019話 アローゼのために
秘境へと進入したサキノは非常階段を下り、厳重な扉を飛び越え、学園を飛び出した。
ルカと同様、下界時より向上した身体能力を用いて、都市北部から南下するサキノは不明瞭な胸騒ぎを覚える。
少年と邂逅するのが億劫だとか、そういった類のものではない何か。
嵐の前の生温かさを虫の知らせ、ないし風の報せで感じ取っていた。
「ふぅ……っ」
嫌な感覚を追い出そうと駆けながら小さく息を吐き、周囲に白光を漂わせる。その光はサキノの体を取り巻くように円環を作り出し、被膜形状を取った。
加護。見た者がそう形容する神秘のような光の集合体。
逸る気持ちを一時堪え、サキノは駆ける足に急制動をかけ――胸騒ぎごと振り払うが如く、右腕を薙いだ。
円環はサキノの腕の動きに連動し、四方八方へ極細の針となって飛散する。建造物をすり抜け、電波のように都市の隅々にまで行き届いた。
サキノが行ったのは探知。魔力を探知機の役割とし、秘境内部の微細な振動や生体の動きを感じ取るのだ。広大な都市の中を無為に、幻獣及びルカを探し出すのは無謀に等しい。偶然に嘱して時間を食えば、それだけルカの危険が、世の破滅が現実的なものとなるかもしれない。未確定の未来はそれほどまでに恐ろしいものだとサキノは知っている。
「見つけた」
体を突き抜ける受信の感覚に、サキノは再度勢いよく地を蹴り始めた。
生体反応は二つ。一つの所在地はさほど離れておらず、北方ミラショッピングモール。そしてもう一つの反応が、一定の速度で前者の方角へ向けて進んでいる。恐らく前者がルカだろうと、サキノは推測した。
両者の距離間を斟酌するに、まだ遭遇は来たしていない。ココの秘境出現の感知の早さと、奇遇にもサキノが側にいたことから対応は最速を極めていた。
石畳を蹴る足に更に力を込めるとサキノは加速度を増す。景色が時間と共にサキノの背後を通り過ぎていく。
躍り出た一本道、先に見えるのはショッピングモールの開閉門。その奥で先程までにはなかった破壊音と衝撃が発生した。
開戦の火蓋が切られたのだ。
サキノは前傾姿勢を取るとぐんぐん速度を上げ、腰に据えた刀の柄へと手を添える。
開閉門を通過したサキノの目には巨狼の牙を漆黒の長剣で食い止めるルカの姿。サキノは速度を一切緩めずに、疾風の如く勢いを巨狼へと向けた。
「ルカっ!」
× × × × × × × × × × × × ×
三対の牙、三頭の狼、一つの身体。
正面、左右から容赦なく迫りくる牙撃をルカは往なしていた。流れるような追撃に反撃の隙さえ見つけられず、どうしたものかと機を窺っていたが。
右側面からの危機を察知した右の狼の首が、急迫する弾丸を巨大な犬歯で食い止めた。
「はぁッ!!」
『ガアァウッ!?』
加速を全身に伝播させ、サキノは純白の刀を叩きつける。奇襲に加え、尋常ではない慣性を持ったサキノの一撃に後退りを余儀なくされた巨狼は、巨体に似合わず軽やかな動きで二人から距離を取った。
「サキノ!」
「ルカ、大丈夫っ!?」
「あぁ、大丈夫!」
衝突した場に着地し、サキノは安否の声を飛ばす。
サキノはルカの体を一顧したが、返答の通りに傷は見当たらず、安堵の息を漏らしながら改めて正面の怪物を見据える。
三頭狼ケルベロス。
三メートルの巨体に灰色の体皮を持つ狼。牙の隙間からはボタボタと涎を垂らし、獲物に飢えた印象を残す。丸太のように太い尻尾は振り回すだけで威力を発揮することは容易に想像できた。
巨大な犬歯を一撃のもとに折られたケルベロスは、憤激を滲ませサキノへ睨みを効かせる。
『グルゥゥ……』
「……後は私がやるから下がっていて」
ルカの身の危険を憂慮、及び己の使命の遂行のため少年へ指示を送る。
少女の凛然とした変わらない佇まいと、毅然とした言葉にルカは。
従わない。
「サキノ、悪い」
それだけ歯牙を残すと、ルカは再び動向を窺っていた三頭狼へと斬りかかった。
「え!?」
ルカが初めて見せる表面化した反抗に、サキノは思考も行動も困惑に囚われる。
「~~~ッ!? 何なの一体!?」
放置するわけにもいかず、サキノは側面からケルベロスへと飛びかかった。
黒と白の軌跡が次々と急迫する。足元を狙う黒の斬撃を後退して回避すれば、側面から胴体を、首を狙う白の斬閃が巨狼の致命傷を狙う。
申し合わせたかのような流れる連携は、意図せず、意識せず、有効な攻撃をケルベロスへと放っていく。
「ルカ、言うことを聞いて!」
しかし、そんな巧みな連携とは裏腹にサキノは頑なに退陣を要求する。
「俺達の普通の日常を取り戻すまでは聞けないな」
「何を言っているの!? 下界に戻って待っていてくれれば普通ではいられるでしょう!?」
「それじゃあ駄目なんだ」
「何が――」
言い合う二人の綻びを巨狼は察知し、途切れない防戦に変化を作った。
『アァアッ!!』
体が僅かに沈み、二人の猛攻の隙間を縫って直上へと飛び上がる。
見上げる二人は本能的に感じた危機から、素早く身を背後へと投じた。
直後、飛び上がった巨体は重力に逆らわず落下する。地盤を粉砕するほどの衝撃を生み、砕かれた石片がルカとサキノへ襲いかかった。
そんな石片をそれぞれ握る長剣と刀で往なす二人は、休む暇も与えず巨狼へと肉薄し、連撃を再開する。
「何が駄目なの!? これは遊びじゃないの! 秘境で死んじゃったら過去も未来も、存在も何もかも消えてしまうのよ!?」
黒剣と白刀の刃が通り、三頭狼の二つの首に小さな創傷が刻まれる。
「その先に笑ってるサキノがいないと意味がない。そのために俺は俺がしたいことをする」
ルカが想起するのは、幸樹の元でアランが発した言葉。
ルカが決心できたのは、先程ラヴィが結論を出した返答。
二人の知人が示した確かな自己尊重を、ルカは本心で示した。
『ガ……ガルァアアアアアッ!!』
徐々に植え付けられていく裂傷を鬱陶しいとばかりに、ケルベロスは懐に留まり続ける二人を爪で薙ぎ、体を回転させる。鋭利な爪と純白の刀の衝突音が甲高い悲鳴を上げ、後退するサキノ。遅れてやって来た真横からの尾を長剣の峰で受け、鈍重な音を奏でたルカはサキノの横へと弾かれる。
「したいこと、って何なのよ……?」
武器を眼前に構え、標的は視界の中心に。意識は耳へ。
サキノはルカの意志を問う。
「サキノを一人にさせない。一人で背負わせない」
ルカの思い。ココやレラの想い。
託された想いは、サキノへと。
「ッ! 私は一人で出来る! 一人で何でも出来て、一人で生きていける事を証明しなくちゃならないの!」
「…………」
しかし、サキノは揺るがない。
ルカの胸が何度目かわからない疼きに責め立てられる。
『オオォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンッ!!』
中央の頭狼が遠吠えを上げ、その声に答えるかのように両側の狼も遠吠えを返す。
身を低く構え、前傾姿勢を取るケルベロスは次の瞬間――三つに弾けた。
「!?」
咄嗟の反射によってルカとサキノは左右に飛び退き、二人の間を爆速の塊が通過する。
残る二つの塊は迂回し、側面から二人へと同じような超高速で牙を剥いた。
「ぶ、分裂!?」
サキノが口走った予測は正答だった。
三つの頭狼がそれぞれ自我を持って自立行動をとっている。
呻吟を漏らしながらサキノは刀を振るうが、高速の弾丸に純白の刀身は空を切る。脚布を切り裂かれ三本の爪痕から鮮血が滲んだ。
「くっ……!」
分裂だけならまだしも、厄介な要素の一つ、体躯の小型化。巨躯であった一体のケルベロスは三体へと分裂を行うことで、おおよそ通常の狼と同程度の体躯へと転じている。巨大であった時は的も大きく斬撃の直撃自体は困難ではなかったが、小型化によって斬撃効果範囲が大幅に収縮していた。簡単に言えば当たりにくくなったということだ。
そして何よりも厄介であるのが速度の上昇。個体そのものの破壊力は分裂前よりも劣るが、回避、機動力、瞬発力どれをとっても小型化がその能力を何倍にも引き上げている。故に攻撃が直撃しない。
刀を一閃すれば、その隙に二体の狼が牙を首に向けて開き、爪を振りかざしてくる。防戦どころか回避に専念せざるをえない状況に、流石のサキノもこの状態ではルカを庇うことも退けることも、ましてや退却を明示することさえかなわない。
『グアウッ!!』
ルカも同様に、速度に能力を全振りした狼を一匹相手取っていた。回避や防御は気を抜かなければ苦難であることはない。
ルカは超速の狼の驀進を眼で追えていた。武芸の模擬戦のように規則がないことや常識が通用しないことは二度の幻獣戦で体感している。だからこそ勘に頼らず、己の潜在能力を頼りに立ち振る舞っていた。
「…………」
ルカは二体の狼と交戦しているサキノを一瞥、静かに長剣を消失させ、新たに創造したのは二刀短剣。長物を扱うより、手数を重視した二刀短剣の方が効率的だと判断した。
「ふッ!」
『ギィイッッ!』
刃渡り十五センチの短剣を右に順手、左に逆手で持ち攻防に移ろう。漆黒の二本の短剣が、機動力を駆使して自由に翻弄していた狼の行動に制限をかける。
正面から牙を剥けば順手の短刀が袈裟に振り上げられ、側面から爪撃を見舞えば左右に構えた短刀で迎撃される狼は無闇矢鱈と攻勢に出られなかった。
そんな牽制が飛び交う中、一瞬の先読みにて逆手から放たれる黒の軌跡が狼の鼻先を掠める。
『ギャンッ!?』
灰狼は血潮が噴き出す鼻に痛覚を感じ、飛び退く。
「ここかっ!!」
ルカが待ち望んでいた絶好の機会。
目を見開くルカは順手に持っていた短剣を、距離を取った狼へ向けて投擲した。
『!?』
飛来する黒剣を高速の回避で躱した狼は、予期せず露見したルカの隙へと渾身の尾を薙ぐ。
「ぐうっ!?」
胴体に直撃を被ったルカはガラス戸を割り破り、ショッピングモールの中へと弾き飛ばされていった。
『ガァッ!?』
「ルカ!?」
しかし他方、サキノの眼前では突如飛来した短剣によって左目を潰された一匹の狼が苦鳴を上げていた。
ルカが狙っていたのは、サキノと交戦している一匹と自身が交戦していた一匹が直線上に位置する瞬間。二体を相手取るサキノの負担を僅かでも軽減させることが出来ればと考えての二段攻撃だった。結果ルカは被撃することとなったが、サキノは狼の乱れた連携の隙を見逃すまいと、瞬足で足が止まった一匹へ斬りかかる。
「はあああぁぁぁッ!!」
しかし、ギィンッ、と。無抵抗の狼へ振り下ろした一撃は、討伐の音には似つかわしくない音を発し、白刀は左方へと振り回された。
「うわっ!?」
その衝撃と発生音の正体はルカが交戦していた一体の狼。ルカを吹き飛ばした後、追撃すらも捨て置き、隙を晒した仲間を守るために流血も厭わず刀の中ほどに喰らい付いたのだ。
超速の噛撃によって刀を振り回されたサキノは無防備に地面へと転がる。
「まずいっ!?」
言うが早く、その場を飛び跳ねて体勢を整えると、一体の狼が一瞬前までサキノが転がっていた地へ爪を突き刺していた。その光景にゾッと悪寒を被るサキノだったが、
「他の二匹は!?」
更なる悪寒に包まれることとなった。刀に喰らい付いた狼と、短剣によって眼を潰された狼、二体が眼前に見当たらない。
ハッと微風を首筋に感じ取り、反射の防御を取りながら後方を振り向く。
ルカとは対照的に経験則からの勘を頼りにした防御の上から、二体が『合成』した巨体から繰り出される豪腕が横薙ぎに払われた。
「きゃあっ!?」
体勢の整わない刀身で何とか受け止めた激甚な衝撃は、華奢なサキノをいとも簡単に叩き飛ばす。
決河の勢いで吹き飛ぶサキノに迫るは石造の壁。
「サキノ!」
衝突寸前、ルカがサキノと石壁の間に割って入り、サキノを抱き止める。しかし勢いを殺しきれず、両者もろとも石壁を突き破りショッピングモール内へと突入した。
痛みに紫瞳を狭窄させるルカは吹き飛びながらも、敵陣の迅速な追撃を防ぐために突き破った石壁――侵入最短経路を埋めるように壁を生成する。
二枚、三枚と壁を突き崩し、ルカとサキノはようやく勢いを失った。ルカの腕から道中放たれたサキノはそっと顔を上げ、周囲を見渡す。
「ルカ大丈夫!?」
五メートル先、自身の代わりに衝突の被害を全て受け持ち横たわるルカへ駆け寄った。
「ルカ!? ルカっ!!」
側で膝を着きルカの体に触れる。
「大丈夫だ……心配するな……」
背中の激痛をおくびにも出さないよう自力で上体を起こすルカ。それでも相当の痛手を負っているのはサキノの目から見ても明らかだった。
「ルカ、お願いだから逃げて……」
こんな状況でもルカを戦場から遠ざけようとするサキノへ、ルカの胸が一段と高くざわつく。辟易した様子で、はたまた痛手を庇うように大きな息を吐いた。
「まだそんなこと言ってるのかよ……」
「そんなことって……」
「言っただろ、サキノを一人にさせないって」
(ルカに、何があったの……?)
これまでの全肯定で受動的なルカ・ローハートという人物を覆す最近の言動。サキノの心中に様々な感情が浮かんでは消え、浮かんでは消え。中でも特に悲憤の感情を必死に抑え込む。
道理が通っていないと今のルカは納得してくれないと観取したサキノは、これまでの一方的な排斥を止め、己の事情を語り始める。
「……ねえ、ルカ。少し話を聞いてくれる?」
微かに開く心の扉に、ルカは静かに首肯する。
未だ周囲は静寂に満ちており、店内へケルベロス達が侵入してきた気配は感じられない。サキノは意を決して、己の原動力を語り始めた。
「私のお母さんはね、こんな亜人族が否定される世界を愛し、正しさを求めて亡くなったの。私はそんなお母さんの遺志を叶えてあげたい。正しかったことを証明したい。だからお母さんを『否定』することになる同情や憐憫を、私は甘んじちゃいけないのよ」
「同情に……憐憫?」
「そう。人が人を頼る時、そこに必ず負感情が発生するでしょう? 私は一人で出来ないと思われるわけにはいかない。お母さんが正しかったことを証明するためには、誰の力も借りちゃいけない。全てを一人でこなさなきゃいけないの」
サキノが思い出すのは過去の記憶。
大切な、たった一人の母親が亡くなった時の事。
『長寿の癖に子を置いて亡くなるなんて、これだから亜人族は』
『子供一人でどうやって生きていくつもりなのかしら』
『亜人族に育てられたんだ。何も出来ずに野垂れ死ぬに決まってるさ』
――どうして亡くなってまで忌避されなくちゃならないの!? お母さんが何をしたって言うの!? お母さんはいつでも正しく、優しくいてくれた! お前達みたいな汚い心を持つ人族でも愛するようにと! お母さんは間違ってない! 間違ってるのはお前達だ!
――ひとりでも生きていけることを証明してやる! 大人も、人族も、誰も頼れる人のいない地で! 絶対に! 絶対に……ッ!!
「お母さんのために、何より私のことを思うのなら……これ以上邪魔をしないで……」
震える手を抑え込むように浴衣の裾を掴み、サキノは無気力に告げた。
誰にも頼らない、じゃない。頼れないのだ。
母親の存在を肯定するために。
母親の教育が正しかった事の証左のために。
幼いなりのサキノが一人で生きていけるという宣言は、母親を想うがあまり、軛となってサキノを苦境に陥れていたのだ。
茨の鎖。
雁字搦めになった美麗の少女。
もがけばもがくほど自らを締め付け、己を傷付ける。
血が溢れようと、身が裂けようと。
それでも、遺志のために足掻き続けるのだ。
血で赤く染まる茨が、芽吹いた華が美しき薔薇だということも気付けずに。
サキノ・アローゼ。
孤独な薔薇。
美しく、優しく、強く。それでいて脆い。
そんなサキノの姿を、話を聞いてルカは。
ようやく胸の違和感の正体に到達することが出来た。
(そうか、この胸の違和感は【嫌悪】だ)
サキノが遺志のために、己を犠牲にする姿勢。
命を賭して、世界の命運を背負い戦おうとする意志。
ココやレラが望んだサキノの救済にざわつく己の胸の違和感は。
『全てを背負うサキノ』という嫌悪に基づくものなのだと。
全てを背負い続けるサキノの未来は輝かしいものだろうか。
遺志のために様々なものを犠牲にした未来に笑顔はあるだろうか。
彼女から未来を奪ってはいけない。笑顔を奪ってはいけない。
何より母親の遺志を、正当性を履き違えさせてはいけない。
だからルカは、手を差し伸べる。
サキノが美しくあるために。
一人の薔薇は美しいままに。
「サキノを一人にさせないことが邪魔だと言うのなら――」
その茨を解いてあげよう。
手が血に染まろうとも、棘で傷を負おうとも。
痛みも、悩みも、共に受け入れよう。
「――俺は邪魔者でいい。これからもずっとサキノの邪魔をする」
全てを語り、それでいて受け入れることのないルカに憤怒はない。
サキノにあるのは悲嘆だけだった。
「どうして……」
「サキノの信念が正しかったことを証明するために」
「え……?」
ルカの言葉にサキノの感情が跳ねた。
サキノが母親を肯定しようとしたように、ルカもサキノを肯定することでサキノの生き方が正しいものだったと証明しようとしていたのだ。
それは迂遠ながらもルカが母親を支持している証。
「サキノ言ったよな。何かを犠牲にした正解は他者の正解とは限らないって」
いつの日かサキノが語った大切な人の言葉。心の支えとしてサキノに宿る正の礎。
それを、次はサキノへと送る。
「もう、自分を犠牲にするのは止めろよ。それは俺達にとっての正解じゃない」
ルカは矛盾しているサキノの信条を咎める。
俺達、とルカが括った人物達の存在はサキノにも理解出来ていた。何度も手を差し伸べてくれた友人、己の身を案じてくれた騎士団員や異世界事情共有者。
いくらサキノが何も犠牲にしなくても、サキノ自身が犠牲になっていたのでは、彼女達の正解ではないとルカは指摘する。
「俺達がサキノを思うのは同情や憐憫なんかじゃない。ただ、苦楽を共有してサキノに笑っていてほしいだけだ」
失うものが増え、一人で抱え込むサキノは次第に笑顔を失うこととなるだろう。それは世界を愛したサキノの母親が断じて望む未来ではない。ありえない。
だから、どんなサキノであろうと、どんな振る舞いをしていても見限らないと。
一人にはさせないと。
こんな辺鄙な場所で一人苦しませはしない。
「頼っていいんだ。何も、犠牲にしないために」
「あ……」
少女の潤んだ瞳が見開かれる。
少女にはこの言葉に聞き覚えがあった。
幼少期、母親から託された言葉の欠落していた声が蘇る。
『私達は必ず分かり合える。手を取り合うことが出来る。私は、そう信じているわ。だから――人を頼りなさい。何も、犠牲にしないために』
(どうして私はこんな大切なことを忘れて……)
サキノの母親は最初から分かっていたのだ。何も犠牲にしないためには、己一人で全て解決出来るわけがないと。助けを求めることは悪ではないのだと。
母の正当性を示したいがために、遺志を倒錯して解釈し、頼ることを恐れた己に忸怩たる思いが湧き立つ。
「それでも一人でやるって言うんだったら、悪いが邪魔するだけだ。せっかく秘境には俺もいるんだ、使えるもんは使ってしまえばいい」
「ルカ……」
もう一人じゃない、と。震える手を抑え込むサキノへ、ルカは凛然と味方の存在を示唆した。
温かく、優しく、心強い言葉に、サキノは心にも晴れ間が差した気がした。
しかし、僅かに頬が緩んでいることに気が付き、はっ、と。小さく口を膨らませる。
「~~~っ! わ、わかったわよっ!? どっちにしろルカは退かないつもりなんでしょうっ!? いーい!? 今回だけだからね!?」
母のためにと誓った日からの、何年もの生の方針は簡単には変えられない。
それでも、ゆっくりと。
ルカと同じように小さな一歩を踏み出す。
小さくて、とても小さくて。
それでいて、大きな前進。
「あぁ、今回は、な」
サキノの最善を認め、ルカは薄らと口角を引き上げた。
「来るぞ、サキノ」
「うん!」
店内へ侵入し、接近してくる三つの足音を敏感に反応した少年少女は立ち上がった。
少女の手には、もう震えはない。




