167話 信頼の証明
下界リフリア天空図書館。
四角に区切られた書籍空間は、灼熱のリフリアとは正反対と言ってもいい程に快適な空間と化している。冷房機器によって程よく管理された空調は、勉強、読書、仕事と多くの生徒又は教員を夏休みにも拘らず集めていた。
そんな寒すぎず暑すぎず、古書達が欣快の声を上げる空間の奥の個室――仮眠室にルカはいた。
「ヒンドス樹道の龍封石……流石に私もそこまではわからない」
「いや、いいんだ。元々数百年前の魔界の情報なんだ。下界の古書に情報が無いのも無理はない」
翌日に任務を控えたルカは微かな期待を込めて、天空図書館の番人ココ・カウリィールを訪ねていた。本を愛し、文字と情報に身を捧げた狂人――と言えば本の角で滅多打ちにされそうなので伏せておくが、膨大な情報を持つ下界の歩く辞書が何らかの情報を持っていないかと推測したが、流石に違う世界の情報までは持ち合わせていないと空振りに終わる。
「魔力回復薬みたいに魔界の本を下界に持ち込めればいいんだけど、秩序を守り、混乱を防ぐために書籍の世界移動は叶わないのよ。手紙や文書くらいなら行き来は出来るみたいだけど、どうしてか書籍は出来ないのよ」
「手書きくらいだと異世界共生譚としての妄想で終わるから、とかか? まあ確かにそう言ったルールが無ければ、魔界の文献が蔓延って異世界共生譚の真実味が助長されてもおかしくはないよな」
「逆もまた然りだけど非常に不都合。読み漁りたいのに」
「魔界の書籍まで行き来出来たら本格的にココ天空図書館から出てこなさそうだな……」
世の秩序が守られるために細かな規則があるようで、ココは珍しく不満を顔に宿していた。因みにコラリエッタへ魔力回復薬の入荷依頼する際、手書きで魔界の情報を仕入れているらしく、どこまで情報に貪欲なんだとルカを辟易させた。
「話は逸れたけど確かな情報はないわね。ドラゴンくらいの情報なら無い事も無いけど、所詮は伝説の生物として色々な表現で祀られてるだけでどれも眉唾物。アンタが求めてるような情報じゃないわ、ごめん」
「ココが謝る必要なんて無いって。こればかりはどうしようもないさ」
眠たそうな半眼で見上げながら、しおらしく謝罪するココにルカは首を振る。
龍封石の存在こそ知ってはいたが実態は不明、更には龍封石にまつわるドラゴンの実態すらも不明という手探りでの任務。王族ですら確かな情報が無いと言う事は、暗にリフリアには情報が無い可能性が高く、きっと情報屋の【シダレ騎士団】を訪ねても時間が足りないだろう。
自身が望み決断した任務ではあるが、暗中模索な任務にルカは溜息を衝きたい衝動にかられていた。
「それにしてもステラⅡの【クロユリ騎士団】と戦ってサキノを取り返したと思えば、次はドラゴンが封印されている禁足地に行くなんて本当にアンタは危ない橋を渡るのが好きね。ドМなの?」
「さっきまで大人しかったのにいきなり罵倒が始まったぞ?」
「ボーナスタイムは終わり。私が謝るだけでも珍しいんだから感謝しなさい」
低頭でも低頭では終わらない、それがココ・カウリィールだった。普段の調子を取り戻し、仮眠室の扉に背をもたれかけながら毒舌が火を噴く。
「はいはい、ありがとうございます。とはいえ危ない橋を渡ってるって否定できないのは心苦しいな……現に皆も危険に巻き込んでしまってる訳だし。ドМは否定するが」
ルカの唯一の憂患は仲間達を危険に巻き込んでしまっている事。マシュロがそうだったように、都市最強と謳われる騎士団ですら失敗した任務は危険も危険、誰しもが心の底では憂いを抱いていて当然だろう。
元々一人で【クロユリ騎士団】を倒し、一人で人柱の代替になるものを採取しに行くつもりだったルカは例え一人でも禁足地へ行くだろうが、それは一人ならではの身軽さでもある。傷を負おうが命を落とそうがそれは自己責任。誰を責めることも出来ない。
しかし【零騎士団】として任務へ繰り出すとなれば騎士団員の危険を考慮する必要がある。騎士団としての雰囲気を壊さないためにもルカは言わなかったが、元々サキノを救うためといった自己的な目的が発端である為、任務を降りたい者は降りてもいいと思っている。引き止める事など出来はしない。
故に言い出したくとも言い出せない状況なのではないかと、皆を巻き込んでしまっていることに憂慮を抱いていた。
「逆」
「え?」
しかしココは聞き取れるか聞き取れないか曖昧なほどの小さな溜息を衝き、起きてしまっている事実に否定を呈す。
「巻き込んでしまってるって考え方が逆。アンタの騎士団員がどんな人物かは知らないし興味も無いけど、アンタが募った訳でもないのにその子達は自発的に駆け付けたんでしょ。それはアンタを助けたい一心以外に何があるって言うの? 自分の命可愛さに団長の危機を見捨てる人がわざわざ【クロユリ騎士団】と略奪闘技なんて無謀な戦いに乗じるわけないでしょ。それともアンタの騎士団の団員達は危険だからって逃げ出すような腰抜けなの?」
巻き込んでいることは事実かもしれない。しかし力を貸してほしいなどと協力要請の声を一言も上げず一人で戦おうとしていたルカを救うため、能動的に、自然的に集った仲間達が巻き込まれていると思っているかはまた別の話だとココは主張する。断片的な話しか聞いておらず、団員達の顔すらも知らないココだったが、どうしてか彼等の心が理解出来てしまった。
「いや、違うな。どれだけ無謀な戦いだと言われても、不利な盤面でも一切逃げずに戦ってくれた。俺の騎士団員達は逃げ出すような弱い人達じゃない」
「そうでしょう。自分の命を預けられる団長を選んだのは団員達よ。だったらアンタはそれに応えないといけない。彼等の信頼を無下にしちゃいけない。いい? 信じて用いる、利用する、それが信用。信用なんて一方通行は誰にでも出来るの。アンタ達騎士団がしなくちゃいけないことは信じて頼る、頼られる相互関係の信頼よ。一々団員の安全や顔を窺うのは優しさなんかじゃない。危地にも関わらず後を付いてきてくれるのなら何も聞かずに導く。それがアンタの信頼の証明よ」
巻き込んでしまっていると憂慮する事は間違いではないが、それは信頼関係の無い場合の話。選択肢がある中、何なら選択もしないという選択がある中で、自発的に団長を選んで入団した彼等にそのような憂慮をする方が失礼だと、ココは迂遠に説く。
これまでサキノを手助けしようとし、その度断られてきたルカには、行き場を失った善意の悩ましさを知っている。団員達の立場になって客観的に考えてみれば、後を付いて行く覚悟は出来ているのに、巻き込んでしまっていると自責して顔色を窺ってくる団長程居心地が悪いものはないだろう。
「そうだな。確かにそうだ。団員達が付いてきてくれるのなら信頼して導くのが俺の――いや団長としての責務だよな。ありがとう、ココ。おかげで目が覚めたよ」
そんなことにも気が付かなかったか、と少し反省しながら、ココが告げた己がすべきことをルカは腕を組みながら呑み込んだ。
頼りなくて、周囲に合わせることに一杯一杯で、それでいて意見を俯瞰し呑み込むことの出来る素直なルカに、ココは溜息の代わりに辟易した半眼をぶつける。
「全く……つい最近サキノにも同じことを説いた気が……本当にアンタ達は世話が焼ける似た者同――」
「?」
と、何かを言いかけたココは言葉を遮り、無言で扉から距離を取った。
その瞬間。
「軟禁反対ーーーっ!!」
勢いよく開かれる扉と共に、不穏な単語を反対する声が元気よく仮眠室へと飛び込んで来た。
そんな室内へと飛び込んでくる物体を予期していたかのように、ココは手に持っていた分厚い本を振り回し、流麗なカウンターを決めた。
誰もが羨む豊満な果実へ。
「あいったぁっ!?」
バインッと弾力が主張を孕む。
すかさず詰め寄ったココは、胸を押さえ突如訪れた痛覚に戸惑うラヴィの頬へと本の角をぐりぐりと押し付ける。
「静かにしなさいって何度言ったら学習するの? そもそもここは一般生徒が立ち寄って良い場所じゃないの。アンタみたいな馬鹿乳は特に」
「馬鹿乳!? ルカに捧げるおっぱいを馬鹿にしないで欲しいなぁ!」
「捧げられても困るわ」
「ほら! ルカもこう言ってるし!」
「ラヴィには一体全体何が聞こえてんの?」
全く反省の色が見えないラヴィ。どころかルカと会話で戯れ出す始末にココは、鬼気とした気炎を吐きながら再度背後で本を溜める。
「ちょ、ココごめんごめんっ! これ以上ぶたれたら取れちゃうから!」
「取れてもいい」
「あたしが困るのっ!? ほんとごめんってーぇ!」
神速の速さでルカの背後に隠れるラヴィに呆れ、荒々しい幻炎を仕舞う。
「はぁ……ラヴィリアの補習が終わったのならさっさと連れて行って。どうせこれから出掛けるんでしょ」
「うんっ! これからルカとご飯行って~、お買い物行って~、あ、映画とかも良いな~。ルカっ、夜は花火したい花火っ!」
指折りしながらルカの隣へ出で出るラヴィは普段通り興奮しきっており、ココの忠告を全く聞いていない。これはまた荒ぶるココが出てくるだろうな、とルカがココを一瞥し様子を窺うも、しかし辟易しながらもラヴィの与太話に珍しく付き合っている。
そのココの行動がやけに普段と異なり、ルカは微かな疑問を抱いた。
「ラヴィリア」
「うん?」
きらきらとした眼をルカに向けながら続いていた弾丸妄想トークが一段落し、ココは改めてラヴィの名前を呼び。
「楽しんできなさい」
これまた珍しく、柔らかい口調で送り出す。
「うんっ! ありがとっ! 行こルカっ」
満面の笑みで横を通り過ぎていくラヴィとルカの背中をココは見送る。
(正確には楽しませてきなさいだけど)
それは思い出の創作。又は未来への期待。
ラヴィとの楽しい思い出が、ルカの任務達成への一欠片にでもなってくれればと願いを込めて。
非日常に慣れ切ってしまっているルカに与える日常が、過酷な任務の活力になればと願意を添えて。
翌日に命懸けの任務が待ち受けているルカと、万が一の可能性として最愛の人を失うかもしれないラヴィの平穏を乱すほど空気の読めないココではなかった。
そんな遠ざかっていく二人の背を追うように、ココは仕事の溜まった受付へと戻っていくのだった。




