229話 制約と悲願★
最後の戦が終了を迎え、サキノは次第に落ち着きを取り戻したミュウへと肩を貸す。
「みーちゃん立てる? 大丈夫?」
「うん……ありがと……」
目元は泣き腫れて赤く、鼻を啜るミュウは実に素直だった。まるで高飛車のミュウが作り物であるかのように。
(しおらしいみーちゃんも可愛い)
色欲には酔わないと言ったもののミュウの色香は顕在だ。ふとした拍子に漂う理性を刺激する芳香を懸命に振り払うも、可愛いものは可愛いとサキノのミュウへの評価は覆らない。
極論を言ってしまえば肯定されることによって失う事を恐れているのであって、身も心も女性であるミュウは「可愛い」「綺麗」と言って貰えること自体が嫌な訳ではないのだ。それを同性であるサキノはわかってあげられる。全てが全て否定して欲しい訳ではないのだと。
それは己の色欲がどれだけ憎くても、己自身を傷付けてこなかったことや隠秘してこなかったことが証明している。他者に嫌われるのならば手段などいくらでもあるのだから。
「お、こっちも終わってたか。二人共大丈夫か?」
ヴェルーガとの戦闘を終えたルカの逆行は、遂にサキノとミュウの大広間まで到達した。
そんなルカの出現に、サキノの肩からミュウの重みが消える。
「ふん……お主こそヴェルーガ・ラクサとの戦闘にえらく時間がかかっていたようじゃが?」
「ん、不毛なやり取りを何回も続けてたからなぁ……」
(あ、ルカの前では強がっていたいんだ)
腕を組み、人が変わったかのように高飛車へと逆行するのはミュウの矜持。やや挑発的な物言いに、眉を落としたルカはふいと逸らしたミュウの顔を眺めに横へと迂回する。
「……ミュウ目腫れてるけど、サキノに泣かされたか?」
「泣いておらんっ!」
「はぁっ!? ちょっとルカっ!? 私を何だと思ってるのっ!?」
「あ、いや懲らしめたとかそう言う事を言いたいんじゃなくて――」
「な、泣いておらんと言っておろうっ!?」
「なんだ、そう言う……でも乙女の涙は価値が高いのだからルカにはまだ早いのっ!」
「あれっ!? 味方が寝返った!? だから泣いてないってばぁ!?」
「あ、ごめんみーちゃん!?」
以前よりも多少距離感が近くなったかのような二人の姿にルカはくすっと微笑んだ。その面白おかしい様子に侮蔑されていると感じたミュウは頬を膨らませルカに詰め寄るも、実際涙の流し過ぎで瞼が重い事は否めない。
ふんっと顔を逸らし、今回だけは見逃してやることにした。
とは言えよくよく考えてみれば自身の滂沱の涙も、サキノの死によって流れたものだと記憶が想起し、ミュウは口をもごもごと動かす。
「あの……その、サキノ……体は――」
サキノの身体を――主に心臓部を見つめながらミュウは言葉を選びながら問う。
そんなミュウの思惑を察したサキノはぐいっと破けた心臓部を握り隠し、ニコッと笑う。
「そういえばみーちゃんの支配も解けてるね。ルカが相手の大将を倒したからかな?」
あからさまな話題転換。そのサキノの笑顔と話題の転換が意味するところは「言わないで」の一言に尽きた。余計な心配はかけたくないとサキノが言いそうな理由を瞬時に思い浮かべ、ミュウは言うべきか言わざるべきか悩んだ末。
「あ、あぁ……そうじゃな……いつ支配が溶けたのかもわからんかったが、今は操られている感覚はないの……」
サキノの願いに沿う事にした。サキノ自身に何も無いのならば憂慮に繋がる言動は避けるべきだと判断した反面、救って貰った恩人の頼みでもあり反意を貫こうなどとは微塵も思わなかったから。
そんなサキノの話の矛先にミュウは自身の体の再起を感じ取り、左手の甲へと視線を落とす。
「じゃが……従紋は消えておらん……」
そこには変わらず服従の印が記されており、胸の奥がズキっと痛んだ。
(都市外では効果は薄いとはいえ、やはりヴェルーガ・ラクサを始末せんことには消えんのか……?)
忌々しい服従の呪い。仲間達を信用していなかった訳ではないが、裏切るような選択を取ってしまい烙印してしまった過去の過ちに無性に嫌悪を抱いた。
従紋の効果を知っているサキノは胸を握り締めたまま立ちずさみ、ルカはミュウと距離を詰め手を取った。
「主様……?」
暫くルカはミュウの手を取ったまま黄眼で眺め続けた。
「……うん。これならユラユリに頼めば呪いを解くことが出来る。二人共着いてきてくれ」
無力化で支配を解除出来た事から、もしかすれば従紋も解除できるのではないかとルカは踏んだが、結果は芳しくない結果へ。牢でユラユリが言っていたように体の根本から復元する魔法ならば対処出来るだろうと、黒眼に戻ったルカは二人を誘うが。
「その必要は無いぜ兄弟」
一つの通路から身体の大きな男――男小熊猫の聞き覚えのある声が大広間へと浸透した。
「バウム! 無事だったのか!」
「ゆゆもいるゆ。ちゃーんと脚も復元したゆよ」
【シダレ騎士団】団長バウムへと投げかけた声に反応を示したのは、陰からひょこっと現れたユラユリ・エルメティカ。切断されていた脚も無事再生を果たしており、事件の中枢となっていた二人の安否にルカへ安堵が落ちる。
「二人共無事で良かった……っと再会を祝福するのは後だ。マシュロ達を回収して一刻も早くこの都市から出よう。ミュウの呪いを解除するのはその後でも大丈夫な筈――」
「ほら見つけましたぁっ! どうですネアさん! 私の嗅覚は!!」
聖拝堂の外で今も時間を稼いでくれている仲間達を救出し、ヴェルーガの支配が戻る前に歳を出ようと提案するルカの元に騒がしい足音が二つと一匹。
ユラユリ達と反対方向の通路から現れたのは外で奮闘している筈のマシュロ達だった。
「血と支配が混在する悪い匂いの中からよく見つけられたね……ちょっと引くよ……」
「ふふん。これが『愛』です! 引かれるほどの愛の極地に私は到達したのですっ!」
「この子ルカりんの事になると何言うても全部ノーダメやで」
「マシュ殿をそこまで言わせるルカ殿が凄すぎるのか……」
大広間に会する一同。
誰もが仲間の勝利を疑っていない。欠けている者も、大きく負傷した者もおらず、皆が皆胸を張る。
「ルカりんただいま。ルカりん親玉倒したんやろ? 外の兵も皆バタバタ倒れよったからもうええかなって中入って来てんけどアカンかった?」
「いや、いいタイミングだ。さあ皆都市を出よう」
ポアロの帰還の声にルカは首を振る。
そんな一団の大将の声に、一人最後の役目を思い出す。
「ならばもう天蓋は良いな。堕とすぞ」
「堕とす……?」
ミュウの一声に反応したのは隣に佇むサキノ。
しかしサキノの疑問の声は直ぐに全員が理解に至る事となる。
ズズズズ……という音が都市中を包み込み、天蓋が下に落下した。
高所から見下ろす都市には意識を取り戻した大量の兵――記憶を取り戻した一般人達がミュウの粘着糸によって拘束されていた。
「この国はきっとこれから暴動と言う形をもって全てヴェルーガ・ラクサに敵意が向く事じゃろう。じゃが彼等は支配の中にあり無力じゃ。じゃからせめて無駄な血が流れんように拘束させて貰った。いつまで保つかはわからんがな」
ミュウはこの国が堕ちることを予期していた。国が堕ちれば記憶がない間に武器として扱われていた市民達は黙っていないだろう。
だからミュウはアスモデウスの魔力を四割近く借りてでも、ヴェルーガに言われた通り天蓋を作った。国が堕ち、国民が全てを悟った際、己の粘着糸で暫時の暴動を防げるように。万が一にも市民達がヴェルーガに歯牙を向けて返り討ちに――ミュウの言う通りに血が流れないように。
「無駄な犠牲は出さぬ。それが主様――いや【零騎士団】の信条じゃろう?」
騎士団の一員として。仲間の一人として。
ミュウは左胸に宿した【零騎士団】の誓印を愛おしく撫でた。
「ありがとうミュウ」
団長の――最も信頼に足る人物の感謝と笑みに。
ミュウは常よりも色の濃い微笑を返したのだった。
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抜け落ちた天からオルパールを脱した一同はオルパールから距離を取り、紫色の魔力に包まれたミュウの解呪を見守る。
「【正しき未来図を広げ、鮮明な明日を照らせ――自傷復元】」
ユラユリの復元魔法を左手に受けるミュウは時計の恩恵を授かる。諧謔塗れのユラユリらしくのない復元魔法の行使に団長のバウムはヒュウと口を鳴らし、サキノとマシュロが心配そうに見守る中。
ミュウの左手の従紋がすぅっと色素を薄め、やがて消失した。
「消えた……っ!」
己が認めぬ刺青の如く象徴の烙印など苦痛でしかない。人を殺める気の無いミュウからすればヴェルーガを倒したところでずっとこのままだと思っていた。その永遠の服従の呪いが、完全に消滅した。
サキノの歓喜の声が上がり、ミュウの眼がじわりと水分を含む。何とか零れ落ちぬように必死に目元に力を入れていたが。
「お帰り、ミュウ」
「お帰りなさい、ミュウさん」
「ミウらんお帰り」
駄目だった。一人一人の温かい言葉がミュウの涙腺を完全に崩壊させた。
付近に居たサキノが乙女の涙を隠すようにミュウを母性で包み、ミュウはと何度も咽びながら「ただいま」と応えた。
「やっぱり仲間っていいゆな……」
寄り添い合い慰め、慰められる【零騎士団】の在り方に、ボソッと零したユラユリを上から一瞥するバウム。
「【ワルキューレ騎士団】が恋しくなったか? いいんだぜ、別に帰っても?」
入団して一年は経っていないが、足を伸ばせば帰れる距離だ。親しき友人達、仲間達が恋しく、帰りたければ帰ってもいいとバウムは気を遣ったつもりだったのだが。
「若干寂しくはあるゆけど、ゆゆはもう【シダレ騎士団】の副団長ゆ。いずれ略奪闘技で【ワルキューレ騎士団】を堕とす【シダレ騎士団】から離れる訳にはいかゆよ」
「なんつーとんでもねぇ計画立ててんだ!? 古巣を堕とすって血も涙もねぇのかお前には!? そんなことは一切考えてねぇし、それにお前は副団長ですらねぇよ!」
「またまた~、バウムの野心はゆゆが誰よりも知ってるゆ。まぁ実力としてはエムリに劣るくらいゆけどな」
「あの受付嬢か!? あの受付嬢が手練れなのか俺がしょぼいのかどっちだよ!?」
「エムリは非戦闘員ゆ」
「んな訳あるかあっ!」
「お前等本当に仲良いな」
片や仲間達と和気藹々する一方、片や二人で夫婦漫才を繰り広げるバウム達にルカのツッコミが入る。「別に仲いい訳じゃねぇ」と少々照れ気味のバウムにユラユリが白い歯を見せながらくすくすと笑い、それがまたバウムの怒りを買う。
そんな二人の元へ涙を拭いたミュウは近寄り、ルカの隣に立ち深々と頭を下げた。
「ユラユリ・エルメティカ本当にありがとう。恩に着る」
「元はゆゆ達が蒔いた種ゆから気にすんなゆ。本当は法外な値段請求したいところゆけど、流石に助けに来てもらいながらせびる事は出来んゆからノーカンにしとくゆ」
「お前本当に余計な本音隠さねぇな……」
ミュウの謝罪にユラユリは袖を振りながら否定を呈し、バウムの的確な辟易が場内に伝播した。
「純朴と言って欲しいゆな。あ、ルカの治療代はしっかり貰うゆから」
「俺のは取るのかよ!?」
「嘘ゆ」
「……バウム、よくこいつとやって行けてるな」
「だろ? 同情してくれ……」
掌でくるくる踊らされるルカはユラユリを半眼で眺め、バウムとひそひそと会話を交わす。
男二人が幼女に弄ばれる様子に、場へと笑いが運ばれた。
一頻り和やかな雰囲気が流れ、敵地の付近で長居するのも無用だとルカは手を叩く。
「それじゃ、リフリアに帰るんだけど……ミュウが【零騎士団】を離れられないように一つ提案がある」
「もう妾にそんなつもりはない……が、一度は裏切った身じゃ。信頼を得る為ならばどんな制約でも受けよう……」
成り行き上仕方が無かったとはいえ、ミュウは【零騎士団】と敵対したことに負い目を感じている。
そしてそんな仲間達と心から繋がりたいという本心も。その仲間達に【信頼】されるためならばどんな罰則でも受ける、ミュウにはその覚悟があった。
やや悚然と強張った表情をするミュウに、頷いたルカは容赦のない拷問を告げる。
「よし、それじゃあ――ネアに乗ってくれ」
「……は?」
一同に、そしてエンネィアにも大量のハテナが沸き立つ。
そのルカの思惑を一早く察知したのは副団長に昇格したサキノだった。
「あぁ、そう言う事。それはとっても効果的ね」
柔らかい笑みを浮かべながらミュウの腕を引き、エンネィアへと誘導する。「お、おいっ!? どういう事じゃ!?」と困惑に濡れるミュウを無視して、ミュウの手をエンネィアの背へと置いた。
「これがどうして――おぅふ」
「乙女にあるまじき声出てもうたな」
「う、う、うるさ……何この毛触りぃ!? もっふもふ! ふっわふわぁ! うわぁっ!!」
「なるほどね。流石主殿だ」
一瞬で弛緩した表情と口から漏れたポアロの指摘に、しかしミュウはどうでも良いとでも言うかのようにエンネィアへとダイブする。
抱き着くように背中に乗ったミュウを受け止めたエンネィアを含め、ようやく【零騎士団】全員が納得に至る。
「素直じゃないミュウさんだけネアさんに触れてませんでしたもんね。ですがどうするんですか、ルカさん。ミュウさん壊れちゃいましたよ。ふふっ」
エンネィアの加入に際し誰もが毛触りを堪能したが、唯一ミュウだけエンネィアを触る事をしなかった。それはミュウの天邪鬼性が由来しており、常に高飛車を気取るミュウが他者の前で自分を曝け出すわけにはいかなかったからだ。
とは言えミュウも女の子。もふもふ感が好きであれば、愛くるしいものも好きである。
だからミュウにエンネィアを触れさせた。遠慮などしなくていい、繕わなくていいと。
「ネアの願望も叶えてあげたい。暫くミュウを乗せてあげてくれるか?」
「拙の願いも覚えててくれたなんて……願ったり叶ったりだよ、ありがとう主殿」
『人を背に乗せて走りたい』
人と繋がる事を心から願うエンネィアのこれまで叶わなかった願望。異端として同類からも人間からも弾かれてきたエンネィアの切なる願い。
ルカは忘れない。他者の願いを。悲願の達成を。
「さぁ、帰ろう。リフリアに」
「行くよ、ミュウ殿!」
「うわぁぁぁーーーっ! あはははははっ!!」
ミュウを乗せたエンネィアが走り出し、ミュウの心からの笑い声がいつまでも続いていくのだった。




