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002話 幻獣バジリスク

 禍々しく混濁した赤い嘴、角のような鶏冠(とさか)を引き連れた醜悪な顔面。太さ一メートルの極太の蛇の尾がドロッとした唾液を牙間から垂らしながらゆらゆらと緩慢に揺れる。二本の鶏足が石造の家屋を踏み砕き、示威行為のように広げる竜の翼が大気を突く。

 鶏頭蛇尾の怪物。



「バジリスク……!?」



 眉を顰めながらルカはその伝説の生物の名を自然とこぼしていた。

 体高三メートルの合成獣のような異質の塊が、美麗な景観に不適な存在感を放つ。

 高所から見下ろすその形相は得物を見つけた捕食者そのもの。

 微細な石片が強靭な爪に(くび)られ次々と力尽き落下する中、前傾姿勢で今にも飛びかからんとするバジリスク。

 対するルカは視線だけで左手の横道を瞥見する。

 それが契機だったかのように、バジリスクが標的(ルカ)に向け急降下した。



「ッッッ!」



 もはや着地音とは呼べないほどの轟然たる衝撃と飛散する瓦礫を背後に、ルカは頭から脇道へと飛び込んだ。

 ゴロゴロと転がり、体勢を整えながら背を顧みる。

 巻き上がる砂塵は怪物を恐れるように靡き、陥没した地面と余波によって網目状に広がる亀裂がルカの目に焼き付いた。



冗談(シャレ)にならねぇよ……どう足掻いたって即死だぞ」



 絶命必至の惨害に双眸を細め、ルカは悟った。

 この空間において自分は狩られる側なのだと。

 生死の選択権を、そして与奪権を握っているのは敵方なのだと。

 支配者は首をぐるりと脇道に逸れたルカに照準する。



『グゥ……アァッ!!』



 死の逃走が幕を切って落とされた。

 ルカは片膝立ちの状態からつま先に力を傾注し、その場から駆け出す。



「一体全体どうなってんだ! 悪夢の押し売りを買った覚えはないんだけどな!」



 鮮明な意識、握り締めた爪が手の平に食い込む疼痛。現実逃避すら許されない現状にルカが渾身の速度で逃げるも、バジリスクは強固な翼を側壁に擦りつけながら追走を始めた。

 圧倒的不条理、絶対不利を強制されながら、ルカはとにかく怪物の難を逃れようと大通りへ、すぐに角を曲がり、即転進。

 唯一の優位、機動力を十全に駆使して駆け回った。


 そんなルカの頭に一つの疑念が、明確な答えとして結びついていく。

 どれだけの轟音、爆音を響かせようとも悲鳴の一つも聞こえない事。

 大通りに出ても動きを為すモノが一つも無い事。

 


「完全に無人かよ……漫画やゲームじゃあるまいし……」



 消えた街人、異質な景色から大方予想はついていたが、改めてルカはこの世界に自分一人しかいないのだと気付かされる。

 絶望がルカの首をじわじわと絞めていく。他者がいたところで事態が好転するわけではないのだが、未知の出来事の対処を仰げないのは状況の進展はありえない。

 つまり何もかもが不明瞭なルカが取れる策は逃走の一手。終わりの知りえない逃走劇の行きつく先も想像に難くなかった。



『ケァァァァァッ!』



 嘴の振り下ろし。巨大なドリルのような破壊力で地を穿つ。



「ぅっ!?」



 間一髪身を捻転させ直撃を免れたルカだったが、大小問わない削片が全身に襲いかかり、隘路へと弾き飛ばされる。



「がぁッ!?」



 倒れ込んだルカは痛覚を認識するのと同時、己の失態を認識した。足を止めたが最期、待ち受けるのは残虐な処刑の執行だ。荘重たる鶏冠はまるで処刑を断行する皇帝(エンペラー)のようで、抵抗は許されない。

 しかし、ルカが思い描いた破滅の追撃は、いい意味で予定調和のように動いてはくれなかった。

 ルカの吹き飛ばされた場所は幅二メートルの細道。人ならば優に並んで歩けるほどの幅だが、大型の怪物は侵入を許されなかったのだ。

 決定的な好機と踏んで始末したい鶏頭蛇尾の怪物は苛立ちを隠そうともせず、何度も身を捻じ込もうとしている。



『ギィ! アアアッ!』

「……九死に一生を得るとはこの事だな」



 殺意の眼光から逃れるため、ルカは石片の直撃によって痛む体を引き摺りながら通路の先へと急ぐ。

 狭い隘路の壁は今にも自分を挟み潰しそうな圧迫感を醸し出し、目に入るもの全てが自分の命を狙っているかのような錯覚がルカを襲っていた。

 何度も後ろを振り返り怪物の動向を確認していると、()()での強行突破が適わないと悟ったモンスターは通路の入り口から姿を消した。



「……?」



 迂回を選択したのだろうか、と。ルカが安堵の息を落としかけた――その時。



「くぅっ!?」



 そんな甘い考えを断ち切るが如く、通路入り口より極太の杭のような物体が飛来した。

 咄嗟に身を小さく屈めて回避。蹌踉めきながら三又路の先へと駆け込み合流地点を見やると、そこには大きく開口し、建物をじゅう……と溶かしている大型の蛇が。

 鶏頭蛇尾のもう一つの武器。いや、生命体。尾の蛇によるものだと理解するのに時間は要さなかった。

 本体での追走を一時断念し、中距離攻撃に秀でた蛇尾での攻撃を図ってきたのだ。



「毒って本当にこんな溶け方するのかよ……っ」



 仮想(バーチャル)世界で見られる『溶解』の症状に、蛇の牙から滴り落ちる唾液が毒によるものだと推測する。

 汗を湛えるルカは距離を稼ぐためには今しかないと踏み、続く隘路を突き進んだ。

 いくら敵の姿が見えないからといっても気を抜くことは許されない。曲がり角を曲がる度に次の進路を確保するため周囲の詮索を怠らない。

 速度は最高、体力の続く限り遮二無二に走った。



「はぁっ、はっ、はぁっ……っ!」



 肺が悲鳴を上げている。脚が諦念を訴えている。頭が闇に呑まれかけている。



「どこか、安全に休めるところは……っ?」



 がむしゃらに移動したせいもあり、周囲を見渡すと広場のような円形の袋小路へと辿り着いていた。

 追い込まれてしまってはもう逃げられない。しかし、極度の疲労と精神状態で闇雲に逃げ回り、会してしまうとそれこそ終焉だ。

 一度体力の回復を計り、そこからもう一度考え直そうとルカは自若であろうと心掛けた。


 ドアから店に踏み入り、呼吸を野放しにしながら上へと進む。

 大きな目的としては二つ。一つは見晴らしのいい場所から怪物の動向をいち早く察知するため。どれだけ休息を体が懇願していても、敵の姿が確認できないことは明らかな悪手だ。最悪の状況――視認された際、既に身近に迫られ対応が遅れること――を想定して、多少の体力の犠牲を払ってでも敵より早く動きを作れる必要があった。


 二つ目は、蛇尾の限界距離外へと逃れるため。体長以上の長さを持つ尾の攻撃は二階程度の高さでは届かれてしまう。最低三階以上の高さは欲しかった。

 ルカが陣取ったのは袋小路一帯を、その先を見渡せるレストランの三階。周囲には整頓されたテーブルや椅子。この後宴会が開かれる予定だったかのか、それぞれの卓に銀の食器が現実世界を映し出したかのように並べられていた。

 ルカは窓辺に歩み寄り、頭半分だけを出して外の様子を窺いながら体力の回復、及び状況の整理を始める。



「ふぅー……落ち着け……考えろ……現実的に考えればこんな状況ありえない……が、痛みも怪物も全部本物だ……信じたくないがこれは現実……? だとすれば――異世界?」



 薄蒼の神秘的空間、見慣れた都市の構造でありながらの無人化、神話の怪物の出現。現実では見ることも、起こる筈もない状況が、創作物である筈の異世界という非現実的な結論を肯定せざるを得ない。



「全く、()()じゃねぇよ……」



 つい半刻前までの、変哲のない日常とは打って変わった異常事態にルカは辟易した。



「とにかくこのまま逃げ続けても埒が明かない……いずれ体力が尽きて結果は見えてる」



 ならば対抗策をと。視界に入る物を片っ端から武器に見立て、脳内戦闘(シミュレーション)を開始する。

 鉄パイプ? ――壁を破壊するほどの硬さを持つ相手に?

 ナイフ? ――一突きと命の交換?

 電気やガスで化学反応を? ――通電していないことは確認済みで、ガスの扱い方なんて精通していない。

 あれもだめこれもだめ、と斟酌するルカ。

 一撃が必殺の巨体に対しどれも対抗手段にしては不安要素があまりにも大きすぎた。



「逃げの一手、か……」



 故に逃走に帰結するのは当然の成り行きだった。

 しかしながら逃走行為に再起するには、この袋小路から脱することは必定である。



「この広過ぎる空間で俺だけを見つけられる可能性なんて……」



 都市を歩き回りながら目的人物を発見できる可能性がどれだけの低確率であるかを希望へと変換しようとした。

 ――しかし。



「――マジか……よりによってこっちに来るなんてな……」



 そんな希望はまるで風船を爪で穿つかのように儚く打ち砕かれることとなった。

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