじゃあ私は行ってくるけど戸締りはしっかり、決して出歩かないように。いいね、二人とも」
「わーってるよ」
「……うん、気をつけてねお姉ちゃん」
バタン、と扉が閉まり少女が住処を出掛ける。言い付け通り鍵をかける少女クゥラと、椅子に腰かけ製薬の文書と向き合う少年ゼノン。薄暗い照明に照らされシロを見送った二人は数瞬の沈黙。
「姉ちゃん行ったか? よし、さっさと準備するぞ。時間がねぇ」
「……お、怒られちゃうよ」
「大丈夫だって。ちゃっちゃと行って帰ってくればバレねぇよ」
机に広げた文書を手早く片して狭い寝室へと持ち帰るゼノンの後を、心配そうにクゥラが後を追う。大量に、乱雑にゼノンの身長ほどの棚に詰め込まれた書類の数々は全て製薬に関する記録。小さくも明哲な頭に医薬に関することは詰め込まれているが、それでもゼノンは日々の勉強、復習を怠らない。
棚の奥、その更に奥に隠された秘密の引き出しから一冊の手記を取り出し、小汚い簡易机の上に広げた。
ゼノンが手早く文章を指で追い、その後ろからクゥラがそっと覗き込む。
全ての事項を確認したゼノンは「よし」と呟くと、ポーチへと様々な薬品を詰めていく。
「……本当に行くの?」
「満月の夜に姉ちゃんが居ないこんな好機なんてそうそう来ないぞ」
「……そうだけど」
「クゥラ、お前は残っててもいいんだぞ? 勿論危険は伴うし、相応の覚悟は必要だ。俺は全て承知の上で今夜決行する」
背後を振り返ることも、準備をする手も止めずゼノンは淡々と決意を示す。
そんな兄の姿に揺らいでいたクゥラもぎゅっと拳を握りしめた。
「……行く。お兄ちゃんだけを危険な目に合わせられない」
「じゃあ早く準備しろ。準備出来次第すぐに発つぞ」
「……うん」
少女が家を出た数分後の出来事。
家とは呼び難い小さな工場で、二人の小さな姿が不穏な調略の動きを見せ始めたのだった。
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同時刻。
魔界リフリアの最北部では【クロユリ騎士団】の団員達が多くの商人達に囲まれながら出発の時を待っていた。
中には商人と仲良く会話をする者もいたり、レラに至っては商人と今にも取っ組み合いを始めそうなほどに大声を張り上げて言い合いをしていたりする。
そんなBランク任務を目前に控えているとは思えないほどに緊張の欠片もない集団を、集団の端の方から目にしたルカは違和感を隣のサキノへと尋ねた。
「なぁ、武装した人でここに亜人族の姿が見当たらないんだけど、サキノの騎士団は人族構成なのか?」
商人は亜人族が十割といったところだが【クロユリ騎士団】の面々は亜人族に該当する特徴が一切見当たらない。人族に限りなく近しいとされるエルフやドワーフのような姿も見当たらず、騎士団の面子を知らないルカがそう判断してしまうのも致し方なかった。
「いや、私達クロユリには亜人族もいるのだけれど、魔界のリフリアでは何の懸念もなく都市外に出られるのは人族の血が入ってる者だけなのよ」
「ん……?」
サキノの言っている意味がわからず怪訝に首を倒すルカ。
上空を眺望したサキノは、隠されざる都市の杳とした部分を語り始める。
「魔物が蔓延る世界、強大な戦士が集まるこの都市に安全を求めてくる人は少なくないよ。下界のリフリアが幸福都市と呼ばれているのなら、魔界のリフリアは『不肖都市』。そう呼ばれる理由……都市内の安全と引き換えにした一種の呪いがあることね」
「待ってくれ。安全って言うが、沫雪によってこの都市により強力な幻獣が産み落とされるって言ってなかったか? 一概に安全とは言えなくないか?」
当時初めて魔界へ訪れ、簡単に事情の説明を聞かされたルカだったが、サキノの言葉は今でも覚えている。秘境の幻獣でも手を焼いているのに、更に強力な幻獣と対峙など安全とは程遠い位置にいると主張するルカに、サキノはルカの黒瞳を見つめる。
「うん、そうだね。けれど幻獣の出現頻度は極稀だし、都市は強力な結界によって魔物から隔絶的に守られている。一時の脅威にさえ目を瞑ってしまえば、リフリアより安全な都市なんて存在しないのよ。何よりリフリアには傑出の戦士達が揃ってるから、幻獣が産み落とされても自分は大丈夫、って認識してる人はきっと多い筈」
人間は不確定の厄災には危険意識が疎い生物だ。「自分は大丈夫」「すぐに逃げれば安全」などと根拠のない自信を持ち、直面する事態に向きあおうとしない。それが数十年、数百年に一度などと言われれば現実味などある筈がない。
外界からの魔物の侵攻は結界によって守られ、都市内部の危険はあってないようなものだとすれば、魔界で起臥していくにとってリフリアほど好都合な場所などないと人々は思うのだろう。ましてや幻獣の噂や、依頼の多さ、貴族達の護衛など腕っ節に自信のある人間が集結していることも、人々の危険意識の希薄に拍車をかけている。
「なるほどなぁ……都市内が安全(仮)だってことはわかったが、その呪いっていうのは? 都市外での戦闘は身体能力が低下する、とかか?」
話の腰を折ってしまったルカは納得と同時に話を再び路線に乗せてサキノへと譲った。
引き渡されたサキノは発言しようとする内容に少しのやるせなさと不承を滲ませながら事実を繰り出す。
「そんな生易しいものじゃないよ。都市に入国した亜人族――誓印を得た亜人族の人が都市外で魔力が尽きると――絶命するのよ」
サキノの口から出た衝撃の結末にルカも二の句が出てこない。
人の命はそんな簡単に奪われるものなのか、とルカはガルーダとの戦闘で枯渇した己の姿を想像した。ミュウとの争いではぶっ倒れるほどに酷使した魔力。戦闘の肝となる魔力が亜人族は都市外で易々と使えない。
サキノが言う安全と引き換えにした呪い、そして亜人族達の都市外進出の困難性をようやく理解した。
そんな二人のお通夜のような雰囲気を破るかのように「最終打ち合わせをするぞ」と、遠方で【クロユリ騎士団】団長ソアラ・フリティルスの通る声が響き渡る。
声の方角を見やった二人は頷き合い、並び歩き、招集に応じた。
ソアラの招集にルカを含め、計九名の人族が呼び寄せられた。
通る声で概要を伝える騎士団長を前にした真剣な眼差しのサキノを一瞥する。己の知らない【クロユリ騎士団】団員サキノ・アローゼに新鮮味を感じ、ルカは薄らと微笑を作った。
「任務の内容は二つ、魔物の殲滅と魔物達の夜祭の原因解明だ。優先すべきは前者、商人達に道を明け渡すためにも魔物がいないに越したことはない。生産間隔を鑑みても本日打ち取れば二日はもつだろう。原因解明については長期戦になる筈だ、何か不審な点があったら報告してくれ。現在魔物達の夜祭が確認されているのは都市北東から北西だ。三人一組の三小隊、広域で一気に叩く。無理はするな、深追いはするな、手遅れになる前に回復しろ。いいな、全員で帰ってくるんだ」
『頑張ってこいよー!』『早く仕事をさせてくれ!』『二度と都市近辺に現れねえよう、とっちめて来い!』
商人達外野の激励に背中を押され【クロユリ騎士団】とルカ・ローハートは移動を開始した。
結界により意味を成さなくなった巨大な開きっぱなしの北門を前に、銘々に装備や道具を確認していく。
準備が出来た小隊から気炎を吐き都市門をくぐっていく中、ルカ、サキノ、レラの小隊へソアラが近付いてきた。
「お前達に担当してもらう北東部から北部にかけての地域だが、北部には『ヒンドス樹道』がある。わかっているとは思うが、立ち入るなよ」
「わかってるって~。そもそも入口は北西なんだから、ウチ等が立ち入ることは間違ってもないってダーンチョ」
「ヒンドス樹道って?」
ソアラが警告を発し、レラが手を後頭部に回しながら応じる。
都市外の一切の知識を持たないルカは、サキノへと聞き慣れない単語の正体を問うとサキノは記憶を呼び起こすように頭を悩ませた。
「確か世界で三つほどある『禁足地』の一つだったような気が……」
「そうだ、世界の三大禁足地の一つがヒンドス樹道だ。周囲には岩の塔が立ち並び、内部は木々が生い茂る一日中暗然とした場所なのだが、魔物が厄介極まりないのだ。死して尚、動き続けると言う噂も聞く」
「アンデッド系ってことですか……?」
魔物には骨の戦士『スケルトン』や霊体の『ファントム』など、普通に戦っても倒しきれないという厄介な特性を持つ魔物も存在する。それらの存在を危惧してか体をぶるっと震わせるサキノは、ヒンドス樹道の詳細を語るソアラへ推測を働かせる。
「いや、通常の魔物がだ。浄化魔法を修得したパーティが実態調査を行った例もあるが、効果はなかったそうだ。戦線復帰不可のオマケつきでな。とかく、現在禁足地として指定されているのだ、無闇に踏み込むな」
「うんうん、そいつらを相手にしろって言われてるわけじゃないんだし大丈夫だよ~。それより今は目先の魔物、集中してかないと足元喰われるよ~?」
「すくわれる、だよレラ……冗談になっていないんだから……」
団員達の安全を、そして帰還を何よりも願うソアラは三人に厳重注意を行った。
レラの諧謔を挟み、強張った空気が弛緩するが今一度集中を張り詰める。魔物達の夜祭で強化された魔物達を相手にする上、ただでさえ魔物初戦闘であることを深々と胸に刻んだルカは先行するレラとサキノの後に続く。
そんな勇脚を持って踏み出したルカを引き止めるように、ソアラの声が背を打った。
「ルカ・ローハートと言ったか」
「はい」
「此度は助力感謝する。サキノから話を伺っていたが下界の人間だそうだな。その割に冷静沈着、大物か鈍感か……期待しているぞ」
燕尾服を着こなし爽やかに微笑むソアラはまるで執事のようだった。
初仕事だというのに緊張も気負いも見せないルカへ、微かな期待を寄せ激励を送る。
都市門の下で落ち着きなくウズウズしているレラの姿を一目確認したソアラは、再度ルカに向き直り騎士団団長として嘆願を言葉に乗せた。
「レラは頼りになるが先走りが激しい傾向にある。後先考えず殲滅のみに傾注するだろう、お前がリードしてやってくれ。サキノも責任感から使命を全うしようと躍起になる。無理をさせないよう頼んだぞ。勿論お前も無理はするな、何が起ころうと責任を持つのはクロユリだ。大いに暴れてこい」
「はい、ありがとうございます」
行ってきます、と浅く頭を下げたルカは踵を返し都市門へと向かった。
歴戦の戦士のような堂々たる物腰に、ふっと笑みを漏らしたソアラは仲間が待つ自分の小隊へと合流を図る。
空は快晴、月は満開、地は良好。
都合三隊の三人一組が都市を発つ。
都合二隊の二人一組が暗に画策する。
それぞれが目的を成すため、夜が幕を開けた。
長い、長い、半日が。




