227話 裸の王様
雨が降ろうが槍が降ろうが、依然変わらず聖拝堂は業火を灯し続けている。
その眼前、階段上方では。
「はっ、はっ!? 不味いです……っ! このままじゃ突破されますっ!?」
「ふぅっ、ふっ……!? 流石に数が多過ぎるか……っ」
防衛戦線が徐々に下げられ、踊り場を突破され、現在背後十メートルに聖拝堂を置く位置にまで二人は後退していた。
全身びしょ濡れのマシュロが急所を狙った一撃必殺を斬り結んでいるものの、数はやはり大きな力だ。万を超す兵が相手ではマシュロの一撃必殺など塵芥にしかならない。気絶した百数名の兵が路端に転がり、支配されている者達はその体を乗り越えていく。
回復薬は尽き、体力にも限界が来ているマシュロとエンネィアは非常に苦しい戦いを続けていた。
「……やっぱりマシュ殿だけでも――」
「まだそんなこと言ってるんですか! はぁっ、はっ、きつい状況だからって私が逃げると思ってるのならその評価は間違いです! 今すぐ正して下さいッ!」
「ご、ごめん……っ!」
何としてでもマシュロを逃がしたいエンネィアと、ルカが認めた仲間を見捨てないマシュロの押し問答は主従関係もあり一瞬で片が付いた。
矜持か虚勢かは分からなかったがそれでもマシュロは限界に近い。ただの攻撃に脚を縺れさせながら回避や防御を行う状態でありながらも一人逃げ出そうとしない少女に、エンネィアは途轍もなく強い意志を感じた。
とはいえ眼下には数万もの兵がすし詰め状態で二人を狙い聖拝堂へと押しかけている。終わりが見えず回復薬も尽きた以上、詰将棋の如く徐々に詰まされて行くことも想定の範囲内へと思考が突入してしまう。
ただの防衛では埒が明かないこの状況に二人も最善策を探すが、聖焔に怯まない兵が相手ではそう簡単には見つからない。
「よー踏ん張ったなぁ。下がりや」
眼前の兵達を鎮めるほどの一際強烈な雨が降り注いだ。
階段を踏み外し、まるでドミノ倒しのように崩壊していく攻勢一辺倒の陣形にエンネィアは瞠目する。
「……本当にいいタイミングで来てくれますね。ポアロさん」
「せやろ? ダークヒーローは陰からタイミング見計らっとるもんや」
「見計らないで下さい! 五万近くの兵を相手にするなんていつ――」
重力。操られた兵達にも通用すると確信を得たポアロは二人の助太刀に赴いた。
膝に両手を付き息を切らすマシュロへと歩み寄り、普段通りの諧謔を挟むも。
その姿は焔に包まれている。
「ちょっ!? ポアロさん燃えてますよっ! ネアさん消火をっ!?」
「わーっ!? 引火してるのに堂々と出てくるなんて狂ってるのかい!?」
「だってネアりんの意思意外じゃ消えへんねやろ? 熱くもないし見栄えええかなって。燃えよ若人! みたいなな!」
「本当に燃えてどうするんですかっ!? 見てるこっちが不安になりますよっ!!」
「心配してくれんのかマシロん。ほんまええ子やなぁ、飴ちゃんいるか?」
「だから近所のお婆ちゃんみたいな手懐け方しないで下さいっ! 全部終わったら貰いますがっ!」
「貰うんだ……いやでも重力とは恐れ入ったよ。これで暫くは難を凌げそうだ」
まるでスーパーサイヤ人のように燃え盛っていたポアロを鎮火させたエンネィアは平然と出て来たポアロを非難するが、一手で形勢逆転かつ拘束させた重力の偉大さに感嘆した。
彼等の元に到達するには階段の一箇所を昇るしかない以上、重力で上部を封鎖してしまえば兵達は昇って来られない。内部に侵入したポアロの生還に終わりの時が近いのだろうとマシュロは僅かな安堵を心に抱き――感じたことの無い異臭を勢いの増す雨の間隙に嗅ぎ取った。
それは清廉な花が血に塗れ腐食していくかのような。言葉に出来ないような胸騒ぎをマシュロは覚え、燃え盛る聖拝堂を見上げた。
「……サキノさん?」
± ± ± ± ± ± ± ± ± ± ± ± ±
大将同士の根比べが聖拝堂最奥で繰り広げられていた。
ヴェルーガが支配で一体の兵を操れば、ルカの無力化全域で兵達の支配を解除する。
互いの魔力が尽きるまで、互いの根気が尽きるまで。
かれこれ同じやり取りをすること十数分。勝機はベルフェゴールの膨大な魔力を借り受けるヴェルーガにあった筈だ。しかしルカは一向に退くことも知らなければ、魔力が尽きる事もない。
「いつまで反復するんだこのやり取り。いい加減諦めたらどうだ?」
(どういうことだ……? 俺に匹敵するほどあいつにそんな莫大な魔力があるとは思えねー……あいつも無力化には膨大な魔力を使うって言ってたがあいつの自信は何だ……?)
ルカの言葉は無視するものの、ヴェルーガには焦燥が募り始めていた。
確かに悪魔の魔力量は膨大だ。それこそ一国を覆い尽くすほどの支配が出来るほどには。
そんな魔力が底を見せ始めている。ルカに対抗が出来るほどの魔力の器はない筈なのに。
(このままじゃ本当に俺の方が先に――)
あり得ない。悪魔の魔力が先に尽きるなんて何があってもあり得ない。仕組みのわからないルカの無限の魔力にヴェルーガは歯噛みしながらルカを睨み付け、再び兵の支配を敢行する。
しかし変わらずトンッと足踏みをしたルカにまたもや支配を強制キャンセルさせられる。
腕を組んだまま右眼を閉じ、反復行動に完全に飽きた面を引き連れた余裕の表情のルカに苛立ちが沸く。
「――――は」
しかしその時ヴェルーガは見た。
ルカの瞳が黄色から蒼色へと移行した瞬間を。
常人の瞳の色など通常変化はしない。可能性として考えられるのは能力の変化による変容。
「お前っ、まさか魔力を吸って……っ!?」
「ようやく気付いたか? 自分が完全優位だと信じ込み、相手を見ようとしないお前の悪い癖だ」
蒼眼。効力は『充填』。
ルカの蒼眼は基本的に己の魔力をチャージし、攻撃力に転換するものだ。単一の制限があることから仲間の攻撃の強化にしか使用できないが、そのチャージ性能はマシュロの砲撃がドラゴンに通用するほどの威力上昇を秘めていた。
しかし充填の能力はそれだけでは留まらず、ある特定条件下では周囲の魔力を吸収貯蓄することが可能なのだ。
それが魔力が充満する魔力空間。対リキッドドラゴン時は周囲に暴風――サキノの『天神嵐漫』が席巻していた。その魔力を吸い上げマシュロの攻撃力に転換した為、己の魔力へ転換貯蓄することは無かったが、事実魔力が蔓延る空間さえあればルカは魔力の無限回復が可能なのだ。
ただしヒンドス樹道高層のように魔力密度があまりにも高過ぎて『毒性』を持ってしまっている空間は、ルカ自身が持つ魔力濃度が順応しないことには吸収する事が出来ないが。
「この都市にはどうにも穢れた魔力が充満してるようだからな。この程度の魔力密度なら俺が吸って利用してやるよ」
現在オルパールには一国を包み込む『支配』の魔力が充満している。市民をいつでも操ることが出来るような、汚く、臭い魔力が。
ルカはその魔力の外包に気が付いていた。だから無力化の全域を躊躇なく発動することが出来たのだ。
とどの帰結として。
「お前が支配を続ける限り、俺の魔力が先に尽きる事なんてあり得ない」
魔力を巡らせている限り、魔力を張り巡らせ続ける限り、後手を踏んでいるルカの魔力が先に尽きる事などあり得ないのだ。
「この野郎……ッ!」
己の操身が通用しなかった相手が居なかった事など無かった。己の支配が通用しない事など無かった。
己が主軸。己の支配力が絶対な力だとし、己が傷付けば世界の救済はあり得ないと確信を得ていた。だから自身が前線に赴くときは国外で国を堕とす時やよっぽどの案件がある時に絞り、極力替えの利く一般人に戦えるだけの力を分け与え迎撃を行わせていた。自身が動くときは疲弊させた最後の詰めに限ると。
その尽くの支配を跳ね除けるルカにヴェルーガは切れかけ――すっと頭の血筋を落ち着かせた。
「ふー……しょうがねーな。めんどくせーが、お前だけは俺が潰さねーといけねーらしい。だが俺が他者しか操れねーと思ってるならそれは俺の事を甘く見過ぎだ」
「つまり?」
「よく脳がリミッターによって動きに制限をかけてるって言うだろ? 一般人が戦えるようになってるのはそのリミッターを少し弄ってるからなんだよ。そのリミッターを俺自身が外せば、今まで以上の強化が俺には可能だって話だ。少々無理はたかっちまうが、お前を殺せるのなら暫くの療養くらい許容範囲だ」
ヴェルーガは頭を指差し魔力を流し込む。怪物のように筋肉が隆起し、肉達磨のように身体が馬鹿でかくなるなんてことはないみたいだが、眼は充血し、息は荒れ気味に。相当の負荷を体に敷いているように見えた。
「それだけか?」
「なーに、威勢が良い内に訳も分からず殺してやるよッッ!!」
ヴェルーガは転瞬ルカの横へ移動し、腰のナイフを引き絞り首を狙い突っかかった。
「死――」
衝突。ルカの旋風脚とヴェルーガの左腕が。
「――――あ?」
渾身の蹴りを貰い受けたヴェルーガは腕から不快な音を奏でながら吹き飛び、再び参列椅子に突っ込んだ。
「それだけかって聞いてるんだが?」
「は……え?」
ルカの瞳は翠眼を灯している。未来予知の視野広角ではなく。未来を読んだ素振りも無く。
身体強化を施した己が吹き飛ばされている意味が分からないヴェルーガは困惑に沈められた。
「リミッターを外して自分を強化出来るとかどうとか言ってたけどそれが限界か? それが限界なら大人しくミュウを返せ」
「何で見えてんだお前はよぉッッッ!!」
ヴェルーガが再びルカへと突っ込む。
(どうせまぐれが続いただけだろ!? 一撃で首を跳ね飛ばしてやるッ!!)
撹乱させるために縦横無尽に、不規則に駆け回る。未だに己が完全に正しいと錯誤しているヴェルーガはまぐれが続いただけだとルカの実力を認めず、背後を取り渾身の助走を味方につけ斬りかかった。
しかし。
「遅い」
ルカは身を沈み込ませ、揚々とナイフを躱した。
その明確なまでの見切りに、ヴェルーガはようやく己が格下なのだと理解に至り目を見張る。
「お前より強烈な打撃を放つ相手と戦ったことがある」
その名はラウニー・エレオス。
体術では右に出る者はいないルカの宿敵の比ではない。
ルカは反転しボディーブローを叩き込む。
「ぐふっ!? ぅ……!?」
「お前より速い無敵の相手と戦ったことがある」
その名はレラ・アルフレイン。
どこからでも攻撃を繰り出してくる柔軟さと、転換によって速度を何重にも身に宿したレラの速度にはまるで及ばない。未来を見るまでもない。
微かに開いた距離を一瞬で詰め、回転蹴り体勢を崩す。
「てめっ!? 調子に――」
「お前より人との繋がりに焦がれる孤独の女の子と戦ったことがある」
その名は――ミュウ・クリスタリア。
必死に暗闇の世界を手探りで掻き分け、探し続けた自分の居場所と世界に必ずある筈の光を失わせはしない。
白黒の散弾電磁銃を創造し、遮二無二に斬りかかるヴェルーガへと斉射した。
「がっっっ!?」
直撃。
ヴェルーガは吹き飛び、地面を盛大に擦過し、ルカは足元に転がっている兵達が持っていた長剣を手にした。
「いくら人を操れようが、何万の心を支配しようが、自分ですら操るという認識のお前はどの相手よりも弱い」
「ゼッ、ゼェ……アアアアア!! ぶっ殺すッッ!!」
ヴェルーガの怒気解放に伴い、ルカの五感が封印された。視覚も、聴覚も、触覚も、何もかもが消え失せる。
そんな孤独で真暗な世界は黄眼により一瞬で晴れ渡り、ヴェルーガの迂回を視界の端が捕らえた。
「臆病なお前は絶対に迂回する。一辺倒な悪い癖その二だぞ」
背後から急接近したヴェルーガのナイフを体勢すら整えぬままに、逆手に持った長剣で防ぎ切る。
「ぐ……!?」
防がれた刃撃に、拳砲を背部に繰り出そうとしたその時。
ヴェルーガはルカの左手に逆手に持たれた拳銃――白色の銃を見た。
(こいつ全然隙を見せね――)
ソアラから学んだ隙を作り誘い込む戦術。
一瞬の創造と多岐に渡るルカの武器の扱いが無し得た無類の反撃。
親指がトリガーを引く。二度目の散弾銃を貰い受けたヴェルーガは何度目とも知れない擦過によって吹き飛び、盛大に両手を衝く。
しかしまだ終わっていない。
飛びそうな意識を唇を噛み切ってヴェルーガはルカを睨む。
その先には漆黒の長銃を構え、既に発射準備を整えたルカの姿が。
終わる。この攻撃を喰らえば確実に己の意識が飛ぶと確信したヴェルーガは。
「っっ! ベルフェゴォォォル!! 俺を護れぇぇぇッッッ!!」
回避でも悪足掻きでもなく、救済の声を上げた。
そんな惨めな声に反応するものはなく。
「最後の最後まで誰かを求めるなんてとことん哀れだな。堕ちろ」
蒼電豪射。
特大の電磁砲がヴェルーガを呑み込み、壁に衝突し、聖拝堂に風穴を開けた。
それは一つの戦闘の終わりを意味し、マシュロ達の意識を吸い上げ、そして兵達の支配を消失させた。
国中の市民達が倒れ込む様子を見る事も無く、ルカは灼け堕ちたヴェルーガ――一国の統治者を見下ろす。
「人に寄り添おうともせず、危険の及ばない檻の中で操ってる分際で偉くなったと思ってるお前は所詮裸の王様だよ。いや、王にもなれない裸の開祖様か」
檻。それはオルパール。支配が充満したオルパールでしか効果を発揮できない哀れな開祖の成れの果て。
耳に届かないであろう侮蔑の言葉を投げかけ、ルカは皆を取り戻しにいく為に通路の逆走を始めたのだった。




