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134話 マシュロ・エメラの画策

 迫り来る追手から命からがら逃げ延びたルカは、魔界幸樹下の妖精門(メリッサニ)を潜り抜けて下界――幸樹広場へと帰ってきていた。

 豪雨に打たれながら四つん這いで盛大に息を切らす少年に集まる多数の猜疑の視線。人族達の視線など気にする余裕など皆目無く、ルカは己の右腕を見下ろす。噴き出していた血が幻だったかのように堰き止まり、腕は何事も無かったかのように存在している。



「はぁっ! はぁっっ!?」



 痛い。ある筈の腕が、下界に戻って来た事で無事な筈の腕が、切断され続けているかのような連続的な激痛に苛まれている。

 秘境(ゼロ)で己にて切断を試みたポアロ戦とは別次元の激痛に脂汗が止まらない。顔は青ざめ吐き気まで催す不調っぷりに、これでもかと目眩までもが追い打ちをかける。

 魔界の損傷は下界には継承しないことから幻覚痛だと分かっているが、容赦なく腕を切断された激痛が頭からこびりついて離れない。



(レラの奴躊躇なく斬りやがった……っ!)



 あわよくばレラが救いの手を差し伸べてくれるかもしれないなどといった考えは完全に欲目だった。

 団員達の攻勢を凌ぎ、淡い期待に時間を稼いでいた時間も完全に無駄だった。

 レラはルカを追い払うためだけに派遣された超戦力だったのだ。

【クロユリ騎士団】として、都市(リフリア)を守る一人としての責務を果たすための。

 サキノの生命など度外視した、ただの兵隊だった。



「ちくしょう……!」



 己の甘さに、レラの無慈悲に、震える奥歯を噛み締める。

 震える全身を掻き抱きながらその場を立ち上がり、ふらつく脚で一歩、また一歩と歩を進めていく。

 断線した思考を必死に繋ぎ止めようと、頭の動力源を自力で回す。



(時間が無い……どうする……? どうすればいい……? 何か別の策を考えないと……)



 レラの唯一の慈悲とすればルカを逃がしてくれたこと。戦闘後の悠長な行動は決して無意識下のものではない。【クロユリ騎士団】に捕まってしまえば、少なくとも転化の儀が終えるまではルカの解放は望めないだろう。

 となると、あの状況下から一縷の希望を残してくれたのもレラだ。敵対し、腕を切断にまで至った【クロユリ騎士団】としてのレラ・アルフレイン。しかし、敵本拠地へと単身突入したルカが策を持たないのもまた事実。レラの言うように全ての道筋を斟酌し、ありとあらゆる結末を見通し出来ていない事実は交渉の余地すらも無い。交渉の場につくことが可能かどうかは話は別だが。


 つまり都合良く捉えれば、荒事ではあるが考えて出直して来いと言うレラからのメッセージ。悪く捉えれば騎士団としての責務を重視した完全なる敵方。

 二つに一つの顔。レラの本当の顔は、思考に余裕の無い今のルカには理解出来なかった。


 何はともあれ、魔界に行かなければ何も始まらない。異なる世界にいたのでは始まるものも始まらない。

 激しい息切れに上下左右捻じ曲がる空間を前に、ルカは魔界に戻る決意を秘める。



(今は幸樹付近にクロユリの団員達がうじゃうじゃいるかもしれない……ココに頼んで転移場所を変えて貰って――)

「おールカりん、こんなところで奇遇やのう」



 しかし、ガクッと。白々しく誰かが話しかけてくる声も届かず、膝が折れ視界が暗転する。



(――その後は……その、後……は……)

「おーい、ルカりーん。流石にアカンか」



 そしてバシャっと。既に全濡れになった体が地で迷子になった雨を吸う感覚と共に、ルカは地の底へと意識を落とした。




± ± ± ± ± ± ± ± ± ± ± ± ±




 持ち前の逃げ足を活かし大通りに出たマシュロは、張り裂けそうなほど心臓を打ち鳴らしながら何食わぬ顔で傘差し道行く人達に紛れ込む。



「見つけるなり逃げ出したのよ! きっとローハートの関係者だよ!」

「絶対に逃がすな!」



 傘を目深に顔を隠したマシュロの隣を兵達が颯爽と通り過ぎていく。いくら追手が獣人とは言え、即座に痕跡(におい)が掻き消える雨天の中、人混みに紛れたたった一人の人物を追跡し、探り当てるのは困難を極めた。



「っ……! っ……っ、!」



 人を隠すなら人の中。人混みに紛れた途端に逃走を中断したマシュロの機転が功を奏した。顔は引き攣り、耳と尾は萎れ、呼吸は浅く、波髪は汗で顔に張り付き、間近で確認を取られれば怪しい様相をしているに違いなかったが。

 傘も差さずに大声で走り去っていく【クロユリ騎士団】団員達の姿に、随所で何事かと小さな騒ぎが起こり始める。ルカが引き起こした騒動の拡散はもはや時間の問題だろう。幻獣を打ち破り都市を守った筈の英雄が一転して狼藉者になるといった不条理に、マシュロの傘を握る手には知らずの内に力が込められていた。



(サキノさんを救いたくて話し合いに行っただけなのに、何も出来ず謀反者に仕立て上げられるなんてどうかしてます……!)



【クロユリ騎士団】団員達の一方的な包囲を眼に、マシュロは【クロユリ騎士団】が話し合いを放棄したのだと確信を得た。同時にたった一人の人物ルカ・ローハートを遠ざける意味――バウムの情報が真実であることも。

 サキノが人柱としての重要人物で騎士団本拠に幽閉されているために、ルカが手出しを出来ないように策を講じている騎士団の徹底度が窺えた。


 ――都市を守るとはそういうことなのだろうか?

 ――民を守るためには誰かを犠牲にしなければならないのだろうか?


 決して帰ってくることの無い答えを求めてマシュロは自問し続ける。



(サキノさんには禁足地に同行して頂いた御恩がありますし、これは決して他人事ではありません……【クロユリ騎士団】許すまじです……っ!)



 一難が去ってマシュロは周囲を警戒しながらも本拠へと舞い戻る。

 口を尖らせ、やり場のない怒りをひたすらに循環させ、長い階段を登ったマシュロは自室へと踏み入った。大穴がベニヤ板で塞がれた自室――穴を開けたのも塞いだのも自分――でたった一人静かな空間に包まれ、マシュロはようやく冷静さを取り戻し、無意味な怒りに終止符を打った。



(いえ、よしましょう……いくら嘆いても意味がありません。今は如何にして計画を頓挫させるかを考える方が優先ですね……)



 店仕舞いをすれば同室に帰ってくる子供達がいない自室をぐるぐると一人彷徨う。

 思いつく限りの策を列挙し、その中でも幾許か現実味のある提案を煮詰めていく。



「団長に交渉の場を用意してもらう……? いや【夜光騎士団】にとっても【クロユリ騎士団】にとっても利点がなさ過ぎます……」



 都市の現状や民達の不安を斟酌しても結界が優先されることは目に見えている。そもそも【クロユリ騎士団】内の事情に首を突っ込むことは、両騎士団に軋轢を生む可能性すらあった。

 そして何よりキャメルがルカの為に動くとは思えない。キャメルの一方的な小さな敵愾心が何より産まれたものなのかはマシュロにはわからなかったが、一知人の為に短絡的に動くほど親しくも無ければ【夜光騎士団】も愚かではない。



「事実を公表して反対者を募る……? ……いや、そんな時間が果たして残されているでしょうか……?」



 事実を公のものにすれば命の尊みより少なからず反対者が手を上げる事も事実だろう。

 しかし仮に暴動を起こせるほどの人員を集うにしても【クロユリ騎士団】が既に包囲網を敷いている以上、作戦決行は何週間何か月も先の話ではない筈だ。悠長に同志集めをしている時間などない。

 そして何より、都市がその運動を許しはしないだろう。そんな運動の首謀者が【夜光騎士団】の一団員だと知られれば更なる懲罰が騎士団に下される危険性もある。

 ただでさえステラⅣに降格した直後で「厄介事は頼むから勘弁してくれ……」と重たい溜息を衝くキャメルにこれ以上の心労はかけられない。



「あれも、駄目……これは……これも駄目っ!?」



 どのような策を挙げようとも、熟考した先には高い高い【騎士団】という壁が立ちはだかる。歯痒い帰結に、普段から大人しいマシュロにも焦燥が募る。



「何をしようにも騎士団という枠組みが付き纏う……っ」



 個を守るための組織が、個の自由を羈束している。個の自由を尊重し過ぎたために同族同騎士団からカロン・アテッドという暗殺犯を出してしまったことをマシュロは理解している。

 だからこそ騎士団の平穏を第一に考える事しか出来ず、故にその枠組みが煩悶で仕方が無い。



「これは騎士団じゃなくて(わたくし)だけの問題なのに……っ」



 騎士団という枠組みが無ければ。騎士団という組織ごとの敷居が存在しなければ。

 そんな益体の無いことをひたすらに考えるマシュロは、己が零した言葉に寄っていた眉根が弛緩した。



「騎士団の枠組み……? 私だけの問題……?」



 脳に残響した単語という旅人達とともに脚を止めたマシュロは暫し思案する。

 欠片(ピース)の一つ一つが組み上げられては、余計な欠片(ピース)を削ぎ落していく。

 拘泥。それは固定概念。

 騎士団と言う画期的な仕組み。勿論抜け穴は存在する。


 問題になっているのは他騎士団員としてのサキノの救出、【クロユリ騎士団】や都市との不和や確執、結界の再構築。

 マシュロは独自の打開策を組み上げてはあらゆる角度から自照した。



「今の私に出来る事は……?」



 マシュロは周囲の本棚を一瞥し、



「中々骨が折れそうですが……同時進行でやるしかないですねっ。ルカさんとサキノさんのためにっ!」



 気合を入れて歩み寄り、一つ一つの本を調べ始めた。

 頭の片隅――半分ほどに最愛の人物の顔を想起しながら。


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