031話 深入り禁止
ただでさえ人が散見されない夜道、人目を避けるように裏通りや道なき道を歩く事約三十分。ルカが案内され辿り付いたのは、小さな建物が無数に敷き詰められた地帯。周囲には穴の空いたドラム缶や錆びついた鉄骨、ぞんざいに散らばった工具類が粉塵に塗れて息を引き取っていた。
周囲の多くの建物に共通する点は、無人かつ無照明。風の音だけが周囲を席巻する『廃工業地帯』という言葉がよく似合う一帯は、まるで時代に取り残されたかのような蕭条たる印象をルカへ与えた。
錯綜した小径を何度も折れ、似たような造りの建物が方向感覚を狂わせる。初めて訪れたのなら迷子になることも必定かのような道を迷いなく進んでいくシロは、一つの小さな工場の前で足を止めた。
気配や視線を気にする素振りで四顧し、何事もないことを確認すると扉に手をかける。ギギギィ……と鈍重な音を立てながら開かれた扉の内部へと潜り込むように入った少女の後にルカも続いた。
「ただいま、帰ったわ」
「……おかえりお姉ちゃ――」
「おう、おかえ……姉ちゃんが男を連れてきた、だと……!?」
シロの帰宅に一番に反応した、くすんだ金髪の、しかしまるで人形のように整った容貌の女の子は声を詰まらせ、これまた同じく薄汚れた金髪ながらもどこか気品を漂わせる男の子は驚愕に行動が停止する。
テーブルを挟んで何枚もの紙を覗き込んでいた二人は椅子から立ち上がり、シロが引率してきたルカの姿に戸惑いを露わにしていた。黒色の獣耳は横を向き垂れ下がり、尻尾を脚の間にしまい込む完全に警戒体勢の二人へ、シロは少し頬を赤らめながら返答する。
「ただのお客様よ!」
「……私達には家に誰も連れてくるなって言ってるのに……?」
少年の摩訶可思議だとでもいう反応に否定の意を込めて語尾が強くなるシロだったが、少女からの追撃に、うっ……と小さく呻吟を漏らした。
「た、たまには良いと思わない……? ご愛顧頂いてるお客様とたまには親睦を深めないと、ね?」
どこか弁疏がましく言い張るシロへ、少年は強張っていた体から力が抜けると同時に半眼へと移行していく。
「そのお客さんの特徴今までに聞いたことねぇし、ご愛顧っていう程商売歴も長くもねぇぞ。……怪しいなぁ、怪しいぜ姉ちゃん」
「……説明、してね」
「……ハイ」
シロよりも幼いであろう少年少女に見事看破され、ルカの眼前でしょぼんと小さくなる外套の少女の事情説明会もとい羞恥演説が開催されるのであった。
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「ハハっ!! そら姉ちゃんが悪いわ! だからポンコツパンダって言われんだよ!」
「……天然」
「う、うるさいわね!? いつもの方じゃなかったのだから間違えるのも無理はないでしょ!? それに私はレッサーパンダだから!」
ルカを敵方の回し者だと勘違いを働いたこと、廃教会で一も二もなく武器を突きつけたこと。外套を脱ぎ、髪や尾と同色の軍服に近い服装のシロは洗い浚い吐かされた。
ルカの隣で腰を落ち着かせたシロが羞恥に淡く顔を染める中、顛末を聞いた少年はテーブルを挟んで爆笑し、少女はその後ろで控えめに立ちながら呟く。薄暗い簡易的な照明に照らされる二人はどうやら男猫人と女猫人の子供のようだ。年齢は十歳から十二歳、恐らく双子もしくは歳の近い兄妹といったところか。
「レッサーパンダってもっと黄色っぽいんじゃ?」
「はいそこもうるさいっ! て、あ、ごめんなさっ――!? ルカさんにこんなこと言うつもりじゃ……」
「「ポンコツ」」
「うがぁぁぁーーーーー!?」
戦闘を無理強いしてきた男は自分のことを小熊猫だと豪語し、その風貌も納得のいくものではあった。しかしルカの隣の少女は明かりがある場所で見ても耳は心なしか白さが目立ち、外套に隠れていた尾に至っては白空の縞模様で本人からの補足がなければ一目で種族を理解するのは困難だろう。
そんなルカの疑問にシロはすぐさま指摘を入れたが、素直な疑問を変に解釈したシロは焦燥を滲ませながら謝罪する。話を聞く限り、ルカと出会ってからいいところが一つもない姉へ向けて、少年少女は口を揃えて冷罵するのだった。
太い尾を逆立てながら悶えるシロに変わって、ルカの斜め前に座る少年が背もたれに寄りかかりながら口を開く。
「姉ちゃんは女小熊猫の希少種ってだけだ。ポンコツには変わりねぇが、異端児って意味では気にしてるからあんまり触れないでやってくれ」
「毛並みが白っぽいのは希少種だからか……わかったよ」
片膝を立てて椅子に座る少年の言葉には、よもや見た目の幼さとは釣り合わない重みがあった。客人を目の前にしても正さない行儀の悪さや、目上のルカに対する言葉遣いを含めても、説得力の類であるのか胸の奥にズシンと響く何かを持ち合わせている気がした。
本人達が嫌厭するのであれば特に追究することでもないかと、ルカは少年の言葉を肯定として呑み込んだ。
話が一区切りつき、悶えていたシロはようやく正気を取り戻したようで、杯に注がれた眼前の茶に手を伸ばす。
「ゼノン、ルカさんに回復薬を出してあげてくれる? 私のせいで脚を負傷してしまったみたいなの。それと持ち帰り用に魔力回復薬を五つ用意して」
「ほーい。クゥラ、奥から魔力回復薬を……って、待て。……姉ちゃん魔力回復薬持って出ただろ」
「…………」
椅子からぴょんと飛び降り、付近の棚を漁りながら不審に思った少年ゼノンはシロへ詰問する。杯に口付け茶を飲んでいたシロの動きが停止し、ゼノンは振り返って怪訝な目付きでシロを見つめた。
「姉ちゃん?」
「……ごめんなさい。割っちゃった……」
「姉ちゃん本当ポンコツだな」
「……ゴメンナサイ」
短い時間で何度も連呼される罵倒に、小さな体を益々小さくしてシロは椅子の上で縮こまってしまった。溜息を一つついたゼノンは少女クゥラへと再三指示を飛ばし、クゥラが奥の部屋へと消えていく。
その姿を目で追っていたルカは奥の部屋の手前、大きなフラスコやすり鉢に擂粉木、何に使うのかわからない様な器材が多く目についた。
「ここで薬を作ってるのか」
シロと同じように出された杯を手に取り、ルカは周囲の道具達の用途を問う。
萎んでいたシロが空気を注がれた浮き輪のようにむくむくと回復してその問いに返答する。
「二人は調合、開発に秀でた薬師なんです。様々な回復薬を使ってきた私から見て、二人が作った薬は他の薬と比べて跳び抜けて優秀です。性能は保証します」
棚を漁り終えたゼノンが机へと戻り、シロへと試験管を一本手渡す。受け取ったシロが試験管のコルクを抜き取り、負傷したルカの右膝へと注いだ。青色の液体が僅かな冷感とともにルカの膝に浸透していく。
「シロもここで薬を?」
「いえ、私は……」
「姉ちゃんは製薬に関してはからっきしだ。手伝ってもらってもヘマばっかするしな」
「そういうことです……お恥ずかしい……」
ルカの疑問に立つ瀬がないと苦笑し、シロは空になった試験管を近くのゴミ箱へと捨てる。
和らいだ痛みにルカは右膝を軽く動かし動作の良し悪しを確認した。不思議なくらいにすっきりと痛みが取れており、魔界の回復薬の効能に思わず「おお」と口から声が漏れた。
「ま、俺達は姉ちゃんに養ってもらってるみたいなもんだから文句は言えねぇけどさ」
「……お姉ちゃんが依頼をこなして稼いできてくれる」
奥の部屋から袋を抱えたクゥラが姿を現し、ゼノン同様シロの存在意義を談じるが、ルカに一片の引っ掛かりが生じた。
辻褄が合わない。
クゥラはシロの依頼によって生計を立てていると言い、ゼノンは養ってもらっていると証言しているが、製薬は二人の才によって成り立っている。二人が薬を造り、シロが移送するというルカが想像した一連の流れでは、シロが一方的に養っているとは言い難い筈なのだ。
謙遜や年上を立てるといった類でなく真実だけを述べている空気感の中、シロが思わず口を滑らせる。
「私はこんなですけど、この子達には立派な夢が――自分達の薬舗を持つという大きな夢があるんです。今は表立って商売もできませんが、いずれは名立たる薬師に――」
「姉ちゃん喋り過ぎだ」
「表立って商売ができない?」
ゼノンが制止の声を上げるのと、ルカが異存を唱えたのは同時だった。遅きに失したと顔を逸らすゼノンとルカの横顔に何度も目を移ろわせるシロは当惑し返答に窮す。
「あ……え、と……いえ、住処に案内した時点で隠し立ては無用、ですね……」
少女はしどろもどろになりながらも、ゼノンに「ごめんなさい」と告げ、言葉を繋ぐ。
「この子達が表立って商売をできないのは私が都市から追われ、住処を転々としているからです。それもこれも私が弱いばかりに……」
「都市から追われて……?」
まるで懺悔のようにポツポツと溢し始めるシロの表情は昏い。小さな手が握り締める拳は弱く、それでいて悔しさに潰されているかのようだった。
「女小熊猫であっても何も変えられない。大切な人も居場所も……守ることさえかなわない。私が犯した過ちは悪逆で、許されざる所業なのです」
誤解が払拭されるまで終始ルカの事を敵対視していたこと、魔力回復薬の受渡に廃教会を指定したこと、人目を憚るように移動し無人の廃工場地帯で暮らしていること。全ての振る舞いが普の日常から一線を画していた理由にルカはようやく得心がいった。
都市が彼女を責め立てているのだ。
故に、誰も信じておらず、誰も信じられない。
空色の髪の少女は、少年少女しか信じていない。
他に信じられる対象が存在しないのだ。
だからルカは場違いなまでに新顔の己がここにいる理由――連れてこられた理由がわからない。
ルカがゼノンを一瞥すると、瞑目しながらもまるで自分達の縄張りに踏み込まれた獅子のように尖鋭な気配を発しており、後ろではクゥラが不安そうに袋を胸に抱えていた。
「さっき追われていたのも理由があって?」
「はい。明確な私の追手です」
「……お姉ちゃん……」
ルカとシロのやり取りに、心配そうに目配せするクゥラへにこっと優しく微笑むシロ。
「この子達も関係してるのか?」
「いえ、ゼノンもクゥラも無関係です。私と血の繋がりもありません」
耳だけを話に委ねていたゼノンの眼がゆっくりと開かれた。その金眼は先程のように穏和な光を宿さず、敵愾心がランタンの光明によって陰を作る。濃く、深く、黒い陰影を。
「一体全体何があっ――」
「ルカ兄ちゃんはよぉ、理不尽に殺されかけたことはあるか? 恣意のせいで平和だった人を巻き込んで自由を奪ったことはあんのか?」
「ゼノンやめなさい」
水栓が水圧に耐え切れず滴を落とすかのように、一層重みを増した重低音の声がゼノンから一滴落とされた。溢れた水滴は留まることを知らず、シロが制止の声を上げるも意味を成さない。
「事情も知らねぇ、深い仲でもねぇ、そんな人族が何勝手に深入りしてきてんだよ。俺達の全貌を知って嗤うか? 魔界にも惨めで哀れな亜人族がいたと吹聴するか?」
「ゼノン!」
ゼノンのルカへ対する非難はひとえに人族への嫌悪。下界とは正対的な、魔界での俗識が抜け落ちていたルカへゼノンの舌鋒は止まらなかった。
「俺達は小汚いし貧乏だしみっともないかもしれねぇが満足してないわけじゃねぇ。ルカ兄ちゃんからしたら俺達は不幸に見えるだろうが、その自己中心な見解の押し付け、はっきり言って不快だ。姉ちゃんが連れてきた客人だと思って少し気を許せばこれだ。……だから人族は信用ならねぇんだ、帰ってくれ」
普の生活から逸脱した者が大なり小なりの憐憫を背負うのは宿命だ。それを強がりか、はたまたサキノのように同情を嫌ってのことか、しかしゼノンの本望でないことはルカでもわかっていた。
だからこそ何も返答することができないのだ。
正論を説いたところで何が変わるだろうか。
負に脱線した者を一方的に引き摺り戻そうとしても誰が心動かされるだろうか。
サキノの時とは状況も環境も、ましてや関係性が全くの別物なのだから。
ルカがどれだけ善意に働きかけようとも、人族という種族の根元から嫌厭している亜人族にしてみれば、他種族の善意など好奇心や偽善にしか映らないだろう。それは魔界、下界、異なる二つの世界であっても同様に覆せぬ理なのだ。
椅子から飛び降り「クゥラ行くぞ」と、奥の部屋へと消えていくゼノンの背中はとても小さかった。急転した険悪な空気におろおろとクゥラは机の上に紙袋を置いて一礼しゼノンの後を追う。
「ゼノン……」
シロの儚げな声は、遠ざかっていく足音とともに虚空に消える。
僅かであっても笑顔と笑い声が飛び交っていた時間が幻だったかのように、悄然とした二人だけが取り残されたのだった。




