157話(幕間2) 日常を満喫しよう
「三点だ」
「ぴっ!?」
翌日の夜。
魔界リフリア最西端の薬舗『タルタロス』では、ファーコートを来たラウニー・エレオスが椅子に座り、眼前に立つマシュロの柔らかい頬をむにゅっと片手で握り潰す。
「馬鹿みてェに牛鬼のリービスに張り合いやがって。俺様は言ったよな? てめェにしか出来ねェ戦い方があるって。圧倒的な実力があんのなら話は別だが、明らかに劣ってるてめェが脳筋幼女と張り合ってどうすんだ。あァ?」
「ふぐ……ちゅいむきになってしまって……しゅ、しゅみましぇん……」
「エレオスさん、姉ちゃん病み上がりなんだから程々にな」
略奪闘技から一日。【ワルキューレ騎士団】で骨折の治療を受け、退院したマシュロは現在、子供達の薬舗で反省会という名の説教を受けていた。
以前は子供達の命を狙っていたラウニーが堂々と薬舗に居座っている光景は、マシュロとしては何とも言い難い違和感はあったが、ゼノンの様子からも少々打ち解けているかのような空気の弛緩に深くは考えなかった。
軽く舌を弾いたラウニーは椅子を立ち、マシュロと位置を入れ替え頬を離す。
「勝てたから良いものの、あんな戦い方してっといつか死ぬぞ? 自殺願望があんなら勝手にすりゃいいがな」
「はい……肝に銘じておきます……すみません……」
やや悄然と表情を下に落とすマシュロを背中にラウニーは薬舗を去ろうと扉へと向かう。
しかし、ピタリと。
「……だが、最後は良かった」
「え?」
脚を止め、不満気な表情で称賛の言葉をマシュロへと送った。
それはマシュロにとってもラウニーにとっても初めての事で。大きな目を見開くマシュロと子供達に背中を見せつつ、不器用なラウニーが送れる最大の評価を繋ぐ。
「強化の範囲が武器だけに留まらず、てめェにも適用されると気付いたのはてめェの実力だ。武器を身代わりに渾身の踵落とし、そこだけは誇っていいんじゃねェのか」
「エレオス副団長……」
「もう副団長じゃねェよ。……だから三点の内、二点はそこだ」
「踵落としが本当にお好きなんですね」
ラウニー直伝の踵落としが最大の評価点だった事にマシュロは本音を呟くが、ラウニーは頬をピクピクと痙攣させマシュロへと詰め寄った。
「礼くらい言えこのポンコツパンダぁぁぁ!!」
「あぎゃああああああああああああ!!」
「……エレオスさんお姉ちゃんを虐めないで」
アイアンクローで戒めを受けるマシュロ。
そんな様子に姉贔屓のクゥラもまた、ラウニーに対して億劫さを見せない毅然さでツッコんで見せたのだった。
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略奪闘技から二日経過した下界。
燦々と照り付ける太陽の下、瑞々しい白肌や褐色の肌が水辺で大いに賑わう。
「サキノぉー! 覚悟---!」
「ちょっとラヴィ強っ!? あはははは!」
白色と若紫色の水着を身に纏い無邪気にはしゃぐ少女が二人。
本来ならば見られなかった筈の笑顔。ルカは己が成し遂げたことは決して間違いじゃなかったのだろう、と柔らかな笑みを風に乗せた。
が。
「ぶっ!?」
ビーチボールを顔面に受けたルカが浅瀬で転倒する。
「なーに見惚れてんだよルカ。遂に性に目覚めたか? スケベ値獲得か?」
ニカっと剛毅に笑うアランがボールを携えルカの眼前に佇んだ。
「そんなんじゃねえよ。それにスケベ値ってなんだよ」
「スケベな少年だけが獲得できる素敵なポイントだ。貯まると彼女が出来る」
「彼女とは程遠いポイント制度だけど!? 誰が管理してんのそのポイント!?」
哄笑するアランに手を差し出され立ち上がる。
肩を組み、久々の友誼に身を寄せるアランも心底楽しそうに笑っていた。
「あたしとも遊ぼーよルカー! とーぅ!」
「えっ?」
「あっ」
ばいんっ、と。飛び付いたラヴィが立ち上がったばかりのルカを再度押し倒す。
胸で。水中に。
「ぶくぶくぶくっ!?」
「ルカっ!? 大丈夫!?」
傍から見れば本望のような溺れ方に、慌ててサキノが駆け寄る。
むせ返るルカを救出したサキノは酷く心配し、ラヴィもまた。
だが天真爛漫で楽しげな空気感を損なう事はしないラヴィは。
「ここで会ったが百年目ぇ……ルカの仇はあたしが討つ! 勝負だアラン!」
「いや、百パーお前が悪いからな。受けるけど」
ラヴィはゆらりと立ち上がり、アランとの一騎打ちが始まった。ビーチボールで。
一旦の介抱を任されたサキノは、ルカの背中に手を添えながら浜へと移動する。
自分達で用意したパラソルの日陰にルカを座らせ、サキノはペットボトルに入った水を差しだした。「ありがとう」と礼を告げ、水を口に運ぶルカは全身海水塗れ。髪が濡れ、少し艶やかなルカの横顔に、サキノはドキッと鼓動が早まるのを感じた。
少し表情を委縮させながらあまり見ないようにとルカの隣へと腰を下ろす。
きゃっきゃはしゃぐラヴィと容赦のないアランの姿を視界に、愉快な声がBGMとなって二人を包み込んだ。
沈黙も心地良かったが、サキノには一つの憂慮と伝えなければいけない言葉がこれまで言えずにいたことに沈黙を断ち切った。
「ルカ、身体はどう?」
「ん? いや、ちょっとむせただけで大したことじゃないよ」
「ううん、そうじゃなくて」
「?」
「略奪闘技の方。大分無理してくれたでしょう?」
「あぁ、そっちか。大丈夫だよ。リッタさんが治療してくれたし、下界に帰ってきたら何もかも治るんだからな」
今でこそルカはけろっとしているが、略奪闘技でソアラから受けた負傷は中々に重傷だった。それはソアラの攻撃だけが原因でなく、ルカの強引な痛覚無力化による切創の麻痺にもあった。大腿部の筋肉裂傷を無理に酷使し続けた為、筋繊維や神経が大変なことになっていたらしい。その他にも多量の出血、全身の火傷など本拠で待機していたコラリエッタが血相を変えて慌て出すほどだった。
通常であれば数日入院してしっかり治すところを、一日眠っていたルカは約束があるからとサキノを連れて下界へと戻った。その約束というのがラヴィやアランとの海だ。
ルカはどうしてもサキノを連れて行きたかった。
見れなかった筈の景色を見せるために、もう二度と己の命を犠牲になどさせぬために、日常の幸福を噛み締めさせるために。
そんなルカの想いを勿論サキノも理解していた。
だから言わなければいけなかった。
何度でも。
「ルカ、本当にありがとうね。私の為に戦ってくれて。見れなかった筈のこの景色を見せてくれて。私のこれからを守ってくれて。本当にありがとう」
「どういたしまして」
少し赤らめた顔を三角座りに埋めるサキノと胡坐で座すルカ。
その二人の距離は普段より数センチ近い。
「駄目だぁ~……このままじゃ勝てないよぉ! サキノ力貸してぇぇぇ!」
「うん、今行くね!」
普段より元気な鼓動を気付かれぬよう振る舞っていたが、ラヴィの声がかかりサキノは立ち上がる。 「先に行くね」とサキノの柔らかい笑みを受け、ルカは水をもう一口。
「ん、俺も行くか」
少しだけ。
少しだけ先を行く、白く、美しく、豊艶な背中を追って、ルカは親友達の元へと帰っていくのだった。




