145話 開戦
熱気が眼窩で乱気流となって巻き起こっているかのようだ。
円形闘技場より更に高所の傍観の塔。風に揺さぶられる白髪を視界に捉えながら、たった一人で私は今にも始まろうとしている己を賭けた略奪闘技に様々な想いを抱く。
正義感、義務感、義侠心、公徳心、犠牲心。
それらは自身を構成する礎であり、世界の平和を保つためには欠いてはならない要素だ。
自身が本来軸足を置くべきは下界ではなく魔界。ルカと私の始まりの日、私はルカにそう言った。
それは間違いではないと今も思っているし、自身が下界で何の隔たりも無く暮らせているのは、エルフの血筋が入っていようが見た目が人族そのものだからだ。血筋を秘匿し、人々の錯誤によって生かされているに過ぎないのだ。
本来ならば半亜人である己は魔界に住を持ち、エルフの力を十全に活かして生を全うすべきなのだ。容姿が人族であることから魔界で非難されることはあったとしても。
何もかもが中途半端。一番己に負を感じるのは己の中途半端さにあった。下界では己の種族を秘密として抱え、魔界では容姿からくる種族非難を受ける。
どちらが幸せかと問われれば、悩んだ末、精神的負荷の少ない下界を取ってしまうのは己の卑しさだろうか。
だから私は魔界で来るべき時が来たら己を犠牲にすると心に誓っていた。団員達の命の危機、依頼先で訪れた商人達を襲う奇禍。魔界の人達のためならば盾にでも生贄にでもなろうと。下界で生かされているだけの私に魔界で出来る事ならば何でもしようと。
そう、心に誓っていた。
そんなある日突如として訪れた人柱の打診。決まりきった答えが自然と口から出る筈だった。
しかし気が付けば考える時間を団長から貰い、私は答えを保留にして決断を持ち帰っていた。
何故、どうして。
下界で生かされているだけの自分は、魔界の危機で命をも差し出すつもりだっただろう。そう、心に誓っていた筈だっただろう。
己を賭ける日など来ない。そう、高を括っていたのだと言われればそうかもしれない。
笑いの絶えない下界での生活、家族同然の騎士団。幼少期とは異なり、温かさを常に感じながら生きて来た私にとって、今の生活はかけがえのないものになっていた。
そう感じるようになっていたのはいつからだろうか。
いつから自分の決意が揺らぐほどに、自分の命が可愛くなっていたのだろうか。
私は思い当たる原因を探りに探った。いや、真っ先に踏み込んだ入り口で既に答えは見えていた。
それはたった一人の人物。それはたった一人の少年。それはたった一人の己の全てを知る親友。
「ルカ……」
ルカ・ローハート。秘境という世界の狭間の激闘を知り、魔界と言う世界の秘密を知り、拒み、突き放し、罵倒し。何を言っても引き下がらず、母親の遺志を知り、エルフの血筋を知り。
それでも隣に立ち続けてくれていた、たった一人の大切な存在。
下界で隠していた私の秘密を背負い、魔界の己を知り、サキノ・アローゼという人物を余すことなく理解してくれているのは彼だけだ。家族同然の騎士団に居ながらも埋められない何かを満たしていたのは彼だった。
ルカとの秘境での出会いが全てを変えていたのだ。
けれどやはり己の源泉を曲げる事など出来なくて。
ルカの知るサキノ・アローゼはきっとこうするだろうと悩みに悩み。
断る事も出来たが、それはルカの知るサキノ・アローゼの決断ではなくて。
己の命可愛さに魔界の人々を見捨てたと、幻滅されたくなくて。
何より。
大切な人の憂い顔が見たくなくて。
何も伝えず人柱になることを承諾した。
それが今ではこんな大事になっている。
これは自分の責任。この戦いを見届ける責任が自分にはある。
そしてもしルカが何かの拍子に団長の策略を掻い潜り、本陣が慌て出すようなことがあれば。
私に出来る事――やらなければならないことがある。
(迷っちゃ駄目……これは私にしか出来ない事……)
ドクン……ドクン……と揺らぐ決意と懊悩を必死に抑え込もうと胸に拳を宛がった。
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騎士団本拠で腕を組んで画面を凝視する者。酒場を占領し賭場を開く既に出来上がった酔いどれ達。道行く者達も魔力を元にそこかしこで投影されている画面から目を離せない。
近付く決戦時に多くの者達が通常の業務を止めてまでも画面に食い入る都市リフリア。
コラリエッタの招待にゼノンとクゥラも西方にあるカフェへと脚を運び、緊張の相を浮かべながら待機していた。
『あーあー、さあ! 皆様長らくお待たせいたしましたぁ! 約八か月ぶりの熱気あふれる略奪闘技、待ち望んでいた方も多いのではないでしょーか!? 本日も実況を務めさせて頂きますのはこの私! 【ワルキューレ騎士団】一可愛い受付嬢! エムリ・レムリットちゃんでーす!!』
「エムちゃーん!」
「フォーーー!!」
都市が揺れる。画面に映し出されたエムリのあざとさ満点のポーズに、アルコールが回った観客達の熱気が爆発した。因みに聞き捨てならない単語にコラリエッタから漏れ出る黒い瘴気に、ゼノンとクゥラは肩をビクつかせていたのは二人だけの秘密だ。
エムリの言うように都市の名立たる騎士団同士のバチバチの全力戦闘を観戦したく、略奪闘技を今か今かと待ち望んでいた者も多い。今回に至っては都市指折りの実力と統率力を兼ね備えた【クロユリ騎士団】と、無名ではあるものの強大なヘカトンケイルを消し飛ばした真偽を問われている英雄ルカ・ローハート率いる【零騎士団】という名勝負に観客達の興奮もひとしおだ。
観客達の声が届く場所で実況を行っているのか、あちこちへ手を振ったり画面に投げキッスを送ったりする愛嬌娘のファンサービスが終わり、エムリは今回の対戦カードについて話を踏み込ませる。
『皆様既に御存知の事かと思いますが一応説明させて貰いますねっ。まずは約二年半ぶりとなるステラⅡ【クロユリ騎士団】っ! 荒くれ者達を尽く返り討ちに、女性のみでステラⅡへとのし上がった脅威の騎士団! 苦い思い出を持つ方も多いのではないでしょーか!?』
そこら中でギクッと音が聞こえてきそうな発汗祭に、都市では笑い声も響き渡る。
『団長【軍姫】ソアラ・フリティルス様を筆頭に、幹部のアルア・リービス様、そして同じく幹部【楽戦家】レラ・アルフレインたん。あっ、私レラたんと大親友なんですよぉ~。美少女達の歓談を聞きたい方は是非【ワルキューレ騎士団】治療院へお越しくださいっ!』
ちゃっかり宣伝も行うエムリに都市の笑いは途絶えない。業務中の職務放棄を耳にしたコラリエッタが再び黒煙を纏わせるが、ゼノンとクゥラは見て見ない振りをした。
『とと、脱線しちゃいましたね。そして何より今回は副団長である【ブルータル】ツクナ・エルバドル様も参戦されるようです! 団員達も全員参加の金甌無欠な戦力! 鉄壁の布陣は顕在です!!』
「珍しいな【ブルータル】も参戦だなんて。それほどまでに対戦相手は手強いのか?」
「いや……? ぱっと見は無名だったけど……」
副団長【ブルータル】ツクナ・エルバドルが略奪闘技に参戦するのは約三年半ぶりとなる。都市を結界で守らなければならないという使命があるために、魔力を消費するような無駄な戦闘は極力避けねばならない。今では万能薬やその上位の薬品が薬師達によって生み出されたため、そこまで消耗自体は気にしなくて良くなった為の参戦だ。
呪術師ツクナによる結界という概念が存在しない民達にとって、今回の副団長参戦と言う事実は【クロユリ騎士団】が本気であるという意味で捉えることも出来た。
『そしてそんな微塵の隙もない【クロユリ騎士団】に挑むのは何と騎士団設立三日の新騎士団【零騎士団】です! 皆様も耳にした事もあるかと思いますが、幻獣ヘカトンケイルを消し飛ばしたと噂のあの英雄【ブラックノヴァ】ルカ・ローハート様が団長です!! 因みに私はついこの間ファンになっちゃいました~えへへ。え、巻け? んもぅ、ルカ様のご紹介を小一時間程しようかと思ったのにぃ』
「ふざけんなクソ野郎! 俺達のエムリちゃんを誑かすなんてクロユリにやられちまえ!」
「そうだそうだ! 身も骨も残すんじゃねぇぞクロユリぃ!」
エムリの発言によって思わぬ敵を知らぬところで生み出されるルカ。賭場が開かれている酒場ではエムリのファン宣言によって、大穴狙いの男達も挙って【クロユリ騎士団】へと寝返っていた。
今やルカ率いる【零騎士団】に勝機を託す者は都市では数えるほどしかいない。
『と言う訳で騎士団総本部の方々に急かされるので占領戦の説明に入ります~。戦場は闘技街『宝龍の地』。勝利条件は三時間経過時に闘技街に点在する宝玉を三つ以上の占領、もしくは相手団長の撃破です! 資料によると【零騎士団】は総団員数四名という少数精鋭の騎士団のようですね。圧倒的不利な戦力差ですが健闘を祈りましょう! 勝利を手にするのは占領戦全戦全勝の成績を誇る超大派閥【クロユリ騎士団】か、まさかまさかの大波乱を起こすか【零騎士団】! いよいよ幕開きの時です!!』
皆が時計に視線を奪われ空白が生まれる。
都市という都市が一切の音を鳴止め、生唾を呑み込む音ですら大音量に聞こえるほどの静寂。
誰もが熱気を腹に溜め、開始の刻む秒針から画面へと移行した時。
エムリが見計らったかのように口を開く。
『【クロユリ騎士団】VS【零騎士団】――開戦!!』
都市の熱気が爆発し、闘技街へと切り替わった画面で五つの白龍が天へと開始の昇りを上げた。




