004話 消滅と邂逅と
人は皆嘘つきだ。
生を享受する一方で、時には仮面を被り周囲に同調しながら過ごしている。
己の思考と相違が見られようと共感する振りをしたり。
嫌悪を感じても場を乱さないように愛想笑いで取り繕ったり。
少数派、孤立を嫌厭し、不本意ながらも諂ったり。
選択を人に『合わせる』という、合理的かつ賢明な処世術であると言えよう。
人は皆、嘘つきだ。
特にルカ・ローハートは。
ルカ・ローハートには感情がない。
喜楽も、憤怒も、悲哀も、恐怖も――。
平生あって然るべき人としての正を持ち合わせていないのだ。
嬉々として他者と笑う者。
思考を制御できず憤怒に身を嘱する者。
悲観に暮れ落涙する者。
それ等は感情の欠如したルカ・ローハートには理解できなかった。
故に不気味がられ、周囲との温度差に適応出来ず疎外された。
『お前、普通じゃないよ』
そんな周囲の反応に、ルカの中に一つの疑問が生じた。
『普通』とは一体何なのか。
自分も普通の素振りをすれば解明出来るのだろうか、と。
ルカは人を観察し、社会に順応した。孤立しないように、浮かないように。排他や疎外を苦に感じることは無かったが、他者と異なる己の内側の欠陥を自覚し、たった一つの疑問のために普通になろうと身振りを作った。
ルカは普通を冀求した。
帰結として感情に共通していたのは、いずれも他者との繋がりだった。切っても切れない人同士の繋がり。
普通と称されるものは何ら難しいものではなく、他者と軋轢なく過ごす『日常』だった。
ルカは他者を大切にしようと、受動的に嘘で己を作ることを認めた。
今のルカの日常には彼女達の存在がある。悲喜がある。苦楽がある。
そして唯一無二の笑顔が。
ルカ・ローハートは大嘘つきだ。
だから、ルカは嘘に嘘を重ねる。
作為的だったはずの日常を、感情を持たないルカが本心から取り戻したいと願った。
彼女達の笑顔がなければ、それは自分にとっても、彼女達にとっても普通ではないと結論付けてしまったから。
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「返してもらうぞ。俺達の日常を――ッ!!」
平穏な日常の奪還という【切望】を煌々と宿す極彩色の戦火は、黒眼を包み込み瞳に八芒星を刻む。
多彩な炎を燃やす瞳と共鳴するかのように虚空より極彩色の光粒を収斂させ、柄しかなかった刀剣の剣身を象っていく。
処刑秒読み、絶対的優勢であったはずのバジリスクは消失した大盾からルカを視認すると、自らが決着をつけると言わんばかりに地を蹴った――が。
ゾクッと。
体を痙攣の如く跳ね上げたバジリスクは、急制動をかけ、後方へ飛び退いた。
『ギィ、ゲ……?』
激的な少年の変化にあてられた鶏頭及び蛇尾は身の毛がよだっていた。文字通りの鳥肌を。
先程までとは別人の荘厳な瞳に射竦められた怪物は、恐怖を吹き飛ばすように大絶叫を上げる。
『ガ、ガ……ギギャアアアアアアア!?』
明確な弱者、逃走しか手がなかった筈の弱者に、バジリスクは接近戦を嫌って蛇の尾を上空へと舞い上げた。捨て鉢のように振り上げられた蛇尾は伸長した鞭のようにしなり、重力と加速を以てルカへ肉薄する。
打擲されれば骨の髄まで粉砕されかねない一撃に。
「ふッッ!!」
ルカは極彩色の戦火に塗られた瞳を上方へ向け、迫りくる鞭に極彩色の弧を描く。
下方から振り上げられた長剣は尾と衝突。凄烈な極彩色の光波を四散させながら、周囲に爆音が轟いた。
激突による風圧が建物の劣化による亀裂を拡張させ、光の大波に粉塵を巻き上げていく。
『ゴギャアアアアアアアアアアアアアアア!?』
悲痛の叫びを上げるバジリスク。
光の霧が晴れ、視覚の機能を取り戻したルカの視線の先、バジリスクの巨躯には先程まで存在していた筈の蛇の尾が根元から断斬――否、跡形もなく消滅していた。
激痛に暴れ狂う蛇の尾を失った怪物は、周囲の壁に体当たりを繰り返す。
極彩色の剣も戦火も役目を終えたかのように消失していたが、ルカは怯むことなく黒瞳でバジリスクを見据えた。
「終わりだ」
激変を遂げた弱者は言い放ち、強者に向けて一歩を踏み出す。
そんなルカが眼にしたもの。
背後から軌跡を描き、怪物へ肉薄する一筋の白い彗星。
『ギガアアアッ!?』
反射的に接近する彗星の威力を相殺しようと尾を失ったバジリスクは嘴を振り上げる。鈍い音が鳴り響き嘴はひしゃげ、彗星は勢いそのまま三度の跳躍を経てルカの眼前へ。
地を削り、擦過音を鳴り止ませた彗星は――いや、人物は視線を前面に立ち上がる。
「大丈夫ですか?」
聞き覚えのある玉音の声がルカへと投げられる。
両肩が開いている若紫色の浴衣。
腰に携えた鞘、手に持つのは心の美しさを象徴するかのような純白の刀。
白髪の長髪は風に煽られ、純白のマントのように揺れる。
誰よりも見知った少女が、ここにいる筈のない少女が、ルカの目に映っていた。
「あ――はい、大丈夫です」
歯切れの悪いルカの言葉に、少女は首だけで背後を一瞥、笑いかけた。
すぐさま視線を正面に苦鳴をあげる怪物を凝視する。
そのピリピリとした雰囲気は。
「っ!?」
少女の二度見によって一変した。
「ちょ、え!? 何で!? ルカ!?」
「いや、サキノこっちの台詞……」
調子が狂うほどの素っ頓狂な声を上げるサキノ・アローゼに、ルカも困惑した様子で尋ね返す。互いがここにいる理由を探り合っている中、サキノは眼前の敵の存在を忘却したかのように振り返り、ルカへ詰め寄った。
「何でルカがここにいるの!? どうやって『秘境』に!?」
「俺も何が何だかさっぱりでさ。サキノはどうやってここに?」
「何を暢気なことを言って――っ!!」
互いの困惑を埋めるべく質疑が交わされながら怒りに燃ゆるバジリスクの舌撃が強襲するも、サキノは振り向きざま弾き返した。
「説明より敵の撃退が先だね。少し待っていて」
再び敵と正対したサキノはルカへ優しく声を送ると地を蹴った。
舌の弾丸が放出されるも、サキノはその攻撃を刀身で絡め取るように受け流す。
「……やけに慣れてるな」
サキノの流動的な動きは手慣れたものが垣間見えていた。素人のものでも付け焼刃でもない、それこそ何度も死地を乗り越えてきたかのように。
「はぁっ……!」
気炎を吐くサキノの闘志に呼応するように刀身が若紫色に発光を始める。それはまるで夜に照明演出された夜花のような美しさ。
一気に距離を詰めたサキノはバジリスクの懐へと潜り込み竜の胴体を下から斬り上げる。刃を返して上段斬り。
紫線が駆け抜け、刀身を振るう度に薔薇の花弁の如く粒子が舞う。
『ガアアアッ!!』
強固な鱗に覆われた胴体は浅く裂傷を負い鮮血が地面を彩るが、しかし決定打には届かない。懐で機敏に動き回りながら次々と創痍を与えてくる少女に鬱陶しさを覚え、バジリスクは嘴の雨を叩きつけていく。
身を僅かに退き嘴に一閃。足もとに踏み込み、足を、胴を次々と斬り付けていく。
それは死地で舞い踊る王国の戦姫のように精美で、流れる波濤の連撃は少しの狂いも見せない正確さを兼ね備えていた。
少女は眼前の脅威に対して恐怖をおくびにも出さない壮烈さで攻め立てていく。
「……?」
至妙なサキノの攻防戦も然りだが、特にルカの眼を惹いたのは、何もない宙やバジリスクに斬傷を与えた部位といった刃の通り道に残されていく紫色の斬閃。余韻とでも言うべき刀撃の残滓が所々に散見された。
少女の峻烈な刀舞に業を煮やしたバジリスクは翼を豪快に羽ばたかせ、紫光を引き連れたまま巨体を宙に舞い上げる。
翼が引き起こす風圧に後退を余儀なくされたサキノはその行為が何を意味するのか瞬時に察した。
「逃げる気!?」
サキノはルカを視線だけで一瞥すると僅かに表情を曇らせたが、袋小路の壁面に向かって駆け出す。道中サキノの足に希薄な白光が纏うも、バジリスクを追っているルカの黒瞳はその現象を目撃することはなかった。
「ふッ!」
速度を一気に上げ、地を割る勢いで壁に向かって跳ぶ。そして跳弾の如く壁蹴りを行い、上空へ離脱を図ろうとしていたバジリスクの上部を位置取った。
『ゲアッ!?』
「ああああああああっ!!」
急接近した少女に驚倒するバジリスクは次の瞬間渾身の振り下ろしを被り、地面に猛スピードで墜落した。
「逃がさないよ。私の斬撃は二度咲く」
『ギ、ギギャアァアアアアアアアアアアアア!!』
砂埃と突風が袋小路を蹂躙する中、息も絶え絶えに最大の咆哮がサキノを射抜く。しかしその体皮と周囲には、先程サキノが斬り付けた紫色の斬撃残滓。
サキノの策に気付かない怪物は、上空より落下してくる少女へ舌撃を繰り出そうとするが――サキノの行動が一歩早かった。
上空で刀身を鞘に戻し、着地と同時に力を解き放つ。
「紫電重閃」
チンッ、という納刀の音が鳴る。それはまるで着火音のようで、宙に存在感を示していた紫光の軌跡も、怪物の巨躯に刻まれていた残滓も発光を強めて、斬撃が発生した。
爆音を上げながら全ての若紫色の軌跡が斬られたことを思い出したかのように、薔薇の花弁を舞い散らせながら衝撃を放つ。
一つの斬撃が更なる斬撃を生み、威力が増大していく。
『ギギャアアアアアアアアアアアアッ!?』
追加斬撃『紫電重閃』。
砲声と同時にサキノが斬り付けた気体、固体関係なく軌跡が爆弾となって二度目の固定斬撃と化す。
大量の斬裂に一度に見舞われるバジリスクは、若紫色一色に覆われ赤線が次々と血を放出させた。
まるで満開の花園のように、美景にそぐわない怪物を彩っていく。
『ガ……』
全ての斬撃が役目を終えた頃。
ドシンッ……、と小規模の地震を引き起こして、鶏頭無尾はその場に息絶えた。
決着。
サキノは凛とした立ち姿で息無き怪物を凝然と眺めていた。
戦場に現れた一人の少女。
当たり前の日常で、当たり前のように交流を持っていた女の子が。
こんな非日常の中で人知れず怪物と勇敢に戦う姿を目撃してしまった。
ルカはそんな姿を見て、何か重大な歯車が動き出しているような気がした。
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