246話 契約改新
一同が移動したのは閉魔鍛錬場。決別の儀式に当たって、万が一アスモデウスが暴走したりミュウの身体を乗っ取って牙を向けた際、躊躇なく戦闘が可能な場所が適地だとミュウは判断したのだ。
ミュウと対峙するかのように並び立ち、一同は自身の武器をそれぞれに手に取った。
深い深呼吸を一度、仲間達の万全の戦闘態勢を確認してミュウは首を縦に振り、
「では呼ぶぞ。アスモ」
内に秘める膨大な魔力の鍵を開いた。
解錠と共に魔力は決壊したかのように溢れ、ミュウの周囲に紅色の魔力が充満していく。それはやがてミュウの背後で巨大な翼を持つ人型の形を象り、ミュウとは別の人格の意識を芽吹かせた。
『クルルル。及びかいご主人――と、何だか殺伐としてるねぇ。皆さんお揃いでどうしたんだぃ?』
目的は分かっている筈だ。サキノと武器を交えた際、サキノの再起に伴いアスモデウスは「これが終わればあたいを追い出してもいい」と断言していたのだから。
つまり信用を失い宿主を失う事になっても致し方がないとまで感じていながらも、アスモデウスは我儘を押し通すことを――何かを確認することを選択したのだ。
しかしアスモデウスはあくまで飄々と。ミュウの艶やかな肩を触りつつ微笑を浮かべていた。
「アスモ、頼む。妾の中から出ていってくれ」
『嫌だね』
単刀直入なミュウの懇願に、アスモデウスも駄弁を一切織り交ぜずに直球の拒否を呈した。
「アスモ……妾にはお主を追い出すという選択肢も権限もある。じゃがそうはせんのは妾とアスモ、互いに納得をしてこそ――」
『納得なんて出来ると思うかぃ?』
「それはそうじゃが……」
中々壊れない玩具が壊れる様を見たい。先日の命令無視を冷静に顧みれば、アスモデウスが色欲に従順でない自身を執拗に依り代としている理由が理解出来てしまう。
だからこそ危険な存在をこれからも内に宿している訳にはいかない。ミュウには既に力よりも大切な存在が目の前にいるのだから。
しかしそんなミュウの内なる想いはアスモデウスにしてみれば知った事ではない。あくまで優先すべきは欲望であり、宿主の事情など二の次である。悪魔は所詮悪魔なのだ。
とはいえ我儘を押し通した以上、自身の危険性はミュウに示してしまっている。単なる拒否ではミュウの意志が覆らないことも、アスモデウスは当然分かっている訳で。
『今は知らなくても当然だけどねぇ、あたいの力ってのはこの先必ず必要になる時が来るのさぁ。その時、あたいの力があれば仲間を護れたのにと後悔しても遅いんだよぉ』
「妾はきっと今後アスモの力を必要とすることはない。妾にはもう頼りになる仲間達がおる」
ミュウは武器を構える仲間達を一人一人眼で追っていく。色欲を打破したのはサキノ一人だが、サキノが信頼する仲間達はきっとこれからもミュウを支えてくれるだろう。
そして誰よりも信頼における変化のきっかけ――団長がいてくれる。
『臭いねぇ。嗚呼、なんて臭い台詞を吐くようになったんだうちのご主人は』
「茶化すな。事実じゃ。魔織化――いや魔力を借りねばならん程に仲間達が危地に陥る事などそうはない。だから認めろアスモ」
少々語気を強めて説得力に威を増すミュウだが、魔力のようにゆらゆらとミュウの周りを浮遊するアスモデウスは断固として譲らない。
『いぃや、来るさ。魔力を借りるどころか魔織化を使用しなきゃならない状況が必ずね』
「どうしてそう言い切れる? 妾には追放されたくなくて必死に理由を連ねているようにしか見えんぞ」
自身気に言い放つアスモデウスの言葉は霞ほどの揺らぎも持たない。言っている事はもしかすれば事実なのかもしれないが、今を生きるミュウにはアスモデウスが追放を逃れようとしている風にしか聞こえない。
『人間からすればそう見えるんだねぇ。クルルルル、人間と悪魔の次元の違いとは交わることの無い不愉快なもんさね』
面白おかしく笑うアスモデウスに誰もが意図を掴めない。
たった一人を除いて。
『直接的な言葉はタブーだが、あたいだって決定的な証拠を出さずに追放されちゃあ堪ったもんじゃない。だからもう少しだけ踏み込めば――そこの小娘を見て確信を得たってところさぁ』
「……わ、私?」
アスモデウスの鋭い指が差す先にはサキノ。困惑に晒されるサキノだが、ミュウも薄々感づいていた。
サキノとの決戦。アスモデウス怒涛の攻撃から身を護る乱気流は、決してサキノの平時の能力ではないことを。
『そしてずっと目線を合わせようとしないが――何か言ったらどうだい? 童よ』
「…………」
サキノから移された視線。
重槍を地に突き刺し、瞑目した一人の男――ポアロ・マートンに視線が会する。
しかしポアロ・マートンは何も発さない。まるで黙秘権を貫くように。
常の諧謔に塗れた男とは別人のような黙過に、誰もがアスモデウスの言葉に真実味を覚え始める。
「どういうことじゃ……?」
『追及は後にしておくれよぉ。童が口を割るかは知らないが。だがしかしそういうことさね。ご主人にはまだあたいに頼らないといけない時が来るってことさぁ』
「……じゃがそうは言えどお主は妾の命令に背いた。今となってはお主は仲間を傷付けるかもしれぬ危険な存在じゃ。悪魔にしか見えん未来があるのかもしれんが、じゃからと言ってはいそうですかと今まで通りにはいかんじゃろう」
説得力に欠けた言葉は信用を有した。しかしだからと言ってミュウがこれまで通りアスモデウスの共存を許容するかは別問題だ。
ミュウにしてみれば先に危険が待ち受けていようと、常に仲間を危険と隣り合わせにする方が心苦しいのだから。
『尤もだぁ。だがご主人はあたいが仲間に危険を及ぼす事を危惧してるんだろう? だから譲歩案を提唱しようじゃないかぁ』
「……譲歩案?」
『あたいが無償で貸す魔力上限を七割にまで引き上げてやる。七割を越さない限りご主人の体の乗っ取りも不可能となればご主人も安心できるだろう?』
アスモデウスの宿主への賃料は偏に魔力の無償提供だ。しかしあまりもの魔力を借りるとなった時には身体を乗っ取られる危険性がある。魔織化とは魔力の消費を厭わず悪魔に身体を委ねる事であり、事実先日のミュウのように望まぬ行動を起こされる危険もあるのだ。
そんなミュウは契約として結んだ訳ではないが、現在アスモデウスの膨大な魔力を五割借りるだけで身体の機能を奪われると体感として覚えていた。
その上限を七割にまで引き上げるとアスモデウスは交渉しているのだ。魔織化を使用しないことには乗っ取りの危険もない状況でありながら無償で。
「どうしてそこまで……アスモに利は……?」
『ある訳ないだろう。強い得て言うのなら他の奴等にはないご主人の生というエンターテインメント性かねぇ。ご主人の生と性の物語を見逃すくらいなら、従順であった方があたいにも利はあるって話さぁ』
悪魔の七割の魔力とは自身の魔力の数倍にも匹敵する為、ミュウからすれば願ってもない話だ。
例え現在進行形の利はなくとも、ミュウの生を見届ける事で得られる嬉楽をアスモデウスは選択したのだ。
『ただし七割以上はあたいにも負担がかかる。それなりの見返りは貰うよ。ただご主人に追放されるリスクを背負いながら乗っ取るなんてことはそうはしないだろうがね』
「ゼロではないのかの?」
『ご主人より婀娜に見初められ、人々を快楽と困惑の渦に巻き込むような珍奇な小娘がいればの話さぁ』
「……全く悪魔とはこうも欲に従順か」
苦笑しながら鼻を鳴らすミュウとアスモデウス。
「わかった、ひとまず条件を呑もう。ありがとうアスモ」
『礼なんてよしな。礼をくれるくらいならそこのお気に入りをさっさと手中に入れて、あたいにも味わわせなよぉ』
「……はぁっ!? だっ、誰がお気に入りかっ!」
くすくすと笑うアスモデウスの眼光はルカを見据えている。
前触れもなく暴露された「お気に入り」にミュウは大慌てとなり取り乱し始めた。
『お気に入りじゃないのかい? いくら鍵をかけているとは言えご主人の独り言くらい聞こえる時はある。部屋でどんなことを言ってるのか言ってやばばばばばばばば』
「言うなっ! 絶対に言うなっ!?」
魔力で構成されているアスモデウスの口元を振り払い、一切の情報を喋らせようとしない。
(どんなこと言っているんだろ……)
(みーちゃんやっぱり乙女なんですよね……絶対に負けませんが)
色欲の権化であるミュウがどのような醜態を隠しているのか気になるサキノと、一人恋愛闘争心を燃やすマシュロ。
次元が違うと口外しておきながらまるで親友のようなやり取りをするミュウとアスモデウスにルカは苦笑を漏らし、ポアロは立ったまま寝息を立てていた。
『ともかくご主人の自由にしな。ある程度の協力はしてやるさぁ。それじゃあ精々あたいを楽しませておくれよぉ』
周囲に漂う魔力が転瞬ミュウの中へと吸い戻り、ガチャリと鍵が閉められた。
同時にミュウの首と手首の鎖が残り半分を残し、パキンと音を立てて魔力のように光へと分解された。
「すまなんだ。少々大事にとなるかもしれぬと思ったが、アスモの奴交渉手段をちゃんと残しておったみたいじゃ……」
「ミュウが納得できたならそれでいい。上手く話が纏まったのなら万々歳じゃないか」
全員が武装を解除し、閉魔鍛錬場に穏やかな空気が流れる。
マシュロが隣のポアロを小突き、一人遅ればせながら武装を解除したポアロを含め一件落着。
「それじゃあ時間も時間だ。護衛依頼に向かおう」
全員が十全な戦力を携え、閉魔鍛錬場を後にする。
何も変わらない。何も失わない。仲間の有難味や心強さの助長に繋がる一件に、ミュウの顔は上機嫌だった。
因みにポアロは居眠りという荒業で追及を逃れたのだった。




