231話 警告★
「ルカぁ~見て見て! このクッキールカとあたしが手を繋いでるように見えないっ!?」
「楽しそうなのは結構なんだが、ラヴィ宿題は――」
「いっぱい作ってるから遠慮しないで食べてねぇ、えへへ~」
夏休みも残す事あと二日。学生の本分である学業再開まであと二日。学園から下された宿題と言う名の学生にとっての地獄は次第に猛威を奮う。
魔界での諸々を粗方終えたルカは残り数日の休日を有意義に活用しようとしていたのだが、今朝大きなリュックを背負った金色のツインテールが家に現れた。ぅへらっと笑ったラヴィの顔は引き攣っており、ルカも頭を抱えながらその次第を察した筈だったのだが――。
「いつの間にかお菓子作り始めてるんだもんなぁ……危機感が……」
尻尾のように二つに結われた髪をご機嫌に揺らしながらとてとてとキッチンへと戻っていくラヴィに辟易が止まらない。
香ばしい匂いを放つクッキーを一つ口へと運び、隣に積み上げられた参考書の山――宿題の残量を一瞥する。
(いやでも本当に追い込みをかけないと間に合わないよなぁ……って言っても普通に間に合う量じゃないんだけど……最初から気にしておいてあげた方が良かったか?)
ラヴィの勉強嫌いは一線を画している。毎回辛うじて及第点こそ取るものの、必要最低限の勉強しか必要としていない。
そんなラヴィが夏休みの課題をこなしている筈がなく、魔界の騎士団事情に追われて分かり切っていたことを忘却していたことに何故かルカが負い目を感じていた。
強く咎める事も出来ず、ルカへ尽くすことが至上命題のラヴィへ普通に宿題の話を持ち掛けても、勉強要領を超えた今のラヴィは無敵だ。話を棄却されるどころか会話が成立しない。
しかしどうにかラヴィを机に齧らせることが出来ないかと別方面に懊悩するルカは、綺麗に積まれたクッキーを眺め。
「ラヴィ、宿題一教科終わらせられたらその度に食べさせて上げるって言ったらやる?」
己でも苦笑いが出るようなご褒美付きの粗末な案を提案した。
「ルカ……あたしをどうにかして勉強させようと思ってるみたいだけど、それはちょっとあたしを甘く見過ぎかなぁ」
妖艶に笑うラヴィは緩慢に座席へと近寄り、ある筈の無い尻尾をぶんぶんと振り回し、目をキラキラと輝かせ、手には折れそうなほどペンを強く握り締めた、やる気を出したラヴィがルカの隣へと着席した。
「そんなご褒美用意されちゃ抵抗出来る訳ないでしょお!!」
「さっきまでの威勢どこいった?」
安いご褒美に釣られ、涎を垂らしたラヴィは猛速で筆を走らせ始めた。
暫時見守っていたが目の前に人参――もといクッキー(ルカの指)が吊るされたラヴィの集中力は凄まじいもので、ルカも一先ずの安堵を得ることに成功した。ラヴィの頭の中ではルカの想像する『あーん』とは別次元の妄想が繰り広げられていたが。
とかく椅子に着かせることが出来たルカはラヴィに教導しながら一緒の時間を過ごしていた。
そんな時、ポスッと。ルカが音源へと視線を向けると、そこには吸盤の付いた矢が窓に張り付いていた。不審に思いながらもルカが接近して手に取ると紙が巻き付けられており、ルカの頬が僅かに引き攣る。
「矢文って……なんて古典的な……」
大体送り主は想像がついていたが、ルカは手紙を広げ、怪文書を眼に収める。
『ははははは! 次期部長は夏季休暇を如何お過ごしだろうか! 我は夏季大会を経て一皮も二皮も剥けて強くなったぞ! 当然武芸大会は優勝だ! ローハートにも無し得ない偉業を以て、我が強者だと認めさせてやろう!
追伸 アラン・シルスタについて話がある。明日午前十時、武芸部稽古場で待つ。 ミアム・アートクラウン』
文章であるのに大きな声が脳内で反響する騒がしい手紙にルカは目を眇めていたが、どちらかというと追伸が本命のような文――ミアムから出る事が奇異に等しい名前にルカは軽く疑問を覚えた。
「アラン……?」
一切の雑音を鼓膜に通さない集中したラヴィ――ご褒美しか頭にないラヴィを背に、ルカは妙な違和を感じられずにいられなかった。
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翌日。
泊まり込みを許可して課題を消化していた――お泊りセットを持参してきた用意周到さには触れないことにした――ラヴィを引き連れ、ルカは学園へと到着した。
涙を流し心から別れを惜しむラヴィを天空図書館の主ココに引き渡して、ルカは一階下の武芸部稽古場へと向かう。
夏季休暇最終日と言う事もあり、クラブに勤しむ学生達は少ない。ラヴィと同じように残された課題の消化に努める者が大半を占めるのだろう。ルカからしてみれば「何で計画的にやらないのか」と言った疑問が沸く反面「これが普通なのか?」と普通に焦がれる錯誤した普通を一先ず相殺させた。
普段見ない一風変わった学園の姿を視界に横切らせながら、ルカは武芸部稽古場へと脚を踏み入れる。
「よーぅ! 我がライバルよ! 多忙であろう夏休み最終日によく来てくれた!」
気配を一早く察知したやや小柄な一人の男――ミアム・アートクラウンは豪快な声を張り、ルカを歓迎した。周囲には普段の数の半分以下の部員達。ミアムの馬鹿でかい声に顔を歪ませながらも、同じようにルカの到来を出迎える。
「俺は別段課題に追われるような生活してなかったからな。面倒を見なきゃいけない奴はいるけど……クラウン達こそ夏休み最終日にまで精が出るな」
「なぁに武芸部には鍛錬しながら課題をこなす秘術があるからなぁ!」
「秘術?」
「模擬戦で敗北した者は課題を執り行うのだ! 勝てば鍛錬、負ければ勉強! これぞ武芸部式夏休み仕様だ!」
面白い仕組みだ。元より入部は強制ではない為、入部している者は自然と関心と興味を持っていることになる。その向上心と嗜好心を逆手に取った武芸部の秘術では、勝者が鍛錬を続ける事が出来、敗者は悔しさを抱きながら課題に取り組まなければならないという天地の仕様。やりたい事をやりたいのならば力をつけろ、もしくは工夫して勝利を手にしろ。勝負師としての努力と根性と勘が試される一連の取り組みにルカは感心を抱く。
一方、その仕組みでいうのであれば半数にも満たないが残された者達とは。
「じゃあここにいる部員達は……」
「あぁ! 数々の模擬戦の敗北者達だ! 何度も負け、既に課題をクリアしている者達だな!」
「中々に無慈悲で顕著だな……」
勝者達は今頃課題に追われているだろう。頭を掻きながら照れる敗北者達はしかしやる気に満ち溢れ、次こそは自分も勝者側にと各々鍛錬へと戻り始めた。
「ん、でもクラウンはどう考えても勝者側だろ? 宿題は大丈夫なのか?」
ミアム・アートクラウンは数々の武芸大会の功績者だ。ミラ・アカデメイアの武芸部では運勝ちなどはあっても本格的に実力が拮抗する者は少ない筈で、ミアムが模擬戦の敗北によって課題を進められている事はないとルカは推測した。
そんなルカの問いにミアムは天を仰ぎ笑う。
「はははは! 面白い事を言うなローハート! 課題なんぞ計画的に進めるものだろう!」
「……初めてクラウンがまともに見えた瞬間だよ」
己と同じ考えを持つ者との邂逅にルカは若干の感動を覚えた。
「武芸部のやり方で進めてもいいが、我が型に嵌ると一向に進まん! 文武両道を極めてこそ一流と言うものだ! だから計画的に進め、最終日は課題を終わらせている者達への指南の日と言うことにしているのだ!」
「部長としてやることやってるんだな」
「感心している場合ではないぞ? 翌年からはローハートが我の立場なんだからな!」
「次期部長引っ張るの止めてくれないか!?」
どうにかしてルカを部長へと引き込みたいミアムは一向に引き下がりはしないようだった。
「それで昨日の手紙の件なんだけど、どうしてクラウンからアランの名前が出るんだ?」
「ふむ……何から話せばいいものか」
話の一段落にルカが本題へと踏み込んだ。
ルカと映し鏡のように腕を組むミアムの顔は神妙。普段豪快なミアムにしては言い淀む姿に、いい話ではないように感じ取れた。
「我が大会で不在中、アラン・シルスタがどうやら武芸部に入り浸っていたようだ」
「アランが武芸部に……!? 一体全体何があったんだよ?」
「許可した我も我なんだが、以前ローハートと二対一の模擬戦を行っただろう? あの頃からシルスタは時々武芸部に訪れるようになったのだ。二対一で負けたことが癇に障ったか、ローハートに負けたことが相当悔しかったか……真相はシルスタにしかわからんが、武芸に興味がないと言っていた割に勝負に固執しているように見える」
基本的にアランは隠し事が出来ないタイプだ。少々頭が足りていないことも原因の一つではあるものの、感覚や本能で動くタイプのアランは自分に素直なのだ。
そんなアランがサキノとラヴィと共に海水浴に行った時には、武芸部に通っているような事は一言も言っていなかった。雑談の中に言うタイミングなど幾らでもあっただろうに。
「決してローハートが悪いわけではないが、もしかすればあの模擬戦がシルスタの猛虎を呼び起こしたのではないかと我は踏んでいるのだ」
アランの勝負への覚醒。ダンスにしか興味のないアランが模擬戦によって覚醒したのではないかと、ミアムは憶測しているのだ。
しかし例え二対一で敗北したからとは言え、己に固執するほどアランは武芸に拘泥がある訳でもなければ、己に優劣を抱く関係性ではないとルカは捉えている。ルカからすればアランは親友の一人で、あくまで笑い合い、茶化し合う仲だと。
「……アランはダンス一筋の男だ。ダンスの着想に一風変わった事をしてみようってところじゃないのか?」
「一度二度ならばそうも受け取れよう。だが我は最初に言った筈だ。シルスタは入り浸っていると」
「…………」
「週四日を一月以上だ。それでもまだダンスの為だと言い切れるか?」
「……ダンスだけの為と言うには、流石に常軌を逸した頻度だな」
一週間の半分以上武芸部に足を運んでいると聞けば、無闇にダンスの為とは断定し辛い。寧ろいくら夏休み期間とは言え、両立していることが信じがたい頻度だ。
アランなら毎日朝から晩までダンスの為に時間を費やしていそうなものなのにと、脳が事実を否定しようとしているが上手くいかない。
「武芸で再戦するのならば一向に構わないが、今のアラン・シルスタは少々見境がないようにも見える。我が居れば見張っておくことも出来るが、明日からまた学園が始まる。ローハートも少々気を付けておいてくれ」
「あぁ、わかったよ」
腕組みを解除したミアムは最後に憂慮を綴る。
何故夏季休暇最終日に呼び出しなのと思ったが、ミアムなりの警告にルカは頭の片隅にアランの不自然さを吊り下げておいた。
「さぁ話もここまでにしよう! 折角武芸部に足を運んで貰ったのだ! 久々に模擬戦といこうではないかローハート!」
「これも予定の内なんだろ。アランの事を教えてくれた事もあるし、クラウンの親切心に応えてやるよ」
「ははははは! よくぞ言った! 日が暮れるまでやるぞ!」
「戦闘馬鹿かよ。そこまではしないわ」
嬉々として声を張り上げるミアムに部員達の肩が跳ねる。
大会終わりだというのに、大会よりも闘志に燃えるミアムとルカは稽古場の奥へと進んでいくのだった。




