180話 英雄
趨走する。少女達は走る。
探す。ルカの通った痕跡を求めて。
「サキちゃんこっちに血痕が続いてるよ!」
「迷宮化によって錯乱されている可能性があるから血痕は除外して!」
「こっちです! 強い血の匂いと、魔物の死体――いえ、瀕死の魔物が続いています!!」
「皆こっち! 急いで!!」
高層に突入したサキノ達は魔力侵食や中層で負った傷による創痍汚染を感じ取り、進行速度を早急と化した。もし魔物との連続遭遇がルカの身に起こっていれば、裂傷さえ許されない高層の仕組は確実にルカの首を絞めている。
しかし中層と比べ、存在するだけで魔力を消耗し行く生存難易度が格段に上がった高層を目の当たりに、サキノ達にルカが高層に拘引されたという根拠のない確証を齎した。
視野を広範囲に巡らせながら何度も魔物の集団に足止めを喰らい、サキノ達が最奥を目指しながら進んだ先、遂に見つけたルカの後続へのメッセージ。
それは魔物を利用した道標だった。それも死体ではなく瀕死の。
死体ではなく瀕死の魔物の放置は彼女等に猛烈な違和感を与えた。
確かに魔物同士の衝突により負傷する事は珍しくはないが、魔物とは殺戮本能による生物で一度争いが起こればどちらかが命を落とすまで戦闘は続く。瀕死のまま放置されると言う事は滅多にない。
たった一体の魔物が瀕死であれば、偶然ということもあっただろう。
しかしそれが瀕死に呻く魔物が何体も続いていたならば――。
無闇矢鱈な移動を行わせないために脚を、そして眼を局所的に破壊していたならば――。
ヒンドス樹道の迷宮化による地形や死体を利用した錯綜の本質を危惧出来る者ならば――。
――それは明確な意図を持ってして作られた軌跡だ。
つまりルカがその場を通った、己の存在証明。
そこからの判断は早かった。サキノを筆頭に高域に渡る瀕死の魔物の捜索が行われ、獣人であるマシュロの鼻を頼りに軌跡を追いかけた。
追えば追うほど脚や腕をへし折られたカルキノスやペガサス、両眼を斬裂されたラミアと、行動不能要因は全て似通っている。完全一致する機能停止の手際に、魔物の同士討ちによる偶然という疑心は完全に霧散していた。
助けを求めているのか、それとも行動不能に陥りながらも魔物としての使命を果たそうとしているのか、猛速で通過していく己達に呻き叫ぶ魔物達を次々と追い越していく。
そんなルカが残した指標を辿った彼女等が着いた先。
「うっ……」
聳立した赤に近い茶の色の岩壁。
そして何よりも凄愴なまでの飛び血や魔物の死体達。これまで残して来た瀕死の魔物とは一線を画した大惨劇に、サキノの息が詰まった。
(ここまでは行動不能になった魔物を残して来たのに、どうしてこの場所だけ魔物が大量に死んでいるの……? 瀕死の状態に留める余裕が無かったのか……それとももう道標を残す必要がないってこと……?)
周囲を見回しながらサキノは考え得る可能性を頭の中に並べていく。
一つは逃げ場のない岩壁沿いに追い込まれ、なりふり構わない状況であった場合。瀕死の魔物で道を紡いできたが、横たわっている魔物の数を見るに一人で相手をするには過酷過ぎる数だ。実力を信じて疑わないルカとは言え余裕が無かった可能性も十分に考えられた。
そして二つ目、岩壁に突き当たったことでの選択肢の限定。岩壁に向かって右方に戻れば中層、左方へ進めば高層の奥地、ルカが取った行動は二択にまで絞ることは出来る。
「ルカさんの血の匂いが混じっています……」
「痕跡がばったり消えてんなぁ……マシロん匂いでも追えへん?」
「僅かに嗅ぎ取ることは出来るのですが、魔物の血の匂いが強すぎて追うことまでは……あ」
高層の危地感を身を持って味わえば、普通に考えて中層へ引き返すだろう。軌跡を残すために相当数の魔物と対峙した様子も窺える。回復薬が尽きてしまうことを危惧しても、賢明な判断と言えるだろう。
周囲を調べ回っていたマシュロが大きな眼を更に見開き、突如駆け出す。一同が何事かと視線を引っ張られると、マシュロが跪いた先には横穴があった。
「ルカさん! ルカさんいらっしゃいますか!?」
横穴の中へと大声で呼びかけるマシュロの声に反応は無い。全員がマシュロの元へと駆け付け、小さなマシュロが中へと踏み込んでいく。
その時サキノの頭に浮かんだのはルカが内部に居る可能性だった。中がどれほど続いていて、どのような構造かはわからないが、身を守るにこれほど適した場所は無いだろう。
「瀕死の魔物がここで途絶えていることを考えると、ルカが中に居る可能性もある。皆急いで中に――」
「ぎぃぃぃやあああああああぁぁぁぁぁぁ!!」
「「「っっ!?」」」
「マシュロちゃんどうしたのっ!?」
マシュロの尋常ではない大絶叫に、レラが慌てて中へと飛び込みサキノ達も続く。
「せ、狭いんじゃが……」
「うぐぅ……みーちゃん、先に行って……」
マシュロの危機に遠慮など考える訳も無く、一気に全員が狭い通路に飛び込んだことで身動きが取れなくなる。ミュウの妖艶で豊満な肢体に圧し潰されるサキノは、ミュウの色香に頭がくらくらしていた。
「マシュロちゃんは無事みたいだよ~」
先頭を行くレラの安否報告がなされ、一同は安堵を胸に落とす。隙間から見えるマシュロは尻餅こそついているものの、身に危険は及んでいないようだった。
狭い横穴を通り一同は小部屋へと辿り着き、未だに「ぴぃぃぃ……」と恐怖に顔を引きつらせるマシュロから視線を移ろわせた。
「じ、人骨……」
「大分昔のものだね……三体ある事から見てもルカ君は関係なさそうだから一先ず安心だね」
「じゃあ一体ルカは何処に……?」
ルカの創造の能力を知っていれば、この場へ籠る事は選択肢の一つとしては大いに考えられた。
しかしルカは不在。この横穴を見つけたのであれば何かしらの痕跡は残してくれているだろうと考えていたが、もしかしたら魔物との交戦の為に気が付いていなかった可能性も浮上してくる。
常に思考を絶やさないサキノがここにいても栓無い事だと出入口へと視線を向けた。その時。
「マシュロさんそれは?」
「ふぇ?」
マシュロの華奢な腰元に身を隠すのは小さな手帳。サキノの指摘にマシュロが首を傾げながら手に取り、皆が覗き込むように内容を窺う。
果たしてその手帳はルカが見たものと全く同じ内容の記載が見られ、更に横穴の通路には見られなかった灯――魔力を大量に含んだ蒼花が小部屋で一輪のみが人為的に挿されている装いにサキノは確信を得た。
「現在地の分からないルカは魔物を瀕死状態で道を残してこの場所に辿り着いた……そしてこの手帳を見て先の行動を決めた……」
「幸運が過ぎる……が、合理的じゃな。さすれば選択肢は進退二つに絞られた訳じゃが」
「どう、しますか……?」
「手帳によれば最深部までの距離はおよそ五キロ。中層は体感その倍以上はあった気がするけど、先人達がこの場所で諦めたように中層までの記載がないってことは希望にも不安要素にもなる。ルカ君の残りの回復薬次第ではあるけど、現在地が判明したなら居るだけで命を脅かされる高層より中層に戻る方が賢明だよね」
「ルカりんは他になんか手がかり残してへんのかいな?」
あまりもの幸運にミュウが一度は嘆くも、総合的に現状を整理すれば辻褄が合ってしまう事に二つの選択肢を提示した。
不安そうなマシュロの見上げる姿に、魔力を常に奪われる高層はあまりにも危険な場所であることを再周知する。数々の危地を【クロユリ騎士団】で乗り越えて来たレラならば、最善か否かは別として、自然と安全である選択肢が進退どちらかであることは理解している。
ポアロが零した一言に皆が周囲を見回すも他の手がかりは何も残されていない。
(本当にルカがこの場所に辿り着いたのなら私達に何か痕跡を残しそうなものなのにどうして何も残していないの……? これじゃあ私達が横穴を見つけたとしても判断に迷う事は――)
「サキノさん! 裏です!」
「え?」
手帳を受け取りつぶさに眼を通していたサキノへ、地に座り下部から見上げる形のマシュロが唐突に叫んだ。
サキノが疑問を声に体現しながら裏表紙を眺め、一同が再び同じように覗くとそこには。
『追記:ただし中層へ戻るにしても外界までの道のりは長い。もしも自力での脱出が困難であり、救助の可能性に賭けるのであれば奥地を目指すべし。最深部は魔力侵食が弱く、万全な状態ならば幾分かは持ち堪えられるだろう』
最深部まで五キロメートル。魔力侵食の弱化。
手帳は先人達の誘掖。
明確に記された最善策はルカの指針を揺るがせはしなかった。
「最深部に急ごう!! 横穴を出て右に!!」
サキノの指示が飛び、蜂が巣穴から飛び出るかのように次々とヒンドス樹道最深部へと舵を切った。
横穴前で魔物の瀕死の道が途切れている理由。
後続の為に明確な行き先を記していない理由。
それは最深部に目指す選択肢が限りなく安全であり、痕跡を残す必要がなくなったからであった。同時にルカが行き先を横穴に記さなかった理由としては、戦士達が残した横穴――手帳等の遺産が、この先ヒンドス樹道に踏み入った何者かの命運を分ける可能性が残されていたからだ。
ルカが不用意に行き先を記せば、何十年、何百年後の戦士や救助者の選択を迷わせる可能性がある。先人達が残した唯一の手掛かりは、一度の使用で使い切ってはいけない。ルカは高層の脅威に苦しみながらもそう感じたのだ。
少ない情報ならば確実に他の痕跡や手掛かりを探すだろうと、サキノ達を信頼しているからこそ出来た選択。
『アンタ達騎士団がしなくちゃいけないことは信じて頼る、頼られる相互関係の信頼よ。一々団員の安全や顔を窺うのは優しさなんかじゃない。危地にも関わらず後を付いてきてくれるのなら何も聞かずに導く。それがアンタの信頼の証明よ』
天空図書館でココが説いた信頼の意味と、ルカが出した信頼の証明。
生き残るために仲間を信頼する。導く。
【零騎士団】ならば己の真意を読み取ってくれる。そう信じたからこそルカは、未来の戦士達の命運を残しながらその場を離れる事ができたのだ。
『キシャアアッ!』
「邪魔ッ!!」
魔物の威嚇じみた声が一瞬で斬り伏せられる。
岩壁を右手に五人は快足を飛ばして森林地帯を駆ける。その先には彼女等の希望が、大切な人が確実に居るはずだから。
自身達の光はもう目前なのだ。
その光が潰えてしまう前にと。
とにかく性急に。
(ルカっ……! もうすぐ行くから頑張って……!)
傷も厭わぬ強行軍で、時折遭遇する魔物を拙速に撃退しながら彼女達は最深部に向かって進んでいった。




