216話 君の正義を信じて
「そんな事が……みーちゃんは利用されてるから大丈夫だとしても、ルカは大丈夫なの……?」
薬舗『タルタロス』。ハローから粘着の一手で聞き出した情報を、都市へと舞い戻ったポアロからサキノとマシュロは聞いた。ミュウの引き入れや亜人族の滅亡を企んでいると知り、それでも彼女等の心に焦燥が逸るのはルカの命。
「誓印が生きてます。団長が亡くなれば誓印も消滅するので、身柄はどうであれ命あることは間違いないでしょう。オルパール許すまじです……っ!」
マシュロのルカ生存の声に、ゼノンクゥラを含めた一同が己の誓印を視界に入れる。首元に記されているポアロは己で判断が付かない事から、九尾狐エンネィアに「僕の誓印ちゃんとあるよなぁ!?」と不安になりながら確認していたが。
「それにしてもポアロさんよくこれだけの情報聞き出して帰って来れたな……」
「なははは! せやろ? 僕やれば出来る子やねん! ちょっと株上がったやろ?」
「ポアロさんが最期とか言うから変に勘繰ってしまったじゃないですかっ! 返してください私の純情を!」
ゼノンの感心をポアロは謙遜無しに胸を張る。
そんな身を挺して殿を申し出たポアロに、最悪の想像を働かせてしまったマシュロは羞恥を隠すために傘で脚を殴打する。
「なはははははは! 心配せんでもマシロんが立派になるまで僕は死なん!」
「は? 今の私は立派ではないと? つまり私の成長はポアロさんの命と同義だと?」
「ちょ、強い強いっ!? 悪かったって! 変にカッコつけてもただけや! 今のマシロんも充分立派や!」
「あの、本題に入ってもいいかな?」
「「はい、すみません」」
お決まりの漫才を展開しだした二人を放っておくといつまでも続けそうで、仲間達の身柄が拘束されている現状サキノに余裕はない。少々圧のあるサキノの声に二人は真っ先に謝罪を呈し、エンネィアは裏の支配者の姿にゾッと尻尾を縮こまらせた。
「今すぐ二人を助けに行きたいけれど、ポアロの話と私達が実際に経験した限りじゃ、オルパールの兵は全国民――五万人ということになる。略奪闘技のようにみーちゃんの拘束糸も使えないし、数の桁が違い過ぎる以上、私達三人で突っ込むには聊か無謀が過ぎる……」
「アポロさん――マートンさんの重力で縛り付ける事は出来ないんですか?」
「出来んこともないけど、全域はおろかオルパールやと十分の一も怪しいなぁ。そもそも僕の重力っちゅーのは、範囲が狭いほど抑圧力は強なるんや。広域に展開してしまえば相手も何やかんや動けるし僕の魔力も消費半端ないし、何がしたいんかわからんなってまう」
ミュウの粘着糸が手練れである【クロユリ騎士団】の拘束に成功したのは【軍姫】の統率力があり、精々三十にも満たない人数だったからだ。
しかしオルパールの兵は五万。一度捕えれば逃げ出す事も困難となるミュウの粘着糸はおろか、ポアロの重力は魔力の有無で行動制限が解除されてしまう。条件さえ該当してしまえば強制執行力は脅威のものだが、その強制執行力も重力場の範囲によって効果は変動する。
とても五万の兵を一箇所に集められる訳も無く、拘束し続けるには現実的では無い。
サキノもマシュロも個々を撃破するには十分な力を秘めているものの、集団を相手にするには流石に体力と魔力が持たない。
数は力。新設騎士団とはいえ、少数である事実に一同が歯を噛んだ。
「……増援を頼もう」
【零騎士団】だけで対処出来ないのならば力を借りようと。
団員数も、圧倒的殲滅力もを携えた戦友達に声を掛けようと。
旧騎士団の存在を頭に思い浮かべ、サキノはポアロとマシュロを引き連れて【クロユリ騎士団】へと向かった。
しかし。
「すまない」
「ソアラさん……」
来客用の会議室に通された一同を出迎えた団長ソアラの拒否の声が壁に吸い込まれた。
「サキノ、お前の頼みだ。同盟の締結もした。聞いてやりたいのは山々だが、こればかりは私の一存ではどうにもならん。話を聞く限り相手は都市そのもの。酷な事を言うが【零騎士団】と言う一騎士団の団員を救うためだけに、都市を相手に戦争の火種を撒いてはならんのだ」
当然だ。オルパールという国がヴェルーガの意思一つで操られている以上、相手となるのは一国ということになる。これは騎士団間の問題でもなく、人対人の問題でもないのだ。
オルパール対【零騎士団】。それもリフリアという人質を取られた上での強硬策。
卑劣極まりないと言われればその通りだが、【零騎士団】が問題を起こそうものならば都市問題に発展する訳だ。
つまりリフリアの受付役である【クロユリ騎士団】は当然受け入れられる筈がない。
市民を護る役目を担う【クロユリ騎士団】が戦争の火種を撒くなどありえない。彼女等には護るべき優先順位があるのだから。
「戦争は必ず禍根を残す。私達が総力を挙げて攻め込めば、必ずオルパールはリフリアに報復を目論む。それこそ国対国の全面戦争をな。一度戦いを吹っかけてしまえば、一人残らず始末する以外に手はないが、お前達にその覚悟はあるか?」
全殺。老若男女問わず。生まれたての赤子も、身寄りのない子供も、既に戦線に立つには歳を重ね過ぎた老人も全て。
出来る訳がない。彼女達にルカとミュウを救うためだけに無差別殺人など出来る訳がない。
先に手を出して来たのはオルパールの筈なのに。
至極厄介な相手に狙われたものだと、彼女等を苛む僻事が嘲笑っているかのようだった。
「オルパールに危険性があれば自ずと都市から命令が下る。その時は私達も全力で加勢するが都市の判決が下るまで突入など以ての外だ。決して早まるなよ」
有力な助勢を得られぬまま対談は終わった。
夕陽反射する街路を収穫も無く無言で歩き、三名は『タルタロス』へと再度帰還した。
(ひょっとしたらまたレラだけでもって思ったけれど、都市を管理する身からすれば戦争なんて絶対に引き起こしたくないに決まっている……私達ですら躊躇ってしまうんだし当然よね……)
「サキるん頼みの綱でもアカンか。どないしよか」
「駄目元で【夜光騎士団】にも頼んでみましょうか……?」
「同盟組んだ【クロユリ騎士団】がアカン言うてるんやし、【夜光騎士団】はもっとアカンやろ……」
「悪ぃ……俺達にも戦う力があれば……」
「そんなゼノンが謝る事じゃないわよ! 誰が悪い訳でも……」
「……お父様に直接頼んでくる? 私達の言葉ならもしかしたら聞いてくれるかも……」
「いや、それこそ姉ちゃんが聞いてきた話のように、【零騎士団】と都市を天秤にかけた時、重みは都市に向くに決まってる……言っちゃあ悪いが戦士なんて都市からすりゃ駒の一つに過ぎねぇ。送り出す事はあっても自ら救うことなんてありえねぇ」
「一体どうしたら……」
ポアロ、マシュロ、ゼノン、クゥラであれよこれよと案を出すものの、ソアラが告げたように都市という大きな枠組みがある為現実的な案は出てこない。
王族の子息であるゼノンとクゥラも最大限力になろうと王ウェルザスへの直談判を提案するも、実の子供の頼みとあって都市は動かないだろうとゼノンは切り捨てる。
マシュロの困惑に満ちた声は、ヒンドス樹道のように無謀な救出劇を望んでいない。
「…………」
仲間達が策の斟酌を行い無為に時間だけが過ぎていく中、唯一口を挟まず懊悩に浸っていたサキノは依頼に発つ前のルカの言葉を思い返していた。
サキノがオルパールで真っ先に逃走に踏み切ることが出来たのは、偏にルカへの理解度が高い事が挙げられる。そしてそのサキノの理解度をルカも把握しているからこそ、オルパールに旅立つ前にサキノへ『零騎士団として』二つの方針を告げていた。
一つ、禁足地ヒンドス樹道でそうであったように、分断された非常事態の対処法。分断されない事が何よりもの最善なのだが、判断すらも焦眉に駆られる緊急時や二手に分かれなければならない場合というのは騎士団として活動する以上往々にしてあることだろう。
そんな時は必ず『団長と副団長』が分かれて行動する事。つまりサキノが守るべき優先順位を団長から団員へと移行した。ルカは自ら優先順位を下げたのだ。
その規律化はサキノに承諾を躊躇わせた。ようやく己の気持ちに気が付き始めたサキノにとって、ルカとはかけがえのない唯一の存在。団員達に優先順位を付けるなど以ての外だが、極地――それこそ誰か一人の手しか取れない究極の極地であればルカを優先してしまうだろう。
それをルカは断った。己を助けるくらいならば他の人を助けてやってくれと。
だからサキノは承諾したくなかった。
しかしサキノは呑まざるを得なかった。
二つ目のルカの条件を聞いて。
「マシュロさん、ポアロ、オルパールに向かう準備をして」
サキノは戦闘要員二人に出立の準備を命じた。
「いいんですか……? フリティルスさんにも言われましたが戦争を引き起こす事になるかもしれないんですよ……?」
「それでも私は行くよ。大切な仲間を取り返す為なら、罰も受け入れるし償いもする。それが私の正義だから」
ルカがサキノに言い渡した一つ目の方針の真意が『司令塔の分断』であれば、二つ目の目的は司令塔の『信託』だ。
『どうしても判断に迷う時は、サキノ、自分の正義に従ってくれればそれでいい。俺は何があってもサキノの判断を支持する』
指揮の主導権を託すというルカの言葉にサキノは酷く驚愕した。それはサキノの正義に伴ってどんな判断を下そうとも許容するという意味なのだから。
サキノが間違った正義を持っていればそれだけで多くの人が犠牲になる。仲間達が危険に晒される。
けれどルカはそんなサキノを支持すると。
それは言い換えれば最大の信頼。方針を定め、優先事項を決めるのではなく、サキノの一存で最優先を決定するという信託。
それが可能な理由はルカの橙黄眼によりサキノの視界を見る事が出来、近習探知によって位置を探ることが出来るからだ。つまりサキノの決定を追うことが出来る、ルカならではの能力があるからこそ。
『サキノの背中を追う』
ルカが最も得意としてきた生き方。
だからルカはサキノが最も効率的で、最善の手を打ってくれると信じている。
人柱のような正義の錯誤は、もう彼女には必要ない。
「皆殺しも厭わんっちゅーことか……?」
「勘違いしないで。人は一人として殺さない。目的はルカとみーちゃんの奪還を最優先に」
「相手は五万の兵やで!? 僕等の能力だけで食い止められる訳が――」
「ええ、だから連れて行くよ。集団戦に長けた私達の新しい仲間を――」
だからサキノは迷わない。
自分の正義を疑わない。
「――エンネィア、行くよ」
無闇な武力行使を禁止されたエンネィアを連れて行くことを。
そのサキノの通達に、カウンターの上で座っていた九尾狐は目を丸くし。
「御心のままに」
そして笑った。




