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020話 おかえり

 商品棚が倒壊し、商品が足場を奪う。掲げられた懸垂幕が風に靡けば、続く灰影が爪を以て引き裂いていく。

 背後から弾丸のように去来する三体の灰狼の攻撃を往なしながら、二人は錯綜する店内を走っていた。柱を、商品棚を、会計口を盾にしながらとある目的地へと急ぐ。



『ガルァァァッ!』



 逃げに徹する二人へ、殺戮に飢えた獣は苛立ちの声を張り上げる。

 店舗主(オーナー)が現場を目撃すれば、卒倒しそうなほど凄惨な様態に少し胸を痛めつつ、サキノは脚の回転を速めた。



「あと少しだよルカ!」

「あぁ。っ痛……はッ!」



 二人が逃走に暮れているのには目的があった。ケルベロス達が店内へ踏み込み、サキノが瞬時に発案した勝利のための戦場移動だ。

 回り込んでは陰から奇襲を放つ一体の狼の爪撃を、ルカは下から蹴り上げ折衝。返報とばかりに黒剣を薙ぐが、俊敏な動きで回避され、灰狼は再び姿をくらませた。



「見えた!」



 サキノが声を張り上げる。二人の視界が捉えたのは、窓も、扉もない電光装飾が施された隧道のような通路。直線距離にして約三十メートル。広大な敷地に建てられた二棟の商業棟を繋ぐ、幅、高さ共に十メートルの直方体の連絡路だ。

 地形の利。リフリアに住居を置く彼等の頭脳戦だった。



「ルカ後ろは任せたよ!」

「了解っ」



 白い連絡路の中ほどまで進入してサキノは踵を返し若紫色の光を刀身に込める。純白の髪がはためき、光と同色の毛先が遅れて背後で揺れた。



「はぁぁッ!!」



 刀を一閃、攻勢に出る。紫線が宙に軌跡を残し、反撃の風切り音を鳴らした。

 都合三匹の狼は急停止して刀を避けると、狭い通路内で各方向へ散らばる。そんな攪乱には一切構わず、薔薇の花弁を引き連れたサキノの乱舞が始まった。野外戦とは異なり、現状、一度の斬撃で屠りきる必要はない。勿論仕留めきれるのであれば仕留めるに越したことはないが、肝となる攻撃は宙に刻まれた紫の斬撃。

 紫電重閃(しでんじゅうせん)は、広い空間より狭い空間でこそ真価を発揮する。二人がこの地に誘い込んだのは、サキノの技で一網打尽にする魂胆だった。


 三体纏めて相手取るサキノ。

 しかし、その背景には全てを一人で背負っている少女はいなかった。

 サキノの後方十五メートルに位置取ったルカは長剣を消失させ、新たに弓矢を創造した。漆黒の弓矢を手に携え、半身を取ると迅速に引分けを完了させる。



「ふ、ぅ……何とか、大丈夫そうだな……弱音を吐ける場面でもないけど」



 背中で繰り広げられる疼痛と自制心の戦闘は、自制心に軍配があがりルカは安堵する。

 視野は広く、狙うは少女の側方。機を待ち集中を研ぎ澄ませる。


 第一射。鋭い黒線を引き連れ、舞い踊るサキノの側方に突き刺さる。瞬足を活かし死角から牙を剥いていた狼は矢を察知し、紙一重で飛び退いた。

 連射。次々と矢を創造し、サキノの()()()から斬り込もうとする狼だけに牽制。矢を惜しみなく放っていく。


 少女は攻め入る隙を見せず、ケルベロス達が死角へ飛び込もうとすれば後方から矢が飛来する。一匹の灰狼は業を煮やし、少女の真横を通過してルカを直接狙いに駆け出すが。



「行かせないよっ!」

『ギャンッ!?』



 大上段から円舞を振り下ろされた紫光白刀は、突っ切ろうとした狼の鼻先を掠め、若紫の痕を鮮血に上書きする。

 この策は見事型に嵌った。決定打を必要としないサキノが繰り出す斬撃は余裕を生んだ。余裕はサキノの予測を働かせ、敵の攻撃が迫るより一歩早く刀が振るわれる。まるで先を読まれているかのような刀の軌道に、ケルベロス達は二の足を踏んでいた。


 後方の少年を狙おうにも、少女の先見の目がそれを許しはしない。

 数の多寡で迎撃を目論むケルベロス達は発光の意図を知る由もなく、のべつ幕なしに生成されていく紫線は三十を超えようとしていた。



「はっ、はっ! ……はぁあッ!」



 戦場の美戦士サキノの額に汗が滴る。

 魔力は無限ではない。紫線を刻めば刻むほど魔力は消費され、時間が経てば経つほど体力も消耗する。準備は相応。しかし、サキノは最後の難関に差しかかっていた。


 紫電重閃(しでんじゅうせん)の基本は標的に印を植え付けることで、いかなる状況下でも損傷を付加させられることにある。宙に刻んだ場合でも、己は安全地帯で解放することで対象のみを捉えられることができる。

 つまり裏を返せば、敵との距離を取る必要があるということだ。近距離での解放は自身も巻き添えを喰らうことになりかねない。


 サキノへの集中砲火は紫電重閃で一網打尽にする上では好都合だが、策を完遂するまでが難航を極める。

 速度は灰狼の方が断然上。仕留め損なえば形成逆転も考えられる。



(どうにかして隙を見つけないとっ……)



 そう、策を巡らせようとした瞬間。



「っっ!?」



 ヒュン! と風を突き抜ける音が耳朶に響き、後方からサキノの右方を一過する。

 飛来した矢は、一体のケルベロスの上顎に突き刺さり、小さな体躯を弾き飛ばした。



『ッギィン!?』

『!?』


 ケルベロス達が何の変哲もないルカの射出に反応出来なかった理由。

 ルカはこれまでサキノの死角に回り込もうとする敵に()()矢を射っていた。それはルカが意図的にサキノの前面には()()()()――つまり少女の前面にいれば横槍を受けることがない――という潜在意識をケルベロス達に与える布石だったのだ。それをこの一瞬に解放した。


 結果、ほんの数瞬の空白が戦場に落とされた。

 最も早く戦場の機微に反応できたのは、果たして。



「ルカっ!」



 やはりサキノだった。脚力を全開に後方跳躍(バックステップ)で退避、刀先を鞘へと納刀しかけた。



「な……」



 だが、サキノの口から漏れたのは、焦燥の色を含んだ一言だった。

 呆ける狼、矢に貫かれ停止(クラッシュ)する狼。しかし最後の一体の狼が、停止した灰狼に動き出していた。救援に向かおうとしているのだ。


 狼の速度は最高速で駆ければ、広範囲に張り巡らせた紫電重閃(しでんじゅうせん)とはいえ離脱可能な距離だ。確実に仕留めなければいけない状況で一か八かの能力解放を行うわけにはいかない。



(駄目だ、撃てない……っ!)



 サキノが諦念を持つより早く――ゴォンッ! と。

 一際大きな風切り音が再度サキノの横を通過する。宙を漂う花弁を盛大に貫き、一本の巨矢が黒線を引き連れ、救援に向かっていた左目を失った狼の左死角から腕へと刺突した。



『ガアァァァァァァァァッ!?』



 急激に、強制的に動きに制限をかけられた狼は、その場に固定され足掻くが、抜け出せる様子もなく。

 全てのケルベロスが射程範囲内に余裕を持って残留する形を取った。



「動く先がわかってれば射抜くくらい訳はないさ。やっちまえ、サキノ」



 その声を背で聞きながら、サキノは心中で最大限の礼をルカへと告げた。



(ありがとう、ルカ)



 金属が鞘の中を滑り抜ける小気味良い音が響き。 



紫電重閃(しでんじゅうせん)



 チンッ。

 発光は輝きを増幅し、大爆発を起こす。



『グガァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!』



 砂塵が大量の花弁を舞わせ、爆音が悲鳴も苦鳴も呑み込んでいく。

 白の通路、蒼の世界に黒煙が広がり、爆風は二本の脚で立つ二人の元へ。

 髪を激しく揺らし、一時の戦場の急転を見守る。

 地響きが通路全体を揺らし、壁面に罅を生んでいく。

 次第に落ち着きを見せる震撼、徐々に開ける視界。

 サキノは居合の構えで柄を強く握り直し。

 ルカは矢を直ぐに創造できるよう弓を構えて戦場の掉尾を直視する。


 薔薇の花弁の粒子が余韻のように浮遊する先、数多くの傷を負い、姿が半透明と化した三匹の灰狼、幻獣ケルベロスの姿が転がっていた。

 三匹の体は粒子に分解され、気泡のように形をゆっくりと溶かしていく。



「ふぅ……」

「終わったな」



 サキノが振り向き、二人に安息が漏れた。



(信頼、か……)



 ルカの完璧なまでの後方支援。

 後ろは任せたとは言ったものの、経験の浅いルカが期待に沿った動きが出来るとは正直思っていなかったサキノは、ココが天空図書館で言った言葉の意味がわかった気がした。



(失うことを恐れてばかりじゃ信頼は築けない。信頼を築きたいのなら一歩を踏み出せって事なんだね。私がこれまでしてきたことは信頼じゃなくて信用だったのかもしれないな……)



『失うを恐るるは信頼に非ず。心壁(しんへき)を取り払い他者へ己を示せ、取捨は自己の在り方に付託す』

 ココが天空図書館でサキノへ送った言葉。

 遺志を秘匿し失うことを恐れたままでは信頼関係を築くことは叶わないと、一方通行の信用をサキノは認め、少しばかり己を責める。ルカがサキノを見捨てなかったのも、サキノのこれまでの在り方を全て見ていたからこそ。笑顔を守りたいと思える人柄だったからこそ、ルカはサキノと反発してでも手を取る方を選択したのだ。

 そんな唯一無二の親友へ礼を告げるためにサキノは向き合う。



「あ、あー……ルカ?」

「ん、どうした?」

「その……あ、あり……」

「?」



 口をもごもごと動かし、支援の礼を発そうとするものの、中々どうして上手くいかない。

 普段ならば頭で考えるより先に、礼を言っていてもおかしくはない筈なのに。



「あ……あり……あ、ありえないほど厄介な敵だったねっ!?」

「なんだよそれ。それじゃあ俺等はありえないほどいいコンビだったってことだな」

「うんっ! ……や、いやっ! 協力を認めたのは今回だけだって事忘れないでよねっ!?」

「揺るがないなぁ」



 結局、素直になれなかった。

 以前のように弛緩した関係性に立ち返ったような二人は、爆発によって破壊された壁から外へ出て、下界へ帰還するための妖精門(メリッサニ)を探し始めた。

 並び、無言で歩くのもどこか居心地が悪かったサキノは、反省会というわけではないが先程の戦闘を振り返る。



「でも正直、分裂があれほど厄介なものだとは思わなかったよ……」

「分裂して速度上昇って、あれも幻獣の能力なのか?」

「うん。稀に特別な能力を持っている幻獣もいるのだけれど今回の幻獣はかなり手強かった」



 バジリスク、クジャタのように、基本的には体の大きさや、爪など鋭利な部位での攻撃が主だとサキノは説明する。今回のケルベロスのように特殊な能力を持つ幻獣も存在するから気をつけないとね、と互いが知らずの内にサキノは共闘を認めつつあった。

 北方ミラショッピングモール敷地内を周回するように歩いていると、裏手で鮮やかに光を放つ妖精門(メリッサニ)を視界に捉え、二人は歩みを進めていく。



「純粋に数の多寡は優勢には変わりないんだな。一体の時は破壊力が桁違いだったしな」

「あっ、そういえばルカ背中大丈夫? あの時私の間に入ってくれたのよね……」



 サキノはケルベロスに吹き飛ばされた際に、緩衝材となったルカの背部を心配する。

 眼前に迫った妖精門(メリッサニ)の前で立ち止まり、ルカの背中を撫でた。



「直後は少し痛かったけど、アドレナリンでも出てたんだろ。今は全然大丈夫」



 あっけらかんと返答するルカの背を、サキノは真顔で軽く叩いた。



「~~~~~~~~~~~~~っっっ!?」

「……どこが大丈夫よ……ばか」



 下手な強がりも、サキノにはお見通しだった。

 痛みにルカはプルプルと震えて四つん這いになる。



「私に隠し事なんていい度胸じゃないの?」



 痛みに悶えるルカの珍しい光景に、サキノは自分のことは棚に上げ、豊満な胸を張りながら半眼で悪態をつく。因みにゾクッと少しだけ加虐性欲(サディズム)が疼いたのは内緒だ。絶対に内緒だ。



「ラヴィもサキノも何でそんなに俺の事わかるんだよ……」

「ラヴィ? どうしてラヴィが出てくるのよ?」



 ルカの懊悩を本能で察知して駆け付けたラヴィのことを知らないサキノは、咄嗟に出た親友の名前に首を傾げた。



「さっきまでラヴィとデートしててな」

「~~~~~~~~~~~~~っ!?」



 ルカはラヴィが発した単語(デート)を配慮なく打ち明けると、次はサキノが悶絶する番だった。サキノは真っ赤な顔で苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。



(私が悩んでる時にラヴィとデート!?)



 ルカの内情を知らないサキノは盛大に勘違いした。

 怒るのはお門違いだとわかっていても、胸のもやもやがサキノの冷静という自制心に下卑た笑みで囁きほのめかしている。



「もう知らないっ! ルカなんて知らないからっ!!」

「何で怒ってんの!?」



 サキノはぷりぷりと怒りながら、先行して妖精門(メリッサニ)へ踏み込んでいく。

 似たようなことが前もあったような、と取り残されたルカが釈然としない感想を秘めながら立ち上がり、眼前に控える妖精門(メリッサニ)へとサキノの後を追った。


 意識が虚空に引っ張られ、瞬きを終えた頃には世界は多彩な色を咲かせていた。下界へと帰還したルカに、遠くから日常の賑々しい声が僅かに耳に触れる。

 先行していたサキノはむすっとしながら待っていたが、遅れて付いてきたルカの姿を確認すると緩やかな笑みを浮かべた。


 二人して歩みを重ねると、植栽や業務に使用されるであろう金属製の箱や手押し車などが散見される。従業員専用の出入り階段も付近に備わっており、その階段最上段に座る人影が二人の意識に乱入した。

 上着のフードを覆った一人の人物。ショートパンツで脚を組み、女性だと判断がつく。従業員が休憩中なのかな、とサキノが思惑を巡らせ、二人がその眼前を通り過ぎようとした。

 その時。











「おかえり」






「――――」



 サキノは『異質』の言葉の真意を瞬間的に察した。

 秘境(ゼロ)のルール。秘境(ゼロ)にいる間は、他者には認知されない。想うことも、考えることも、心配することも出来ない。世界に存在が許可されていないかのように。

 故に、帰還の言葉が出てくるのは明らかな()()


 先程まで聞こえていた小さな喧騒も懐かしく思える程、一切の音が三人を遮断する。

 目元や顔が隠され判然としないが、座っている人物の口元に浮かぶ薄笑い。サキノは冷ややかな汗が沸き上がる感覚を押し付けられた。

 喉を言葉が通過するより早く、サキノはルカの腕を取り、なりふり構わず駆け出す。

 開閉門へ逃走する二人を目で追う人物は小さくせせら笑うと、後ろに付いていた右手を軽く持ち上げる。



「難儀じゃのう」



 独白し、パチンッと、指を鳴らした。


 その音はサキノを驚倒の海に沈め、走る足を固定する。

 その音はルカを困惑の浮遊感に包み、瞳を狭窄させる。

 その音は、世界を蒼に彩る。

 喧騒も、雑音も、人物も、全て、全て、全て――。


 消失した。



「なっ――」

「……秘境(ゼロ)?」



 世界が非日常へ、変容した。


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