032話 自問自答
「ごめんなさい、ゼノンが失礼なことを言って……」
ゼノンの手厳しい言葉の羅列に、始末が悪い少女はルカと工場を後にし月夜の道を行く。その外出する姿はやはり外套を全身に被り、夜に溶け込んでいた。
ルカと子供達を立ち会わせた本人として、望まぬ結果となってしまったシロの声に覇気はない。
「いや、ゼノンの言うことは正しいよ。やりたいことも出来ずに今の生活に満足してる筈がないと思ってしまった俺もいる。悪かったよ」
「いえ、そんな! ……クゥラに関してはあまり自分のことを話さないのでわかりかねますが、ゼノンは元々極度の人族嫌いなもので……あまり、気になさらないでください」
首をぶんぶんと振りルカに非はないと否定するシロだが、ルカはゼノンの言うことは理に適っていると理解を呑んだ。
ゼノンの豹変ぶりは恐らく踏み込まれたくない領域に踏み込まれた焦燥なのだと。初対面で入ってはいけない場所に己は脚を出してしまったのだと、少しの反省を胸に、隣で無理に笑うシロへと尋ねる。
「……君は、どう思ってるんだ?」
本心を。
小さな少女の心からの本音をどうしてか聞きたくなった。
「え!? わ、私は嫌いだなんて思っては……」
「違う、今の生活のことだ」
同時に抱くのは、話してくれるのではないかという【期待】と【信頼】。
何故出会って間もない少女にこのような感情を抱くのかは判然としなかったが、ルカは本能には逆らわなかった。
「あ、そっち……そう、ですね。不幸じゃないと言ったら嘘になりますが……あの子達が楽しそうに薬を作っているところを見ていると、私自身どこか満更でもないような気はしています」
寂寥感や楽観、薄くも表情をころころ移ろわせるシロだったが、けれど、と。
「あの子達は密売のように裏でこそこそと商いをする器ではありません。知識も力も然と持ち合わせていますし、あの子達のことを想えば一日でも早くこのような生活から抜け出すべきだと思ってます」
己の無力を、そして自分自身の未来より子供達のことを第一に思う悄然とした少女の顔が、ルカの目に焼き付いて離れなかった。
「……ただ、私が足枷になっているのは一目瞭然なのですが、どうして私に――」
と、シロが何かを言いかけるも、急にタタタタッと暗い路地裏へと駆けていった。
ルカがシロの行動を怪訝に思っていると、前方から早足に駆けてくる人物が時を置いて現れる。仕事終わりなのか、スーツのような制服に着飾られた人族は同族のルカへ目もくれず横を通り過ぎていく。
シロの徹底的な危機管理。都市から追われるシロは昼夜問わず警戒心を張り巡らせていないといけないのだ。
時刻が頂上に近いものの、正面遠方には多少の人の往来が幸樹の眩い光と街の光に照らされていることで確認できる。
行きとは異なり迷路のように錯綜した道を進むことなく、比較的少数回の右左折――それでも十数回――で二人は、いつの間にか魔界の北主要大路を目前に控えていた。
「ルカさんごめんなさい、この先は……」
「あぁ、もう大丈夫だ。後は幸樹目指して行けばいいだけだし助かったよ」
再び静寂が訪れた空間にシロがひょこっと顔を出し、小さな声でルカへと謝罪する。幸樹という指標が見つかったルカは案内の完遂をシロへと告げた。
周囲をきょろきょろと見回し全身を現したシロは携帯していた傘を両手で持ち、深々と頭を下げる。
「私の方からお誘い致しましたのに、一晩お相手することもできなくて本当に申し訳ありません。気をつけてお帰りください」
「その言い方流行ってるのか……?」
「え?」
「いや、こっちの話だ。薬、ありがとう」
どこかで聞いたような語弊のある文脈に疑問を覚えつつ、二人は別々の道へと歩き始めた。
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ルカを送り出し、念には念を入れて遠回りしながら本拠へと戻ったシロは年季の入った扉を静かに開ける。小さな光源に照らされる四角形の室内は住処とするには明らかに場違いなもので、その中で再びテーブルの上で書類と薬品を広げている二人は更に異質なものであるとシロは感じた。
襤褸切れのように薄汚れた着衣、暫く切り整えられていないであろう金髪は廃屋住みには似つかわしいと言えるものの、幼いながらに漂う風格が何よりも二人の存在を高次なものと錯覚させる。
身だしなみを整え、綺麗にお洒落すれば、都市の有名処に負けず劣らずの端麗な人物達へと昇華するのではないか、と幸福の未来を想像してしまうことも多々あった。
ルカへ談じた商売のみならず、本来ならばこのような落ちこぼれた場所にいるべき子達ではないとシロの本能が己を責め縊る。
「帰ったか姉ちゃん」
いつまで経っても慣れない罪悪感に立ち竦んでいたシロは、ゼノンの声にはっと日常を取り戻す。そして同時に少しも悪びれた様子のないゼノンへの叱責が頭を過る。
「……ゼノン、あの言い方はルカさんに失礼でしょ。仲良くしなさいとは言わないけど、せめてもう少し言葉を選ぶくらい出来るでしょう?」
しかし冷静に諭すように咎めていく。どれだけな高遠な存在だと脳が錯覚していたとしても相手はまだ子供だ。感情に身を堕とし叱責することは、子供達を導く大人の存在ではない。
そして二人との関係性が崩壊することを、シロは何よりも恐れていた。
「お言葉だが姉ちゃん、姉ちゃんこそ何をペラペラと喋ってんだ? らしくねぇ。ただでさえ人族のルカ兄ちゃんに何を期待してんのか知らねぇが、今までにそんなことなかったろ。なぁクゥラ?」
「……う、うん。今日のお姉ちゃんはいつもと少し違った、かな……」
常に張り巡らせている警戒網のように、シロは普段から種族問わず誰も信用することは出来ない。それでいて普段のシロとは正対なまでの言動に、ゼノンが難色を示すのもなんら不思議ではなかった。
消極的な少女でさえもシロの異変に賛同し、シロの足元に暗闇が広がっていく。
「私は別にそんなつもりじゃ……」
嘘だ。己が何をしようとしていたか、何を口走ろうとしていたかなど全て理解している。
今まで関わってきた顧客や依頼人は多少なりと存在するが、深入りしたこともさせたこともない。己の住処に案内するなど論外中の論外だ。
しかし何故ルカを住処に誘い、秘事を言い明かそうとしたかはシロにもわからなかった。
過剰なまでの防衛本能の間隙を掻い潜り、ルカが己の信頼たる人物に位置取った理由がわからなかった。
当の本人にもわからない感情を子供達が理解できる筈もなく、ゼノンは難詰を続ける。
「最初から俺達を目の敵にしてくる奴は嫌煙するのは勿論だ。けどな、ルカ兄ちゃんが俺達の秘密を知っちまって変わる可能性だってあるんだぞ?」
「ルカさんはそんな人じゃない、筈よ……」
「それだけルカ兄ちゃんを信じられる根拠がなんだって話だよ。二度も武器を向けちまった負い目はわかるが、初頭効果を厚意で補完してるだけじゃねぇのか? 俺達が人族を嫌ってるように、人族も俺達のことを嫌ってるんだ。全てを敵に回した俺達に味方なんて……いない。もういいだろ、クゥラ手伝ってくれ」
「……うん」
× × × × × × × × × × × × ×
(あぁ、まただ……)
話を切り上げ作業場へ足を向けるゼノンとクゥラを眺めながら抱くのは失態。そして自己嫌悪。
私が間に立っているというのに、二人の人間嫌いを助長させるような結果にしかならない。
全てが裏目に出る自分の行動を呪いながら、無力という言葉が際限なく身を凍えさせる。
(私はなんて弱いのだろう……心も体も、何もかも……)
何も変わらない、何も変えられない弱さ。
変えようと行動しても悪行へ成り下がる結末。
どうして私は何も上手くいかないの?
どうして私だけが小熊猫の異端なの?
どうして世は私を認めてくれないの?
(――どうして二人はこんな私に連れ添ってくれるの?)
聞いては壊れてしまいそうで。
知ってしまうとかけがえのないものが手の平から零れてしまいそうで。
聞けない、聞けない、聞けない――。
(私のことを監視し、都市に突き出すため?)
違う。
計略が真実ならばもっと早期に私の元へ追手が来ている筈。
(私といることで何かメリットが?)
違う。
私が差し出せるものなど何もないし、私自身に価値などない。
(子供である自分達より、矮小な存在である私の近くにいることで優越意識を?)
違う! 違う違う違う!!
あの子達が軽侮の念を抱く筈なんてない!
愚劣で、卑陋で、陰湿な、こんな考えを持ってしまう私とは違う!
――違う、筈、だよね……?
全てが私を否定している。誰も肯定してくれない。
全てが私を拒否している。誰も受け入れてくれない。
一人が辛い。だから私は脆弱さを理由に何も聞かない。
家族同然の関係を壊して一人になるくらいなら、私は弱くていい――。
(私は弱い……)
孤独という猛獣は、疑心暗鬼という心の鬼すらも喰いつくす。
弱き心に住み着いた化物は、今日も深雪の中で醜悪に笑っていた。




