038話 子羊への救世
魔物達の夜祭討伐依頼出立前日。
【クロユリ騎士団】が都市各所への注意喚起及び事前準備で都市を駆け回っている中、サキノも同様に騎士団へと駆り出されていた。助っ人であるルカも何か手伝えることはないかと魔界に同伴したが、多忙な様子に取り合ってもらえない。
サキノは「大丈夫みたいだから魔界観光でもしてみたらどうかな。来てもらって申し訳ないけれど、下界に帰ってもいいし。くれぐれも変なことに首は突っ込まないように」と釘を刺すと【クロユリ騎士団】の本拠へと消えていった。
時間指定がないだけに都合が悪いルカはふとミュウ・クリスタリアの言葉を想起して、ある場所へと訪れていた。
『事件のことが気になるようなら【騎士団総本部】へ行ってみてはどうじゃ?』
広範な立地に建てられた真っ白な建築物。
極太の柱が一定間隔に円を組むように立ち並び、建物自体が円錐構造になっている。一本一本の柱には、ミュウの胸に刻まれていた徽章と同様の徽章が彫り込まれており、都市の代表的建造物と言っても差し支えがないだろう。
都市中央に君臨する幸樹の景観を独占するかのように、北側に建てられた【騎士団総本部】では建物の内外で武装した亜人族が大勢窺えた。
受注した依頼用紙を片手に数人で打ち合わせを行う者、見目麗しい受付嬢へ花を手渡し困惑される者、依頼報酬の分配で今にも取っ組み合いを始めそうな者。それぞれ用件は異なっているものの、変わらぬ点としては皆、体の何処かにそれぞれの騎士団の印――誓印を刻んでいることだった。
丸腰で無防備極まりないルカへ向けられる白い眼と、それぞれが象徴する誓印に僅かに嫌な予感を覚えながらルカは建物内へと足を踏み入れた。
ルカの接近に感づいた一人の女犬人の受付嬢が優しく微笑み、ルカを眼前へと誘う。
「いらっしゃいませ、本日はどのようなご用件でしょうか?」
しっかりと教育された礼儀正しい対応の受付嬢は、人族であるルカを前にしても嫌悪感の一つも表してはいなかった。
「知りたい情報があるんですが」
「はい、どのような情報でしょうか?」
ふっと手の甲を撫でた受付嬢の徽章が薄光を始め、眼前の機械を操作し始める。重要なデータが管理されている機械を扱うには限られた徽章を持ち、魔力の認証が必要なのだろう。
「数か月ほど前に騎士団長が殺傷されたって事件があったと思うんですが、その詳細を知りたいんです」
ルカが何気なしに用件を伝えると、女犬人の受付嬢は操作をピタっと止めルカの体を注視する。
「騎士団長、ですか……【夜光騎士団】の事件でお間違いないでしょうか?」
「そうです。間違いないです」
「えっとですね……事件の犯人は現在第一級指定の容疑者として指名手配されておりまして、懸賞金こそかけられてはいますが、一般の方々が下手に動かれると被害の拡大が予測されます。現状ステラⅢ以上の騎士団所属の方でなければ詳細をお教えすることができないのですが、お客様は……」
「……どこにも所属してないですね……」
「大変申し訳ございません……」
まさか規定があったとはミュウも知らなかったとはいえ、唯一の手掛かりが断ち切られてしまったルカは受付嬢に礼を言うとその場を後にした。
晴れ渡る空の元へと出たルカは腕を組みながら立ち呆ける。
「参ったな……まさか門前払いとは……」
情報量の少なさがあまりにも選択肢を狭め、行き詰まる早さを実感する。既に立ち往生と化している状況に、仮でも騎士団の入団も検討した方がいいのかと少しの迷いを抱く。
とはいえやはり下界の住民である己に必要であるのか、と葛藤問題になることは避けては通れないのだが。
何故自分がシロと名乗る少女に固執するのかはルカにもわからない。放っておいても己に害はない筈だし、第一級指定犯罪者と言われているが少なくともルカは少女に危険性を感じない。
少女の子供達と戯れるあどけない表情の裏側に、歯車が噛み合っていないもどかしさの原因が潜んでいる気がしていた。
周囲を物珍しさや嫌悪の目を宿した亜人族達が往来する中、ルカは手立てのない現状に唸りを口内で咀嚼する。
「あらあら、まるで迷える子羊のようなお顔をなされてどうされましたか?」
顔を上げた先に佇んでいたのはふわふわの黄緑色のドレスを身に纏い、手を前で重ねる御令嬢然とした女性。
編み込まれた大きなおさげを垂らし、にっこりと常に笑顔を顔に貼りつけた温和な顔立ちはどこか慈愛に満ちたシスターのよう。黒髪に生える小さな耳、背後で緩慢に揺れる黒の毛並みの尾が猫のものだと証明していた。
「聞きたい話があったのですが取り合ってもらえなくて……そんな顔してましたか」
「ええ、まるで小動物を食い殺してしまった子羊のような……」
「迷えるってまさかの自己嫌悪の方ですか!?」
笑顔に似合わずどす黒い発言を口走る女猫人はうふふっと、上品に笑って見せる。
「冗談ですわ。容色でいらっしゃいますのに面差しが寂しそうだったもので」
「手詰まり感は否めないんですけどね……あなたは?」
「申し遅れました。私、【ワルキューレ騎士団】団長、名をコラリエッタ・ネイエルと申します。気軽にリッタとお呼びくださいませ。貴方様の名もお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「ルカ・ローハートです。騎士団は無所属ですが」
ドレスを持ち上げる仕草で身分を語るコラリエッタにルカも姿勢を正される。
無所属と明かすとコラリエッタはまあ、と少し驚いた表情を浮かべたが、億劫さを欠片も見せないルカに再び物柔らかな笑顔を拵えた。
「ルカ様でいらっしゃいますね。よろしくお願い致しますわ。それにしても無所属とはまた珍しいですわね……? 理由のほどはお聞きしませんが、無所属では何かとご不便ではないかと。もしよろしければ、この後情報屋の方に赴くつもりですのでご一緒にいかがでしょうか?」
「情報屋ですか?」
捨てる神あれば拾う神ありとは言ったものだと、救いの手が差し伸べられていることにルカは一抹の期待を抱いた。
「はい、【騎士団総本部】では伺えなかったお話も、情報屋であれば無所属でも問題ありませんわ」
「……情報屋ってことは勿論対価が発生しますよね? 無一文なんですが……」
下界では縁のない情報屋とはいえ、得るものがあれば失わなければならないものもある筈だ。
魔界に置いて不利な立場にあるルカは、あくまで冷静にことを運ばなければならなかった。
しかしコラリエッタはうふふ、と笑うと小さな鼻をピクピクと動かしながら対応する。
「あらあら、今を生きるワイルドな殿方なのですのね。ご心配いりませんわ。私がお支払いしましょう」
「え? あ、いや、知り合ったばかりの方にそこまでして頂く訳には……」
情報屋へと同行を許可してもらえるだけではなく、対価の支払いまで負担するというコラリエッタにルカは僅かに警戒を抱く。
悪人ではないのはルカにもわかるのだが、サキノにも釘を刺されたように魔界での面倒ごとは避けるに越したことはなかった。小熊猫の少女の件で既に首を突っ込んでいるということに気付く余地はなかったが。
「ご安心くださいませ。理由が必要とあれば……先日魔力金庫に荷物を届けて頂けたのはルカ様でしょう? あの荷物、私宛てでしたの」
「あぁ、リッタさん宛ての荷物だったんですね。でもどうして俺が運んだって知って……」
先日魔力回復薬の引き取りをココに依頼された際、ついでに届けた下界からの荷物の行方が判明するとともに自身が運搬したことを看破される。
軽い足取りでルカに近付いたコラリエッタは、スンスンとルカの肩口で鼻を鳴らした。
「ネコの嗅覚は鋭いんですわよ? 情報屋のお支払いは御足労をおかけしたお礼ですわ。それでは行きましょうルカ様」
直接匂いを嗅ぎ確信を持ったコラリエッタははんなりと笑い、散歩を楽しむかのようにやおらと歩き出す。
コツコツと石畳に響く楚々とした先行する足音を追い、ルカは深みへと潜り込んでいった。




