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198話 恋は盲目レッツストーキング!

 新しい朝が控えている。

 結局、恋の思考輪廻に陥ったサキノは一睡も出来なかった。



「はっ、はっ……」



 静かな夜に反して脳内では常に憂慮と不安が頭で騒がしい軍事会議を繰り広げ、気が付けば暁闇を迎えたサキノは下界で早朝のランニングに出ていた。涼しい朝風は脳の火照りを鎮めてくれるようで、爽やかな汗を生み出しながらサキノは走る。



「はっ、はっ、はっ……」



 魔界や秘境(ゼロ)の能力上昇値は下界の能力値に依存する。下界で体力増進に努めれば結果的に異世界でのパフォーマンスは上がり、戦闘にも幅が出る。一朝一夕で体力が劇的に変わるなんてことはないが、適度な運動による体力維持は必須だろう。尤も、騎士団としての活動や秘境で常に体を動かしているサキノからすれば不要ではあるのだが。



「ふっ、ふっ……ふ、ふぅ……」



 曙光も出ぬ内から朝の活動を開始したサキノの疲労の顔は濃い。しかし本日は騎士団の活動も、学園での依頼も登校もない完全な休養日だ。一晩眠れなかったのも不幸中の幸いと言ったところだろうか。

 そんなオフ日であってもランニングをしながらサキノの脚が向かった先は学園の付近。特に用事はなかったが、数か月前まで常に学園にいて依頼をこなしているような生活をしていたサキノの習慣は未だ若干だが残っている。


 脚を止め、汗を拭いながら見上げる巨大な校舎を見上げる。過去には無理矢理感覚を押し殺していたが、校舎を見るたびに鬱蒼な感情が波のように押し寄せて来た事はある。それは責任。それは義務。休日も友達との時間も返上し、ただただ遺志を果たすための毎日に溜息が出そうになったことも。

 しかし今はまるで改装されたかのように、責任や義務という茨が巻き付いていた校舎の幻覚の陰はない。解放されたサキノの心は黒い靄が晴れ、期待や恋と言う新しい感覚までをも与えてくれている。


 その立役者がルカ・ローハートだ。始まりこそ険悪だったが、それでもルカは己の全てを理解し、着いてきてくれた。手を取り、地獄(こどく)を緩和する支えになってくれた。



(本当にルカには感謝しかないな……)



 整い始めた息を等閑に、今も校舎の門を潜り抜けるルカに感謝を込める。

 視界の端を横切っていく、ルカへ。



「えっ!? ちょっとル――」



 何故ここにルカが。そう思い叫ぼうとしたサキノだったが神速の速さで物陰に身を潜めてしまう。

 己の立場と現状を頭が理解するより早く、一時休憩中だった脳内軍事会議が満場一致で警鐘をあげた。



「?」



 突如封印された呼名にルカは脚を止めて周囲を見渡すが、不変の状況に首を傾げながら校舎へと進んでいった。

 サキノが行動に急制動を駆けた理由。それは前日にラヴィが言いかけた『ストーカー』という単語。自身が今ここにいるのは寝れない体に辟易してランニングに出た為だったが、早朝過ぎるこの偶然の邂逅は見方によればストーキングにも見える。ルカは一切気にしないだろうが、余計な誤解を招き、下手な説明をするより、やり過ごすが賢明だと判断したのだ。


 そしてランニング後の多量の発汗。乙女モードのサキノは自身の匂いを気にしていた。普段は気にならない筈なのに。魔界での任務や依頼で返り血や汗に塗れもっと酷い状態で側に居るというのに。

 ラヴィが嗅ぎつければ「サキノの汗は高価な芳香剤みたいにいい匂いだよぉ」と言っているだろうが、当の本人としては気になってしまった。


 何より、休養日であるはずのルカが早朝過ぎる学園へ来ることが不審に思えてならなかった。

 昨日から常にルカの事を考えているサキノは、今やもう何でもかんでも恋愛に繋げてしまう。



(まさか本当に誰かと密会!? 嘘嘘!? 誰なの!?)



 物陰に隠れながらルカの背中をそっと覗う。

 その時、サキノに一つの決意が舞い降りた。



(これはラヴィの言っていたルカの不審行動を暴くチャンス!)



 決して自身の憂悶とは言わず。

 サキノは人生で初めてのストーキング行為を開始したのだった。決して好奇心が罪悪感を上回った訳ではないということはサキノの名誉の為に伏せておく。



(どこに向かっているの?)



 サキノはルカの姿を見失わないように追跡を続ける。



(人目を憚るようにこんな早朝から活動するなんて……相当大事な相手なのかな……)



 ルカが乗った昇降機が扉を閉め、上昇を開始する。機械音に紛れながらサキノが接近し、ルカの位置情報を目視で確認していると、ルカの乗った昇降機は停止した数字は十と表記されていた。



「十階……まさかココに!? ――いや無いでしょう流石に」



 逢引相手はココ・カウリィールだったのかと驚愕するサキノだったが、ココのルカに対する態度や、嗅いだことの無い強敵の匂いというラヴィの発言から途端に冷静になる。

 あり得ない。天地がひっくり返ってもココはあり得ない。あの誰彼構わずツンツンしているココがデレデレでルカの膝に座ってお喋りしているなんてあり得ない。


 ――あり得ない、よね……?


 一抹の不安は拭えない。寧ろココがデレデレになっている姿は少し見てみたいかもしれない。と歯を噛みながらサキノは苦悶する。



「違う違う! 今はルカの行動を突き止める事が優先でしょう!」



 十分な余白を置いてサキノは昇降機を一階に呼び寄せ、上階層へ登るのに必要な生徒証を胸元から取り出し、自身も乗り込んだ。逸る気持ちに比例せず、昇降機は明るくなり始めた都市を地上に置いて上昇を続ける。外面ガラス張りの昇降機が景色が下に流しながら、何事も無く最上階へと到着した。

 開いた扉からそっと顔を覗かせるが誰もいない。仄かに明るい夜間照明が右側の天空図書館から漏れ、左側の天空食堂は真っ暗の沈黙を纏っている。



(やっぱりルカは天空図書館に行ったみたいね)



 数ある天空図書館の出入口の扉の前に立ち、見てはいけない景色が広がっているかもしれない。ココの隠されざる満面の笑みが露見されてしまうかもしれない、と危惧を抱きながらもサキノはそっと中の様子を窺った。

 読書スペースには生徒や教員は誰一人としていない。出入口と同じく数ある受付に眼を配らせるも誰もいない。ココの知られざる一面を目撃出来なかった落胆と安心感が相殺し、サキノは小さく吐息を漏らした。



「何してんの?」

「きゃあああああああああああああああああああああああああっっっ!?」



 背後から突如としてかかる声にサキノは無様に大絶叫しながら転倒した。

 心臓の鼓動を爆速で打ち鳴らし、割座で涙を目端に溜めるサキノは盛大に息を切らしながら、手に分厚い本を持った幼女を見上げる。



「こっ、こ、お、脅かさないでよココっっ!?」

「不審な動きをしてるサキノが悪い」



 ごもっともだ。ルカの後をこっそりと後をつけ、望んではいなかったがあわよくばココの満面の笑みを目撃してしまうかもしれないと期待を込めて覗いていた自身への天罰に反論の余地はない。



「ご、ごめん……でもココがデレデレしてなくて良かったと言うか安心したと言うか……」

「は?」

「あっ!? ううん!? こっちの話! ナンデモナイナンデモナイ……あはは……」



 ルカの目的がココとのじゃれ合いでないと判明し、サキノは安心感から本音が漏れてしまう。半眼の圧を加えた鈍重な声が降りかかり、サキノは笑って誤魔化した。

 しかし目的がココではないとなれば、考え得るのは魔界であるとの帰結にサキノは至る。



「それでこんなに朝早くから図書館に何の用?」

「えっと……ランニングしていたら偶々ルカが学園に入っていくのが見えたから、ココの所に来たのかなって。本当に偶々だから!? ランニングも本当にしていたから!? 本当だよ!?」

「そこまで念を押すと逆に怪しく見える。ストーカーでもしてたの?」

「していないよ!? 本当に! ココ信じてよ~っ!?」

「サキノが校舎付近走ってたのちゃんと上から見てたから別に疑ってない」

「何で一回疑ったの!? もぅ~!」



 サキノの姿を上から見ていたと言う事は、その後の追跡行為もばっちり見られている訳だがサキノはそこまで気が回らなかった。

 ココが時間外にも拘らずサキノの気配に気づくことが出来たのは、全て天空図書館から目撃していた為だ。目的がルカと異なる事も。



「ローハートなら最近よく早朝に一人で魔界に行くわ。何をしてるかなんて、騎士団を設立したローハートに聞くのは野暮だと思って聞いてないけど、サキノも聞いてないの?」

「聞いていない……今日は完全にオフだから魔界に用事はない筈なんだけれど……って、それなら早く追いかけないと見失っちゃう!?」



 ラヴィの嗅覚はどうやら正常だったようだ。早朝に魔界に行き、誰かと逢引する。その後学園に登校していたのならば、昨日の辻褄も合う。ルカが身を清めた所でラヴィは看破しそうな気もしたが。

 ルカが魔界に行ったのならば早く追わないと、目的地を知らない以上見失う可能性が高い。魔界に通じる妖精門(メリッサニ)の懇願を早急に頼むサキノに、ココは。



「ローハートが転移した場所の座標ならわかるわよ」



 決定的現場に繋がる有力な情報を提示したのだった。


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