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135話 情報源

 夜の帳が降りて魔界は暗闇に包まれる。

 石畳を歩く魔界の住人達が数を減らし、平時よりも入りの少ない酒場では熱気が充満していた。先日から話題の中心人物となっていたルカが【クロユリ騎士団】と敵対したことという飛言が小さな波紋となって伝播していたからだ。



「やっぱり人族は人族か。結局のところ劣等種は信用ならねえって話だな」

「どうせ英雄だのなんだのと持て囃されて調子に乗ったんだろ? ざまあねえよ」



 立ち飲み屋のカウンター越しに店主と客同士で讒訴を交換する亜人族達を尻目に、幼女はバシャバシャと裸足で水溜まりを踏み付けて進んでいく。弱くなった雨足から逃れるように、光の無い暗澹とした路地裏へと潜り込んだ。

 まるで影の住人のように手慣れた様子で歩を進めた幼女は一つの扉に手をかけて中へと侵入した。



「マスターただいま」

「…………」

「返事くらいしろゆー」



 傘を折り畳み、ぶるぶるっと体を震わせ付着した水滴を払う女猫人(シーキャット)のユラユリ・エルメティカは酒場への帰還をマスターに告げるが、無頓着なマスターは無言を貫く。しかしそんなやりとりが恒常であるかの如くユラユリは委細気にせず地下室への扉へと突き進んだ。

 しかし扉に手をかけた時、猫の鼻が一際変わった花の匂いを嗅ぎつけ、ユラユリは客席を見渡す。依然として覇気がなく、女性であるユラユリの帰還に粘ついた笑みを向ける客達の顔ぶれに気分を害すようだったが鼻で笑いあしらう。

 その中の一人、座席の都合上後頭部しか見えなかったがサイドテールを引っ提げた一人の女性に目が留まり、ユラユリは双眸を細めながらするりと地下室へと潜り込んだ。



「バウム、戻ったゆ」

「おう、ご苦労。どうだった?」



 大きなジョッキを口に傾けながら書類に目を通しているバウム・ヴィスタローグ。ユラユリの帰還に、書類を机に置くとどかっと座り報告を待った。



「まだ大きな騒ぎにはなってないみたいゆが、クロユリの警戒はかなり厳しくなってるゆな。正直蟻の一匹も通さないと言った雰囲気ゆ」

「だろうな。不可抗力とは言え、クロユリに喧嘩売っちまったみたいなもんだからな」

「これでもう簡単には動けないゆ。残念ながら儀式が終わるまで警戒網は解かれゆし、ルカは詰みゆな」



 傘をぞんざいに部屋の隅へと放り投げ、ユラユリは平然とした顔でバウムの脚の間へと腰を下ろす。

 当然払い除けられ、仕方なく机に置かれていたバウムのジョッキを何事も無く手に取り酒を喉へ流し込んだ。



「……普通の奴ならな」



 辟易しながらも酒を返せと言わないバウムに、ユラユリは首を傾げる。



「ルカは普通の奴とは違うゆか?」

「まぁな。根拠は色々あるが……一番は俺の勘だ」

「一番根拠にならない理由をぶっこんできたゆな」



 バウムの対面に座り脚を組むユラユリはもう一度ジョッキを大きく煽り、無言で酒を両手に持ってきたマスターの退出と共に話は路線へと戻される。



「自分が自分を絶対的に信じられるものって少なからずあるだろうよ。お前なら予知夢とかか?」

「まぁ、そうゆな」

「自負じゃねぇが俺の場合は人を見る目だ。情報屋という職業柄、人を見る目が培われてなけりゃ我が身を危険に晒す可能性だってある訳だ。誰彼構わず依頼を受けるなんてのは、いつ潰されてもおかしくのねぇ二流だよ」



 何の合図も無くジョッキを軽く打ち鳴らした二人は同じ動作で話に空白を作った。焼けるような心地よさが喉を通り抜け、二人揃って至高の息をつく。



「つまりルカは自称一流のバウムのお目に適ったという訳かゆ?」

「……ま、そういうことだ」

「馬鹿馬鹿しいゆ」

「予知夢を所信してるお前に言われたかねぇよ」



 とは言ったもののユラユリ自身、バウムの言う事も理解出来ない訳ではない。

 ユラユリの予知夢とは規模としては大小様々だが、基本的には悲劇が詠まれることが多い。その結末を変える力などは本人にもなく、漠然とした内容である事からユラユリは諦念を抱いている節がある。過去に悲劇を救おうと奔走していたこともあるが、バウムの信条のように、予知夢を見た事実は公表するが見当違いなことに悩んでも時間を無駄にするだけだと悟ったのだ。

 そんなユラユリの予知夢に、ルカは良性の御告げが詠まれる。そのこと自体は別段特別なものではないが、立て続けに個人が詠まれていることが異例なのだ。己の予知夢に出てくる『黒き影』がルカだと判明した今だからこそ言えるのだが、その事実はユラユリに奇妙という印象を与えていた。



「で、その自称一流の情報屋のお目に適ったルカが何を出来るって言うゆか?」

「さっきからやけに自称を強調してくるな!? 文句でもあんのか!?」



 だからこそ今回の悲劇は妥当であり、尚且つルカの運命力が試されているとユラユリは睨んでいる。



「クロユリは守備を固めて内部に侵入は不可能、強硬策を敢行してもルカは都市から懲罰を貰い、そもそも交渉の場にはフリティルスが出てこない。隙なんて皆無の堅城にどうやって入るゆか? どうやってサキノを救うゆか?」

「んなこたぁ俺が知るわけないだろ」

「は?」



 やけにルカを贔屓目に見ているバウムだったが、ユラユリが羅列した問題をあっけらかんと切り捨てた。



「行動するのはあくまで兄弟だ。俺が言ってるのはこのままじゃあ終わらねぇ奴だって事だよ」



 ふんぞり返りながらまるで自分の事のように自信に満ち溢れるバウム。

 バウムとは短い付き合いだが、何か通ずるものを感じているユラユリは半眼でその朱眼を見つめ、小さな吐息を吐いて会話の方向性を一つ別のものへと移行させた。



「ま、いいゆ。それよりもう一つ気になる事があるゆ。上にレラ・アルフレインの姿があるゆ。ゆゆ達が【クロユリ騎士団】を嗅ぎ回っていたことがルカかマシュロから漏れたかもしれないゆがどうすゆ?」



 もう一つの懸念事項、酒場『ラグナロク』へレラの来店。レラの行動を見張っていた訳ではないために来店の動機が不明瞭だが、一人での来店だったことは間違いない。単純に誰かを待っている可能性もあるが、裏の情報を収集した僅かな後味の悪さを残すユラユリにとって【クロユリ騎士団】幹部の存在は脅威でもあった。

 何よりも恐れていることがルカやマシュロの出撃によって漏れ出てしまったのかと危惧していたが。



「大丈夫だ。奴は味方じゃねぇが敵でもねぇ」



 微塵も動じないバウムの返答。そして明確に敵の位置に存在しているであろうレラの中立の立場口外に、ユラユリの脳にピリッと微弱な電流が走る。



「……もしかして情報源はあいつかゆ?」

「さあな。ただアイツがここに来るときは余程重要な案件がある時だ。声をかけねぇって事は別件だろうよ。ほっとけ」



 バウムが仕入れた情報の大元の可能性をユラユリは見た。もしレラがバウムと繋がっていたのであれば、重大な裏事情を独自に仕入れた速度にも得心がいく。

 別の方法で情報を仕入れてきてくれと頼まれたユラユリにとって、まるでバウムは最初から協力を仰げる人物に目途を立てていたかのようで、己の徒労を実感した。



「ゆゆに情報を仕入れてこいと出て行かせておきながら、自分はその隙に別のオンナと内緒話なんていいご身分ゆな? 楽しかったゆか?」



 立ち上がりドンッ、と机に足を乗せるユラユリはご立腹だった。まんまとあしらわれた己の迂闊さと、バウムの不貞さに。

 迫真のユラユリに、あらぬ疑いをかけられたバウムの顔も微かに引き攣る。



「なんでゆゆが怒ってんだ……」

「そんなこともわからないなんて、主従関係をはっきりさせる必要があるゆな?」

「どさくさに紛れて上位に立とうとすんじゃねぇよ! 俺は団長、お前が従者――じゃなくて! 危ねぇ! お前は居候で従者ですらねぇだろ!」

「残念。言質は取ったゆ」

「ンなもん無効だ無効! 俺は部下なんて要らねぇからな!」

「こんなに可愛くて従順な下僕を好きにしたいと思わないゆか? ご主人様の命令なら奉仕でも何でもするゆが?」

「やかましいっ! どこが従順だ馬鹿! 気持ち悪いこと言うんじゃねぇ!」

「全く素直じゃないゆな」



 頭をガシガシと掻きバウムは席を立つ。

 可愛いという言葉を否定されなかったユラユリは膝を抱えて座り、緩みそうになる口元をジョッキで覆い隠す。



「ったく……俺は兄弟が頼って来た時の為に情報を纏めてるから邪魔すんなよ!」

「尽力はするゆ」

「邪魔する気満々かよ!? 邪魔したらマジで追い出すからな! いいな!? 次は本気だからな!!」

「わかったわかった」



 ひらひらと袖を振るユラユリに見送られながらバウムは別室へと消えた。

 静寂となった密室でユラユリは鼻を鳴らし、残った酒を一気に飲み干す。



「全く面白い男だゆ」



 ごろんとソファに寝そべったユラユリは暫時瞑目し、流れゆく時に身を一任した。




 ちなみに、退屈に耐えきれなかったユラユリは勿論バウムの邪魔をしたことは言うまでもない。


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