030話 初めまして?
「来ない……」
時刻二十二時半。
脚を引きずりながらもどうにか定刻の二十二時に北北西の奥地へ到着したルカだったが、そこに目当てらしき人物はおらず、あろうことか更に半刻もの間一人待ち惚けていた。
魔界と下界に時差は存在せず、予定であれば既に取引も問題なく終えている筈が未だに人影すら見えない現状。
「参ったな。手ぶらで帰る訳にもいかないし、かと言ってどこの誰を探したらいいかもわからん。どうしたもんか……」
無音が痛い程に頭に重くのしかかる静か過ぎる夜は時間だけを奪っていく。依頼を受諾している以上、変化のない空間がルカに苦痛を強いるのも道理ではあった。
現在地、魔界リフリア北北西の奥部に在する老朽化した小さな教会内部。窓は無惨に砕け割れ、アーチ状の天井は面積の半分以上が抜け落ち月光を内部へと招き入れている。アスファルトは所々が剥がれ、埃っぽさにも負けず下からは雑草が魂を咲かせていた。風化によって原型を失った石像は女神像だったものだろう。
何十年もの間、人々の記憶から忘却されてきたかのような小さな教会に、ルカに抱いた第一印象。
「まずここが取引場所っていうのが怪しいよなぁ」
人が出入りした形跡すら見られないこの地を指定した過程がそもそも常軌を逸している。潔白な取引であれば直截に行えば良いものを、時刻は夜間帯、ましてやこのような荒んだ地で密会のように交わされるというのは嫌でも裏を探ってしまう。
ココが裏取引に手を? 指定場所の相違? 幼女によるお茶目な悪ふざけ? 色々な事情を想定はしてみたものの、結局ルカはココを信じる以外に選択肢はない。
しかし、待てど暮らせど待ち人は現れず、ルカは列柱の一つに背を預けた。
何度も確認したが自分の勘違いなのではないかと、変わらぬ結果に期待を込め、ポケットに仕舞ってある地図に手を伸ばした時だった。
「ご、ごめんなさいっ! 大変遅くなってしまいましたっ!」
息を盛大に荒げ謝罪を第一句に、入り口から教会内へ小柄な人物が飛び込んできた。
その姿は記憶に新しい、右耳に肉球のマークが入った外套の人物。追駆され、ルカに戦闘を押し付けた女性らしき人物。
声も、隠そうとする素顔も、見た目の印象も、全てが一致する。
ルカは先程感じた不穏感、この人物の知れない素顔、隠密のように取引場所を指定する理由を見極めるために、返答をせず腕を組み凝視する。
外套の人物は抜け落ちた天井だった石片をひょいひょい、とすり抜けながらルカとの距離を詰めていく。
緊張感や不安といったものは皆無であり、見知った仲との再会のように危機感など感じられなかった。
「出歩いていたら急に追いかけられて……遅くなってしまって本当にごめんな――さッ!?」
パリィン……、と外套の人物が持っていた袋が落とされ、甲高い音が半開放型の暗闇奥深くに嚥下されていく。
数秒前の人物と入れ替わったかのように表情が急転した人物は、ルカの額前にフリルの付いた傘先を照準する。
「あ、貴方……さっきの……っ!?」
決死の機先、優位に立とうとする脅嚇をルカへと差し向けていた。
外套の人物の間隔の狭い呼吸音が二人の沈黙の間を繋ぐ。それは急いで教会へ駆けつけたものではなく、急激な心拍上昇によるものだ。
無言の応酬に動じないルカは、微動する傘とカタカタと揺れる小さな手をその眼で目撃した。
「震えてるぞ」
その正体は焦燥。
まるで危惧していた事態を恐れるかのような変貌。しかしその行為、震える声音に焦燥はあれど殺意は微塵も感じられなかった。
「う、うるさいですねっ。こんな時間まで執拗に追ってくるなんてよっぽど暇なんですね! 嗚呼、いたく可哀相な御方!!」
「俺は薬を取りに来ただけなんだけど?」
「なんて虚弁をっ! 薬の取引まで存じているなんて、なんて疎まし……って、ぴぃッ!?」
皮肉盛り沢山で目的を信じようとしない人物の突きつけた傘を、ルカは呆れながら掴み逸らす。
鬼気迫るものはひしひしと感じられるが無防備過ぎるのだ。
そんな少女を茶化すかのように教会内で風が遊び、少女の頭の外套を優しく外した。
波のように湾曲がかった空色の髪が外に流れ出て、頭上には萎れた白杏色の三角獣耳が据わっている。金色の瞳を内包した大きな眼からは透明な滴が湧き出て、頭一つ半ほど身長の低い少女は涙目になりながらゆっくりと後退していく。
「この子が取引相手で間違いないのかココ……?」
警戒を解かない取引相手に辟易し、遠方のココへと助けを求めるように独り言ちた。
そんな独白に少女はすり逃げる足をぴたりと止め、双眸をぱちくりと開閉させる。
「ココ……コ、コ……? ココって……ココさん?」
「鶏かよ。依頼主はココ・カウリィールだ」
同一の単語が口から滴下する少女の勘違いを端的に正す。
「…………へ? う、嘘っ!? いつもの使者の御方は……ちょっと待って下さい!?」
外套の内部をゴソゴソと漁り、漁り、漁り……時間をかけてようやく見つけ出した紙を険しい顔で眺める。内容を目線が追い最下まで読み終えると、少女は紙とルカを交互に見やり徐々に頬が引きついていく。
「………………」
汗をダラダラと流しながら苦笑した彼女との間に、暫くの沈黙が落ちたのだった。
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「一度ならず二度も武器を差し向けてしまい、本っ当にごめんなさい……本日いらっしゃるのもいつもの方だと思い込んでました……」
「大丈夫だ、気にするな。突きつけられたのも傘だったしな」
「そ、それが私の武器なんですよっ!?」
何度も頭を深く下げて亡状を詫びた少女だったが、ルカは委細気にしない。人体の急所を除けば傘の刺突程度であれば大事故には繋がりにくいことから穏当な返答をするも、少女はこれが己の武器だと開き直っていた。
素直に己の非を認める少女から謝罪は尽きないが、それだけでは目的の遂行を果たせないルカは率直に用件を切り出す。
「それより繰り返しになるが、俺の目的はココに頼まれて薬を取りに来たんだけど、君が取引相手で間違いないのか?」
「あ、ええっと……そうですね。今渡し……」
と、少女は外套から手を出し手首の辺りをキョロキョロ。あれ? と首を傾げ外套の中をモゾモゾ。次第に動きが俊敏化していき、焦燥に呑まれ振り回される視線が捉えたのは、ルカの後方で地に落ちた一袋の簡易袋及び中から垂れ出た液体。
ルカを敵だと錯誤した際に落とし弾けた高音の正体。少女が渡し、ルカが受け取る筈だった依頼品は、儚くも落下の衝撃によって破砕し内容物をぶちまけてしまっていた。
「うぅ……重ね重ね誠に申し訳ございません……あ、う……。あの、その……」
「?」
少女は視線を足元で彷徨わせながら小さな口を引き結んだり、発声しようと開口を繰り返す。何かに悩んでいた様子だったが、言葉を大人しく待つルカの瞳に「うんっ」と小さく是認した。
「私の住処に予備がありまして……非礼も含めお詫びしたく……その、案内させて頂いてもよろしいでしょうか……? 夜道は危険ということもありますので……」
「そこまで行けば薬を受け取れるって事か?」
「はい。ご足労おかけ致しますが……」
「わかった。行こう」
「あ、ありがとうございます!」
おずおずと控えめに交渉を進めていた少女だったが、ルカが賛同するとぱあっと顔を明るく咲かせた。あどけない相貌がもたらす安堵は、ルカに警戒心と言う概念を忘却させる。
「それでは参りましょう。ええっと……」
外套を被り直して出入り口に方向転換を行う少女だったが、ルカの顔を見上げ口ごもる。
牽制ばかりで互いの呼び名すらも知らない有様から、ルカは名を求められていると憶測に至った。
「ルカだ。ルカ・ローハート。君は?」
「私は……私のことはシロとお呼び下さい」
ふんわりと微笑を作るシロと名乗る少女と、眉根を少し落とすルカ。
二人が佇む静寂が満ち満ちる薄闇を、幾多の星々が存在を放ちながら見下ろしていた。




