209話 団長としての責任
王都オルパール。
人口約五万人。王カイザーが統治する都市は、一言で表せば可もなく不可もなくと言った国だ。というのも、戦争、貿易、偉業、何に置いても普通の域を出ない――そもそも噂にすら出回らない至って大人しい国なのだ。つまり情報自体が少ない為、バウム達が何を目的にオルパールへ向かい、オルパールでどのような協力を求めているのかが判然としないと道中マシュロは説明した。
リフリアから北東におよそ三十キロメートル。道程の魔物の種類はブラックドッグやオーク、オーガにトレントといった身体的特徴に長けた魔物が主だ。そんな魔物達を振り切り、時には簡単にあしらう【零騎士団】は地上五十メートルにも上る聳立した石壁を視界の先に捉えた。
「あれがオルパールか?」
隊商を使わない自力での侵攻軍。一団を乗せているのはルカが創造した自動走行車両だ。下界で見かける乗り物と、魔界の馬車、ナウスの次元式縮小船から着想を得た、いわば装甲車のような乗り物――横は扉が無く開放的で攻撃が可能――を運転するルカは疑問を宙に放った。
「情報通りならあれがオルパールですね。リフリアの付近――とはいっても近くは無いですが、いくつか都市があります。その中でも比較的大きい都市なので間違いないでしょう」
「結界やのうて、オルパールは城郭で物理的に国を守っとんか?」
「見聞録……過去の文献には結界などを用いていない、と書いてありますが……古い情報なのでどこまで信用に値するかはわかりません」
都市をまるごと覆う石造りの壁は城郭都市と言ったようで、一同にヒンドス樹道のような強固さを連想さえる。上空は筒抜けになっているものの、ガーゴイルやナーガのように空を飛行する魔物は周辺に存在しない為、天の防衛はさほど重要視されていないのかもしれない。
「流石に都市を守る門衛はいるみたい。話しかければ入れて貰えるのかな?」
「とりあえず行ってみるか」
ゴトゴトと車両を前進させ十人程度の人が集まる巨大な鉄門へと舵を取る。
見た事もない車両の接近に門衛達は警戒態勢に入り、武器を持ち出しながらルカ達を包囲した。
「止まれ! 何者だ!」
「身分を証明できるものを出せ!」
車両での接近は迂闊だったかな、とルカは少々の反省をしながら車両を消滅させた。【零騎士団】一行が地に足をつけ悠長に伸びをする傍ら、車両の消滅に門衛達は更なる驚愕に襲われる。
「な、なんだ今のは……」
「驚かせてすみません。俺達はリフリアから来た【零騎士団】です。今のは馬車みたいなものだと思って頂ければ」
身分の証明と言うほどではないが、ルカは手の甲に描かれている誓印を見せる。そのルカの行動に全団員も倣った。
「【零騎士団】……おい、通行許可リストを確認しろ」
「はい、今確認中です。えっと……ありました。ハローさんからの指示です」
書類に目を走らせた一人の男の言葉に、ルカ達を囲んでいた全員が武装を解除する。その内の一人が鉄門の隣にある小さな扉に侵入し、都市内部へと姿を消す。
「失礼しました。近頃『友涼祭』に乗じて暴動を起こす観光客が増えてまして、事前に身分の証明を行わせて貰っているのです。現在担当の者を呼びに行ってますので暫しお待ちください」
「友涼祭?」
ぞろぞろと包囲を解除し、テントの周囲へと戻る門衛達。その中の一人が謝罪を呈しながら説明を始めた。そんな説明の中に入り混じった聞き慣れない単語に、ルカは首を傾げた。
「はい。オルパールは古くから取り立てて変化が無く、これと言った特徴もない国でした。そんな変化も名物もない国を変えようと、とある開祖様の提案によって年中祭を開き始めたのです。それが友と涼む祭――友涼祭です」
「年中祭だなんて、そんな都市聞いたこと無いですよ……」
「ええ、未だ試験中のようなものですから他国には喧伝していません。膨大な経費や魔物がいる道中の護送、宿泊施設や移住の手続きなど問題は山積みですので。しかし祭はいいものです。人々の心を躍らせ、元気にしてくれます。お時間が許すのであれば【零騎士団】様も楽しんで行って下さい」
祭と言うのは人々の気分を高揚させる非日常の催しだ。気分を盛り上げてくれることは間違いないし、そこにあるのは常に笑顔で、うっかり財布の紐を緩めてしまう事もあるだろう。
しかしその反面莫大なコストがかかる上、観光客で溢れれば治安や生活にも問題が出てくる。何より非日常が日常と化すことで、特別感が失われてしまうことも問題だろう。
故に試験中と言われればそれはそれで納得する。少なからず商人達が貿易の為に出入りはしているだろうし、オルパールが箝口令を敷いているのであれば知れ渡っていないことも辻褄が合う。先行して喧伝する事によって、計画が頓挫した場合大変な事態に発展することを経験した都市が暗にあるのだから。
「すみません、お待たせしました。【零騎士団】様でしょうか?」
再度扉が開くと中からアイマスクを着用した修道服の女性が姿を現し、【零騎士団】へと歩みを寄せる。
「私、ハローと申します。見ての通りシスターなんですが、リフリアの【預言者】ユラユリ様にお仕事の依頼をさせて頂きました。ご案内致させて頂きますね」
「よろしくお願いします……」
ぺこりと頭を下げ、ハローは口元に笑みを浮かべた。
ユラユリの名を出され、やや警戒の解けた一行はとんとん拍子に進んでいくハローの先行に追従して都市の中へと踏み込んだ。
「うわぁ……凄い……」
「これは……思っておったよりも壮大じゃのう……」
「確かに問題が山積みになるレベルやんなぁ……」
絢爛豪華な装飾、光の乱舞、大勢の人々の熱気、吊り下げられた提灯に数々の出店が視界一杯に広がった。その中にいる人達は皆満面の笑顔を拵えており、活気に満ち満ちていた。
勿論種族の垣根など存在しない。人族も、獣人も、分け隔てなく肩を取り合い、踊り、食事を楽しむ姿に、種族嫌厭の無い本来のあるべき世界を見たサキノは目を輝かせた。
「ふふっ、どうですか? これがお祭りの魔力というものです。お祭りと言うのは開催側にリスクは付き纏いますが、参加者達は挙って笑顔になります。種族の違い、貧困、男女関係なく、全ての方々が。私はそんな人々の笑顔を作り、守っていきたいと、そう思っています」
そのハローの言葉は嘘偽りなどなく、真に心へと語りかけて来るものだった。
――警戒心が、剥がされていく。
祭の魔力。非日常の催しというのは心を豊かにする反面、一切の警戒心を削ぐ。ユラユリからの手紙を受け取った時の『罠』と言う可能性すら頭の片隅へと追いやってしまうほどに。
「音や熱気や都市外部に漏れていないのは、何か仕組みがあるんですか?」
パァン、と真昼の空に打ち上がる花火。
内部の様相からして外部に漏れ出ないこと自体があり得ない絢爛豪華な祭の姿に、ルカはハローへと尋ねる。
「はい。音や光は魔物を呼び寄せてしまいますから、外部からは粛然としているように見える事も難点の一つではありますね……お祭りを優先し過ぎて魔物に侵略されれば元も子もないですから……」
「なるほど……そういうことですか……」
小鼻をポリポリと掻きながらハローは苦笑する。
都市を挙げて開催されている祭の規模は尋常ではない程に大きいが、都市外部に漏れれば注目を浴びる事は間違いない。不要な戦闘、不要な危機を防止するために、内部のみで収拾がつく仕組みが敷かれているのならば道理には適っている。
国として信用していいものなのかルカは悩んだが、ハローの言葉に矛盾は見当たらない。落ちそうになる警戒心を必至に繋ぎ止めながらルカはハローの後を付いて行く。
出店の店主達から進められる食物を団員達は喜びながら受け取る。流石に毒物は入っていないだろうとのことから、厚意を無下にすることも出来ず、ルカは眉を落とすことしか出来ずにいた。
「ルカ様もよろしければどうぞ」
厚意か、それとも罠か。ひしめき合う葛藤がルカの中で大暴れする。
見知らぬ他国に訪れた以上警戒は必要だが、仮にハローが完全なる善意であった場合、ルカの行動と言うものは無粋なものにしか映らない。
眼前に差し出された串揚げを凝視したルカは。
「すみません、ハローさんを疑ってる訳じゃないんですけど、俺はユラユリに緊急招集を受けてオルパールに来たんです。ユラユリ達の無事を確認するまでは善意とは言え、安易に祭を楽しむことは出来ません」
純粋に、正直に己の胸の内を説いた。
こればかりは嫌悪を抱かれても直接言葉にしない限りは伝わらない。なあなあで誤魔化し受け入れれば危機に直面するかもしれない上、曖昧な態度で断り続ける事は、逆にハローへの失礼に当たると感じてしまったから。
そんなルカの意思に気分が高揚していた団員達は、はっ、と。自身等が非日常に浮かれていた事実を認め、遅ればせながら敵地なのだと気を引き締め直した。
そしてハローはと言うと。
「あっ!? 大変申し訳ございません……お祭りを楽しんで貰いたい一心で浮かれすぎてました……そうですよね……心配ですよね……今連絡を取ってきますので少々お待ちください」
謝罪を呈し、器用に人混みをすり抜けながらハローは屋台の方へと歩いて行った。
「ルカごめん……種族嫌厭の無い姿に少し浮かれちゃってた……」
「目的を忘れるところでした……すみません……」
「なに、気にしなくていいさ。恐らくこれがハローさんの言う祭の魔力ってやつなんだろう。何事も無ければ俺がただの感じ悪い人くらいで終わるんだが、ユラユリ達の身の安全が確認できない以上事態は不透明だ。必要以上に警戒してしまうこれはもう癖だな……」
笑顔溢れる祭事の最中に窮地に陥る事など無い。誰もが楽しむために脚を運び、非日常を満喫したいがために気分を解放する。それは『普通』の考え方だ。決して責められることではない。
しかし『普通』から逸脱し、他者を観察し、常に思考を回転させてきたルカには懸念点が残る以上浮かれる事など出来ない。例え考え過ぎだと言われようと、失敗の取り返しが利く下界とは異なり、魔界では一瞬の判断ミスが命取りになるのだから。
「警戒するに越したことはないんじゃし、主様の言う事も間違ってはおらんよ。自身を卑下するな」
「浮かれてたことは否めんし、正直に言うてくれて助かったところはあるで。堪忍なルカりん」
眉を落としながらやや反省を口にするルカを責める者もまたいない。
誰かが道を踏み外しそうになれば誰かが支える。それこそが仲間なのだと、【零騎士団】は手綱を引き締め直したのだった。
× × × × × × × × × × × × ×
正気を取り戻しつつある【零騎士団】を背後に、ハローは串揚げを店主へと返しながら左手の黒手袋を外す。そこには騎士団の誓印のような奇妙な紋様が描かれており、ハローが撫でると微弱な発光を始めた。
「申し訳ありません。団長ルカ・ローハートの警戒心が解けません。他の団員の警戒心も一言で戻ってしまい、策の続行は厳しいかと」
『流石は団長ってとこかー? 教拝堂まで連れて来れそうか?』
独り言のように呟くハローの頭に返答が響く。
「【預言者】をダシに使えば恐らくは。しかし警戒心が想定以上に強いため、彼等が親密な関係にあった場合、道中質問攻めに遭えばボロが出るかと」
『めんどくせーなぁ……わかったわかった。教拝堂に向かってこい。俺は兵を配備しながらそっちに出向く。いざとなりゃ強硬策だ。会話は聞こえるよう徽章は繋げとけ』
「はっ」
不穏な空気が呼吸を始める。
再び手袋を装着したハローは踵を返し、ルカ達の元へと戻っていった。




