143話 決戦前日(【零騎士団】side)
酒場『ラグナロク』。裏路地に佇む寂れた酒場は今日も変わらず営業していた。
表通りの者達と同様に、明日を待たず既に酒へと走っている妖異な裏稼業達で客席は空白が少なかったが。
そんな酒と血が入り混じったかのような異質の空間に似つかわぬ背丈の少年が一人酒場を出て行った。屈強で顔や体には大量の傷が刻み込まれた男達に見送られながらも、堂々とした去り際はまるで王族の使者だった。真実は王族の遣いではなく、王族そのものだったが。
「兄弟には度々驚かされるぜ。遣いに王の血筋を寄越したり、俺が不眠不休で纏めたデータの中で欲しい情報は一つだけだったり」
「自分で出向くのが面倒だっただけじゃないゆか? ……まあ見た感じ自分から行くと名乗り出た感じではあったゆが」
酒場『ラグナロク』の個室でバウムとユラユリが同時にジョッキを煽った。
今しがた酒場を後にした少年はゼノンだ。ルカの策略完遂の為に必要な情報をバウムより買いに来ていたのだ。ルカの行動を当の前に見越していたバウムはしたり顔で【クロユリ騎士団】全ての小冊子をゼノンに渡したが、なんとゼノンはパラパラと読み漁った後バウムへと返した。
『どうした? 持って帰っていいんだぜ?』
『いや、相手の全てを把握しようとしてもキリがない――いや、意味が無いってルカ兄ちゃんから伝言を預かってる。ルカ兄ちゃんが欲しい情報は一つだけだ。それを今確認できた』
『勝負方針はもう定まってるだろうけど話し合っていく中で必要な情報もあるゆ? データはコイツの善意ゆから遠慮しなくていいゆ』
『いや、もう覚えた』
『何?』『ゆ?』
『何かあれば俺が答えられるように俺が出向いたんだ。持ち帰ってもいいけど、それ、超極秘情報だろ? 持って歩く方が怖ぇよ』
クゥラの自動支援能力『伝染』が開花したように、ゼノンもここ最近で力の萌芽を自覚していた。それはスキルとも能力とも呼べないものだったが、戦士ではなく元々王位を継ぐ筈だったゼノンには必要不可欠な力だ。
『瞬間記憶』。
勉強家で、薬師という技術職で、王位を捨てるほどの学究肌のゼノンにはもってこいの力だ。
クゥラの成長に感化されたゼノンは更なる勉学に励んだ。元々ゼノンは要領がいいため劇的な変化は見られなかったが、ゼノンの吸収力は格段に変化を遂げた。
それは薬剤調合において不良品を限りなく減らすことに成功し、微量の配合も違えることの出来ない製薬も生産効率が跳ね上がったのだ。
薬師としての成長に大いに喜びを感じたが、兄の変化に何かを察したクゥラがささやかに祝ってくれたことがゼノンは何よりも嬉しかった。
そんなゼノンは今回回復薬等の回復道具使用が禁止されている略奪闘技では何の役にも立てない。恩人であるルカを支援する事も、姉であるマシュロを癒す事も。
だからゼノンは微力でも手を貸せる時が来る筈だと睨み、己達に出来る事をしようとクゥラと誓いを立てた。その盤面がバウムに情報を貰い受けに行く時だったのだ。
しかしゼノンの中には一つの懸念があった。それは占領戦無敗記録を持ち、どこの騎士団よりも占領戦を情報戦だとしている【クロユリ騎士団】がルカ達を監視している可能性だ。数で勝る【クロユリ騎士団】は平時でも数人の間諜を配備出来るほどの余裕は持ち合わせている。
『ラグナロク』が情報屋【シダレ騎士団】の本拠だと【クロユリ騎士団】が既知の場合、ゼノンが出入りしていたところを見られでもすれば何かしらの策は講じられるだろう。そんな時に【クロユリ騎士団】全てのデータを持ち歩いていれば、それはもう【シダレ騎士団】存続の話ではない。ゼノン自身も手荒な真似はされずとも略奪闘技が終わるまで軟禁も覚悟すべきだ。
だからゼノンは跡を濁さない。爪を隠す。手ぶらで寄り、手ぶらで帰る。
そんなゼノンの懸念は見事に的中していた。団長ソアラの指示ではないが、普段から略奪闘技前に監視を行っている習慣が現れている団員が少なからず存在し、現に薬舗『タルタロス』から出て来たゼノンを監視している者がいた。
尾行していたゼノンに至って不自然なところはなかったが、その団員は大通りに出て人混みに紛れたゼノンを側でつぶさに観察した。両手、服の膨らみ、感情、歩調、呼吸。酒場への出入りの前後での差異を見定めようとしたが、端から警戒しているゼノンに取り繕う事は苦ではない。
異常なしと判断されたゼノンは捕らえられることもなく『タルタロス』へ、団員は監視へと戻る事になるのだった。
ゼノンの配慮により騎士団の危機を回避した事すらも知らず酒に浸るバウムとユラユリは、当然略奪闘技の話を交わしていた。
「最善を尽くしてはいるみたいだが……この勝負ゆゆはどう見る?」
「ゆゆの予知夢はルカの負けに出てゆ。ゆゆの勝利予想は【クロユリ騎士団】で変わらゆよ」
『思ひ巡らす黒き影、その想ひ不届き暗の地へ。雄偉な英雄、白き光を失ふ』
自分が自分を絶対的に信じられるもの。周りが何と言おうとも絶対的な的中率を誇る予知夢をユラユリは信じている。故に【クロユリ騎士団】の勝利は揺らがない。
行儀悪くポリポリと酒のつまみを齧るユラユリに、対面に腰かけたバウムは、ハッ、と笑った。
「無難だな。いくら兄弟を想う三人が集まったところでステラⅡ大派閥の【クロユリ騎士団】に勝つなんて夢のまた夢だ。奇跡といっても大仰じゃねぇだろうよ」
「おい、二人の勝利予想が被ったら賭けにならないゆ」
「なんで賭ける前提になってんだよ!? ……けど安心しろ。俺は【クロユリ騎士団】が勝つなんて一言も言ってねぇぜ?」
剣呑な雰囲気を醸し出すバウムだが明確な答えにユラユリは眼を細める。
「……正気ゆか?」
「あぁ。俺は兄弟の騎士団【零騎士団】が勝つに賭けるぜ。だからゆゆ、この予想が的中したらここから出て行け」
あくまでユラユリを追い出したいバウムは一切の同情もなく斬り捨てる。
そんな慈悲も無いバウムの要求に、カチューシャで前髪を掻き上げた紫髪の少女は。
「そっか、やっぱりゆゆを追い出したいんゆな……じゃあ、せめてルカが勝ったらゆゆを【シダレ騎士団】に入れてくれるゆか?」
少し寂しそうに交換条件を提示した。
矛盾が生じた交換条件を。
「あぁ、妥当な交換条け……んぁ? は? 何でそうなる!?」
ユラユリの悄然とした姿に言葉の真意を理解しようとしていなかったバウムの失態。ユラユリはにやりと口角を上げ、個室の扉を思いっ切り開け放った。
「皆聞いたゆか!? ルカ率いる【零騎士団】が勝ったら、ゆゆ正式に【シダレ騎士団】加入ゆ!!」
バァン、と付近の酒飲み達が肩をビクつかせる中『ラグナロク』に誤報が拡散された。『うお~ゆゆちゃ~ん!』『おめでとう! 望み薄だけどな!』など様々な声で盛り上がる中で、ゆゆは鼻高々に付近の
酔いどれ達とジョッキを打ち鳴らしていく。
「客を味方にするんじゃねぇ! というか何でお前がベットした方じゃないんだよ!? 普通この場合【クロユリ騎士団】の勝利で加入だろ!?」
「バウムは本当に欲しがりゆな~。しょうがないゆ【クロユリ騎士団】が勝ったらゆゆを女にする権利を上げるゆ」
悄然とした演技は遥か彼方。男共の肩に肘を置き、ヘラヘラと【クロユリ騎士団】勝利時の条件を付け加えるユラユリは、下着が見えそうなほど誘惑的にオーバーサイズのシャツを上へと引き上げる。バウムの提示した追放の事など歯牙にもかけていない。
「いらねーよ馬鹿! どっちにしろお前が両得になってんじゃ――」
「いらないってなんゆか? 今ここで襲ってもいいんゆよ? 元ステラⅢ【預言者】のこと舐めてるゆか? バウムと繋がる予知夢を見てもいいんゆよ?」
「だーーー!! 二つ名こそないが俺も元ステラⅢだし、お前は戦闘職じゃないから返り討ちに出来るし、最後に至っては脅したいのか願望なのかわかんねぇよ!!」
「言ったゆなー! 略奪闘技の前座ゆ! 覚悟ー!」
ぎゃーぎゃーと二人の取っ組み合いの喧嘩が始まるが、マスターは無言でグラスを拭き続ける。
「あいつら仲良いな」
「推カプだわ」
「俺ここの常連になるわ」
いつにも増して賑やかな酒場で別の決闘が幕を開け、酒場は繁盛への一途を辿っていた。
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「いや、それにしてもまさかマシュロを陥れた本人が、マシュロに鍛錬を付けてくれてるなんて異様な
光景ですね……」
夜光修練場に繰り返し木霊する砲撃の音と土を踏みしめる音に、多量の汗と傷を湛えたルカが監視役の団長キャメルの元へと歩み寄る。
「力持つ者というのは時に孤独なのだ。己だけが成長し周囲を置き去りにしていくかのような感覚、鬱憤の発散場所を容易に確保できないもどかしさ、拮抗する実力との対戦の難儀。特にラウニーは自己肯定感が強く、誰よりも野心家であるために起こった事故だと私は捉えている。だからこそ奴には『仲間を育てる』ことで発散の一端を担えるということに気が付いてほしいのだ」
「強者は強者で色々と抱えてるんですね。俺にはきっとわからない世界です」
「はっ、よく言うよ」
ルカの休息にすかさず駆け寄ってきたクゥラが回復薬を手渡し、ルカは淡い笑みを浮かべて「ありがとう」とクゥラの頭を優しく撫でた。耳や尾が嬉々として左右を往復する姿に、ルカもまたサラサラな髪の感触と耳のモフモフを癒しとして享受した。
じゃれ合う二人の様子を間近で見せられるキャメルは溜息を衝き、敵意と怨嗟、そして一滴の悋気を綯い交ぜにした表情をルカへと向ける。
「ローハート貴様、暢気に幼女と戯れておきながら無様に負けてみろ? 都市を追放されたとて私が切り刻みに行ってやるぞ」
「っ!? どうしてそんな急に殺気立ってるんですか!?」
突如として黒い炎を立ち上らせたキャメルの様相に回復薬を口にしていたルカは噴き出しそうになる。当然一緒に戯れていたクゥラも、自身のせいでルカが責められているのかとあわあわと頭を下げる。
クゥラが必死に謝罪する様を眼にキャメルは「いやクゥラのせいではない」と弁明するも、ルカの背後に隠れてしまった。意図せぬところでクゥラに警戒心を抱かせてしまったキャメルは、少し居心地が悪そうにマフラーを弄ると何事も無かったかのように仕切り直す。
「対価無しにマシュロを移籍させるだけでも疎ましいと言っているのだ。既知かどうかは知らんが、貴様が敗北すればマシュロは移籍損、更には一年間の再移籍は出来ん。つまりマシュロの一年という未来をも貴様は預かっている訳だ。怨恨くらい許容しろ」
基本移籍は本人の意思に沿うものだが、やはり移籍先との関係性というのは肝要なものだ。騎士団同士の関係性が良好であればあるほど移籍の話は円滑に進む。
しかし今回のマシュロ移籍における騎士団同士の関係性は顔見知り程度のものだ。しかもマシュロのルカへの想いを察知しているキャメルとしては非常に面白くないものがあった。
更に暗殺騒動で信用問題が失墜し、団員達の脱退が相次いだ【夜光騎士団】団長のキャメルとしては一名でも多くの団員を引き止めたい筈である。
騎士団の立て直しに出ていく何もかもを極力抑えたいキャメルにとって、本人直々の懇願とは言え手放すには惜しい人材だ。超攻撃型の【夜光騎士団】にとって、絶対防御という能力は疎外対象でありながら、実質弱所を補完する能力でもあるのだから。
だからキャメルはマシュロを手放したくはなかった。
しかしキャメルは不承不承ながらにマシュロの移籍を許可した。
だからこそキャメルは批難対象をルカに設定――八つ当たりするしかないのだ。
「あー……その節は本当に申し訳ないと思ってます……いや感謝という方が正しいんでしょうか……本当にありがとうございます」
面目も体裁も構わず、マシュロを唆した訳でもないのに頭を下げるルカの後頭部に、キャメルは再度溜息をぶつけた。
「はぁ、貴様のしおらしさには毒気を抜かれるな……とはいえ選んだのはマシュロだ。地獄の底から救ってくれた英雄である貴様の元に行くのならばマシュロも本望だろう。善戦を期待しているぞ」
爽やかに言葉の餞を送るキャメル。そう、自身が生死を彷徨い騎士団から離脱している間にマシュロを救ったのはルカなのだ。脱退の権利は持てどもマシュロを引き止める資格などないのだから。
何より今マシュロを移籍させずルカの大敗を目の当たりにさせてしまえば、きっとマシュロは塞ぎ込み自分を責め続けるだろう。命の恩人に何も返せない事を後悔し続けるだろう。
そんなマシュロの姿は見たくない。キャメルは苦渋の決断を下したのだ。
だから激励。マシュロの分まで背負って戦えと。マシュロの義理を無下にするなと。
「はい、勝ちます。俺達は」
善戦ではなく、勝利宣言。
男らしい表情にキャメルは一笑を付した。
「おいローハートォ!! 俺様と戦え!! エメラはもうギブアップだ!!」
「まだっ! はぁっ、はっ!! まだ出来ます!! ルカさんには、手出しさせません!!」
勇敢な少女に舌を弾きながら再突撃するラウニーは以前ほどの傲慢さを含んではいなかった。狂暴さはあるが、そこにはまるで研鑽し合う本来の【夜光騎士団】としての姿があるように見えた。
臆病だった筈の少女の発起ぶりを目の当たりに、ルカは笑い再び薬舗の中へと戻っていく。
僅かな時間ですらも鍛錬へ時間を注ぎ込む者達。
挑戦者達に最大の支援を行う者達。
決戦に無頓着な戦士達。
儀式のために各自準備を進めていく者達。
既にお祭りモードで馬鹿騒ぎする者達。
部屋で一人塞ぎ込む者。
銘々に決戦前日を過ごし。
略奪闘技当日の陽が昇る。




