187話 真打
レラがルカ達の元を旅立ち、二時間が経過しようとしていた。
高層のような特殊な環境もなければ魔物の気配もないが、天然のダンジョンとも人工物とも判断が付かない地である以上、警戒をするに越したことは無い。
【零騎士団】一同は交代で仮眠を取り、体力と魔力の回復に努めていた。
「ルカさんはどうしていつも頭一つ突出した考え方が出来るのですか?」
現在、一時間強の休息を先に貰ったルカとマシュロが収穫の無い内部構造を調べ終わり、本の柱の足元に並んで座り込み雑談を交わしていた。
「高層の目印然り、先程の九尾への無力化然り、以前の【夜光騎士団】元副団長エレオスさんとの戦闘然り……どれだけ相手が難敵でも決して挫ける事なく、多様な戦い方を考案出来るのか、私には不思議で不思議で……」
「んん……改めて面と向かって聞かれると答えに困るな……」
それはマシュロのルカに対する畏敬と好奇心。他者の頭の中を見れない以上、絶対に知ることの出来ない戦闘中の思考。
己とは一線を画す戦闘技術を駆使するルカへ、過去の事例を交えて問うた。
マシュロの質問に首を傾げて懊悩するルカは、今では無意識に己の戦闘の根幹となった一つの対話を想起する。
「……これは以前ミュウから聞いた話なんだけど、攻撃と防御の相関性ってものを教えて貰ったんだ」
「攻撃と防御の相関性、ですか?」
「相手の攻撃を防ぎ回避する、自分の攻撃が防がれる。攻撃にしろ防御にしろ、軌道や威力の見積もりは事前にするだろ? その攻防が実現されたと言う事は自分の想像の範疇だと言う意味だ。相手に有効打を与えたいのなら、その『相手の思惑を超えろ』。そう言われたんだ」
都市逃亡中のマシュロを逃がすために一度ラウニーと組合い、惨敗し、ミュウから預かった戦闘指南をルカは明かす。
「少しで良いんだ。相手の思惑の少し上の速度をいく。少し上の威力をいく。少し上の手数をいく。そこら辺の調整は、絶対防御で相手の力を読み違えることの出来ないマシュロは得意だろ?」
「あ……言われてみれば威力相殺の調整には長けてますね」
絶対防御とは言えども、魔力を練るだけで全ての攻撃を防ぐ事が出来る万能な能力ではない。マシュロが練り込む魔力量に応じて防御できる威力と言うのは比例する。臆病なマシュロは少々多めに注ぎ込む傾向があるが、攻撃の力量を量り違えると無意味と化す為に、マシュロは細心の注意を払いながら絶対防御を使用している。
それは長年の勘と言うべきか、獣人の本能と言うべきか、目利き出来るマシュロの得意分野だとルカは仄かに微笑む。
「俺にはマシュロの絶対防御みたいな絶対的な自信のあるものはないし、サキノみたいに攻めに優れた大技は幾つもない。ミュウみたいに次の攻撃に直結するような連動的な能力もないし、アポロみたいな強制拘束力のある技は持ってない」
「でもルカさんは創造を基本に、身体強化や視野広角、そして無力化と沢山の能力を持ってます。その能力の多さは誰もが羨むものだと思いますよ?」
「俺の能力は多いが決定力の無いものがほとんどだ。俺が魔界で生きていくためには長期戦を覚悟して、常に頭を動かし続けないと後手に回ってしまうんだよ」
自分に無い能力を羨むことはしない。それは結局のところ無い物ねだりにしかならないから。
自分の持つ能力を如何に最大限活かして、自分の出来る範疇で相手を攻略する。それが全ての能力を手にすることの出来ない人類――魔界のモノの宿命だとルカは悟っている。
「だけど長期戦になれば一度通用したその『少し』は対応されるようになる。そこで俺は通用しない攻撃を布石として使うことにしたんだ。何度も通用しない攻撃を繰り返す。ルカ・ローハートにはこれ以上の技はないと、相手の思惑の基準を下げるために」
「自分で相手の基準を下げるんですか!? そんな……」
出来る訳がない。そう口走ろうとしたマシュロは、しかしルカの戦闘に思い当たる節がいくつもあった。執拗にラウニーへ効かない攻撃を繰り返していたり、魔物相手にも次々と出さない大技。ルカの戦闘の全ては確実に相手へと決定打を叩き込むための布石だと、マシュロは理解に至る。
それは言ってしまえば人心操作のようなものだ。自身の力量を低く見積もらせる。そして相手がルカの思惑に嵌った時、決定打を撃ち込む。
『思惑超過』ではなく『思惑操作』。
なんと大胆で大掛かりな釣り針か。マシュロはその時確かに皮膚の表面が戦慄するのを感じた。
「まぁ、そのせいで自分もかなり傷ついたりしてるから博打気味なところはあるんだけどな……略奪闘技で能力も公になったし、もし都市の誰かと戦う羽目になったらそんなわけにもいかないんだろうなぁ」
『目立てば目立つほど能力は流布されていく故、実力が必要になるのは確かじゃと覚えておけ』
これまたミュウの助言に、ははは……、と塩らしく苦笑する歳相応の少年の姿に、マシュロは一瞬で戦慄を忘却し、胸の奥がきゅぅと疼いた。
「私も、強くなりたいです。ルカさんを傷つけさせないためにも」
「ありがとう。なれるよ、マシュロなら」
閉塞された天井を二人して見上げる。そこには新たな誓いと、この場を生きて出ようと言う願望が込められていた。
そんな天井を見上げていたルカが、一つの疑問に辿り着きマシュロへと視線を投じる。
「そういえばこの間ヒンドス樹道に侵入した時は樹木の影場でマシュロの絶対防御が発動してたけど、屋内で能力って発動するのか?」
以前のヒンドス樹道強行軍でミノタウロスの遺体に化けたミミックの奇襲。ゼノンとクゥラを護る為に咄嗟に我が身を犠牲にしたマシュロの絶対防御は、日中の影場として確かに発動条件を満たしていた。
それが現状のような屋内では条件を満たしているのかというルカの素朴な疑問にマシュロは首を傾げた。
「どうなんでしょう……? 屋内で戦う事なんてこれまでになかったので試した事が無いですね。……はっ! ルカさん、思いっ切り私の事叩いてみて下さい!」
「まだ陽上がってないだろ」
「いいんです! ルカさんになら叩かれたって噛み付かれたって、どんな特殊性癖でも全てを愛して見せましょう!」
「なんか話すり替わってる気がするんだけどそんな趣味ないからな!?」
「知ってますか? 人によりますが獣人は性欲が強いんです」
「知らないし知りたくもなかったわそんな情報! というか情報が曖昧過ぎて獣人じゃなくても普通だろ!?」
「ぎゃーぎゃー五月蠅いのう……寝られんじゃろうが」
「ミウらん下界の有名人やさかい、こんな所で寝るん抵抗あるだけちゃうんか――ってずるっ! 自分だけ糸の能力使うてハンモックで寝てるんはズルいぞミウらん!」
起きているのは二人きりという事実に気が付いたマシュロは、真面目な話から一転、人が変わったかのように暴走気味なアプローチを始める。
急に騒ぎ始めた二人に難色を示したミュウは、まるで南国気分かとでも言うかのように自身の糸でハンモックを作り心地良さそうに揺れていた。
そんな一人だけ贅沢仕様なミュウにポアロが非難を浴びせるという、休息時間の筈が急に混沌とした場に移り変わっていく。
「何がズルいのじゃ。妾の能力を妾が活用して何が悪い?」
「皆に提供しようっちゅー優しい世界はここにないんか!?」
「甘えるな。この世は己の力で生きていかねばならんのじゃ」
「ルカりーん! 創造で僕にも高級寝台出してくれー! あのカーテンみたいなひらひらついたやつ!」
「張り合おうとするなよ!?」
真っ先にラグロックの王女シュリア・ワンダーガーデンの部屋で見た天蓋を思い出したが、あれこれぶり返し詮索される事態が見えていたのでルカは黙っておくことにした。
「あれ? そういえばルカりん上着は?」
そんな子供のように駄々をこねていたポアロがルカの変化に気が付く。
普段来ている上着が見られず、一同が「確かに」と得心を抱く中で、ルカはその上着の行方を指差した。
「ん? サキノのとこ」
一同が向く視線の先にあった。少しだけ離れた場所で横になっているサキノにそっと掛けられた黒色の上着が。
「え? あ、ほんとです!? いつの間に!? サキノさんズルいですよ!!」
「ほんまやでズルい! ミウらんのハンモックより貴重やないか!」
「は!? 何と比較しておるたわけ! と言うか布面積で言ったら妾の方が少ないじゃろ!? 何故妾に掛けてくれぬのじゃ!」
「いや……なんか衣装含めて南国風が漂ってたから余計なお世話かなと……」
「くぅっ!? 快適さを選んだが故に損を被ることになるとはっ!? はっ!? べ、別に羨ましいわけじゃないんだからねっ!?」
「羨ましがる要素がねぇよ」
言い合いが始まるポアロとミュウとルカを置いて、マシュロが一目散にサキノの元へと駆ける。
すぅすぅ眠るサキノの可愛らしい寝顔を無視して、マシュロは強引にサキノからルカの上着を奪いとった。
「へ!? なになに!?」
体に掛けられていた温もりが無くなり飛び起きたサキノは、ルカの上着を身を包み凄まじい凛冽とした眼で見下してくるマシュロを見上げる。
「サキノさん、抜け駆けなんて見損ないましたよ……! すぅーーー……はぁ……ルカさんに抱かれながら眠るなんて……っ!」
「何の話!? 全然理解出来ないのだけれど!?」
獣人の嗅覚は鋭い。
ルカの匂いを身に纏ったマシュロの顔が恍惚に崩壊する。尻尾はぶんぶんと大いに喜びを表現し、深呼吸を催促する。
全く説得力の無い顔でマシュロから身に覚えのない非難を暫くの間受け続けるのだった。
± ± ± ± ± ± ± ± ± ± ± ± ±
一方その頃。
都市リフリアから全力で疾走し、ヒンドス樹道最先端まで辿り着いたレラは扱い切れない翼と格闘しながら超低速で岩塔の頂上まで上昇した。
所要時間二時間十分。
昇った朝陽に濡れながら翡翠の翼を羽ばたかせ、周囲をキョロキョロと。
場所はあっている筈だった。
信じられない現象に、レラは頭を掻く。
「参ったね……ルカ君の推測通りじゃん……?」
頂上にある筈の扉が、帰還した時には既に消失していた。
± ± ± ± ± ± ± ± ± ± ± ± ±
「レラ、帰ってこないね……」
「……三時間だ。進もう」
正確に言えば三時間半。ルカが創造しておいた小さな砂時計が下へと落ち切ってから体感三十分が経過しサキノが呟いた。
驚異的な実力を持つレラの身に何かが起きたとは考えにくいルカは、一先ずの推測通り入口が見つからず再侵入出来なかった可能性を認めた。
三時間の休息にレラが置いて行った回復薬を皆で呑み干し、戦闘準備を整えた一同は転移扉の前に立つ。
「マシュロ、絶対防御は?」
「大丈夫です。朝陽も昇ったようで、屋内でも十分に発揮出来ます」
マシュロの絶対防御は本来屋内向けだ。太陽さえ出ていれば常に太陽の影響を受けない屋内では十全な状態で能力を展開する事が出来る。
九尾狐戦では深夜に加え、消火不可の聖焔で使えなかった能力だが、この先はマシュロの絶対防御が必要になる場面があるだろう。
マシュロの頷きにルカは仲間の顔を見渡し号令をかける。
「よし、行こう」
ルカの転移扉先行を皮切りに【零騎士団】一同は転移扉の先に呑み込まれていった。
意識が再点灯した時にはまるで場所が移ったのかすらわからない岩の大空間に居た。ただ規模が恐ろしく異なる。見渡す限りの岩肌にだだっ広い空間は巨大な生物――ヘカトンケイル程度が飛び跳ねても動きに支障が全く無いくらいには。
高層程ではないが魔力が充満する一帯。邪悪と言うよりかは神聖といった感覚を受ける。
そこはまるで何かの住処のようでもあり、立ち入りが禁止されているかのような――。
「皆さん後ろです!!」
ピクッと気配を察知したマシュロの白耳が跳ねて疾呼する。
全員がその注意喚起に振り向いた時、それはいた。
今までに出会った巨大生物ヘカトンケイルなど一撃で倒し伏されそうなほどに、視界を埋め尽くす巨大な身体。威圧を助長する屈強で雄麗な二対四枚の両翼。人体など一捻りであしらうことの出来る剛腕と巨手。爪は鋭く、尾は長い。
如何なる攻撃でも塵芥へと成り下がる頑強な白と金の鱗に覆われるその生物。
四足歩行でありながら十メートル、十五メートル、いや――二十メートルにも及ぶその生物は。
人類が束になっても決して立ち向かってはいけない生物だ。
「ドラ、ゴン……」
誰かの呟きが落ち。
その返答に。
『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!』
耳を劈くほどの恐怖の大咆哮が大空間に響き渡った。




