213話 再会、そして……
【零騎士団】の仲間達が各々に情報を仕入れる中、此度の騒動の『主賓』は。
「視野阻害も解除し、拘束具も無し。一体どういう了見じゃ?」
ただただ広い聖堂――教拝堂へと連れられていた。
しなやかで艶やかなミュウの身体は自由。当初から付いている両手の桎梏や首輪はあれど、対面に佇立するヴェルーガに羈束されているわけではない。
周囲に兵達は一人としておらず、礼拝者が参列する椅子も全てが空白。二人を見守る観客は陽光によって天から差し込む色鮮やかな光と、奥に鎮座する女神の像のみ。
「そんな警戒するなよ。手荒な真似をした事は悪かったが、見ての通り解放してやったろ? 本日のゲストには落ち着いて理性的に話をしてもらたいだけだ」
諸手を広げ「寛げよ」と表現する男にミュウの眉根が寄る。
「ゲスト……? 妾がお主を縛り付け逃げ出すとは考えんのか?」
「二度、俺はお前に視覚遮断を使用した。だけどその二回ともお前は解除する術を持たなかった。それじゃあ根拠としては弱いか?」
「チッ……」
人族であるミュウは亜人族のように聴覚や嗅覚が特別優れているわけではない。ラグロックの奇襲でシュリアが咄嗟の視覚遮断に対応出来たように訓練を受けている訳でもなければ、無視覚での戦闘を想定した事もない。
本来視覚を最も頼りにする人間としては、視覚遮断と言う圧倒的劣勢が控えているともなれば躊躇もするだろう。例えミュウがヴェルーガを拘束し逃げ出したとしても視覚を頼りに出来ない以上、兵達に捕らわれるのは時間の問題だ。
抵抗するだけ無駄。迂遠な無力警告にミュウは舌を打った。
「で、話とはなんじゃ。【零騎士団】の単なる一員である妾に何を求めると言うのじゃ?」
「【零騎士団】のミュウ・クリスタリアと話がしてーわけじゃねー。俺はミュウ・クリスタリア本人――色欲に魅入られたミュウ・クリスタリアとの話が目的だ」
色欲という単語にミュウの眉がピクリと反応を示す。隠してきたわけでもないが、魔界でミュウが『色欲』の使いだという事実を既知なのは極々少数だ。
つまりヴェルーガは己の事を調べ尽くしている。ミュウは薄気味悪さと用意周到さを同時に感じ取り体を掻き抱くように腕を組んだ。
「妾が色欲に魅入られたとどこで知った?」
「ラナという女を知ってるだろ? そいつから聞いた」
「チッ……あの女狐が……」
ラナ。夜光修練場でラウニー・エレオスを救うために現れ、又ルカとラウニーの再戦の邪魔をさせないためにサキノとマシュロを引き受けた謎の多い女。
実はミュウとラナは面識がある。時折魔界に訪れ魔力の回復や気分転換を行っていたミュウに協力関係の打診を持ちかけたことが発端である。当時のミュウは人間全てに失望し、世界の滅亡を企んでいたことから、ラナの打診を根から否定することは無かった。しかし途方もない計画と労力に、ミュウは自身の方法で世界を破滅に追いやると互いの道は分かたれることとなった。
それから何度か積極はあったがミュウの答えは変わらず。最終面識はおよそ一年程前になるが、ミュウが色欲の悪魔を飼っているという事実は確かな情報で、ヴェルーガの情報が正しいものだと再び舌打ちを放った。
「単刀直入に言う。ミュウ・クリスタリア、俺と手を組め。お前は都市を――そして世界を統べる女王となれ」
「女王じゃと? はっ、くだらん。あやつから話を聞いていないか? 妾はあやつと方向性が異なる事から手を引いたんじゃ。今更あやつの入れ知恵を利用して妾を引き入れようなんぞ、浅はかにも程があるわ」
「別にラナの入れ知恵じゃねーよ。それにお前がラナとは別の方法で世界を滅ぼそうとしてることも知ってる。だが世界を滅ぼすよりも簡単に『お前が望む世界』に変えられるとしたら? 世界に幻滅したお前が、嫌悪の無い理想的な世界の中で生きていけるとしたら、そんな誘いに興味が湧かないか?」
世界を滅ぼすという荒唐無稽な思惑をヴェルーガは笑いもしない。そしてそんな珍事を実行するよりも、世界を己等の望む世界に変容させるという新たな提案にミュウの心は少しだけ――ほんの少しだけ動かされる。
「……要領を得んな。妾が世を壊そうとしておることは認めよう。じゃがそんな妾の策をもお主の策は凌駕すると言うのか?」
それは切望。自身が人間に失望し、長年――それこそ物心がついてから今まで抱き続けて来た切望に、ミュウの好奇心が煽られる。煽られてしまう。
今となっては薄れかけの世界滅亡計画に胸がチクリと痛んだが、ミュウは気付かない振りをした。
「あぁ。世界乖離の事象『異世界共生譚』によって、人族に責任を擦り付けた亜人族が占めるこの世界で、人族は肩身の狭い思いをしてる。そんな人族を俺達が救うんだよ。亜人族の滅亡という形をもってな」
「亜人族の滅亡? この世界に亜人族がどれだけおると思っておる。所詮戯言じゃ」
「それがそーとも限らねーんだ。ハローの呪術、そして俺の『操身』がありゃそんなに難しい話じゃねー。事実その証明に俺達は三つの都市を滅ぼして来た。そしてその三つの都市の人族は今やオルパールの住人、つまり俺の手足なんだよ」
ヴェルーガは自身の能力を明かすが、その声に躊躇いはない。その真意はミュウを仲間へと引き入れるための必要な情報公開だ。能力や目論見を隠秘したままでは説得力に欠けてしまう事をヴェルーガは危惧していた。
それほどまでにミュウ・クリスタリアという人物は彼等にとって必要な人材なのだ。
「操身のう……視覚遮断も全ての市民を操る能力も全てお主の力か?」
「視覚だけでは収まらねーぜ? 俺の能力は人間の五感の支配。ハローの呪術で戦意を奪い、俺の操身で五感を操作し、兵を操って無力な亜人族を始末していく。俺とハローの能力を受けたお前なら亜人族達の無力さが理解出来るだろ?」
「…………」
肯定の言葉はミュウの口から出ることは無かった。しかし紛れもない事実だ。ハローの戦意消失もヴェルーガの視覚遮断も、一瞬の隙の有無で明暗が分かれてしまう戦闘において致命的。それこそルカのように無力化する術が無い事には太刀打ちできない事もミュウは理解している。
理解しているからこそ返事が出来なかった。認めてしまえば、彼等の策が秀逸だと認めてしまう事になり兼ねないから。
そんなミュウの不服の表情に、ヴェルーガは更に策の外堀を埋めに行く。
「そしてオルパール全域には俺の『支配』の力が充溢してる。従紋さえ烙印すりゃ俺の支配の力によって一般人もそれなりの戦力を得る。つまりこの国の老若男女全てが兵として俺の手足って訳だ」
ヴェルーガは手の甲に記されている歪な紋様を見せつける。
それはリフリアの騎士団の誓印のようで。かつてのリフリアの誓印は呪いと称され、都市外で亜人族の魔力が尽きると死に至るとされていた。実際リフリアの誓印は亜人族達を護る為の虚偽でデメリットなど一つもなく、家族や仲間の証としての印というのが事実だった。
しかし都市オルパールの従紋は違う。明確なまでの服従。明確なまでの自由の破棄。明確なまでのデメリットを強いている。
その頂点に君臨しているのが開祖であるヴェルーガであり、人族は全てヴェルーガの操り人形だと豪語しているのだ。
賛同者を味方へ引き入れていけば、それだけで数が織りなす軍隊が出来上がる。一般人すらも戦力に組み込んでしまう支配の力、戦闘すら許容しないハローの戦意消失があれば、亜人族の滅亡を目論む策として説得力は申し分ないような感覚がミュウに宿る。
だがハローとヴェルーガだけで完遂する筈の策に、ミュウを必要とする理由が明かされていない。
そんなミュウの疑問を察知したかのように、一息ついたヴェルーガはコツコツと巨大な窓へと歩みを寄せていく。
「ただ問題が一つあってな。支配の力が充溢してるオルパール内部でこそ俺の支配は絶対だが、都市外では何千何万の兵は操ることは出来ねーんだ。そこでミュウ・クリスタリア、お前の好色の力で俺の支配を加速させるんだ。理性を失った奴等であれば、都市外でも俺の支配の力が活きる。お前の好色の力と俺の支配の力が組み合わされば、都市外への進出が容易に手が届くようになるんだよ!」
ヴェルーガは窓を解放させ、高台になった教拝堂から眼下の人々を――その更に奥の隔壁を眺望する。
生温かい風が吹き荒び、ミュウの紅髪を煽っていく。それはそれはねっとりと。
その風が――良からぬ魔力で覆われた王都の空気が、支配を意識したミュウには途轍もなく不快だった。
「人族だけの世界になりゃ、お前の好色で皆好きに縛りつけりゃいい。なぁ、ミュウ、作ろうぜ。俺達の理想の世界を」
喧騒を耳にしながら振り返ったヴェルーガの勧誘を、
「断る」
ミュウはぞんざいに断った。
「そもそも都市に亜人族が紛れておる時点でお主の計画に一貫性はない上、妾の好色――魅了は亜人族に効果は薄い。どの道お主の計画は破綻しておる」
ミュウの魅了は異世界共生譚によって対立した亜人族に効果は薄い。本能的に人族を嫌厭してしまうことから来ているのだろうが、略奪闘技で魅了を使わなかったように、ミュウが魔界でアドバンテージを取れないのにはそう言った経緯がある。
しかしヴェルーガはそんなミュウを鼻で笑う。
「おいおい忘れたか? 俺の能力は五感も支配するんだぜ? 人族を亜人族に見せかける事くらいどうってことねーよ。亜人族に見せかけてるのはあくまで保険の為だ。オルパールにいる奴等は全員紛れもない人族だけだ」
そうだった、とミュウは罰が悪そうに目を逸らす。
変に理由を付けて断ろうとしたことが裏目に出てしまったと言わんばかりに失態を生じさせたミュウは、己の心に少しだけ正直になり口を開く。
「じゃが亜人族に見せかけておると言う事は、少なくとも本気で憎んでおる訳でもなかろう? 亜人族は確かに愚かじゃが、中には良い奴もおる事は道理の筈じゃ」
真っ先に浮かんだ顔は空色の少女――マシュロ・エメラ。ルカとサキノとの戦闘から亜人族への認識がやや変わったミュウは種族で判断するのではなく、その人物の本質を見ようと心掛けていた。
認識が変われば見る世界が変わる。色が増える。そのお陰もあってか、【零騎士団】団員のゼノンやクゥラに嫌悪など抱くことはない。女猫人コラリエッタの治療を拒む事もしなかったし、女兎人シュリアと混浴など以ての外だっただろう。
だからこそ本音を正直に説いた筈が。
「――――ぷっ、ふはははははは!」
ヴェルーガの大爆笑を誘った。
「……何が可笑しい?」
どの世界でも貶め、貶められる対極の存在。人族が魔界で亜人族を憂慮することがおかしいと言えよう。ミュウも自身が常識と相反した意を述べていることを理解している。
事実かつてのミュウ・クリスタリアならば亜人族など歯牙にもかけず切り捨てていた筈だ。
だからヴェルーガは嘲笑った。
「悪い悪い、まさかお前からそんな言葉が出るなんて思わなくてな。どうした? 何があった? お前が亜人族の肩を持つなんて、昔の出来事を忘れた訳じゃねーだろ?」
ミュウの過去を知るヴェルーガは。
「昔……? 何故妾の事を知っておる……?」
「まー覚えてなくても無理はねーか。魔界に移住した下界の幼馴染の事なんてな」
幼馴染。その単語にミュウは容易に過去の記憶へと遡行することが出来た。
下界のリフリアに来る前の、想起するだけでも吐き気がする自分にとっての大事件すらも。
「……は。……おさな……お主もしや、ラクサ、か……? ヴェルーガ・ラクサか!?」
「おっ、覚えてたか。魔界に来りゃ、下界の奴等から記憶が無くなっちまうらしいが、双方の世界に共通してる奴の記憶には残るのか」
ミュウの出自は下界でも南に幾分と近い国だ。その国では亜人族は数少なく、故に差別意識が強く、犯罪が頻発していた。ただでさえ下界では非難対象の亜人族が素行すらも悪いものだから、ミュウの故郷では亜人族は完全なる悪として見なされていた。
そんな国でミュウと共に育った幼馴染がヴェルーガ・ラクサだ。
「お主どうして魔界に……」
「そりゃお互い様だろーよ。まー、お前が首を縦に振ってくれりゃどれだけでも話す時間はあるんだ。だからもう一度言うぞ。俺と理想の世界を築こうぜ」
しかし環境が変われば存在感も変わる。幼少期に別離した二人にとって、世界を跨いでの再会はあまりに特別過ぎた。
「断る」
ヴェルーガにとっては。
ミュウにしてみればそんな特別感など必要としていなかった。
ミュウが欲しいのは平穏。己が好奇の眼に晒されず、かつ『普通』の女の子としての暮らしだ。その願望を世界に望めないからと癇癪気味に世界を壊そうとしていただけで、己が世界を支配したい訳ではない。
そして何より、少し色の変わった世界にミュウは順応を始めている。そんなミュウなりの平穏を、たかだか出自が同じで同年代の幼馴染と共に歩むという選択肢で壊されたくは無かった。
二度目の拒否の声に、しかしヴェルーガは飄々と瞳に妖しい光を灯す。
「変わっちまったなー。今のお前は常識を拒むだけの子供みたいだぜ? お前を変えたのは誰だ? やっぱり団長のローハートか? アイツを殺せば、お前の呪縛は解き放たれてくれるか?」
ミュウの心臓が一際高く飛び跳ねた。
呼吸が逸る。血の気が引く。唇が渇きを覚える。
過去に自身がやろうとしていたこと――邪魔者の排除――を告げられただけなのに。未だに心のどこかで燻ぶっている画策をヴェルーガが実行しようとしているだけなのに。
どうしてかミュウの心中は穏やかではいられなかった。
「……あの子を人質にすれば言う事を聞くと思った? 私達を仲良しこよし集団だと思ってるなら、残念ながら見当外れだし」
必至に平静を取り繕うミュウの動揺――癖を、幼馴染であるヴェルーガが見破れない筈も無く。
「おっ、ようやく昔の話し方に戻ったか。動揺してんのが丸わかりだな。ふはっ、お前もしかしてローハートに惚れてんのか?」
「はっ!? べ、別にそんなんじゃないし! 私が異性に惚れるなんてあり得ないんだけどっ!?」
「いーっていーって。いくら誤魔化したところでお前の事はよく知ってるんだ。お前が変えられた理由も、人の下に付いてる理由もこれではっきりした。だったら尚更あいつを利用しない手はないだろ?」
――本当にそんなんじゃない、筈なのに……。
整理の追い付かない自身の気持ちに、それでもルカが命を奪われる未来に嫌悪を抱いてしまう。
たったの一手で選択権を絞らされたことにミュウは歯を噛んだ。
「お前が俺と手を組むって言うのなら、あいつは時機を見て逃してやる。どの道人族を無闇矢鱈と殺す事は俺達の信仰に背くことになるからな。ただお前がそれでも拒否するって言うんなら、捕らえておいたローハートは犠牲になってもらうしかねーな」
「…………」
人族繁栄の為の首脳として前進するか、窮地の現在に抗うか。
初めて抱いた特別感を失うか、救うために自己が犠牲になるか。
『何故自身のせいで他者が傷付く恐れを妾が心配せねばならん』
禁足地ヒンドス樹道でマシュロと一方的な悶着を起こした際、マートンへと放った言葉。
何故他者の失態を自身が庇い傷付かないといけないのか。何故自身の失態を他者が庇い傷付かないといけないのか。
自己を犠牲にして他者を庇うという行動が理解出来なかったミュウは、この時初めてその真意の理解に至る。
(皆こういう気持ちだったんだ)
大切なモノを護る為ならば自らをも捧げる強い意志。
ミュウの中で何かがすっと腑に落ちた。
「ローハートを護れて、お前は幼馴染と望むままの世界を作ることが出来る。最善策だと思うが?」
だからミュウは。
「…………わかった」
三度目の正直。今度こそヴェルーガの提案を呑んだ。
その面持ちは昏く、しかしどこかルカを護ることが出来たという妙な達成感が滲んでいた。
「よし、交渉成立だ。早速で悪いが、ミュウにも従紋を烙印させて貰うぜ。一部の奴等には通信機としての役割も持たせることが出来るからな」
「……第一の目的は服従の証じゃろうが」
「そう言うなって。反逆はこえーし、確かに保険であることは間違いないが、亜人族を滅ぼせばちゃんと解放するからそれまでは我慢してくれ。因みにハローも同じ条件だ」
「……勝手にしろ」
ヴェルーガはミュウへと近寄り、指先に魔力を込め、光の紋様を宙に浮かべる。
これを刻んでしまえば【零騎士団】の元へ――ルカの元へとは戻れなくなるだろう。
ミュウは己の左胸元を暫時眺め「ふぅ……」と長い息を吐いた。
そしてヴェルーガへ左手の甲を差し出した。
ヴェルーガはしなやかで滑らかなミュウの白い手を取り、従者としての証をミュウへと刻み込んだ。
「完了だ。よろしくな、相棒」
幼馴染の懐かしの笑みに、ミュウは返答する事は出来なかった。




