144話 役者達の結集
腰の捻転に布擦れの音、小さな連続跳躍から発する靴の音。まだ世界が明瞭な明度を覚える前、薬舗『タルタロス』から少し離れた地では一人の少年――ルカ・ローハートが決戦に向けて体を解していた。
靴と地面の協奏曲が太陽の起床までの秒読みを刻み、ふっふっとリズムに乗った呼吸が続く。
気負いはない。やれることはやった。後は己達の策と実力がどこまで通用するか。
元よりステラⅡに君臨する【クロユリ騎士団】に胸を借りるつもりなどない。同情や憐憫など不要。姑息と言われようが、心を抉られるほどの罵倒を浴びようが構わない。いかなる手を使ってでも出し抜き、欺き、全力で挑み、一歩ずつ確実な勝機を踏みしめるだけだ。
決意の朝が顔を出した。ルカは手刀の動作で黒剣を創造し、東より現れた眩い光に一閃を結ぶ。心地の良い風切り音が澄んだ空気の中に消えていき、少年の手からも得物が消失した。
「よし」
得心を漏らす少年の元へ、新たに地を踏みしめる間隔の狭い音。
「おはよう、ルカ兄ちゃん。調子はどうだ?」
「おはよう、ゼノン。疲労が全く残っていないし体も軽い。流石の調薬の腕前だな」
ルカの賛辞にへへ、と少し嬉しそうにゼノンの頬が緩む。
ゼノンとクゥラにはこの約二日間、癒食住何もかも全て世話になっていた。秘密の鍛錬で体が疲弊すれば回復薬等を、腹が減れば常に何かしらの料理を、休息のための住処として『タルタロス』を宿として間借りさせてくれていた。勿論薬舗の仕事も行いながらであるのに、二人は見事なまでにマルチタスクをこなして見せた。更には決戦への仕込みも。
「何から何まですまなかったな。本当に助かったよ」
「いいっていいって。禁足地で救ってもらった礼もまだ出来てなかったし、これくらいで返せるなんて思ってもいねぇよ」
「いや充分だろ……二日間とはいえ薬に食事に宿、相当消費させてしまっただろうしさ。最初にも言ったけど、今俺は無一文だけど後々払う――」
「俺達の命がこれっぽっちの価値しかねぇって言いたいのかよルカ兄ちゃんはよぉ~」
「過大解釈が凄い!?」
ジト目で不満顔を向けてくるゼノンに猛否定を告げる。
回復薬類に食事に宿。ルカ達一同にそれらを提供する案を出したのはゼノンだ。ルカ達は相応の対価を支払う意思を呈した――ルカに至っては相次ぐ急展開に情報屋のバウムへの支払いが未払いで止まってしまっているため、どの道後払い確定――がゼノンとクゥラは対価の受け取りを断固拒否した。それはもうルカ達の聞き分けの悪さにクゥラが膨れっ面になるほどに。
いつまで経っても返せないルカへの義理。勿論それは本心ではあったが、何より彼等の、姉の力になりたいと心からの願いを察せない程【零騎士団】は鈍感な者ばかりではなかった。
故に子供達の厚意をありがたく頂戴した彼等は思う存分、決戦までの時間を些かも無駄にすること無く使うことが出来たのだ。
「そもそもルカ兄ちゃんが俺達を助けてくれてなかったとしたら、俺達が尽くす事も出来てねぇんだ。だからこれはルカ兄ちゃんが勝ち取った権利だよ。遠慮なんかしてんじゃねぇよ」
「ありがとうゼノン」
年下である少年に諭されるルカは眉を落としながら厚意に微笑む。どこまで謙遜が尽きない英雄らしくのない英雄の姿にゼノンは。
「必ず、勝って帰ってきてくれ。これから俺達はルカ兄ちゃんに目一杯恩を返さないといけねぇんだ。こんなところで追放なんて許さねぇ。俺とクゥラ、ほんで姉ちゃんを不義理者にさせないでくれ」
心からの激励を送った。
「あぁ、必ず」
少しの迷いも不安も無くルカは毅然と言い放った。
そんな二人の元へ、隣接した【夜光騎士団】本拠から騎士団員達が、そして薬舗から仲間達とクゥラが姿を現す。
「……ルカお兄ちゃん、皆さん。頑張ってください! 私達は皆さんの凱旋をお待ちしています!」
クゥラの十全の士気を貰い受け【零騎士団】は気炎充分に拳を握り締めた。【夜光騎士団】団員達から奮起の声を背中に貰い、彼等は地下入口である騎士団総本部へと向かい始める。
「……お姉ちゃん」
「クゥラ?」
クゥラは最後尾を行くマシュロを呼び止めた。
聞く必要などない。けれどマシュロの士気を最大限に高める為、クゥラはマシュロへと問う。
「……もう迷いはないね?」
幻獣ヘカトンケイルの出現に踏み出せなかった足を。決意を。
同じ場所で交わし合った覚悟を。
そんな断言的なクゥラの質問に、マシュロは決まりきった答えを外在化する。
「勿論。全てはルカさんの為に」
「……ルカお兄ちゃんの力になるお姉ちゃん、凄く格好いいよ。行ってらっしゃい!!」
「っ……! クゥラありがとう。行ってきます!」
満面の笑みと様々なものを貰ったマシュロは気合十分、ルカの背中を追い――隣へ。
小さな小さなその背中は負に満ちてなどいない。
救われる側だった筈の少女は救う側へ。
「……頑張って」
――【零騎士団】略奪闘技入場。
± ± ± ± ± ± ± ± ± ± ± ± ±
騎士団総本部の広場には開かずの扉がある。解放条件としては略奪闘技の申請があった場合や、沫雪や魔物侵入時の緊急避難先として使用される場合、もしくは改良やメンテナンスの場合に限られる。
その開かずの扉を開いた先には四角形の小さな部屋の中に妖精門のような闘技街への転移空間が一つあるだけだ。当日の転移の認証は事前に騎士団総本部が管理しており、認証騎士団の徽章に反応を示せば闘技街へと飛ぶことが出来る。
転移する先は幸樹下。不幸の象徴として恐れられる幸樹ですら再現されており、普段は喧騒の絶えない騎士団総本部周囲には人の一人もいない。
そんな中心地を西方へと向かえば今回の占領戦略奪闘技の舞台『宝龍の地』がある。各拠点に置かれた台座に重鎮する巨大な宝玉に魔力が流されると、龍の如く光がうねりを上げて天へと昇る事から名付けられた舞台だ。
その『宝龍の地』の北南にはそれぞれ直径百メートル、高さ五十メートルの円柱型の巨塔が建っており、そこが両騎士団の本陣となっている。塔と言っても内部に侵入は出来ず、円形闘技場のような最上位への到達経路は真正面に続く広く長い長い階段のみだ。壁こそあれ巨塔は懸崖、正面突破を計ろうとも待ち伏せには絶好の立地。占領戦において大将を撃破するという勝利条件の達成が過酷を極めるのは、攻め側において途轍もなく不利な構造となっているからである。
そんな北側の巨塔の最上部円形闘技場で闘技街を睨み、身体を動かし、武器の手応えを確認する女性、女性、女性。見渡す限り女性の戦士達の光景は異様であり【クロユリ騎士団】の名物、【軍姫】ソアラによる軍事会議だ。
「各々の部隊の確認は終えたな? 本陣より左方にある拠点を拠点A、正面を拠点B、順に拠点C、D、そして正面最奥の右方を拠点Eとし、各拠点十五名ずつ配備する。距離優位の拠点A、Bと中心地拠点Cは即座に奪取しろ。拠点D、Eは【零騎士団】の動きを間諜が確認次第、増援と共に一気に叩く。姿が確認出来たとしても迂闊に攻め込むんじゃないぞ」
ソアラの策略に耳を貸しながら、ギラギラとした視線と熱気を各々の拠点へ、そして遥か彼方に佇むであろう南の陣営を睨む。
「間諜の五名は各自の担当拠点と本陣への伝達を怠るな。走りっぱなしになるとは思うが異常があればすぐに報せろ。本陣警備部隊は第一報告があるまで待機【零騎士団】の動きが把握出来次第直ぐに出番だ」
一言で表すのであれば統率力。一体化した場の空気は、窮鼠を確実に仕留める猛虎の集団だ。
張り詰めたソアラの冷静かつ万全の気概が皆の緊張感をより一層引き締める。
「いいな、決して手を抜くな。一縷の隙も見せるな。私達は【クロユリ騎士団】だ。例え四人とはいえ圧倒してみせろ!」
「「「はいっ!!」」」
中天に差しかかろうとしている太陽が、じりじりと更なる熱気を生む。
決戦前の軍事会議を終え、部隊ごとに会し、時を待つ彼女等の気迫にソアラは安堵を抱いた。
(一時は士気の低下が著しくどうなる事かと思ったが、やはり優秀な団員達だ。今では誰もが自分が倒すと意気込んでいるな)
四人の新設騎士団が相手だと知った時には不満や文句が飛び交う荒れようだった。最高の激戦を期待している彼女達の気持ちもわからないでもないソアラは強く咎める事も出来ず、なるようにしかならないと半ばモチベーションの回復に舵を向けていた。
しかしそんなソアラの憂慮を裏切るように彼女達は待機時間ですら意気揚々としている。それはひとえにこれまでのソアラの指導の賜物ではあったが、自然と最高潮を振り切る自己管理に得心を抱かずにはいられなかった。
「やはりいいものだ。ソアラの指揮の元、奮起するというのは」
「ツクナ。共に戦場に立つのはいつぶりだろうな」
「クロユリがステラⅢの頃にはしょっちゅう略奪闘技が申し込まれていたんだけどね。いつの間にか挑む者も居なくなってしまい、此度のローハートには感謝感心だ。一切慈悲はかけてやらないけどね」
【クロユリ騎士団】がステラⅢからステラⅡへと昇格したのはおよそ三年前。女性だらけの騎士団から意中の女性を己の派閥へ引き抜こうと、ステラⅢ時は略奪闘技が毎月のように申し込まれていた時代が存在する。
不純な挑戦理由に申し込みを受ける義理もなかったが当時の彼女達も若かった。後を絶たない挑戦に終止符を打つためにも、とことん力で返り討ちにし、金品や顧客などを押収する実力派として名を轟かせ始めた。
勝って、勝って、ひたすらに勝って。気が付けばステラⅡへと昇格を果たし、名を馳せ、畏れられ、挑戦相手はいなくなっていた。
訪れた平穏でもあったが、少し物寂しくもあったのはツクナだけではない。だからこそ今回の略奪闘技が相手にすらならない少数人員の騎士団だと知った時に団員達が意気消沈したのだ。
けれどそれでも。指折りの実力騎士団として今やそう簡単に挑む者が少なくなった中で、身の程知らずと言われようが果断に喧嘩を売ったルカをツクナは評価していた。
「あぁ、敢闘するぞ」
「期待外れではないことを願うのみよ」
長い黒髪を風に煽られながらツクナの口角が上がる。その笑みは精々少しは楽しませて見せろ、と敗北を微塵も疑っていない。
そんな本陣の後方で佇み追懐と期待に耽る首脳陣へ、レラが歩みを寄せる。
「あれ? ツクナ副団長そんな後方でもしかして今回も本陣にお留守番? 折角久々の戦場なのに」
「長らく共に戦場に出ていなかった為忘れたか? 私の反減魔法は防衛向きだ。余程の馬鹿でなければ大将を狙いに来る者はいないだろうけど、保険は必要だろう?」
結界維持と儀式を一手に担う呪術使いであるツクナの魔法『反減魔法』は、対象の運動能力や魔力を大幅に衰退させる、言わば弱化魔法だ。攻勢に出るもよし、しかしツクナの本領は防衛として待ち受けることで十全に発揮される。
四人という超少数で百名を超える団員を撃破、あるいは掻い潜り攻め込んでくることは万が一にもあり得ないが、想定外の事態に備えて十分過ぎる戦力を残す策略は【軍姫】として最低限の鉄則だ。
「ふーん。ま、元々団長御付きの騎士様みたいなものだったもんね。最近は存在感激薄だったけど」
「私は今喧嘩を売られているのかい? 暫く見ない間に言うようになったなぁこの小娘が?」
「きゃーこわーい。ってどったの団長? 浮かない顔して」
「ん、あぁ、いや。なんでもない」
「「?」」
外野がじゃれ合いながら賑わう中で、ソアラの心中はここに在らずだった。
ソアラを悩ませるのは一日以上続く未解決の疑問。それは昨日のヤハトとの会話の中で生まれた懸念だ。決闘が開始する直前、そして今も尚暗澹として心の隅に残る、ルカがわざと能力を公開した意図が最後まで掴めなかったのだ。
自身がルカの立場になって考えてみても、俯瞰して客観的にみても。
(不利益があまりにも大きすぎて結局最後まで分からず終いか。ヤハトが言っていたように能力を眼にした者から自然と広まっていったと考えるのが普通なのだろうが……いかんな、これこそがローハートの思う壺かもしれないというのに)
どれだけ熟考しても理解出来ない思考は、寧ろ意味などなく、相手が深読みして自滅するよう仕向けたルカ達の罠かもしれない。そうは思いながらも読み切れない煩累と湧き立つ僅かな違和感が拭えないが、時間はやがてやってくる。
わからないものはわからない。後手であれば全ての事態に対処出来る事には変わりはないのだ。全てはこれから明瞭になると、意識を戦闘スイッチへと切り替えて再三指示を飛ばす。
「さあ、直に定刻だ。全部隊、出撃に備えろ!!」
【クロユリ騎士団】戦闘準備完了。




