173話 分断、信頼、決断
リキッドリザードの出現に混沌と化した戦場、そして陥穽に呑まれた隊長。現在指標を失った【零騎士団】の中で冷静を保てている人物などいる訳がなかった。
そんな中一行を襲うのは前後左右どこを見ても魔物魔物魔物。息がある魔物が後方から迫れば、死体と化した低層の魔物も入り混じる魔物の大行進は正に亡霊。
まるでゾンビのように蠢く死体を前に、ヒンドス樹道が確実に己達を潰しに来ているのだと悟るには十分だった。
「この魔物達何度倒しても意味がありませんっ!?」
「これが言っていた亡霊かい! 確かにミミックじゃない本物の死体だねっ!」
混乱の淵に叩き落とされた一団は、ルカの消失に現在地を動けずにいた。互いに背を預け合い、次から次に迫り来る魔物を打ち払う。
不幸中の幸いだったのは、死体と化した魔物は物量で攻めてくるのみで能力を扱うことはない点だ。首を縊られ、頭を吹き飛ばされた魔物達はまるで操られているかのように身体の爪牙を振るうのみだった。
とはいえマシュロが至近距離で砲撃を放ち吹き飛ばそうと、マートンが何度重槍で断斬しようと一切堪えていない。命尽きてまで動く正真正銘の亡霊に、恐怖を覚える暇さえ与えられなかった。
「皆離されないでっ! 離れたらどんどん囲まれちゃうよ!」
一度亡霊を経験しているレラが一番危惧しているのは、物量に呑まれて仲間が分断される事。合同任務では人数が人数だっただけに窮地で庇い合う事が出来たものの、五名という現在では背後すらも庇い合えなくなってしまえばそれは終わりを意味する。
速度と体力に転換の能力を全振りし眼前の敵を叩き斬るレラ。息を切らしながら上がる苦鳴に、チラと背後を窺うと、数えきれないほどの魔物達が刻々と仲間達に創痍を刻んでいく。
加速度的に積み上げられていく疲弊、回復さえ許されない物量、飛び散る血潮。
「数が、多過ぎるっ!?」
全滅。
サキノの悲鳴にレラの脳裏を過ぎった二文字の言葉。現状打破のために、転換の能力を出し惜しみするつもりはレラには無かった。
(流石に悠長な事言ってられないか。んじゃまぁ、やったりますかぁ!)
レラは爆発的に翡翠色の魔力を増幅させ、手に握る両刃鎌を今一度強く握り締めた――が。
「お?」
背を引かれる感覚を覚え、レラの視線は背後へ。
そこには同じようにミュウの糸で引かれ、中央へと引き寄せられる仲間達の姿。
「監獄」
ミュウの声を皮切りに密集した一同の周囲を猛速に覆い囲んでいく多量の糸。隙間なく建てられた糸のドームは一時的な避難所のよう。
『ガアァァ――……』
息のあるリザードマンの猛り声を外部に置き去りに、一同は小規模の避難所へと閉じ込められた。
「はっ、はっ……ありがとうみーちゃん……」
「はぁ、ふぅ……本当にどうなることかと思いました……ありがとうございます……」
一時的な数の猛威から逃れることに成功したサキノとマシュロは息を野放しに礼を告げる。
ドームの外側では魔物達が突破しようと攻撃を加えているが、鋼鉄の強度を誇るミュウの糸は簡単には揺らがない。
「ふっ、ふ……状況の整理と方針を定める時間が必要じゃと判断したまでじゃ」
(チ……妾は一体何をしておるのじゃ……)
やや息を切らしながらも不満気な顔を隠すミュウだったが、表情を窺えないミュウの言葉には皆が賛同した。
畳みかけるように襲ってきたヒンドス樹道の奸計によって司令塔を失い、進むべきか立ち止まるべきかの判断すらも戦闘の渦に呑まれて下せないでいたのだ。ミュウの機転は誰もが認めるところだった。
「っ! そうですルカさん! ルカさんを助けに行かないと!! ミュウさんここから出してください!」
皆一様に回復に努め、沸騰していた血が落ち着きを見せ始めると、次に去来するのはルカへの憂慮。焦燥が肥大して仕方が無いマシュロはミュウへ詰め寄った。
「死に行くつもりか? 策も無しに今外に出ても状況は変わらんぞ?」
「悠長にしてる余裕なんて無いんです! 私達がこうやって危機を凌いでいる間もルカさんはどうなっているのかわからないんですよ!? 私達より危険な状況なんです!」
「焦る事と悠長にする事は対義じゃないよマシュロちゃん。ウチ等だってこの状況がひっじょーにマズイってことくらい分かってるんだからさ」
「私自身冷静じゃないことくらいわかってます! ですが私達の一秒がルカさんの命運を分けるかもしれないんですよ!? 時は一刻を争うんです!」
リキッドリザードに呑まれたルカが生きている保障などない。けれども生きている前提以外で話を進めるつもりも無いマシュロは、唯一の光源である苔に蒼白の顔面を照らされながら反論を説く。
マシュロの言っている事も理に適っている。もしルカが無事であったのならば一秒でも探索を急いだ方がルカの生存率は上がるだろう。しかしルカの安否、そして現在地すらも判然としない今、当ても策もなく広大なヒンドス樹道を探し回るのは無謀に等しい。
わかっている。わかっているのだ。急がなければならないことも、何処を探せばいいのかわからないことも。
「マシュロさん、落ち着いて」
誰もが言葉に詰まるマシュロの当惑に、口を開いたのはサキノだった。
「だから落ち着いている時間が――」
「マシュロさんの信じるルカはそんな直ぐにやられるような人?」
「っ! ぅ……違い、ます……」
仲間同士の言い合いに逡巡を走らせていたサキノが引き合いに出したのはルカが持つ信頼。ルカの実力、根気、逆境を跳ね返す力をマシュロは知っている筈だと、自分達の団長は簡単にやられるような人じゃない筈だと諭す。
その効果は、誰よりもルカを信じ崇敬するマシュロには覿面だった。大きな眼を一度見開き、憂慮が盲目にさせていたことをようやく自覚し、申し訳なさそうに俯いた。
「そうでしょう? 今ルカがどうなっているのはわからないけれど、少なくとも、あのリキッドリザードの行動には明確な殺意は感じられなかった。だから私の反応が遅れたところもあるのだけれど……とにかくルカは別の場所で生きていると思う。だから私達がしなきゃいけないことは、一人になったルカとの意思疎通だよ」
ルカの不倒翁を引き合いに出した効果は、何もマシュロだけに効果があった訳ではない。ルカに絶大な信頼を寄せている一同の心の余裕を生み出すには十分な事実だった。
焦燥を希薄に、思考を明瞭に。
マシュロの言うように決して悠長にしている暇などないが、最速最善を尽くすための作戦会議が始まった。
「これはまた高難易度な注文だね。直接対話出来ない人間との意思疎通ほど困難を極めるものはそうそうない」
「それでもこうなってしまったからには考えを通じ合わせなきゃならない。私達が全員生き延びるためにはね」
進むべきか、退くべきか、留まるべきか。
探しに行くべきか、待つべきか。
目立つべきか、隠密すべきか。
広大すぎる森林地帯で、降りかかる魔の手を退けながら情報なしに人一人を見つけ出す成功率はゼロに近いだろう。一手でもルカとすれ違いが起きればどちらかが、最悪の場合両者共が命を落とすことになり兼ねない。
絶対に間違えることの出来ない選択肢を彼女等は迫られていた。
「ふむ。ではサキノ・アローゼ、お主はどうするべきじゃと言うのじゃ?」
「私達の行動指針を定めるためには、まずルカがどこに居るのか――つまりリキッドリザードの目的を見極めなくちゃいけない」
リキッドリザードが起こした行動。それらを把握しない事にはルカの現状もわからない。
結論を急ぐミュウの質疑に、サキノは分析する為に噛み砕いていく。
話し合いの余地を認めてサキノを中心に自然と車座に会し、レラは依然報告を受けたリキッドリザードについての情報を共有する。
「リキッドリザードの目的ね~。マシュロちゃん達が一度ヒンドス樹道に踏み入った時は囮の役割だって話だったっけ?」
「はい。私は今回含め、二度リキッドリザードと邂逅しましたが、印象としては再生能力こそ高いですが中身はハリボテ。侵入者を撃退するような殺傷能力は感じられませんでした」
「ふんふん。で、ウチ等が合同任務でリキッドリザードと遭遇した時はなんて言うかこう……中層の魔物が低層に進出してウチ等を包囲するために時間稼ぎみたいな役割を担ってた気がする。これも囮と言えば囮なのかな?」
マシュロやルカ達が子供達を救出するために踏み込んだ一度目の侵入。そしてレラ達が円月花を移植するために臨んだ合同任務。高濃度の魔力を好むリキッドリザードの低層出現こそ異常事態だが、どちらも侵入者撃退のためには実働的な働きはしていないことを薄々に感じる。
「あくまで本質的な狩人は魔物達……リキッドリザードはヒンドス樹道のサポート役という印象だね」
「うん、私もそう感じた。ヒンドス樹道に意思があるって考えるのは些か強引かもしれないけど、実際に合同任務でレラ達が経験した出入口閉鎖や、道の錯綜、中層の魔物達の低層進出、リキッドリザードの出現タイミング、亡霊と、侵入者を狙うタイミングが完璧過ぎる。だからヒンドス樹道の意思の元にリキッドリザードは動いていると考えるべきだと思う」
リキッドリザードとヒンドス樹道の関連性の結論がマートンとサキノによって導き出された。
感情や理論で動く戦士達にとってリキッドリザードの働きとは、絆という秩序を破壊し、混乱を生み出す重要な役割を担っていると。ヒンドス樹道が存在感を発するリキッドリザードを囮にする事で、知能で劣る魔物達が格上である戦士達を出し抜くことを可能にしていると。
「全ての中核を担うのはヒンドス樹道という訳ですね。ヒンドス樹道が侵入者を排除する目的だと想定すれば、リキッドリザードの目的――ルカさんはやはり分断されたと考えるべきですか……?」
「恐らくね。リキッドリザードの危険度と役割を参看すれば分断以外に辻褄が合わない」
確証はない。計三度となる邂逅でリキッドリザードが初めて見せた行動は謎に包まれているが、混乱を生み出すための契機として分断は十二分に考えられる。
「分断という結論は理解も及ぶが、結局の問題はルカ・ローハートの場所が分からんことじゃろ? 虱潰しに探す余裕もないじゃろうよ」
ルカの居場所が特定できない限り堂々巡りとなってしまう問題に、サキノは唇に指を添え少しの逡巡を巡らせ。
「……確証はないけれど、多分ルカは高層に居ると思う」
ミュウの紅眼を直視しながら答えを出した。
「高層? それはまたどうして?」
「まず前提として侵入者の確実排除という目的がある以上、危険度の低い場所には分断しないだろうという推測から消去法で低層は考え難い。問題は中層か高層なんだけれど、この中層の魔力濃度を低層と比較しても、高層はきっともっと魔力濃度が高い」
「にゃるほど~。高濃度の魔力地帯が人体に及ぼす影響は計り知れないって言うもんね~。つまりサキちゃんは一人では生き延びにくい環境にこそルカ君が連れ去られた可能性を考えてるんだね?」
「うん。勿論ルカが中層に居る可能性は否定できないよ。でもヒンドス樹道がリキッドリザードを使って確実に侵入者を排除するとすれば、中層高層関係なしに危険度の高い場所へ連れ去ると思うの。高層がどんな場所なのかは想像もつかないけれど、中層の魔力濃度を考えればもっと過酷な地であることには変わりないと思う」
魔力は人々に様々な恩恵を齎し、今や生活に欠かせないものだ。しかし度が行き過ぎた高濃度の魔力というのは人体に悪影響を与えることもある。
人々が管理する地ならばまだしも、ここは自然の禁足地ヒンドス樹道。低層では何事も無かった体調面が、中層に入るなりに感じた息苦しさ、そして時間を経る度に徐々に蓄積しているかのような体の重圧に似た倦怠感は皆感じ取っていた。故にこれから進むべき高層への疑懼の念と言うのは嫌でも想像させられる。
「リキッドリザードも高層を好むって言いますしね……理には適っていると思います。ですが高層の何処にいるかも判然としませんがどう探しますか……?」
そんな説得力のあるサキノの推理とレラの補足に、マシュロは更に答えを煮詰めていく。
しかし。
「そもそも私達がルカを探す必要はないんだよ」
「「え?」」
サキノの大胆な発言は一同の驚愕を誘う。
誰よりもルカと長い時間を過ごし、誰よりもルカを信頼し、誰よりもルカの性格を知る少女は、ルカの行動を読み切る事など大した困難ではなかった。
「これは決してルカを見捨てるとかそういう意味ではなくて、私達は高層に居るだろうルカが残す情報を確実に拾いながら、急いで合流するべきなのよ」
「捜索じゃなくて合流、ですか……?」
「そう。こんな危険な状況でもきっとルカは前に進む。だから私達が目指すべきは――」
× × × × × × × × × × × × ×
パシャンっ。
水音が地上で弾け、一時的な束縛が解放へと相成った。
「ケホッ……! んん……。殺意はないから大丈夫だと思ってたけど……これはこれは非常にマズイ状況なんじゃないか?」
まるで昼間のように明るくも怪しげな光を灯す空間にルカは落とされた。周囲には強い蒼光を放つ苔や、優美な大輪を咲かせる翠の花々。木々ですらも大量の魔力を含有しており、濃すぎる魔力が低層中層と異なる旨を視界から直接叩き教えていた。
「連れてこられたのは高層か……? 息苦しさが半端じゃない……それになんだこれは……? 魔力が消耗してる?」
サキノ達の推測通り、ルカはリキッドリザードによって高層に連れて来られていた。そして中層に取り残された彼女達が懸念していたように高層は侵入者の身体を蝕む。
『魔力侵食』。
息をするだけで――いや、高層に立っているだけで魔力が消耗の一途を辿る劣悪環境こそが高層の真骨頂だ。
魔力を消耗すれば人は意識を失い、最悪の場合命を落とす。ただでさえ存在しているだけで脅かされる命に加え、ここは魔物が存在するヒンドス樹道だ。高層に踏み入り悠長にしていれば待ち受けているのは確実な死だ。
息苦しさに加えて体の倦怠感や鈍化を身に覚えるルカは、アイテムポーチから魔力回復薬を取り出し中層までの消耗を一度補った。
「回復は可能か……回復したなりから消耗していくみたいだし余裕はないな。さて、ここからどうするかだが……」
ルカは一度四顧し現在地の確認を図るが、見渡す限りの木花で当然居場所など分からない。
例え進んでいるとも、中層まで退いているとも判別がつかないとは言え、目的もなくうろつくには適さない死地。中層にいる騎士団員達と意思を通わせ、己の方針を定めるべきだとルカは懊悩する。
「中層に戻るのも吝かではないけど……すれ違えば一生すれ違う可能性も考えられる。あー……こんなことになるならフリティルスさんかニウスさんに団員の魔力探知のやり方聞いておけば良かったな……無いものをねだっても今は仕方が無いんだけど悔やまれるな……」
団長のみに与えられる特権、それが誓印による団員の魔力探知だ。団長自身の魔力を媒体にしている血判から刻まれた誓印がある限り、団長が魔力探知を習得すれば団員のおおよその位置は判断出来る。
普段は使わずともこのような非常事態にこそ真価を発揮する緊急オプションを習得していなかったことをルカは心底後悔した。
しかし後悔も束の間。ルカは頬をパシンッ! と叩くと意識を瞬時に現実へと切り替えた。
「ふぅー……となれば、後続に情報を残しながら進む方が合理的だな。……うん。じゃあ俺が目指すべきは――」
× × × × × × × × × × × × ×
「「高層最深部」」
絶望的な距離感。
必然か偶然か。
離れている筈のルカとサキノの意思が疎通を迎えたのだった。




