176話 導け魔物の森で
機能停止したカルキノスを奥部に、ペガサスは宙の一蹴りでルカとの距離をゼロにした。電磁砲が消失させられたことから、何らかの能力を携えているだろう金幻馬ペガサスへの砲撃は愚劣の域。魔力が駄目ならば物理でと瞬間的に黒剣を創造し迎撃の一閃を袈裟に振り払うが、ルカの一太刀は驀進してきたペガサスに直撃を喫さずに空を斬った。
「っ!?」
視界の端、右方。猪突を凌駕する勢いで突進をしておきながら右方へと直角的に回避したペガサスの脅威的な機動力にルカは眼を見開いた。
三人ほどの人間を背に乗せられる図体を持つペガサスの渾身の突進は、無防備なルカへと吸い込まれていく。
「ぐっぁっっ!?」
強烈な衝撃。腕を畳み防御を集中させることで骨への異常は認められなかったが、まるで筋肉が断裂したかのような熱い感覚を覚えた。
武器を手放し擦過するルカが体勢を立て直そうと上部を見上げると、既にそこには宙を翔けたペガサスが嘶きのように蹄を振り上げている。
なりふり構わず身体強化でその場を脱した直後、ドゴンッ! と地面は陥没、苔は吹き飛び、魔力に侵された花々がペガサスの周りで宙を舞った。
「一撃一撃が重いっ!」
黄金の毛皮から覗く漆黒の眼光に睨まれながら二刀短剣を創造。的を絞らせないよう周囲を駆け、木々の陰を利用しながら、一刀を投擲する。
その短剣はまるでダンスのような身軽なステップによって躱されたが、接近の一斬の回避、そしてカルキノスに対して放った電磁砲のように受け止めない事から、ペガサスの無力化は魔力にのみ適応するとルカは推測した。
(身体強化で錯乱して武器巨大化で仕留めるッ!)
もののついでに投擲したもう一刀の短剣がペガサスの背後の木へと突き刺さり、ルカは翠眼を解放した。光の粒子が踏み込みによって血潮と共に宙へ撒き上がり、ルカが加速を試みたその瞬間。
「え……」
ガクッ、と膝が落ちルカは勢いよく転倒した。
急激な身体の重圧、軽微な痙攣、寒気に脱力感と不調のオンパレードが身体を襲う。
「はっ、はっ……」
極めつけは呼吸障害。
自身に降りかかる数々の失調の原因にルカはすぐさま思い当たった。
(魔力消費のペースが早過ぎるっ!?)
誰にも知られていない情報である高層の危険な点。それは時間経過の魔力侵食に加え、魔力の消費量が増幅することだ。
通常、魔界の戦士とは基本的に自身の得物で戦い、盤面を有利に運ぶための大技に魔力を使用する。マシュロのように攻撃手段が魔力を媒体にした電磁砲である場合を除き、魔力とはそう簡単に枯渇するものではない。それもマシュロの場合は【夜光騎士団】団長キャメル・ニウスや、元副団長ラウニー・エレオスが認めるほどの馬鹿げた魔力量を持っている為に、感じにくいものではあったが。
しかしルカの戦闘スタイルとは創造然り、視野広角然り、無力化然り、常に魔力を基盤に能力を発動する。優秀な能力の反面、魔力が無ければ常人以下へと成り下がってしまうのがルカ・ローハートの短所というものだ。
そんなルカが魔力侵食、そして消費量増幅の状況下で能力を使用した回数は十度。魔力回復薬を使用して万全の状態に回帰しようとも、戦闘が続く限り、一時の難を瞞着しているに過ぎないのだ。
『ブルォォッ!!』
標的の行動停止に、絶好の機宜を見たペガサスは力の限り突進を敢為する。
現在の調子で巨体の突撃を受ければ重傷必至の状況に、魔力不足が招いた事態でありながら魔力を使用するしかない自身に臍を噛みながらルカはなけなしの小盾を創造した。
「がはっっ!?」
勿論衝撃を受け止め切れる訳も無く、背後の巨木へ激突し背部に激痛が走る。
『ブオオッ! ブオオオオオオッ!!』
「う、く……っ!?」
風が巻き起こるほどに翼を羽ばたかせ、樹木へ力で圧し潰そうと頭突きを断行するペガサス。
歯を食い縛り、両手と右足を加えた抵抗でペガサスの圧着を凌ぐルカ。
体に刻まれた傷口が赤い悲鳴を上げる。まるで傷口を通して体内から魔力が排出されているかのような蒸気が眼前で焚き上がっていた。
(傷口から魔力が逃げてる!? 高層は傷すら許してくれないのかよ!?)
ペガサスとの悶着を続ける傍ら、猛速に消費を続ける魔力に違和感が生じた。
創造した小盾は魔力消費が倍増とは言え一度限りの消費。緩やかな魔力侵食意外に魔力を消費する要素は思い当たらない。
それが高層侵入当初よりも明確な速度を持って蝕み続ける現状に、ルカの中である仮説が立った。
『創痍汚染』。
魔力侵食に加えて高層の危殆な二点目。傷口から高濃度の魔力を取り込み、魔力消費に拍車をかけているのだ。
カルキノスに刻まれた無数の創痍が傷口から汚染され、魔力を自然消費させていた事こそがルカを現在苦しめている事態の正体である。
魔力侵食、魔力消費の増幅、創痍汚染。
魔力が全てであるルカにとってヒンドス樹道高層との相性は最悪なのだ。
(治療と回復を急がないと……!)
あまりにも早すぎる魔力の枯渇。自身の傷を治療しないことには負の連鎖は終わらない。
維持は消耗にしか過ぎず、窮地を脱しないことには状況は悪化を辿るだけだ。
今も圧し潰そうと力の拮抗を続けるペガサスだったが、一瞬力が無になる瞬間が訪れた。
『ブッ――オオッ!!』
痺れを切らしたペガサスの後退。助走をつけ、加速の加護を得るために距離を取ったペガサスの賢明かつ巧遅な行動にルカは盾を身代わりにその場から飛び退いた。
直後、樹木に渾身の頭突きを見舞う大轟音がルカの背後で打ち上がる。
「ぜっ、ぜェっ……!」
ふら付く脚で腰に括りつけたアイテムポーチを漁りながら木陰へ。震える指先で辛うじて黄色の液体が入った小瓶――万能薬を取り出し一気に飲み干す。
あえぐ肺が液体を吐瀉させようと押し返すも、一滴も無駄には出来ない。強引に嚥下し、ルカは身体の不調緩和、傷口の再生の実感と共に盛大にむせ返った。
「ゲホッ!! ゴホっ!! くそっ、こんな短時間で二本も使うなんて想定外過ぎるっ!」
樹木との衝突によって頭をぶるぶると振るったペガサスは再度ルカへと突撃。
しかし万全の体調を取り戻したルカは機敏な動きで木々間を縫うように移動し、機動力を強みとしたペガサスはルカの縦横無尽な動きに追従するよう背後を追う。
(だけどペガサスとの攻防でカルキノスの邪魔が入らなかったことを鑑みると成果はあったとみてもいいだろ。涙程度の魔力も惜しいけど一応念には念を入れておくか)
始まったペガサスとの追いかけっこの道中、左の鋏をシャカシャカと開閉するカルキノスへ接近したルカは通り際に二刀短剣を再度創造。正確なコントロールを持って投擲し、上部へ突き出た眼球を斬り飛ばした。
『ッ!?』
行動不能になってまで追撃してくるとは思っていなかったのか、大した防衛反応も出来ずにカルキノスはルカの思惑通り両目を切断された。
悠長な行動とは知りながらも策の為には必要不可欠。カランっと地へ落ちた短剣を駆けながら拾い上げ、ペガサスの追撃を往なし、ルカはその場を離れ始める。
背後から、真横から、時には前面へ回り込みながらルカを執拗に狙うペガサスは魔物ながらにも美しい。傷をつけるにも惜しい程の容姿だったが、甘い考えなど許してはくれない。
怒涛の突撃に魔力消費を抑えたいルカは手持ちの一刀の短剣のみで対処する。
「マズイな……ペガサス一匹の時点で仕留めておきたかったんだが……」
数百メートルの移動の後、前方に二体の魔物の影を視界に捉えてルカは双眸を狭窄させた。
『キシャアアアアアッ!』
蛇の尾に人型の胴体、両腕の先端に接続するのはこれまた蛇の顔面。髪は長くよれよれの醜顔を晒す魔物、蛇女『ラミア』。
背後から迫り来るペガサスへと一度牽制を入れ、ルカは翠眼で渾身の加速。懐へと一気に入り込み激烈な蹴撃を叩き込んだ。
『ガッ!?』
骨が砕ける感触。腹の骨を砕きながら一体のラミアが吹き飛ぶ。
先手必勝を掲げてもう一体のラミアを迅速に片付けようとしたが、ザワザワとラミアの髪が膨張を始めた。
『シャアッ!!』
「おわっ!?」
ルカを明確に狙った髪の飛来。広範囲に及ぶ髪の拡散攻撃に慌てて木陰に身を潜める。
「危ねぇっ!? 回復したばっかりだってのに広範囲攻撃でとことん潰しに来てるな!?」
ドスドスと樹木を伝播する刺突の震動を背中に、左右を通過する髪の緩やかな風を感じながら嵐の終息を窺う。
しかし今のルカの状態は裏を返せば逃げ場のない状態で。
息すらも気配すらも持たない蛇が騒音の中、ルカの上部からゆっくりと接近する。
そしてバクンっと。
「っっ!?」
何かが食い千切られる感覚――いや、持っていかれる感覚を覚え、ルカは上部を見上げる。
そこには長い長い蛇が木上から伝ってきており、その正体は距離の離れた場所で「ヒヒヒ」と笑う骨を砕いたラミアの腕。
噛まれた首筋を手で触れるも目立った損傷はない。それどころか傷跡の感覚すらも確認できなかったが、途端に襲い来る体への重圧と倦怠感に腕蛇が何を噛み千切って行ったのかを理解した。
「魔力を食い千切っていきやがった……!」
魔力濃度の高いヒンドス樹道高層に棲むラミア。好物は勿論魔力。
ヒンドス樹道外から来た人間にとって高層は魔力残量との戦いだ。魔物達はただ己が持てる力で侵入者を迎撃しているだけに過ぎないが、高層の劣悪環境と手を組めば有り余るほどの脅威になり得る。
狡知且つ酸鼻的。低層や中層のようにヒンドス樹道が知略を巡らせずとも、高層はもう死域なのだ。
暴髪がするするとラミアへと帰っていき、周囲を駆けていたペガサスが迫り来る。
温存していた魔力を半分近く持って行かれたルカは木々を障害物に防戦を耐え忍ぶ。
「くっ、何やってるんだ……っ! 持って行かれたのが魔力じゃなきゃ最悪死んでるぞ!」
気を張り詰め過ぎて周囲が見えていない己を叱咤する。しかし食されたのが魔力で助かったと挙措を失いかけた頭に、冷水の如く凛冽な思考を呼び込む。
「ふぅ……」
短い深呼吸の後、広がる視界に攻勢の火が灯る。
防戦一転、特殊電磁銃を生成。ペガサスの位置を確認し、ラミアに向けて発砲する。
『ブルルォォォッッ!』
直線的な蒼き号砲はしかし、ラミアに直撃寸前、ペガサスの嘶きによって消滅した。
「距離や位置も関係ないのか……けど」
カルキノスへの電磁砲を凌いだ時のように、ペガサス自身が間へと介入せずとも魔力を消失させられるようだ。
しかし電磁砲を受けきられた一度目と異なる点は明確にあった。
「何とか活路は見えたな!」
それは絶え間なく宙を翔けて追尾してきていたペガサスが、距離が開けている魔物を庇うための嘶き時に脚が止まったところだ。
見方を庇うための隙を見出したルカは、再びラミアに電磁銃を向けた。
その時。
『オオオオオオオオオオオオオオッッ!』
ペガサスが吠え。
「はっ?」
落雷が周囲へと落ち始めた。
その数計測不可。
「ちょっ!? 嘘だろっっ!?」
やむを得ずルカは結界を展開する。
落雷が落ちた箇所から狭い範囲とは言え周囲に放電している。視野広角――未来予知を発動しても視界を埋め尽くすほどの落雷は回避不可、更には放電のオマケつきともなれば、防ぐ手立ては結界しかなかった。
ペガサスの生態。それは魔力の強奪と放出。
ペガサスは同じ魔物への電磁砲を庇っていた訳ではない。己の好物である魔力を強奪し、蓄え、機動力しか能が見られなかった攻撃に幅を利かせたのだ。それも回避不能な絶対的制圧力のある一撃に。
『オオオオオオオオッ――オオオオオオオオッ!!』
地形も味方も関係ない。味方であったはずのラミアは雷に打たれ地面に平伏し、光を放つ魔力含有植物達が次々に消し飛んでいく。灌木は燃え盛り黒煙を放ち、砂煙が一帯を埋め尽くす。
徐々に暗闇と化している筈なのに降り注ぐ無数の雷が照明代わりで。一帯の支配者は宙で嘶く黄金を放つ幻想的な獣。
まるで仕留め切れなかった鬱憤を晴らすかのように暴虐の限りを尽くすペガサスは、最後に特大の咆哮を打ち上げる。
『ブルルォォォオオオオオオオオオッッッ!!』
並列した雷が一斉に落ちた。逃げ場も凌ぐ術もありもしない一撃。
ブルルッ、とペガサスが体を震わせ、訪れるのは静寂。
黄金の毛皮がぼんやりと周囲を照らし、暗澹と化した一帯の唯一の生存者として誇示しているかのようで。それはまるで暗闇で航海者へ道を示す灯台のようで。
その存在感を示す威光が仇となるなど、ペガサスは思いもしなかっただろう。
『ッッ!?』
鋭い紫紺が煙中で揺らめき、巨大な刃――刃渡り十メートルの大剣が迫る。
よもや生存者などいるなど思いもしないペガサスは咄嗟に回避を敢行するも、当然間に合う訳も無く刃の餌食となった。
『ルオッ――』
四肢を断たれたペガサスは堕天し、地をのたまう。
ザッザッ、と焼き焦がれた地を歩んでくるのは一人の少年。機動力も行動力も失ったペガサスは翼を羽ばたかせて逃走しようとするも、鋭い剣戟が純白の翼を断ち切った。
「はぁ……はぁ……逃がさん」
『オオンッ! オオオオッ……』
魔力の効率の悪い結界展開まで追い込まれたルカは肩で息をしながら、苦しみ鳴くペガサスを眼下に、二体のラミアを一瞥した。
一体は完全に焼き尽くされ、微動だにせず息を引き取っている。流石にペガサスの雷撃からは逃れられないかと諦念を抱きながらもう一体を窺うと、腕の蛇がビクビクと藻掻くように僅かに動きが見られ、ルカは眼を見開いた。
「まだ息があるな……」
もう一度ペガサスを一目見て抵抗の術がないことを確認すると、ルカはラミアの元へと歩いていった。
ラミアの元へと辿り着いたルカは長剣を消失させると、魔力回復薬器用に口に咥えながら紐状の物を創造してラミアの尾へと縛り付け始める。
「簡単に死なれちゃ俺が困る。魔物の生命力を見せて貰うぞ……」
飲み干した魔力回復薬を地へ捨て、ペガサスを置き去りに、ずるずるとラミアを引き摺りながらルカはその場を離れていった。




