249話 積年の待ち人
大商談の時は来たる。
入念な二日間の準備を経たシュリアとルカは長い時間をかけて魔界リフリア南東の果てへとやって来た。
目的は廃工業地帯を再稼働させるためのリボーグ・エィソンとの商談。
都市と街道、その境界寸での場所にそれはあった。大きくも無ければ小さくもない中規模な民家が。
事前接触はない。一発勝負の大博打、勝算は五分。
「商談はシュリアの方が手慣れてると思うから任せて貰うけど、心の準備はいいかしらルカ様?」
「あぁ、いつでも。頼んだぞシュリア」
ええ、とルカの期待を十全に背負ったシュリアは雅な笑顔を送り民家の中へと踏み込んだ。
「誰だ貴様等」
「初めましてリボーグ・エィソン。こちらは彼のリフリアの英雄【零騎士団】団長ルカ・ローハート様よ。シュリアはただの従者ね」
屋内に入室した直後広がったのは暖かい空気と鉄の匂い。決して作業場のように工具が散乱していたり何者かが作業中ということは無かったが、確かなる工業地帯と似た空気感が中に充溢していた。そんな整頓された室内の中に着席しているのは一人の老人。後ろに流されたオールバックの白髪、エルフ特有の細長い耳、バスローブのような部屋着を身に纏った人物は、しかし老人のように老いぼれている訳ではなく着衣の下には整った肉体が隠れていた。
背もたれに背を預けたままリボーグはシュリアの説明に耳を預け、そしてルカを鋭い眼光で睨め付ける。
「小僧がリフリアの英雄か。何とも青い」
長寿のエルフにすれば、己の十分の一の年月も生きていないルカなど赤子も同然。英雄とまで言われる名声がこの小僧のどこにあるのかと甚だ疑問でしかなかった。
「ルカ・ローハートです。エィソンさん、本日は北西区の工業地帯の土地権を譲り受けたくお伺いしました」
「都市のモンが諦めたかと思えば次は英雄か。あの地は誰であっても売らん。帰れ」
「売りたくない理由があればお聞きします」
「小僧等に話す事など無い。帰れ」
「帰りません。都市の人達ですら門前払いする程の譲れない理由がある筈です。その理由を聞かない事には引けません」
「聞こうが聞かまいが同じだ。帰れ」
帰れ、帰らないの問答を繰り返すルカとリボーグ。都市の者――おおよそ遣いであるロゥランなどが交渉に出向いても相手にされなかった事から、いくら英雄の名声を持つルカが対峙したところで商談は不毛なものに終わるだろう。
リボーグ・エィソンは頼まれる立場であって、全てにおいて拒否を呈する圧倒的優位な権限を持ち合わせているのだから。
「過去の栄光に縋りつくなんてみっともないわね。職人の風上にも置けないわ」
「なんだと?」
だからシュリアは切り口を変えて攻め立てる。
「リボーグ・エィソン。アナタの名声はラグロックにまで轟いていたわ。シュリアが生まれた頃には既にリフリアの工業は完全廃業していたけど、シュリアの御先祖達の備忘録にはアナタの名が何度も記されていたわ。幼少のシュリアがアナタの名を覚えるほどにね。それほどの腕利き――工業理念確立の偉人が死んだ土地に縋りつくのがみっともないと言っているの」
下手の交渉から、強引な商談へと。
「ラグロック……小娘もしやシュリア・ワンダーガーデンか?
「そうよ。鉱山都市ラグロック第十七代王女シュリア・ワンダーガーデン。ラグロックという国に終止符を打った、未熟で憐れな元王女よ」
「はっ……そんな小娘が工業を語ろうなど二百年早いわ!」
「ええ。確かにシュリアは未熟さ故に国を護れず捨てる決断をすることになったわ。けれど何年かけようとも捨てたラグロックを活かしたビジネスをシュリアは既に計画しているの。いつまでも死んだ工業地帯を匿うアナタと同じにしないで欲しいわね」
「口が過ぎるぞ小娘」
罵倒の数々をシュリアは繰り返す。
しかし先程までの一辺倒の拒絶はリボーグにはない。シュリアとの問答を確かに繰り広げている。
リボーグに話を受け入れる態勢は整った。リボーグの空気感の変化に、シュリアはここぞとばかりに話を転調へと持ち込む。
「そうかしら? 物作りに携わる者なら誰でも心に持つ『下を向き、物を作る。しかし心は必ず前を向け。世の進歩は我等の下には在らず』とは誰の言葉かしら?」
「…………」
「この言葉を初めて聞いた時、シュリアは幼いながらに敬服したわ。世の中は常に物作りに携わる人達の心と腕の進歩によって支えられているのだと。鉱山都市ラグロックの繁栄にはこの言葉が何よりもの真理になっていたのだと」
リボーグ・エィソンが出した書籍は数多い。その中でも『一パーセントのひらめきを』に記されている『下を向き、物を作る。しかし心は必ず前を向け。世の進歩は我等の下には在らず』は多くの人々の琴線に触れた。今では工業に関与する者の教訓として世と心に刻まれるほどに。
「そんな工業理念を確立させたアナタが今ではどうかしら? 栄光と共に心中しようとしてるようにしか見えないわね。工業地帯からこんなに遠い場所に身を置いて、土地が死んでからあの地に足を運んだかしら? 地の声を聴いたかしら? ――今あの地は泣いてるわよ」
だからシュリアは許せないのだ。
人々の魂を穿つ理念を確立させたリボーグの現在を。
前を向かず進歩を諦め、死なばもろともを選んだ事を。
そんな大切な地の鳴き声から耳を塞ぐように隠居している事を。
そんなシュリアの瞋恚にリボーグは。
「わかっとるわ!! 行かずとも泣き声など十二分に聞こえとる!!」
椅子から飛び上がるように立ち、シュリアの眼前へと歩みを進めた。
シュリアの胸倉に手を伸ばそうとするリボーグの腕をルカは掴み、しかしリボーグは振り払って怒鳴り続ける。
「だがそんな泣き声を手放すことが地の為か!? これまでの人々の努力と苦難と笑顔を取り壊すことが地の為か!? そうじゃない!! あの地で、あの地だからこそ生まれた数々の想いと信念とモノがあるのだ!! そんな宝の地の泣き声から逃げるように捨てて、都市に好きに使われては堪ったものじゃない!!」
引き出した。リボーグの想いを。
大金を吊り下げられても意固地なまでに拒絶を繰り返していた難攻不落の城塞の扉を、シュリアはこじ開ける事に成功していた。
「数多くの職人の職を、居場所を奪ったのは貴様等ラグロックのモンだろうが! そんな奴等が今度は儂に残された最後の地まで奪おうとしておる! 誰が譲るものか!!」
シュリアはリボーグの炯々とした瞳の奥底と視線の応酬を続け、勝利が傾き始めた事を悟る。
どれだけの大金を積まれたとてリボーグが都市に土地を譲らなかった理由を、商談前、シュリアは数十にも及ぶ憶測を立てて対策をしていた。それはシュリアが王女として数々の国と対談をしてきた経験則や、工業に汲汲としてきた者達に人生全てを費やして向き合ってきたからこその出来たシュリアならではの対策だ。
その中でも特にリボーグの尊厳や動向に該当する推測が、土地特有の想い出を放棄したくないという職人ならではの思想だった。年数など関係ない。その土地で生まれ、土地に宿った魂や想いは、土地に強い思い入れのある人物には感知出来てしまう。
同じくして国を捨てることになったシュリアには特に。
だからシュリア達はこれまで決定的な一言を口にしていない。
「誤解しないで欲しいわね。シュリア達はアナタの大切な地を奪いに来た訳ではないわ。シュリア達がやりたいのは工業地帯の再利用――退廃した工業地の再興よ」
「……は」
地の譲渡の裏に隠れた、真の目的である『再興』という言葉を。
それはリボーグの最大の願望。リボーグが隠居を決め込んだのは工業地帯が廃れてしまったからこそだ。地を想い、想いを憂い、頑なに手放そうとしなかった地はそのままに。
思いもよらなかった言葉に、当然リボーグの口と思考は停止する。
「勿論全てが全て百年前と同じようにと言う訳にもいかないわ。【零騎士団】として工業地帯を動かすことになるし、退廃してしまったアナタ達の技術ではなく世が必要としているラグロックの技術を使う事になる。けれどラグロックが国として無くなった今、再興が可能なのは知名度も技術も十分にあるリフリアの地だけ。だからシュリア達は移住先にリフリアを選んだのよ」
優位性を保ちつつ、シュリアはリフリアには世に必要な魔力製品を効率よく生産出来る地はリフリアだけだと称賛する。
目を丸くするリボーグは緩慢過ぎる思考を必死に動かそうとするが、シュリアに言われた言葉だけしか脳に伝達を許されない。
「アナタに――アナタ達に残された選択肢は二つ。これまで通りに栄光に縋りついて凋落した地と死なば諸共余生を過ごすか、ルカ様に土地を売って再興の一助を担うか。勿論後者を選択してくれた際には、アナタ達が望むのならば技術者としてそれなりの席は用意させて貰うわよ」
リボーグの職人としての力はまだ生きている。炎や金属の打ち合いに勝つための身体は衰えておらず、家中に残る香る金属の匂いと暖は腕のなまりを防止するための日頃からの作業を彷彿とさせる。
そして瞳の中に宿る炎のような願望。リボーグ・エィソンは職人としての道をまだ捨てきれてはいない。
シュリアの真っ直ぐな桃色の視線から逃げるようにリボーグは視線を逸らし逡巡する。
与えられた選択肢は二つ。答えに迷う余地などある筈もない。
しかし百年にも及ぶ葛藤と土地の慟哭を知りながら、そう簡単に決断出来る筈もない。
押しがあと一手足りない。
「かつての熱気を、もう一度見たいと思いませんか?」
だからルカは『切札』をここぞというタイミングで投じた。
「かつての熱気だと……? 当時の熱気を知らんモンが何を言うか小僧ッ!」
そんな若造であるルカの切札は、当事者であるリボーグからすれば禁忌であり激昂に至らしめた。
想定内。だからルカは当時の熱気を見に行っている。
「『エィソン、アルバス、オーマス。俺達【発明王】は不滅だ。何年、何十年かかろうが、俺達が世界に名を轟かせて製造界の天下を取ろう』」
「……っ! 小僧……その儂等の誓いをどこで……」
「過去ですよ。俺の眼は未来も過去も見る事が出来る。百年以上前に遡るにはかなり苦労しましたけどね……」
ルカの橙黄眼は時間軸の前後――未来も過去も見ることが出来る。
護衛依頼直後、ルカ達は廃工業地帯へと訪れた。工業地帯を管理するおおよその人物達が居たとされる工業地帯南東部にて、ルカはシュリアに言われるがまま過去へと飛んだ。
未来に比べれば過去を見るに必要な魔力などたかが知れている。とはいえ、一滴すら残さない尽力の魔力を使用しても一年前が限界だった。
ではどのようにして百年以上も前に辿り着いたのか。
答えは単純且つ明快。魔力が足りないのであれば復活させればよい。ゼノンとクゥラがストックしておいた百五十本もの魔力回復薬を用いて。
勿論全てを飲み干すことは出来ず皮膚から吸収する羽目になり、ルカは身体中ベトベトの液体塗れになったが(因みにシュリアは口移しでルカに魔力回復薬を与えようとして口内で吸収され、ゼノンとクゥラに猛烈に怒られた)。
とはいえ百聞は一見に如かず。苦労した甲斐もありルカは当時の熱気を知っている。
時系列からしても誓いを立てた頃を知っていれば、確かにルカは熱気を十二分に知っている筈だとリボーグは納得に至り口を噤んだ。
「誰もが好きな仕事を手掛け、汗を流しながら炎と金属に囲まれていました。買い手も作り手も皆笑顔で、とても居心地のいい土地だったんだと素人目の俺にもわかります。そして仕事終わりには『刻酒也』で呑み騒ぐ。メル・ガウリルさんもあなた達の帰りを待ってますよ」
「メル・ガウリル……見習いだったあの小娘が……!?」
リボーグの脳裏に当時の光景が蘇る。すっかり暗くなった仕事後に同僚達を連れて来店した『刻酒也』で、危うげながらジョッキを持ってくる十歳にも満たないエルフの少女メル・ガウリルの姿が。
沢山話した。沢山騒いだ。そして沢山迷惑もかけた。
それでも待ってくれている。リボーグ達を。工業地帯のかつての熱気を。
「百年……百年以上だぞ……それでもまだ儂等を待ってくれている人もいるのか……」
工業地帯が退廃し、店の売り上げが落ちた事も明白だろう。しかしそれでも店を畳まずに百年以上も帰りを、再興を待ち続ける懐かしき知人の存在にリボーグから迷いが消えた。
「シュリア達はこれまで世に必要な魔力製品を開発してきたわ。けれどラグロックだけの技術じゃ限界があることも事実。知恵も、技術も、発想も足りないものが多過ぎる。だから力を貸して貰えないかしら」
「俺からも頼みます」
二人は揃って頭を下げる。
そこに優位性等微塵も介入しない。
あくまで交渉。互いに納得のいく交渉を望んでいるのであって、【零騎士団】は威による支配など求めていないのだから。
「……人の事を洗い浚い調べ尽くしておいて、最終的には頭を下げるしかないとはな。貴様等には最後まで優位を貫く矜持がないのか」
「人々の笑顔と平穏のためならば、そんな矜持いくらでも捨ててみせるわ」
頭を下げながらシュリアは答える。
国民を守れなかったシュリアは様々な不足を痛感している。そんな人を一人でも減らすためならば、魔界の平和のためならば元王女と言えども幾らでも頭を下げる。
「……人々のため。その言葉に偽りはないか?」
「ええ、誓えるわ」
「……小僧、貴様の眼は未来も見れると言ったな。作り手の工業地帯の者達も、買い手の者達も皆笑えているか?」
「はい、笑えています」
「はっ、それも未来を見たか?」
「いえ、未来は見ていません。でも俺にもシュリアにも笑えている人々の光景は見えてますよ。リボーグさん、あなた程の人が力を貸してくれれば」
頭を上げたルカの瞳は嘘も誤魔化しも存在しない。隣のシュリアの瞳も同じく。
彼等の眼には十全の信頼と、確かなる未来が映っている。
「ふんっ、生意気な奴等め……良いだろう。リボーグ・エィソン、貴様等に力を貸してやろう!」
「ありがとうございます」
「よろしく頼むわね」
リボーグの厚く精悍な両手と、二人は握手を交わしたのだった。




