170話 自覚と嫉妬
濃度の高い魔力を秘めた苔が照明となった薄暗い地を稲妻の如く紆曲していくのは美しき白き琴線。
一度直角を作れば一体の黒妖犬ブラックドッグが分胴され、もう一度稲妻が急転進すれば小鬼兵ゴブリンの首が血を吐き出す。己が斬られた事に気が付くのは、稲妻の余波による風が囁いた後だ。
「ふッ!」
まるで円舞。無駄の無い動きで次々と魔物を斬り伏せていくその姿は戦場に舞う妖精のようだったが、その可憐な姿を綽然と観賞出来る者はこの場にはいない。
禁足地低層。戦闘音が魔物を連鎖的に呼び、ルカ達は数の暴力に巻き込まれていた。
その数三十。未だに増え続ける援軍に鳴り止まぬ剣戟。
しかし一行の表情には別段焦燥や歯噛みといった苦難は混在していなかった。
「なはははっ! 重力を使うまでもあらへんでー、ほいっ!」
「鷹揚に構えるのはいいですが、油断は禁物ですよ。いざという時は私が守りますが……」
「おっ、頼もしいなぁマシロん。ほならもっと暴れても大丈夫かいな?」
技巧な羽衣捌きで重槍を扱い、次々と魔物を貫通していくポアロも余裕の体。遠距離から電磁砲で魔物を撃墜していく傍ら、皆の死角を潰していくようにマシュロは全体を見渡しながら注意を促す。
「ポアロ、必要以上に体力を消耗する必要はないからな。サキノが道を切り開き次第先へ進むぞ」
「でもルカりん、進めば進むほど奴さん強くなんねやろ? 僕みたいな凡は今の内に活躍しとかな見せ場あらへんのや」
「何言ってんだ。打算なんかなくともポアロは強いだろ、中層以上にも期待してるよ」
「なんや嬉しい事いってくれんなぁ! 僕が低層全部の魔物狩り尽したる!」
「話聞いてたか?」
無駄に元気なポアロに接近がてらルカが方針を告げる。
低層の調査が目的ではない彼等にとって、全部が全部の魔物を相手にしていてはキリがない。中層そして高層と、未知且つ攻略難易度が上がる場へと向かっているのだ。体力と魔力の温存のためにはどこかで見切りをつける必要はあり、そのため機動力と殲滅力に長けるサキノが道を切り開くまでの周囲掃討と言うのが現状だ。
「ルカ・ローハート、周囲のブラックドッグは狩り終えたぞ」
「後方もおっけ~。いつでも撒けるよ~」
追撃を防ぐためには機動性の高いブラックドッグは最低限倒しておかないとならない。低級のブラックドッグが追ってきたところで大した脅威にはなり得ないだろうが、数体の追手が追撃の活路となる場合も往々にして考えられる以上、厄介となる小さな芽を潰しておくに越したことは無かった。
そんな多数の魔物がいる中で魔物を選び、追撃の芽を潰してくれていたのがミュウとレラだ。多数戦を不利とも厭わないミュウの粘着糸とまるで意思が持っているかのような鞭撃は遠近を問わない。棍棒を振り回すオークの腕を操れば同士討ちを誘導させ、隙間を縫い鞭でブラックドッグを縊る。効率とはこのようなことを言うのだろうと、ルカは改めてミュウの繊細な能力遣いを目に留めた。
そして対照的に無駄は多いが、とにかく片っ端からねじ伏せていく実力派がレラだ。たったの一振りで近寄った魔物が二体も三体も崩れ落ちていく様は爽快。『転換』の能力によって体力魔力共に言葉通り無尽蔵であるレラにしか出来ない攻撃的強硬策は頼もしい事これ以上ない。
「ルカ、道開けたよ!」
「ありがとう。進むぞ!」
サキノの疾呼を皮切りに全軍が前方へと進行を始めた。ルカ達の離脱に魔物達が挙って追跡を始めるが、鈍重な動きの魔物達が追い付くことは叶わない。
午前だというのに光すらも射し込まない枝葉による自然の天井。生い茂った森林空間に六人の駆ける音が響き、地鳴りのようなどたばたとした魔物の足音が次第に遠ざかる。
散発して現れる魔物を余計な音を立てずに斬り伏せ、一行の脚は次第に動きを緩めていった。
「ここまでくれば大丈夫かな」
警戒は怠らないが、緊張を張り詰め過ぎるのは逆効果だ。後方、周囲を四顧しながらルカは一先ずの安堵を共有する。
「手数は多いけど魔物達の夜祭の強化種を知ってるとなんか拍子抜けしちゃうね~」
「楽に進めるに越したことは無いけどな。魔物達の夜祭と時期が被ってたらこの程度じゃ済まないだろうし」
ルカ達一行は禁足地への道程、そして現在までの行進で二度の大交戦に見舞われていた。数は多いが魔物の排斥と撃退が目的ではなく、強化種との大量戦闘を経験している戦闘狂のレラにしてみればやや不完全燃焼が残るようだった。とはいえ中層と高層を控えている以上、レラの興奮は留まることを知らないが。
「しかし死体に擬態する魔物……みみっく? は低層の中でも厄介じゃの。いつの間にか足元に死体が転がっておると思ったら奇襲を被る事態になり兼ねんな」
「普通は倒した魔物の事なんて気にしないですし、誰が何体倒したかなんてわかりませんから死体が増えてても気が付かないですよ……」
禁足地初出向のミュウは知識としてミミックの情報を得てはいたものの、実物を前にしてみれば死体にまで警戒しなければならない厄介さに思わず嘆きが零れ落ちた。
以前ミミックの脅威に直面したマシュロは同調を示しながらミュウの隣へと並ぶ。
「ヒンドス樹道では『死して尚動き続ける』――言わば『亡霊』で有名ですが、その正体は死体に偽装したミミックだと思われます。首を跳ねれば動きは止まりますよ」
生還出来た者が限りなく少ない禁足地の亡霊は、一説では浄化魔法を用いなければ倒すことの出来ないアンデッド種などという憶測も都市で飛び交っていたが、一度禁足地に侵入しミミックの存在と詭計を自身の眼で見たマシュロは推測と対処法を並べる。
ミミックが化けた死体が動けば『死して尚動き続ける』の辻褄が合う公言に、ミュウもポアロも納得をしかけた。
しかし。
「ん、その情報はちょっと間違いかな?」
「え?」
マシュロ達とはまた異なる亡霊を経験しているレラの訂正がすかさず入った。
「あ、いや、ミミックの死体擬態も間違いじゃないんだろうけどさ、亡霊はあるよ実際に。魔物の四肢を裂こうが、首を跳ねようが動き続けるまさに亡霊のような現象をウチ等は合同任務で経験した。その正体は明らかにミミックじゃない」
【クロユリ騎士団】主動の都市発令合同任務でステラⅢ以上の幹部が挙って疲弊させられた脅威の包囲網。終わることの無い永遠の数の暴力は、リフリアの傑物達を絶望の淵にまで追い込んだ事跡がある。
絶望の詳細は返って不安を煽る結果になるため言明こそしなかったが、レラは禁足地の象徴『ひとたび足を踏み入れたのなら命は既にないと思え』の正確性を認め、亡霊の存在を肯定した。
「そんなのどうやって倒すの……?」
「それが具体的な対処法が分からないんだよね~。浄化魔法も意味なかったし本当に厄介なんだ。動けても意味を成さないくらい微塵切りにしちゃうか、爆砕して原型を残さない方法が確実ではあるんだけど、そんなの一体一体にやってたら本気で体力なくなっちゃうし埒が明かないからオススメはしないかな」
擬態が精々のミミックが亡霊の正体だったのならどれだけ楽だっただろうか。具体的対処法を念頭に置いておこうと尋ねたサキノの問いも、当事者であるレラですら力業で対処しきった事から妙案は得られていない。
未知の恐怖に誰もが言葉を失い口を閉ざすが、レラは「でも」と言葉を繋ぐ。
「多分だけど亡霊の発生条件はある。それが何なのかの判断材料が少な過ぎるんだけどね」
「……レラが思う発生条件は?」
「大地震とリキッドリザードの出現かな。その直後から段々おかしくなり始めたんだ」
歩きながら腕を組み事実に深入りするルカ。一度何事も無く生還しているとは言え、自分達が亡霊に直面する可能性がある限り、少しの判断材料でも擦り合わせはしておくべきだと判断したのだ。
そんなレラの回答に聞き覚えのある単語を耳朶が捕らえる。
「私達が禁足地に入り込んだ時もリキッドリザードは出て来たけど精々ミミックの擬態だったよね?」
「はい。亡霊のように何から何まで動くようなことはありませんでしたね」
「てことはリキッドリザードの出現自体は発生条件外なのかな~? 大地震が原因だって言われれば納得も出来るけどね。今まで何事も無かった低層がいきなり震え出して、中層から魔物が下りてきて死ななくなって、光の粉が意味をなさないくらい道がぐちゃぐちゃ~ってなって、出口が見つかんなくて大変だったんだよ~。迷いの森って表現がぴったりなくらい!」
サキノとマシュロの実体験にリキッドリザードの存在が亡霊とは無関係と推測するレラは、合同任務で起こった珍事を羅列する。
しかしルカの中ではリキッドリザードの出現がどこか主軸になっているような気がしてならなかった。それは方向感覚の麻痺に合い指針を失っていたこともあるが、順調そのものだったルカ達の視線と注意を引き、ミミック達の奇襲により一気に形勢不利へと陥れた起因がリキッドリザードの出現だったからだ。
禁足地――ヒンドス樹道とリキッドリザードが提携し侵入者をありとあらゆる策で駆除しようとしているかのような、そんな狙いがルカには読み取れた。
「俺達の時とは状況が違い過ぎるし、レラの言う通り判断材料が少ないな。ともかく警戒は怠らないように進もう」
対策が簡単に思い浮かぶのなら既にソアラやレラが考案しているだろうと結論付け、ルカは亡霊の発生の可能性を頭の片隅に、目の前に再集中するよう周知した。
しかしやはり不安は不安。未知に素手で挑むような不安が陰々とした場の空気感も加担しては、一同をずぶずぶと沼に引きずり込んでいく。
「おっ、このキノコって食べれるんか?」
そんな空気を斬り裂いたのは空気を読まないポアロだった。道中に生えている光るキノコの前にしゃがみ込み後方のマシュロへと尋ねた。
「警戒を怠らないように言われたばかりでよく自儘に走れますね……」
「気になるなら食んでみれば良いぞ? 骨くらいなら埋めてやる」
「解毒剤もあるしね。いいんじゃない? 試してみなよ」
「叱ってくれるんがマシロんしかおらへん! サキるんにまで本気で勧められるとは思わへんかったわ!?」
暗澹とした場の空気を持ち前の飄逸さで霧払いするポアロの諧謔に、この時ばかりはミュウもサキノも悪乗りに身を任せた。現実逃避と言われればそうかもしれないが、何も常時気を張り詰めていなければならないわけではない。
警戒はするが油断はしない。ポアロの奔放さに無理矢理士気を保つ一同の姿を見て、ルカは真面目なだけでは駄目なのだと少しの反省を抱いた。
そんな一行を他所に、学習中のルカへとこっそり近寄ったレラは小さな声を耳元で絞り出す。
「因みにルカ君、ウチはどこまで能力を使えばいいのかにゃ?」
内緒話のようにひそひそとするレラの問いに一瞬意味の理解に悩んだが、そう言う事かと得心を落とす。
「いつも通りで大丈夫だ。団員達を疑うつもりじゃないが【零騎士団】の任務にわざわざ付き合ってもらってるわけだし、能力が他者に広まるリスクをレラが負う必要は無いよ」
強力過ぎるためレラが秘匿する転換の能力。禁足地という未知への挑戦のため、統率者であるルカにどの範囲で力を行使すればいいのかとレラは問いていたのだ。レラとしてはリーダーが使える能力は使えと言えば従うつもりでいたのだが、思わぬ返答――期待通りの返答に肘で小突きながら猫のように擦り寄る。
「ルカ君優男だね~。ま、優先順位は弁えてるつもりだし、非常事態ではウチも出し惜しみする気は無いからさ。大船をレンタルしたつもりでいてよ」
「レンタル!? 間違いではないけど」
「だってウチはソアラ団長のオンナだしぃ~、略奪闘技でサキちゃんとウチどっちを取るのかってルカ君に聞いたけど曖昧な態度を取ったのが悪いんだしぃ~、ルカ君だけのオンナにはなれないのごめんね?」
「略奪闘技の戦闘の選択肢ってそんな選択肢じゃなかっただろ!? それになんで俺がフラれたみたいになってるんだ!?」
「にゃっはは~! ウチを手に入れたくば更なる実力を身につけるのじゃ少年よ~ふぉっふぉっふぉ」
「キャラがわかんねぇよ……」
笑いながらすたすたと先行していくレラ。いつの間に己の靄も晴らされていたようで、改めてポアロとレラの天真爛漫さには救われるな、とルカも後を追った。
そんな先を行くレラへサキノはスススと近寄り、自身より高身長のレラの顔を覗き込んだ。
「何だか私の名前が聞こえた気がするけれど、ルカと何お話していたの?」
ぷるっとした唇と整い過ぎた美顔に釣り合わぬちょっとだけ不安と困惑に濡れる柳眉を引き連れたサキノ。サキノが呈する言動と表情の正体に、ゾクッと体の芯から興奮を感じたレラは。
「うーんとね、秘密~」
「えっ!?」
「ルカ君とウチはただならぬ関係だから~、二人だけの秘密なの」
「ちょっとレラ!? どういう事っ!?」
いじらしく思い、揶揄いたくなってしまった。
極々少数の者しか知らない能力を知り、己の孤独を理解し、それでいて張り合える程の実力をつけると言いきり、十全の実力の対戦相手として願望を果たしてくれると誓ったルカとの関係性は、ただならぬ関係と言っても強ち間違っては無いと己を言い聞かせながら。
密談に嫉妬したであろうサキノを、禁足地という危地であってもレラは容赦しなかった。




