表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/253

013話 一途と嫌悪

 他方。

 すっかり静けさを奏でるミラ・アカデメイア三年の教室。細長いふわふわな耳にモコモコの毛玉のような尾を携えた少女と、白髪紫眼の少女は机を挟んで向き合っていた。



「それでですね、彼ったら格好良くて、優しくて、逞しくて……あ、何が逞しいかと言ったら欠かせないのが、この都市に来たばかりの私を……」

(私は何を聞かされているの……?)



 学園で律儀に待機していた依頼人、女兎人(シーラビット)の女子生徒と合流したサキノは、依頼と称した惚気話を長々と聞かされていた。

 セリンちゃんグッズ購入といった大それた私情――サキノにとっては死活問題――のために遅れた身の上もあって、依頼の核心に触れたくても触れられない、そんな歯痒い状況に苦笑を浮かべながら相槌を打つ。

 真剣かつ情熱的に一人の男子生徒をべた褒めする彼女に、糖分過剰摂取だとサキノの脳内が悲鳴を上げていた。



(ラヴィだったら張り合えそう……)



 友人の猛攻と張り合わせたらどうなるんだろうと、瑣末なことを考えながら彼女が発信した言葉を追っていく。

 陽気に口を閉ざす間もなく愛を語る彼女だったが、しかし転瞬、翳りのある表情を見せ始める。



「そんな優しくて素敵な彼なんですけど……優しすぎて不安なんです」

「……?」



 唐突に声の抑揚がなくなり、自らの心中を溢す女子生徒。惚気話から一転、重々しく変貌を遂げた雰囲気と彼女の言葉に、サキノは怪訝に思い首を傾げた。



「私が告白して付き合ってもらったのはいいんですけど、何をしたいと言っても付き合ってくれるし、私がどんなドジをしても絶対許してくれるし……怒りもしなければ何も言ってくれません。ただただ笑いかけてくれるだけで……」



 昏い瞳の奥には、先程の無邪気さがカタカタと震え、縮こまっていた。

 彼女の様子にサキノは憂い、手を伸ばそうとしたが、彼女は尚も言葉を続ける。



「彼は人族です。異種族間での男女の友情、恋愛の成功率は限りなく低く、稀じゃないですか? 世界的に統計も出てますし……嫌悪感を持っていて、いつ捨てられてもおかしくないです。何も言ってくれないのは――」



 溢れる感情が抑えきれず、透明な滴が頬を伝って机を濡らす。兎の耳が悄然と折りたたまれ、先程の元気の欠片も窺えなかった。



「――私が亜人族だから……でしょうか?」



 いくら都市が、世界が異種族差別の対策を取っていたとしても、そこに真の友情や愛があるかと問われればそうとは限らない。下界に住居を構える亜人族の奥深くに刷り込まれた過去故の劣等感、差別意識は因習的に受け継がれている。差別が激しい他都市出身の者であれば尚更のことだ。


 人族がいくら友好をかざし、手を取り合おうとしても、その劣弱意識は差し出された手を拒み反目を生む。人族は非友好的な亜人族を更に忌避し、軋轢は拡大する。同族は同族同士で過ごすようになる。つまりはいたちごっこにしかなり得ないのだ。


 特に異性間では顕著な傾向にある。男女間で親交が深まれば、生涯の伴侶として契りを交わすことも往々にしてあることだろう。その際、身体的な接触は否が応でも発生する。僅かな嫌厭が破綻に直結することは、誰もが言わずもがな理解していることだ。


 そして極めつけは周囲の環境にある。「亜人族と友好を持っている」「伴侶が亜人族」。亜人族を忌み嫌う者が吹聴すれば、負の感情は即座に連鎖を引き起こす。そうなればパートナーである人族の社会的立場も危うくなってしまうという悪循環。


 つまりの帰結として、亜人族とは極力関りを持たないことが得策だというのが正常な世界の認識だ。幸福都市リフリアでは、その傾向が『薄い』というだけの話である。

 女兎人(シーラビット)である彼女はその柵に呵責されているのだ。種族は違えど勇気を振り絞り、告白し、交際したまでは良かった。彼の性格や行動に不満はない。それでいて種族の垣根が、彼の善意を悪意へと自然変換してしまっているのだ。


 とめどなく流れる涙が作り出す小さな泉を、サキノは暫し眺める。泉に映った反対側の亜人族の少女は幸せそうな笑顔で、隣を歩く大きな男性の腕に抱き着いていた。それは、彼女本人なのか、それともサキノが異種族差別のない世界に見た願望なのかは判然としなかったが。

 この慶福の光景をこれ以上落としてはいけないと、そう感じた。



「それは信頼、じゃないかな?」

「え……?」



 サキノは彼女の頬を伝う幸せの幻覚を、指で拭いながらそう告げた。

 女兎人(シーラビット)の少女はしゃくり泣きながら顔を上げる。



「私は彼のことを知らないから憶測でしか物を言えないけれど、彼が何も言わずに、それでも貴方との交友を持っているのは、心から信頼して、愛情を持っているからこそ出来ることだと思うの」

「信頼と……愛情?」



 少女の瞳から、昏迷が霞む。



「そう。貴方は血統を隠して彼に懸想を伝えたのではなく、その姿、その声、その心で告白して認めてもらったのでしょう? 彼は周りからの非難も覚悟して、貴方を受け入れた。だから彼を、そして自分自身を信じてあげるべきだと、私は思うな」



 彼女の柔らかい髪をそっと撫で、包み込むように微笑んだ。



「うっ、うぅ……」



 再度流れる涙滴は、先程の幸福の幻覚を孕むものではなかった。

 それは、確かなる幸福への涙だろう。



「信じても、いいんでしょうか……?」

「ええ。大好きな彼のためにもね」



 大きな口を開けてぽろぽろと啼泣し、絶望と不信が瞳から別離していく。

 泣かないでと、半開きになった窓から教室に緩やかな風が吹き、優しく髪を梳いた。が、突如ビィンッ! と音を拾うように立つ兎耳にサキノは肩を震わせた。



「!?」

「彼の声が聞こえたっ! 先輩、私は行かなくちゃいけません! いえ、行かせてください!! お願いします!!」



 涙を振り撒き、勢いよく首を外の景色に向けた彼女は喜色と焦燥に眉を吊り上げた。体育会系とばかりの熱意ある懇願にサキノは戸惑う。



「う、うん。行っていいよ……」

「ありがとうございますっ!」



 教室から去っていく少女の姿に、肩にこもっていた力が抜ける。背もたれに体重を預けたサキノは、責任の糸を一時手放して一息ついた。



(私は……卑怯だ) 



 初々しいほどに一途な恋慕に。

 清々しいほどに真っ直ぐな瞳を前に。

 サキノは少女の姿に自分を重ねて、溜息をついた。こぼれ落ちる溜息には幸福が含まれているのだろうか。泉に見たような幸せな未来が、本当に待っているのだろうか。

 婉美の少女は四角い白い天井を見上げ、自己嫌悪に陥るのだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ