024話 一ページ目
重い瞼を無意識に開くと、隔離されていた視界と意識が姿を鮮明にさせていく。
薄っすらとした光源が映し出す白い天井、周囲を覆う帷幕の中で目覚めたサキノは気だるさが残留する体を起こし、状況把握を試みる。
「ここは……」
混濁する意識を辿ると、自身が気絶する直前に目撃した倒れるルカの姿が脳裏に浮かび上がった。
「ルカ!? ルカはっ!?」
サキノは跳び起き、帷幄を勢いよく開くと、見覚えのある小部屋にいることを悟る。
「天空、図書館……?」
整頓された綺麗な空間に調理台やシャワー室、天空図書館の仮眠室だと即座に脳が理解する。
とは言え。理解はしたが、ミュウとの激戦の後、どうして天空図書館の仮眠室にいるのかが判然としなかった。
ベッドを下り、部屋の中央で辺りを見渡すも他のベッドはもぬけの殻。サキノは閉じられた扉を開き、天空図書館内へと出る。
眼前に広がる真っ黒な夜天。薄暗く点々と灯る照明。常よりも寂とした広大な空間と巨大な本棚の数々。
無人のせいか、膨大な量の書籍から紙の匂いが充満していた。
そして、一面ガラス張りの窓の傍らで街を見下ろす一人の黒髪の少年の姿。サキノは胸を撫で下ろし、楚々とした足音を立てて歩み寄ると、少年はその気配に気付き振り向いた。
「起きたかサキノ、体は大丈夫か?」
「うん……ルカこそ」
「俺も大丈夫だ」
互いに激戦による身体の具合を気に留めながら言葉を交わす。
秘境での損傷は下界に戻ることで寿命に換算されるとはいえ、目に見えるような重傷に苛まれていることはなく、サキノはほっと息をつく。
「私達一体どうやってここへ?」
「どうやらココが運んでくれたらしい」
意識回帰した時からの疑問をサキノは問い、ルカは手に持っていた一枚の用紙をサキノへと渡す。
サキノが用紙に目線を落とすと、そこには綺麗な文体で労いの言葉が綴られていた。
『二人共お疲れ様。何も力になれなくてごめん。古書交換は一区切りついたから私は一旦家に帰るけど、天空図書館の仮眠室は自由に使っていいからゆっくり体を休めて。何はともあれ、二人共無事でよかった。生きててくれてありがとう。
追伸 ローハート、サキノに尾篭行為を働いたら天空図書館の文献ラインナップに載るくらい残虐な方法でコロス ココ・カウリィール』
「あはは……ココったら」
ココの過保護な一面を見た気がしてサキノは苦笑を漏らす。
思い返せば身震いする程の苦戦の末に、ココの言う通り二人の命が繋がっていることにサキノは何よりも安心した。
書置きから顔を上げたサキノは、ルカへと真摯な眼差しで思いを告げる。
「ルカ、本当にありがとう。私一人だったら生きていたかどうか……」
知能の低い幻獣であればどうにかなる、とサキノは高を括っていたのは事実だった。
しかしケルベロスのように異様な能力を使う幻獣を相手にし、己の想定の甘さを知った。追い打ちのように現れた、強大な力を持つミュウとの戦闘は万が一にも勝ち目はなかっただろう、とサキノはルカの存在を素直に感謝する。
「それと……色々酷いことを言ってごめんなさい。私、自分の事しか考えていなかった。ルカのこと、信頼出来ていなかった……」
魔界の幸樹の眼前でルカを遠ざけるように言い放った言葉、秘境で邪魔だと突き放した言葉、忸怩たる思いを懺悔の様にこぼしていく。
顔を伏せるサキノへ、ルカは腕を組みあっけらかんと答える。
「信頼、ねぇ……ん、信頼って言葉化するものじゃなくないか?」
「え?」
引け目を感じるサキノは目を白黒させてルカを直視した。
「一言に信頼って言っても形あるものじゃないんだ、証明は出来ないだろ。サキノは信頼出来ていなかったって言うけど、こんな俺でもずっと連れ添ってくれてた、その事実だけで俺にとっては信頼に値してるよ。だから、俺もサキノを信頼出来たんだから」
信頼は言葉ではなく、行動で自然と作られていくものだと。ルカが変わりたいと願った神風主義でも歩調を合わせてくれただけで十分だと主張する。
しかしサキノは納得しない。出来ない。自身の過失を認めてしまっているから。
「エルフの混血をルカに隠していたんだよ? 本当の私を偽りながら側にいたんだよ? 亜人族差別社会で嫌われるのが怖くて人族の振りをして暮らしていたんだよ……?」
「秘密って悪いことか?」
「だ、だって結果的にルカの事を騙して……っ!」
反論が次々とサキノの口から溢れる。
言い合いなんてしたくないのに、本当に言いたいのはこんなことじゃないのに、とサキノの心を握り潰そうとしている。
「騙されてたなんて思ってない。確かに隠し事で人を傷つけることはあるだろうけど、サキノは害ある隠し事じゃなかっただろ。秘密が人を変えるための原動力になることだってあるんだ、一概に悪いとは言い切れないだろ」
「亜人族、だよ? 誰もが嫌――」
「サキノ」
改めて己の立場を明確にしようとするサキノの震える言葉を、圧ある声で強引に遮る。
その先の言葉はサキノが口にしてはいけない言葉だと、全てを知ったルカは制止をかけ、言葉を紡ぐ。
「母親を否定するなよ」
「!」
サキノは思いとどまる。
自身の目的を、願いを、その根底にあるものを否定してはいけないと。
「社会的な風評がどうであれ、亜人族なのは悪いことじゃないだろ。異世界共生譚が例え真実だろうと結果に過ぎないし、終わったことを掘り返すくらいだったらその先をどうするか、だろ? 母親の正しさを証明して、異種族間の和解を誰よりも望んでいるのはサキノじゃないのか?」
「……うん」
幸樹下のショップでの善行、種族関係なしに取り組んできた依頼、これまでのサキノの振る舞いを見てきたルカは、サキノが異種族間の軋轢を嫌ってのことだと理解出来ている。
ルカがサキノの母親の遺志を聞いたわけではないが、遠からずサキノの思いは伝わっていた。
「それに、サキノにエルフの血が入ってることは知ってたよ」
ルカは懐から丁寧に包まれた小包を取り出し、サキノへと渡す。
サキノが封を開くと、小包の中から出てきたのは魔界に置き忘れた手帳だった。
「どうして手帳を……?」
「レラから預かってたんだ。たまたま中の写真を見てしまったんだけど、だからってサキノへの思いは全く変わらない。サキノはサキノだし、母親の遺志を継ぐためって目的も知って尊敬さえしてる」
「ルカ……」
透明な滴が紫紺の瞳を潤わせていく。
立て続けに起こった戦闘時にルカが発した言葉は、窮地だからこその出まかせではなかったことをサキノは悟る。
亜人族の混血だという事実も知って、それでも受け入れてくれたルカに、命を張ってくれたルカに、サキノの頬に一粒涙が線を引く。
「だからさ、サキノが正しいってことを俺にも証明させてくれ。何もかも頼れって言ってるわけじゃない。ただ、負を一人で抱えようとしないでくれ」
「ふっ、ぅ……」
同情でも憐憫でもない、協力。
負を乗り越えた先に見える幸福の面影。
サキノは、共に歩んだ先にある幸福を確かに見た。
「サキノの力にならせてくれ」
「うん……っ、うん……!」
しゃくり上げながらサキノはルカを受け入れた。
冷たい滴が頬を伝うが、胸はとても温かい。
母親が死去してから埋めることのできなかった胸の空洞が、特別な感情で埋まっていく。
そして母親の遺志をルカに重ね、そっと足を踏み出した。
「ごめんルカ――」
ルカの背後に回ると、サキノは涙を隠すように背中へ控えめに抱き着いた。
「少し、だけ……少しだけ、だから……」
「……あぁ」
母の温もりを思い出すように。
何年も触れていなかった、人の温もりを探すように。
『信頼する親友』を逃さないように、優しく。
(お母さん……こういうこと、だったんだね)
人族を嫌うのではなく、愛して受け入れる。
母親のその言葉がなければ、幼少期から虐げられてきたサキノも人族を嫌うだけの存在に成り下がっていただろう。
一人で生きていく、そんなことを母親が望んでいた筈がないのだから。
母親が伝えたかったことを、サキノは身をもって温もりと共に感じる。
サキノの鼻をすする音が響く静かな天空図書館で、サキノは初めてルカを頼ったのだった。
「…………」
夜景に佇む天空図書館入り口で、巨大な背負い鞄と本を携えたココに普段よりも圧の強い半眼でばっちりと目撃されながら。
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(これで、いい)
ココに様々な惨殺方法を提案され、サキノが背後で必死に弁明する中、俺は一連の騒動と、そして自分の思案と向き合っていた。
サキノを一人にさせないというのも、サキノの力になりたいというのも全部本音だ。
母親の正しさを証明する一心で破滅に向かおうとしているサキノを放っておける筈がなかった。
世界と言う大きな問題を小さな背に背負ったサキノを遠目に見ているだけなど出来る筈が無かった。
以前までは、そう思わなかったのかもしれないが。
重点となるのは受け身だった自分自身の変化。
自身で考え決断ができなかった俺を『何か』が突き動かしたこと。
サキノのためというのは本音だが、俺の中ではあくまで『表向き』の理由であることもまた事実だった。
では『裏向き』の理由とは。
(もうこれ以上、嘘で固めた自分でサキノ達を偽りたくない)
物心ついた時から――生後間もなく生まれ落ちていた感情。
自分の負を補うため、取り繕ってきた頑強な仮面。
作り笑い、その場凌ぎの合意、そして同調。普通と思える人の真似をしてきただけの偽りの表情。
(感情を理解して、俺は俺の存在意義を証明する)
異世界事情に関与し始めてから急速に芽生え始めた感情。
これまで俺に足りなかった感情を、魔界や秘境に関与することで理解出来るかもしれないと。
そんな『裏向き』の理由を、胸に秘め。
(そしてサキノが戦う必要の無い世界――世界の分断を解決して普通の日常へと)
サキノと共に、世界の分断問題へと『表向き』に歩んでいくことを決意した。
一秘去って、また一秘。
普通を追い求め、正に焦がれた負の少年は、始まりの筆を執った。
正負世界の一筆目を。
これにて第一章『白紫の茨編』幕間を残して終幕となります。次章より魔界が大きく関わってきますので、次章も楽しんで見て頂けたら幸いです!
当面の方針ですが【二章二話ずつ】を毎日投稿、その後【三章一話ずつ】を毎日投稿続ける予定をしております。以降もまだまだ物語は続きます。
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ここまで読んで頂き、本当にありがとうございます。
今後ともよろしくお願い致します。




