206話 決別と確信の夜
「ふ……ふぅ、ひっ……!」
「はっ、はぁっっ……!」
ペタペタとドタドタと。路上を一心不乱に駆ける二つの足音。
その背後には何百――いや何千もの同様の疾駆音。
「逃がすな!」
「隘路に入るぞ! 絶対に見逃すな!」
光煌びやかな都市で二人の男女――バウム・ヴィスタローグとユラユリ・エルメティカは追われていた。大勢の人々に。それこそ市民一人として傍観せずに全ての者に。
「情報屋が情報を掴まれるなんてざまあねえよクソがっ!?」
都市リフリアからの極秘任務で都市オルパールに潜入したバウム達は都市の情報屋を巡っていた。顔見知りとはまではいかないが各国同士で繋がる情報屋と言うのは少なからず存在し、真偽の程ははっきりとしなかったが任務は順調と言えただろう。三人目の情報屋を伺うまでは。
人族の姿が忽然と消え、亜人族だけが惨殺されていた事を周辺国の調査結果を絡めて情報屋と情報交換をしていたところ、突如武器を持ち出し緊急戦闘が始まった。酒場にいた者全てがバウム達を敵に回したかのように。数名を叩き伏せ、辛うじて逃げ出すことに成功した二人だったが、外で待ち構えているのは武器を携えた一般の市民達。
バウム達はその時自身等が泳がされていた事を初めて悟った。
「この都市の奴等は何だかおかしいゆ!?」
都市の構造と言うのは、その地を統率する主がおり、リフリアの騎士団のように主の下で都市を護り支える者がおり、その更に下には様々な職を手に経営する非戦闘職の一般市民が存在する。人口比率で言えばピラミッド型であるのが本来の姿だ。その相関性を失えばラグロックのように国として破綻する。
しかしユラユリがおかしいと感取する王都オルパールはその相関性が見事に破綻している。何故なら都市の者に追われているから。一人残らず総出で。
「全国民が普通に兵士並みの力量を持ってる都市なんて聞いたことねぇぞ……! どうしてこれほどまでに特異な国が情報過疎なんだよ……!」
端的に言ってしまえば異常なのだ。それがどれほどの武力国家であろうとも全国民が『戦闘に心得がある』ことが。
しかし武力国家ともなれば、畏怖より知名度というのは浮き彫りになる。情報が入って当たり前、都市同士の戦争も当たり前といった具合で情報が少ない筈がないのだ。
それが王都オルパールの場合は、他国情報にも精通しているバウムすら情報過疎に陥っている。
情報と言うのは必ず僅かな隙間から漏れるものであり、全国民に武力の所持を箝口令として敷いたとしても遵守される事はまずあり得ない。
あり得ない、筈なのだが。
「おらっっ!」
「チッ!」
「ゆっ!」
路地から回り込み先行突撃してきた人族の槍を蹴り折り、小さなユラユリがタックルで転倒させる。
しかし続々と現れる種族入り乱れた増援に、バウム達はひたすらに人の少ない道を選び逃げていく。
一度は交戦も試みたが、数が数なだけにキリが無い。ちぐはぐな連携であっても物量に圧されることを自然と悟る数の暴力に、バウム達は逃走という手段を取らざるを得なかった。
更に趨勢は最悪だ。時間が人を呼び、騒ぎが人を呼び。バウム達の逃走に誰もが臨戦態勢に入る。八百屋だろうが宿泊施設の受付嬢だろうが。明確な殺意を持って立ち塞がってくる人々に現状維持では時間の問題だと感じるのも無理は無かった。
本来ならば非戦闘職であるユラユリは特に体力の消耗が激しい。
肺は喘ぎ、発汗が止まらず、裸足の足裏からは足の形で血痕が地に刻まれていく。
決して弱音も苦悶の表情も見せはしなかったが。
「……バウム、ゆゆに提案があるゆ」
そんなユラユリが汗を振り払い、冷静を纏って並走しながらバウムを一瞥した。
「却下だ」
「話くらい聞けゆ。妙案ゆよ?」
「どうせお前のことだ。俺を囮にするとか言い出すんだろ?」
「流石バウムゆな。愛するゆゆのことは何でもお見通しって訳ゆか」
「愛してもねぇし、妙案ってマジでそれかよ!?」
「当たり前ゆ。バウムの存在価値なんて、ゆゆを生かすためにしかないゆよ」
「俺の存在価値をそんなちっぽけなもんに断定すんじゃねぇ!」
「そんな怒鳴ると無駄に体力消耗するゆよ?」
「お前のせいだろうが!?」
「未来の事を考えられないなんて、やっぱりバウムにはゆゆが付いてなきゃ駄目ゆな~」
「未来の事より今をどうにかすんだよ!!」
飛来する武器や奇襲を躱しながら、緊急時でありながらも諧謔を挟むユラユリ。その瞳には一つの決意と慈愛が。
「とまぁ、冗談はここまでにして、このままだと割とマジで二人揃って捕らえられて打ち首ゆ。だからバウム、ゆゆを置いてくゆ」
真剣な声音で衝撃的な提案にバウムは驚愕と玉響の空白を作る。
「……正気か?」
「バウム一人なら夜昇を使ってでも抜け切れるゆ? ゆゆが足を引っ張ってるのは明白ゆ。仲間だから、団員だから置いてけないなんて、そんな無益な選択しないゆな?」
小熊猫の恩恵である夜昇ならば、発動条件の夜間という条件が揃っていれば爆発的な身体能力を身に宿す事が出来る。夜昇を解放すれば太刀打ちは出来ずとも逃げ切る事くらいは可能かもしれない。
バウムはユラユリの瞳を凝視する。囮――この場合犠牲と言った方が正しいだろうか。きっとこのままユラユリの提案を呑めば、確実にユラユリは捕まり殺意の餌食になるだろう。その覚悟がユラユリの瞳の中に見えた。
だからバウムは鼻を鳴らし、口端を吊り上げながらユラユリへと返答する。
「そりゃーいい! 俺の為に囮になってくれるってんなら万々歳じゃねぇか。それでこそ入団を許可した意味があったって訳だ!」
「……そうゆな」
「お前が言い出した事だ。後は頼んだぜ。精々俺が逃げられるだけの時間稼いでくれや」
「……逃げ切れゆ」
「じゃあな」
全身に金色の発光を纏い、バウムは超加速的に密集する場を飛び出して行った。
「一人抜け出したぞ! 追え!」
「させないゆよ! こっちゆ!!」
敵勢が分散を目論む仲、ユラユリはオーバーサイズのシャツの裾から小型の黒銃――特殊電磁銃を取り出し乱射した。
悲鳴と苦渋の声が跋扈する中、ユラユリは次々と小弾を撃ち込んでいくが。
「うらぁっ!」
「ゆぅっっ!?」
ガンッ! と後頭部を鈍器で殴打され、ユラユリは転倒する。
「そんな玩具で太刀打ち出来る訳ねぇだろ?」
「ゅうぅぅぅ……」
頭部からの出血が首を伝う。
ぞろぞろと集まる衆人の眼は狂気。まるで人形のように、機械のように。
一人の少女に寄って集る民達は無感情のように表情が消えていた。
「開祖様がお戻りになるまでお前は生け捕りだ」
「ただし逃げ出さないよう、両脚は貰う」
「ぐっ……」
手首、頭、胴体、矮躯なユラユリを足で抑えつける者達にユラユリから苦悶が漏れた。非力な身体では抵抗も無意味なものではあったが、抑えつけている力が足のものとは思えない程に強い。
(やっぱりコイツ等何かおかしいゆ……まるで操られてゆのか……?)
二人の男は剣を振り上げる。狙いはオーバーサイズのシャツから伸びる二本の生足。
「人族に栄光を」
『人族に栄光を』
その言葉にユラユリは頭を踏み躙られながら周囲を見回す。
種族雑多な光景に手を合わせ、神に願うような宗教染みた光景に。
(そう言う事ゆか! バウム気付け! これはまだ序章だったんだゆ――)
ザンッッッ、と。
ユラユリの両脚から盛大な血飛沫が迸った。




